ティルと話そう
教室に入ったシンディーは真っ直ぐに自分の席へと向かった。シンディーの席は扉とは反対側の、窓側の一番後ろにある。シンディーが教室内を移動する間、クラスメイト達は遅刻してきたシンディーに何の反応も示さない。初めのころはシンディーに声をかける生徒がいたが、今はもう声をかけるどころか、シンディーに目を向ける生徒もほとんどいない。
シンディーは自分の席に座り、カバンから次の授業に必要なものを取り出し、授業の準備を始めた。カバンの中を確認し、出し忘れているものがないかの確認をしていた時、隣から話しかけられた。
「シンディー、また遅刻か。いい御身分だな。さすがは主席様といったところか」
「あ、ティル。おはよう。ポーとルーもおはよう」
「「もぐもぐ……おはよう、シンディー」」
シンディーの隣にいるのはティルとその召喚獣のポーとルーだった。ポーとルーは二体で半分に割ったクッキーを食べている。半分に割れたクッキーは、人間の顔ほどあるポーとルーの体より少し小さいくらいで、通常よりもかなり大きい。シンディーはそんな大きなクッキーをもぐもぐと幸せそうに、並んで食べる姿に癒された。
「あ、そうだ、ティル。さっきのリオン先生のノート見せて。ティルのことだから課題の内容もメモしてあるでしょ?」
「何で俺がお前にノートを貸す必要があるんだ。他を当たれ」
「えー、いいじゃん。同じ村出身の仲でしょ? 助け合おうよ」
「出身が同じだけだ。身分を考えろ。それと、シンディーに助けてもらった覚えはない」
「まぁまぁ、そう言わないでさ。お願い、昨日の続きちゃんと聞くからさ」
「昨日の続きを聞くのは既に約束済みだ。それは取引材料になりえない」
頑として聞き入れようとしないティルに、シンディーは諦めて他の人に借りようかと考えた時、シンディーの机の上に一冊のノートが音を立てて落ちてきた。そのノートの表紙にはティルの名前と『世界の歴史(リオン先生)』と書かれている。
「「はい、シンディー。これで合ってる?」」
「あ、これだ。ポーもルーも、ありがとう。あ、ティルもありがとう」
いつの間にか、ポーとルーの二体がシンディーの頭上を飛んでいた。さっきまで持っていた大きなクッキーは無くなっている。シンディーは親切にも、ノートを持って来てくれたポーとルーにお礼を言った。
「ちっ、勝手なことしやがって。はぁ……もういい、シンディー、今日中に返せ。ポー、ルー先に手を拭け。汚れた手で物に触るんじゃない」
「「はーい」」
ポーとルーの勝手な行動はいつもこと。だからティルも、怒るだけ無駄だと諦めている。
ティルはタオルをカバンから出し、ポーとルーに渡す。二体が手をきれいにし終えると授業開始のチャイムが鳴った。チャイムと同時に教室にいたすべての召喚獣たちは、それぞれの『ポケット』の中に戻っていった。
§
日が傾き、純白の校舎が金色に染まる頃、レインフィア学園は一日の授業がすべて終わった。生徒達は、部活動や委員会など、思い思いの場所へと向かうため、教室を出ていく。次第に校舎内から人気が無くなっていく。
金色に染まった校舎は、夜の帳が下りるのを待つかのような静寂が広がる。そんな中、レインフィア学園中等部二年の教室に二人の生徒が残っていた。
「シンディー、昨日も言ったが、学園トーナメントに出場しろ。そこで俺と戦え」
「「しょうーぶだ、シンディー」」
「そんなこと言われても……僕には召喚獣がいないから無理だよ」
学園トーナメントは、年に一度レインフィア学園の初等、中等、高等部をすべて含めた全校生徒が戦う大会だ。人数の都合上、全部の試合を見ることはできないが、初等部、中等部、高等部、各二名が戦う決勝戦では、国外から観客が来るほど注目される大会だ。
しかし、それには参加条件がある。一つ、一週間前までに申請すること。二つ、レインフィア学園の生徒であること。三つ、召喚獣と召喚士が各一名以上いること。
『ポケット』が小さいせいで、召喚獣がいないシンディーは三つ目の条件を満たすことができなかった。急いで魔物と契約すれば間に合わないこともない。しかし、焦って契約した召喚獣がまともに言うことを聞くわけがない。そんな状態で、強者がひしめき合う大会で勝ち残ることなど不可能だ。
「ていうか、ティルはなんでそんなに僕と戦いたいのさ。座学で負けて悔しいだけでここまで言わないでしょ」
「……ただ、レインフィア学園の名を汚す存在が目障りに思うようになっただけだ。名門校の次席である俺が、召喚獣を持てない無能に負けているというのが許せないだけだ。他意はない」
シンディーはティルの言葉が信じられなかった。言葉はきついが、ちゃんと優しさを持ち合わせている。今日だって、ティルはシンディーにノートを貸すような優しさがある。普段の態度は素直でないだけなのだ。でないと、召喚獣のポーとルーがあれだけ優しい性格になることはないだろう。召喚獣は召喚士を映す鏡、と言われるほどに召喚士の深層心理が反映されやすい。
シンディーには、ティルがそんなことを言うとは思えなかったのだ。
「そうなの? ポー、ルー、それは本当?」
「「ティル、そうなの?」」
「そうだ」
「うーん、そっか……いや、待って、もしかしたら……」
シンディーは昨日の夕食時、師匠と話した内容を思い出した。師匠は、明日から行く依頼が終われば、シンディーの召喚獣候補の魔獣を教えてくれると言っていた。シンディーは、師匠謹製の謎の薬のせいで記憶は曖昧にはなっているが、辛うじて覚えていた記憶を引っ張り出した。
「なんだ?」
「ティル……いけるかもしれない。召喚獣候補に心当たりがある。まぁ、不安は残るけど……」
「本当か!?」
「「ほんとー!?」」
シンディーには、ティルの表情に喜びの色が見えた気がした。このティルの期待に応えるためにもシンディーは魔物と契約し、召喚獣としなければならない。大会まで一カ月しかない。エントリーの締め切りを考えれば、師匠の当てが外れれば、もう後がない。
一抹の不安は残るが、シンディーは師匠を信じるしかない。普段は喋れるだけの、かわいいネコだが、師匠はやるときはやるネコだ。師匠がシンディーの信頼を裏切ることにならなければいいと切に願う。
「うん、たぶん……」
「……自信のなさが気になるが、まぁいい。エントリーの締め切りは三週間後だ。忘れるなよ」
「わかったよ。それじゃ、今日はもう帰るね。明日から休むから手続きしないと。ばいばーい」
「「シンディー、ばいばーい!」」
教室を出たシンディーは事務所で手続きを済ませ、帰路に就いた。すでに太陽は姿を消し、漏れた光だけが道を照らしていた。