召喚士シンディー
夕日が紅く燃える。薄い雲が夕日という主役を引き立てるように空に浮かんでいた。それは絵画の世界に入ったような光景だった。
王都の南西に位置する建物にも紅い夕日が射し、大きな影を作る。見るものを圧倒するような純白の建物は、夕日に紅く染まる。そこには制服を着た少年少女の姿が見える。
この荘厳な建物こそが、王都最大の召喚士の学園、『王立レインフィア学園』だった。
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「ティル、放課後に呼び出すなんて、なんの用?」
シンディーは呼び出された理由を問う。
レインフィア学園中等部の制服に身を包んだ少年。顔立ちはいたって普通で、人の良さそうな顔をしている。茶色味ちゃいろみがかった髪は少し癖毛になっている。
シンディーと向かい合うようにして立つのは、鋭い目付きと端正な顔立ちの少年、ティル。
シンディーと同じく中等部の制服を着ている。切れ長の目は見た人を圧倒する力強さを感じる。髪は輝くような金色で、手入れの具合が窺える。
そして、ティルの左右を飛ぶ二体の魔物。
その魔物は下位悪魔と呼ばれている。人懐っこい性格と見た目で、大きさは人の顔ほどしかない。しかし、その見た目と大きさに対して、かなり強力な魔法が使える。そのため、召喚獣としての人気も高い魔物だった。
「シンディー、俺はお前が気にくわない。俺はお前のような才能のない人間がこの学園にいることが許せない」
「「そうだ、そうだー」」
少年の周りを飛び回る二体のレッサーデーモンが、少年のセリフに同調するように声をあげた。
「いきなりひどいなー。僕にだって学ぶ権利くらいあるはずだよ。ポーとルーもそう思うよね?」
平凡な見た目の少年、シンディーは優しい口調でレッサーデーモンのポーとルーに問いかける。
「「そうだ、そうだー」」
ポーとルーは春の陽射しを思わせる笑顔を見せながら答える。それに対して、もう一人の少年はシンディーの態度が気に食わなかった。
「うるさい! お前達は黙ってろ。俺は、召喚獣も持たないやつが、この学園の生徒を名乗るのは我慢ならない。まして、学年首席なんてな」
「そんな事言われても――」
シンディーはレインフィア中等部第二学年の首席だ。首席は座学の点数のみで決定される。戦い以外を得意とする召喚獣をもつ召喚士もいるからだ。
「今度の学園トーナメントに出ろ。座学だけで首席を名乗るお前が気に入らない」
「…………」
「トーナメントで俺と戦え」
何も言わないシンディーにティルは静かに言った。ティルはまっすぐシンディーの目を見つめる。その瞳には強い意志の炎が見えた。
しかし、シンディーの答えは決まっていた。
「悪いけ――」
「これまで出場しなかった理由は知らないが、俺と戦え、首席を名乗るに相応しいか、学園の生徒として相応しいか。俺に見せてみろ」
シンディーの言葉を遮るように、ティルはさらに畳み掛けた。しかし、召喚獣がいないシンディーはトーナメントには参加出来ない。だから、シンディーは断るしかない。
「召喚獣のいない僕に参加権はもともと無いんだよ。ティルも知ってるでしょ?」
「トーナメントまで、まだ1ヶ月以上ある。それまでに魔物と契約すればいいだろ?」
「……召喚獣とは信頼と連携が必要だよ。急いで契約してもいいことは無いと、僕は思うよ」
「…………」
ティルも無茶を言っている自覚はあるのだろう。けれど、ティルの瞳には強い意志が見て取れた。
「まぁいいや。この後仕事あるからもう行っていい?」
シンディーは人の召喚獣に対してこれ以上何か言うべきではないと思い、話を切り替えた。
「召喚獣を持たない分際で仕事か。お前を雇うコミュニティの気が知れんな」
ティルから嫉妬の感情を孕んだような、小さな呟きが漏れる。
――カーン、カーン、カーン――
すると、遠くの方から鐘の音が聞こえてきた。
「あ、本当に時間が無いから、もう行くね。また明日ゆっくり話そうか。それじゃ、 バイバイ、ティル! ポーとルーも、またねー!」
「「バイバーイ、シンディー」」
応えたのはレッサーデーモンのポーとルーだけだった。
§
シンディーは古びた小屋の前にいた。所々壁が傾き、ささくれが目立つ。家の横には何かの骨が山積みになっている。中には人間よりも大きい骨も混じっているのが見える。
玄関の前に立つと扉に手をかけ、力いっぱい扉を押した。重苦しい金属の軋む音と共に扉が開く。中からは常人であれば袖で顔を覆ってしまいたくなる程の刺激臭が漂ってきた。
「師匠ー! 起きてますかー? ていうか、生きてますかー?」
小屋の中に足を踏み入れた。ギシギシと床の軋む音が響く。
「……んー、また薬草でも取りに行ってるのかな〜? 僕が行くっていつも言ってるのに……」
文句を言いながら建物の中を進んで、ある扉の前で立ち止まった。目が痛む程の臭いは、師匠がいつも使っている部屋から出ているようで、扉の前に立つと、流石のシンディーも顔を顰める程の臭いが漂っていた。
「ここか……」
恐る恐る扉に近づくと、より強烈な臭いの波が押し寄せてきた。
「うっ……」
あまりの臭いに一瞬、扉を開けようとする手が止まった。もう一度閉めたくなったが、何とか踏みとどまり、扉を開け放った。電流のように強烈な臭いが家中を駆け巡る。
「師匠、いますか?」
