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ここから主人公の幼少期の話になります。
時は遡り、グランシェール王国の王都にて───。
「おかえりなさい、お母さま!」
「ただいま、ルイーズ」
癖のあるプラチナブロンドの髪を揺らして母親に駆け寄る少女、ルイーズ。5歳になる彼女は、この国の伯爵であるピエール・ド・レーヌの娘で、両親と1つ下の弟と一緒に暮らしている。
侍女とともに買い物から帰宅した母が持ち帰った荷物を、幼い姉弟は興味津々の様子で見ていた。
「お母さま、今日は何を買ってきたの?」
「今日は素敵な文具を見つけたのよ」
「文具…?お手紙書くのに使うもの?」
「そうよ。ほら、素敵な便箋でしょう?」
そう言って母マリーが綺麗な薄紫色の便箋を見せてくれる。取り出した便箋から微かに感じる香り。知らないはずなのに、ルイーズは何故か懐かしさを感じた。そう、確かこの香りは───
「お母さま、僕にも見せて!」
「えぇ、もちろんよジャック」
「……わぁ…いい匂い……!」
「でしょう?これはね、ラベンダーという花の香りなのよ」
───そうだ、ラベンダー。ふと小さな紫の花が一面に咲き誇る風景が頭の中に浮かんで、ルイーズははたと動きを止めた。
(………なに、今の?)
知らないはずの花の名前に、見たこともない風景。
急に頭に霞がかかったようにぼんやりとしたかと思うと、両耳がキーンと嫌な音を立てた。
(あ、気持ち悪い……)
そう思ったが最後、ルイーズはその場で意識を手放した。
───夢を、見ていた。
ある人物の視点から次々と移り変わる様々な場面。まるで走馬灯のように流れていく景色の最後に見えたのは、辺り一面に広がるラベンダー畑。
何故か泣きたくなるような気持ちがいっぱいになって顔を上げると、そこには抜けるような青空がどこまでも続いていた───。
徐々に意識が浮上してきたルイーズの目に最初に飛び込んできたのは、見慣れたベッドの天蓋。起き上がろうとして、頬が濡れていることに気づいた。
(私、泣いてたの……?)
断片的ではあるけれど、夢の中に出てきたものは、全部ルイーズの知らないものばかりだった。
大きくて四角い建物や馬のないヘンテコな乗り物。奇妙な服や髪型の人たち。見たこともないような道具や食べ物。どうしてそんなものを夢に見るのか、さっぱり分からない。
「うーん……」
頭をひねってみるけれど、そこは所詮5歳児。すぐに頭の中がごちゃごちゃしてきたので、考えるのを諦めた。
「ま、いっか。お腹空いたし、とりあえず何か食べに行こう」
ゴシゴシと袖で涙を拭い、勢いよくベッドから飛び降りて部屋履きの靴を履こうとしたところで、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「お嬢様、お目覚めでいらっしゃいますか?」
「アンヌ、入っていいわよ」
「失礼します」
ずっと世話をしてくれている侍女のアンヌがドアを開けてこちらに近づいてきた。その表情はひどく心配そうだ。
「ご気分は悪くないですか?どこか痛いところがあったりは…?」
立っていたルイーズをやんわりとベッドに押し戻しながら、そっとおでこに手を当てるアンヌ。普段はすごく優しいけれど、お行儀に関してはとても厳しい。なんでも聞くところによると、父が子供の頃からレーヌ家にいるらしい。
「どこも悪くないわ。私どうして寝ていたのかしら?」
「ご自分では覚えていらっしゃらないのですね…。お嬢様は、奥様がお買い物の荷物を開けていらっしゃったところ、急に倒れられたのです。お熱はないようですが、念のため医者を呼んであります。もうすぐ着くはずですので、それまでベッドにいてくださいませ」
「え、お医者さまが来るの?もう元気だから──」
大丈夫、と言いかけてアンヌを見ると、いつものお説教モードの顔になっていたのでルイーズは急いで布団に入った。
「奥様を呼んできます。お嬢様が目を覚まされたとお聞きになれば安心なさるでしょう。くれぐれも、大人しくなさっていてくださいね?」
「…わかったわ」
しっかりクギを刺して出て行くアンヌが閉めたドアをぼんやりと見つめながら考える。
さっき見た夢って何だったんだろう?
もっと大きくなったら、ちゃんと思い出せるかな?
思い出したら、私はどうなっちゃうんだろう?
漠然とした不安を感じながらも、何となくこのことは他の人には言わない方がいいと感じる。変な子だと思われてしまいそうだ。もっといろんなことを思い出せたら、どうするか考えよう。
そう結論づけて、ルイーズはゆっくりと目を閉じた。
ここまでお読みくださいまして、ありがとうございました。
これからしばらく幼少期が続きます。
どうぞよろしくお願いします。