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水の底で安らぎを

作者: くろかた

ホラーに挑戦してみました。


―――それは、綺麗な声であった。


 僕には姿の見えない誰かの声が聞こえていた。

 といっても、どこでも聞こえるというわけではなく家の近くの山で遊んでいる時に、その声はよく僕へ話しかけてくれた。

『あなたのなまえは』

『どこにいるの?』

『こっちにおいで』

 優しく語り掛けてくるその声に、当時十一歳の僕は、逃げ出すようなことはしなかった。

 ひとえに、その声の主が寂しそうだったから。

 そんな単純な理由で、正体の分からない声の主を信じてしまったいたのだ。


『あの森の中でよく話しかけてくれるんだ』


 当時の両親の心境を考えると、僕のこの言葉は酷く不気味なものだったに違いないだろう。

 たった一人、森の中で遊んでいた一人息子が訳の分からない存在に誘われたと知ったら取り乱すに決まっている。

 落ち着きを取り戻した父さんと母さん、それに村に住む人たちから、僕は金輪際森へ行かないように言いつけられてしまった。

 僕が出会ったのは、よくない存在だと。

 悪い妖怪さん、だと。

 嘘か本当かは分からない。だけど、子供ながらにそれを信じてしまった僕は、以降一人では森に入らなくなってしまった。

 家の中で唐突に声が響いてきても、夢の中で誰かがすすり泣く声が聞こえたとしても、決して耳を貸すことはなかった。

 一年、また一年と経つごとに、声は聞こえなくなり、終いには記憶の奥底へ眠っていってしまった。

 それから十四年ほど経った現在、二十五歳になった僕は今になってその出来事を思い出していた。



 とにかく、人のいない場所へ行きたかった。

 一通りの荷物を背負って、実家のあった片田舎の集落から山奥に足を踏み入れた理由は、そんな単純なものであった。

 行動力のある人間ではない僕がどうして単身で山奥に入るようなことをしているか、その理由を聞かれても『なんとなく』としか答えられない。

 久しぶりに地元で落ち着きたかったのかもしれないし、都会という息苦しい場所から解放されたかったのかもしれない。

 どちらにせよ、自分を取り巻く状況から逃げ出したかったというのが、理由の一つであることは確かであった。


「本格的に遭難したかもしれないな。こりゃ……」


 恥ずかしい話、僕は行きなれた森の中で遭難してしまったようだ。

 独りごとを呟いた僕は、使い物にならないコンパスを乱暴にポケットに押し込み、暗い森の中を進む。

 暗い夜道は最早、ライトの明かりなしでは歩けないくらい不鮮明で、むしろ木々の間から差し込まれる月の明かりの方が、手元の安いライトよりも信頼できると思えてしまう。

 実家から近場だと高をくくったのがいけなかったのか、周囲が暗くなってきたことでようやく自分が置かれている状況に気付くに至った。


「……圏外か」


 幸い、スマホのバッテリーは健在なので時間はまだ確認できる。

 午後二〇時。日が暮れるのが遅い夏で、ここまで暗くなっているからそのくらいだとは思っていたけれど、これはいよいよ野宿を覚悟しなくてはいけないようだ。


「寒……」


 山奥の夜というものは、都会のそれとが違って寒い。

 こんな状態で野宿なぞすれば、下手をすればこごえ死んでもおかしくはないだろう。いや、それ以前に大量の蚊に刺されて眠るどころではなくなりそうだ。

 せめて、こんな草木が生い茂った場所じゃなくて横になれる場所が見つかればいいのだけど。

