後編 「出口の光」
後編です。この部分で完結いたします。
真っ暗闇のトンネルは二人の青年の持っていた“お守り”により程よい明かりで照らされ、これまでそれぞれ暗闇に閉じ込められていたのは
“自分一人”
だと思っていた
五人
も互いに一人ではなかったと気付いた事で心の平安も若干取り戻す事が出来た。
暗闇のトンネルの正体は五人がそれぞれに外の世界の危険や絶望から自分自身を守るために作り出した“魂の結界”だとお守りの神は言っていた。
つまり、このトンネルの中では無理に出ようと足掻くのは反って出口を遠ざけてしまうので程よく休んで心を楽にさせるのが一番という事だった。
「皆さんも、あの…迷路みたいな街に居たんですか?」
彼は地面に座り込み休んでいる四人に尋ねた。
「ああ、あの街ほんと道が分かりにくくて困るよな。」
友人に裏切られた青年が答えた。
「ええ。私もよ。何度行き止まりに突き当たったか分からないわ。」
三十代の女性が溜め息混じりに答えた。
「あの街の道はすごく歩きにくくもあるよね?でこぼこも多いし、階段の段差も皆バラバラで。」
拒食症の女性が言った。
「私も何回も躓いて転んじゃった。」
教師に強姦されかけた少女も答えた。
「そうだったんですか。俺もあの街に居たんですが…」
彼は思った。
日の当たる明るい道を闊歩していた健康そうな人々は皆、実に軽快にテンポ良く歩いていたと
躓いたり、転んだり、道に迷っている様子は見受けられなかった。
あの人々は一体何だったのだろう。
ここにいる自分達はああも歩きにくかったというのに。
「ねぇ、お守りさん。私達、またあの街に戻って何か良いことあるの?もしまたこの場所に帰ってくる事になるなら、どっちみち戻っても一緒じゃないかしらと私は思うんだけど?」
三十代の女性が彼の襟元にくくりつけられているお守りに言った。
「もしお前達があの街に戻っても、やはりここにいるお前達の全員が再び“魂の結界”に帰ってきてしまうだろうな。」
お守りの答えに全員溜め息をついたが、妙に納得した様子であった。
「やっぱりな…。俺達は元々あの街で生きるのに向いてないんだよ。」
友人に裏切られた青年が言った。
「どんなに頑張っても報われない。周りに合わせようと必死で足掻いて自分自身を見失う。成功者や幸せそうに生きてる人楽しそうに生きてる人達への負の感情が消せない。」
彼の心からの本音に全員が頷いた。
「ほんと、それよ。」
三十代の女性が心底同意を示すように言った。
「夢を抱いて頑張って目指しても結局なれないし。」
拒食症の女性が言った。
「生きてるだけで苦しい。」
教師に強姦されかけた少女が言った。
「あの街でうまく生きていられる奴等は皆そういうスキルを身に付けてる奴等なのか?だって、そうだろ?あいつらと来たら、信じられないぐらい楽しそうに、軽い足取りで歩いていたぜ?」
友人に裏切られた青年は身ぶり手振りを加えながら座り込む他の四人に言った。
「そうでした。お守りの神様、あの人達はやはりそうなんですか?俺達もあの人達のようにあの街をうまく歩くにはどうすればいいのでしょうか?」
彼も青年の後に続けてお守りに問いかけた。
お守りは暫く間を置くと思いきったように勢い良く言った。
「お前達はお前達のままでいるのが一番だ。あの街でうまく生きていこうなどとは思わない方がいい。」
「…!?」
お守りの言葉に全員が互いの顔をみわあせ驚愕の表情を浮かべていた。
「あの街でうまく生きていく必要はない…だって…!?どういう事だよ…!」
友人に裏切られた青年が叫んだ。
「あの街…あの世界そのものが、そもそも“間違った存在”なのだ。我々…神や天使、仏と呼ばれる存在からもあの世界は迷いや穢れ、恐れ、戦い、病や欲求から生じる、あらゆる苦悩に満ち溢れた世界とされている。」
五人全員がお守りの話に真剣に耳を傾けていた。
「あの世界で、楽しそうに生きているように見えるもの達は、すでにあの世界の毒に完全に染められきっているもの達なのだ。かのもの達は、多くの人間がそうであるように自己の欲に忠実に、常に自己を中心に考え欲しいものがあれば手段を選ばず手に入れている。地位や名誉や財産も全てだ。つまりはお前達のいう成功者達がそれだ。」