暗い部屋に窓からの薄明かりが射す。部屋の中はかなりの惨状で、本や薬草、何かの動物の骨、妙な色をした液体が、机の上だけでなく床にまで無造作に置かれていた。部屋の主いわく、少し散らかっているくらいが集中出来るらしい。
「にゃー」
カラフルな液体の入った瓶が並ぶ窓の方から、不意に、ネコの鳴き声が聞こえた。窓の外側に真っ白なネコが部屋の中を興味深そうに覗き込んでいる。
「師匠ー!そんな所にいたんですね。早く返事してくださいよ」
「にゃー?」
シンディーは窓の近くに駆け寄るとネコに向かって話しかけた。もちろん、ネコは不思議そうにこちらを見るだけで返事をするわけがない。
「ところで、本物のネコみたいですけど、どうしたんですか? あと、いつもより少し汚れてる気が……」
「にゃー?」
首をかしげるシンディー。それに倣うようにして首を倒した猫。シンディーとネコはしばらく向かい合っていた。1人と1匹の間に不思議な沈黙が流れた。
すると、シンディーの後ろで扉が開く音がした。そこには、これまた真っ白なネコがいた。
「し、師匠が2人いる!?」
思わず顔をうずめたくなるような、柔らかく艶やかな真っ白な毛が暗い部屋の中でも輝いて見える。クリクリとした目は愛らしくもあり、自ら光を放っているかのような輝きは怪しくも映る。
そんなネコが長い尻尾を左右に揺らしながら近づく。小さな口が大きく開かれ鋭い歯が覗く。喉からは威嚇するように空気が漏れる。
「シン君! まさかとは思うけど! そんなビッチとわたしを間違えたわけじゃないよね?」
この真っ白なネコこそがシンディーの師匠だった。
師匠の威嚇に驚いたのか、窓の外にいたネコは逃げてしまった。
「師匠。ビッチはメスのイヌですよ。ネコじゃありません。あと、そんな汚い言葉使っちゃダメです」
「そんなことはどーでもいいの!」
師匠はプンプンと、怒ったようにシンディーに向かって駆けてくる。近くまで来たところ師匠は何かに気づいた。
「問題は……て、シン君! ドロドロじゃない! どうしたの? 誰かにいじめられた? ちゃんとやり返した? まだなら手伝おうか?」
師匠の綺麗な目から光が消えた。師匠の背後からは黒いオーラのようなものが出ているように見える。
「あー……さっき家の前にあった謎の巨大な骨に引っかかって転けたんですよ」
黒いオーラが霧散し、師匠は固まってしまった。少し考え込むようにしたあと、何かに気づいたように顔を上げた。
「師匠?」
「…………それ置いたのわたしじゃん! ごめんね!? すぐに跡形もなく破壊してくるね!?」
師匠は目にも止まらない速さで外へ出ていった。
すぐに、外から轟々ごうごうと何かが燃えるような音が聞こえてくる。周囲の温度が少し上昇したように感じた。
「師匠には悪いけど、嘘をつかないと、ポーとルーの命に関わるからなー。 本当のこと言ったら……今頃あの骨の山に混じって……ついでにティルも危ないしなー」
師匠は出ていった時と同じ速さで、シンディーの足元まで飛んできた。師匠の綺麗な白い毛には黒い斑点が浮かんでいる。
「ほんとにごめんね、シン君! 今度からは溜まる前に処分しておくね! あ、誰かにいじめられたら言ってね。そっちもすぐに処分するから!」
「ありがとうございます、師匠。でも、大丈夫ですよ。学園のみんなは良くしてくれてます」
シンディーがしゃがみこんで師匠の頭を撫でると、嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
「にゃー! そっか! 楽しんでるようで良かったよ! わざわざこの街まで来たかいがあったね」
師匠はシンディーの足元に体を擦り寄せて、気持ちよさそうに目が細くなる。そんな師匠との幸せなやり取りをしていると、シンディーはここに来た目的を思い出した。
「そういえば師匠。僕に何か用事でもあったんですか?」
「あー、忘れてた。あのね、良さそうな依頼が出てたから取ってきたの。弱小コミュとはいえ、仕事はしないとねー」
依頼はその名の通り、様々な困り事が召喚士達を束ねる召喚士大連と呼ばれる巨大機関に送られる。そして、各コミュニティと呼ばれる、召喚士同士が集まって作られたチームが依頼の中から自分達に合った依頼を受ける。
「今から行くとなると、夕飯遅くなりますよ? もうすぐ日が傾き始めますし」
そう言うと、シンディーは窓の方に目を向けた。窓からの光はほとんど入らなくなっていた。
「あ、違うの。今回のはちょっと遠くまで行ってもらおうかと思って、隣町の依頼にしたの」
「珍しいですね。いつもは心配だからって近場の依頼しか持ってこないのに」
「うん。今回は隣町だし、わたしも付いて行くし!」
「え、師匠も来るんですか。珍しいですね。まぁ、わかりました。後で依頼書ください。目を通しておきます」
「はーい! というわけで、真面目な話はお終い! シン君お腹すいたから夕飯作って!」
師匠は甘えるように肉球のついた柔らかい前足でシンディーの足を叩く。シンディーは優しく師匠をだき抱えると、机の上の少しだけ空いたスペースに師匠を降ろした。
「まずは買い物に行ってくるので、研究の続きでもして待っててください」
「はーい! 早く帰ってきてねー!」
「すぐに戻ります。いってきます」
「いってらっしゃい、シン君」
汚れた制服から素早く着替えると、買い物をするために近くの商店街まで出掛けた。