 十三年ぶりに足を踏み入れた馴染み深い森の中。

 そこで、またあの声を聞こえるかもしれない、と怖いもの見たさでここへ赴いてしまった僕は今更ながら後悔していた。

 あの声は大人の僕に聞こえることはない。

 それか、ただの子供の頃の妄想だったのかもしれない。

 そう考えながら休める場所を探していると、ふと明かりのようなものが視線の先で見つける。


「明かりか。ちょっと怖いけど行ってみるか」


 もしかしたら村の人のいる集落の猟師小屋かもしれない。

 淡い希望を抱いて、明かりのある方へ進んでいくと、一昔前の木製の家のようなものが見えてくる。

 少しばかりの恐怖を抱きながら、荷物を背負いなおした僕はやや遠慮気味に扉を叩く。

 幸い、人はいたのかパタパタと地面をする複数の足音の後に、ゆっくりと扉が開け放たれた。


「……なにか、ごようですか?」


 扉の隙間からゆっくり顔を覗かせたのは、十代半ばほどの少女であった。

 心配になるほどの白い肌と、肩に触れるくらいに伸ばされた人間とは思えないほどに綺麗な白髪、どこか儚げな印象の少女に僕は慌てて、事情を説明する。


「森の中で迷ってしまって……ここから一番近い村への道とかを教えてもらってもいいかな?」


 一晩泊めてもらおうと考えたけど、さすがにそれはまずいと思い帰り道だけを訪ねる。。

 彼女は少し言い淀むようにして俯いてしまったが、すぐに顔を上げる。


「村へ行くなら、昼の方がいいです。村への道中には崖もあるので、道を踏み外しでもしたら命の危険もあります」

「昼か……」


 確かにこの暗さの中で崖から落ちでもしたら命はないだろう。

 よしんば生き残ったとしても助けなんてくるはずもない。

 どうしようか、と思い悩む僕に少女は遠慮気味に口を開いた。


「朝まで泊まって行かれますか?」

「いや、さすがにそれは……」

「構いませんよ。お困りのようですし」


 ……ここは、彼女の言葉に甘えようかな。

 この暗さじゃ、道中の崖に気付くのは無理そうだし。

 彼女に返答し、家の中に入れてもらう。その最中、古びた家の隣に祠のようなものが目に入る。


「祠……?」

「外は冷えますから、どうぞ中へ」

「っ。あ、あぁ、入るよ」


 彼女に促され、家へと入る。

 家の中は思いのほか広く、古びた外観通りに、一昔前の日本にタイムスリップしたように部屋の真ん中に囲炉裏や薪が置いてある。

 外は異様に寒く感じたので、囲炉裏からの熱が心地いい。

 冷えた体を温めながら、改めて少女にお礼を言う。


「ありがとう。君は、ここに一人で住んでいるのかな?」

「……はい」

「他の誰とも会ったりしないのかい?」

「ここに来る人間はほとんどいないので、今日久しぶりに人と話しました」


 そういう彼女の服装は着物のようなもので、この中で僕の服装だけ現実感に溢れていて少し窮屈に思えてしまう。

 しかし、一人で生活しているのか。見た感じ電気も水道も通ってないように見えるから、本当に自給自足で生活しているんだな……なんというか、すごい。


「寺坂、雪子」

「え?」

「私の名前です」

「あぁ、ごめん。僕も自己紹介しなくちゃね。高平和馬(たかひらかずま)、年齢は二十五歳だよ。高平でも、和馬でも好きなように呼んでくれていいよ」

「はい。それでは高平さんと。私も雪子で構わないです」


 僕の自己紹介にこくり、と頷く雪子さん。

 思いのほか打ち解けているような感じがする。