「手段を選ばないって事は…表立って言えないような事…ですよね?」
彼も恐る恐る言った。
「そうだ。だが、あの世界ではそのような生き方をする事が幸せであるかのように見せられているが、それ自体が間違いなのだ。あの街で…つまりは“うまく歩く術”を身に付ける事は…即ち永久にあの街から出られなくなる事を表すのだ。」
「…永久に…あの迷路を歩き続けるって事…?」
拒食症の女性が恐れおののきながら言った。
「そう。だが、あの街で“成功”を手に入れ一見すると幸せに見えるあのもの達はほぼ全員、ある間違った思想に洗脳され、結果、永久に歩き続ける地獄から逃れられずにいるのだ。」
「間違った思想…?」
お守りの話に三十代の女性が反応を示した。
「人生は一度きりという思想だ。この思想に染められたものは、途端に自己を中心とした考えに全て変わってしまう。自分の欲求に忠実になり、本来人間が持っていて然るべき美徳も全て機能不全に陥る。完全なる悪魔の思想だ。」
「そうだ!その言葉…!俺の金、持ち逃げしたあいつが言ってた言葉だ!」
友人に裏切られた青年が再び叫んだ。
「人生は一度きりなんかじゃないわよ!仏教の思想では、輪廻と言って死んだ後も魂が何度も生まれ変わりを繰り返すのよ!」
三十代の女性が眉間に皺を寄せながら訴えた。
「その通りだ。西洋の神の教えでも、魂は永遠と言われている。」
「イエス様もマリア様も天国では永遠に生き続けているって聞いたわ。そして新しい世界が完成した時にまた、もう一度降りてくるって…」
お守りの言葉に教師に強姦されかけた少女が加えた。
「そうだ。もう自分達でも分かってきただろう。何故お前達があの街をうまく歩けないのかが…」
「もしかして、私達が神様の国に属しているから…?」
強姦されかけた少女が言った。
「その通りだ。お前達が、数少ない真の意味で人間の美徳を備えた、心優しい、正直者で、汚い手段を嫌う、努力家で、素直に神仏を拝む心もある、純粋で清らかな魂を持つもの達だからだ。」
お守りはさっきよりいっそう明るく光ながら言った。
「まじかよ。」
友人に裏切られた青年は頭の後ろを掻きながら呟いた。
「教会で教えてもらった、“山上の垂訓”で例えられている人達…天国に行ける人達の仲間…だからなんだ…。あんなにつらかったの…でも、喜んでいいんだ!ねぇお兄さん達、私達とても幸せよ!だって、私達皆天国に入れるパスポートを持っているんだもの!」
強姦されかけた少女が突然表情をこれまでなかった程に明るく輝かせながら言った。
「天国に入れるパスポート?」
彼は目を丸くしながらズボンやシャツのポケットを探った。
すると何かが音をたてて地面に落ちた。見るとそれは眩しい金色の装丁の小さな手帳のようだった。
それを見た他の四人も全員ポケットを探ると同じ物が出てきた。
「これが、天国行きを約束されたパスポート…?」
全員がそれらを互いに確認しあい同時に開くと、それぞれの手帳の開いた上部の空中に突然ホログラムが表れ、全員のこれまでの辛く苦しかった、虐げられ、痛め付けられた日々が映し出された。
「頼れる者もなく寂しく心細い者は幸いです。その者は神の懐に抱かれるからです。」
ここで初めて、あの友人に裏切られた青年が首から下げていた、聖母マリアの「不思議のメダイ」が話しだした。
「うわっ!喋った!」
青年は驚いて思わずパスポートを落としそうになっていた。
「悲しむ者は慰められ、柔和な者は土地を受け継ぎ、心清らかな者は神をその目で見、平和を作るものは神の子とされ、憐れみ深い者は憐れみを受け、正しさゆえに渇くものは満たされる。誠の幸いはあなた方のものです。」
不思議のメダイがそう言うと、いつの間にかトンネルのはるか先に出口が
見えだした。
「出口…!」
彼は身を乗りだし目を凝らして叫んだ。
出口の向こうから射し込む光は今までに無いほど強烈な眩しさをたたえていた。