 最初の印象としては、儚げで酷く冷たいような印象があったけれど、気のせいだったようだ。


「ご夕飯は、もういただきましたか?」

「いや、そういえば何も食べていなかったな……」

「お腹もすいているでしょう。ちょうど、夕食の準備をしていたところなのでお召し上がりになってください」

「それなら……お言葉に甘えて」


 綺麗な装飾の施された二人分の食器を取り出した彼女は、手慣れた手つきで夕食の準備をしていく。

 囲炉裏で焼かれていた焼き魚や、みそ汁を目にして改めて空腹だということを自覚した僕は、夕食をご馳走になった。

 余計の味のついていない、素朴な夕食。

 都会に行っている間に、忘れてしまった自然の味を思い出す。


「ごちそうさまでした。とても美味しかった」

「それはよかったです。客人にご飯を出すのは初めてのことでしたから」


 安堵するようにはにかんだ彼女に、つられて僕も笑みを浮かべてしまう。

 なんだか、久しぶりに笑えたような気がする。

 前までは表情を変えることすらしなかったから、今のこの時間が不思議に思えてくる。


「高平さんはどうして、こんな山奥に?」

「……なんのことはない、気晴らしだよ。少し嫌なことがあってね。気持ちをスッキリさせたいから、どこか別の場所へ行きたかっただけなんだ」


 誰にだって人生で嫌なことくらいは起きる。

 僕の場合、それが立て続けに起きただけだ。

 囲炉裏の中で炎をボーっと見つめながら、過去に想いを馳せる。


「それで……最初に思い浮かんだのは今いる山。小さい頃はよく山に入って怒られたりしたよ」

「そうですね。ここは子供が一人で入るには、危なすぎますから」

「それもあるけれど父さんと母さんには、この山には悪い妖怪がいるから入っちゃだめだぞ、みたいなことを言われたりしたんだ」

「……妖怪」


 子供だった僕を森へいれさせないために、両親は酷く僕を怖がらせるようなことを言い聞かせていた。

 森の中に現れるという恐ろしい妖怪。子供をさらい、食べてしまうなんてことを言っていたけれど、あの時の僕はそれを本当に信じてしまった。

 今の今まで普通に受け入れていた綺麗な声の主は僕を食べてしまうために、仲良くしようとしていたんだ。そう子供ながらに思い込んでしまったのだ。


「この森で一人で遊んでいる時、よく声が聞こえていたんだ」

「声、ですか」

「綺麗な女の人の声で、こっちにおいで、こっちにおいで、ってね。父さんに妖怪の話を聞かされた後は、それが妖怪の声だって思って行かなくなったんだけど……今になっては本当になんだったのか気になるよ」

「……不思議なことも、あるものですね」


 どこか思いつめた様子で、そう口にした雪子さんにしまったと思う。

 彼女の置かれている状況を見る限り、親の話はしないほうがいいだろう。どんな理由にせよ、こんな隔絶された場所での生活を余儀なくされている以上、良い理由ではないだろうから。


「嫌なこと……」

「え?」

「嫌なことがあってここに来たといっていましたが、何があったのですか?」


 そう問いかけてきた彼女に、僕は数秒ほど無言になる。


「……両親が、亡くなって……ね」

「すいません、私……」

「いや、いいんだ。気にしないで」


 土砂崩れだった。

 家の裏手の地盤が緩んでいたところに大雨が降って、両親はそれに巻き込まれてしまった。

 あまりにも突然の出来事に暫し呆然としていたが、その後、一人息子である僕の元へ契約の話や遺産の話など、社会を知って数年足らずの若輩者には手に余るものが舞い込んできた。

 僕なりに必死にはやっていたと思う。決して多くない友人に助けを求めたり、色々と手を尽くして、自分なりになんとかしようとしたのだ。

 だけれど、一人でできることにも限界があって、終いには体を壊してしまった。その影響で会社を長く続けることができなくなってしまい、やむなく辞めることになった。

 そして、今まで助けてくれた友人達も、僕が仕事を辞めたということを知ると、いつしか連絡すらも返してくれなくなってしまった。

 ……そこまでの出来事を雪子さんには話す必要はないだろう。

 彼女に要らぬ気遣いをさせることもないし、なにより自分よりも一回り年下の少女に、そんな重いことを話して気分を害させるほうが嫌だからだ。


「少し、自分を見つめ返す時間が欲しかったんだ。それが終わったらまた頑張ろうって思って」


 実家のあった場所は土砂で埋まり、居場所はない。

 もう地元に帰る家はない。

 アテになる親戚もなにもない。

 正直、生きていく希望も目標もなくなってしまった。

 だけどそれがいけないのは、自分が一番よく分かっている。

 だからこそ、陰鬱な気分をなくすために僕の足は自然とここへ赴いた。


「……高平さんは、今が苦しいのですか?」

「え?」

「苦しい、ですか?」


 そう問いかけてくる彼女に、僕の口は自然と動いた。


「苦しいよ。正直、逃げ出したいくらいに。しがらみも何もかもを捨てて、悩む必要のない人生を送りたかった」


 それがどんなに難しく、そして異常な人生なのか痛いほど理解できている。

 だけれど、僕の心はそれほどまでに錆びついて、今にも崩れそうなほどに弱り切っていた。


「……あのっ、高平さん、私……!」


 僕の話を聞いて何かを言おうとした雪子さんだが、すぐに口を噤み俯いてしまう。

 肩を震わせて小さく何かを呟いているようにも見えるけれど、何を口にしているかは聞こえない。


「……すいません。取り乱してしまいました」

「いや、気にしていないけれど、大丈夫なのか?」

「私は……大丈夫です。……お風呂の方をご用意します」


 そう言って立ち上がった彼女は言えの奥へと消えていく。

 様子がおかしかったけれど、一体どうしたのだろうか。

 今の今まで気にしないようにしていたけれど、あの人間離れした白い髪はおかしい。もしかするなら、特異な見た目にトラウマのようなものがあるから、こんな山奥に住んでいるのかもしれない。


「お風呂の方、もう少しで入れます。ついでに布団の方を突き当たり右の部屋に敷いておきました」

「ああ。……今日は本当にありがとう。君がいなければ、僕は今頃死んでいたかもしれない」

「そんな、大袈裟ですよ」


 クスクスと笑みを零す彼女に僕もつられて笑ってしまう。

 実際、崖から落ちれば即死は免れても、怪我は避けられなかっただろう。

 落下死よりも、酷い死に方をしていたかたと思うと恐ろしくて手が震えてくる。

 とりあえず、それから少し待った後にアニメや映画の世界でしか見たことのない五右衛門風呂のようなものに入った。

 その後、風呂を出た僕は彼女が布団を用意してくれた部屋でゆっくりと体を休めることにした。


「一人で生きている、か」


 別室で就寝しているであろう雪子さんのことを考え、そう呟く。

 あんな子供がここで生活しているなんて普通じゃない。しかし、普通じゃないからこそ、人としての生活を送れていることに、僕は驚いていた。

 対して、僕はどうだろう。

 知人や友人との繋がりを全て絶たれ、何もする気がおきなくなっている自分は、雪子さんと比べるとどれだけ小さく、情けない存在なのだろう。


「人ってなにもなくても生きていけるのかもしれないな……」


 そう呟くと、眠気が襲ってくる。

 欠伸を噛み殺しながら、脱力した僕はゆっくりと目を瞑る。


『ふふ、ふふ』


 眠りに落ちる最中、誰かが嬉しそうに笑った声が……聞こえたような気がした。



 翌日の早朝。

 朝食をいただいた僕は、荷物をまとめ家の外にいた。

 太陽が出てからまだそう時間は経っていないようで、少し肌寒い。朝靄がたちこんでいる森の景色を見ながら、子供の頃の懐かしい記憶を思い出していると、見送りにきてくれたのか家から雪子さんが出てくる。