以前に迷いこみ、あの街に再び戻った時に見た光とは比べ物にならない程の眩しさと神々しさだった。
「もしかして、この向こう側は…天国…?」
拒食症の女性が恐る恐る言った。
「そうだ。」
「そうです。」
お守りと不思議のメダイの両方が同時に声を合わせて言った。
「天国…って事は、あっちの外に出たら死ぬって事…?」
三十代の女性が不安そうに尋ねた。
「つまりはそういう事になるでしょう。」
「迷路の街からお前達はいなくなる。存在もなくなる。」
2つのお守りは今度は順番に答えた。
「あれ?向こうにも出口が…」
彼が気付いた反対の方向にも光が射し込む出口が出現していた。
「あっちはまたあの街に戻る出口だ。」
「あちらは生の道。命を与えられたものが歩む道です。肉体があるゆえに儘ならないこともありますが、それ故、充足する事もできます。」
「究極の選択ってやつか…。」
お守り達の言葉に友人に裏切られた青年が深い溜め息をつきながら言った。
「…どうしよう。俺、まだ死を選ぶほど絶望はしていない。それに、向こうには両親もいる。まだ…生きたい…!」
彼は、お守りを握りしめながら言った。
「俺もだ。妹が待ってる。」
友人に裏切られた青年も続けた。
「私も、辛いけど帰らなきゃ。お父さんもお母さんも心配してるかもしれない…。」
強姦されかけた少女が言った。
「私も、何だかんだで、母のそばにいたいし…あんな状態の母を置いて先立つわけにはいかないわ…。」
三十代の女性も前髪をかきあげながら言った。
「私も、ずっと親に心配ばっかりかけてきた…。せめて謝ってからじゃなきゃ…それに、また昔みたいに美味しく普通に食事がしたい。」
拒食症の女性も顔を覆って言った。
「それでこそだ。」
「あなた方の選択は正解です。」
2つのお守りは一層光を強めると五人を導くように、あの街への出口の光へ自らの光を繋げた。
「あなた方はその命を生きる事を自分一人の為だけではなく、自分以外の他人のために諦めませんでした。あなた方が魂の根底から正しい事の証です。あなた方ならまたあの世界に戻っても、天国に必ずやたどり着けるでしょう。」
「お前達はもう大丈夫だ。天国は約束されている。いつか、迎えがくるまで、この街でお前達らしく、正しく真っ直ぐ清らかに生きていくのだ。無理のない程度にゆっくり慎重に歩いていけばいい。自分を見失わないように、お前達の歩きやすいペースで歩いていけば大丈夫だ。またここに戻っても構わない。悩みならいくらでも聞いてやろう。」
2つのお守りの言葉に安堵した五人は互いに手を取り合うとゆっくりと光溢れる出口まで歩きだした。
一瞬ホワイトアウトした後、はっと気がつくと彼はあの迷路の街に戻っていた。
同時に左手に誰かの手の感触を感じた。
驚いて思わず確認すると相手も驚いて同じ反応をしていた。
「あんた…!」
「あ、不思議のメダイの方…!」
隣にはあの友人に裏切られた青年が立っていた。
「他の方は、別の所に行ったんでしょうか…。」
「みたいだな…。せっかくだ。一緒に行こうぜ。二人で注意しあって行けば安全に歩けるだろ。」
彼の言葉に青年は照れ臭そうに彼に目をやりながら答えた。
こうして、互いに人生のパートナーとなりあった二人は、ついに互いの望みを果たした。
青年がかつてから抱いていた目標に彼が協力したことで実現したのだ。
その名も
「この街でうまく歩けない人達のための道案内兼休息所カフェ」
だ。
今日も、カフェには沢山の道に迷った人が人生の道しるべを求めて立ち寄っていた。
真っ暗なトンネルに入ってしまう前に、誰かに頼り心にエネルギーをチャージすれば
この街でうまく歩けない人達も少しは楽になれる。
彼と青年はいつも、カフェに立ち寄って元気になって街に戻っていく人達にこう伝えた。
「大丈夫ですよ。あなたも天国行きを約束されたパスポートを持っていますから。あなたは幸せなんですよ。」
と。
終
また感想、レビュー等頂けますと大変嬉しく思います。
この小説が心に重荷を抱える多くの人の、救いに少しでもなれたなら幸いです。