「改めて、ありがとう」

「いえ、お礼を言われるほどのことはしていませんから……」

「だとしても、僕は君の優しさに助けられたんだ」


 久しぶりに人の優しさに触れた気さえした。

 だからこそ、僕は心の底から彼女に感謝している。


「私は、優しくなんて……ないです」


 重々しく口にした彼女。

 そんなことない、と僕が言葉にする前に続けて言葉を発する。


「役立たずで、卑怯者です。昔からそれは変わりません。だから……私を優しいだなんて、言わないでください」

「……」


 まるで、懇願するように呟いた彼女にどうしていいか分からなくなる。

 僕は、この子のことを何も知らない。

 彼女が何を抱えているのかも知らないし、知ったとしても僕なんかじゃどうすることもできない。

 それでも僕は、俯いてしまった彼女に偽りのない本心を口にする。


「少しの間だったけれど、ここに泊まれてよかった」

「え?」

「飯も美味しかったし、久しぶりに何かに追われずに休めた気がしたんだ。だからさ、ここを出るとき思っちゃったんだよ」


 それが叶わない願いだと言うことは分かっていた。

 ここは彼女の場所で、僕の居場所はどこにもないことを。

 しかし、言葉にするだけならいいはずだ。

 なにせ、ただの言葉なのだから。

 そう思い、一つ呼吸をためた僕は続きの言葉を発した。


「―――もうずっと、ここにいてもいいかな、って」


 そう言葉にした瞬間、ざわりと空気が変わった。

 朝の冷たい風とは別の生温い風が頬を撫でる。

 怖い。

 得体の知れない恐怖を抱いた僕は、目の前にいる彼女を見る。


「……」

「ゆ、雪子さん……?」


 無言になってしまった彼女に、声を震わせる。

 それに合わせ、僕は取り返しのつかないことを口にしてしまったのではないかと後悔する。


「高平さんとのお話、楽しかったです。本当は別の形で貴方と会いたかった……」


 少し、様子がおかしい。

 胸の奥で気持ちの悪い感情が蠢いている。


「私は、取り返しのつかないことをしようとしています。自分のために貴方を犠牲にしようとしている。だけど、耐えられない。もう、駄目なんです」

「雪子さん、何を言って——」

「私は、厄に染まりかけている“彼女”を元の姿に戻そうとしたんです。そういう家に生まれたから、そういう能力を持ってしまったから……。だけど駄目だったんです。“彼女”の執念は、私の力を遥かに超えて……逆に捕まってしまった……」


 涙声になりながら早口でまくし立てる彼女に、頭が追い付かない。

 しかし、今の今まで感じられなかった不気味さに内側から凍えるような、感覚に苛まれる。


「ずっと、ずっとずっと、この日のために、三年間も……待っていたんです」


 涙を零した彼女の髪の色が変わっていく。

 純白の髪色が黒に染まっていく。

 まるで彼女の本来の姿に戻るように、何かに解放されるかのように。


「だから、ごめんなさい」


 彼女が僕の横を通って、森の奥へと駆け出した。

 振り返り、彼女を追おうとするが、その姿は既に見えなくなっており、ただ静かな森だけが視界に映っていた。

 なんだ、どうして彼女は僕へ謝ってきた?

 訳が分からない、僕を犠牲にとはどういう意味だ?

 彼女は何者かに囚われていたのか?


「たかひらさま」


 それは、いるはずのない背後からの声。

 その声は遠い過去に毎日のように聞こえていた、澄んだ綺麗なもの。それがあの頃の遠い場所からではなく、すぐ後ろから聞こえていることに僕はとてつもない恐怖を抱いた。

 恐怖で動けない僕に、後ろから腕を回してきた誰かは耳元にまで口を寄せる


「この日を永く、永く、お待ちしておりました」

「な……ん……」

「お慕いもうしております。たかひらさま。あの時から、これからも、ずっと永遠に」


 鳥肌が立つ。

 怖気がつく。

 しかし、その不可解さ、不気味さが、僕にとってはどこか心地のいいものに感じてしまった。

 この時、僕はここにいてもいいと思ってしまったのだ。


「ふふ、ふふ」


 嬉しそうな笑みを浮かべた“彼女”に手を引かれ、家へと引き込まれる。

 いや、家ではない。

 扉の先は別世界で、驚くほど澄んだ湖が存在していた。

 “彼女”は、裸足のまま湖に入り、そのまま僕も引き込んでいく。


「あぁ、そういうことか」


 最早、抵抗する気なんて起きなかった。

 分かってしまったからだ。

 あの子が、僕をここにいさせたいと思わせようとした理由が。

 きっと、出たかったからだ。

 今の僕と同じように捕まってしまった雪子さんは僕が訪れるのをずっと待っていた。それがどれほどの長さかは分からないけれど、十代の少女にはあまりにも辛く、そして恐ろしいことだったに違いないだろう。

 そんな地獄のような場所にいながらも、彼女は屈することなくずっと抗っていた。

 帰りたい場所があったから、再会したい誰かがいたから。

 怒る気になんて、なれなかった。

 だって、そこまでして帰りたい理由があることは、とても素晴らしいことだから。


 僕にはなにもなかった。


 家族も、家も、財産も、友人も、全て失ってしまった。

 もしかするのなら、それも“彼女”の声を無視してしまった僕への罰だったのかもしれない。けど、今はどうでもよかった。

 結果として僕は抗うことをしなかった。

 魅入られて、吸い込まれるように魅入ってしまった。

 ――これでよかったのかもしれない。

 帰る場所のない僕は、ここから出ていくことがないのだろう。

 だから、僕以外の誰も、ここに迷い込むこともない。

 あぁ、でも……そうだな――、


「ようやく、休めるんだな……」


 湖の底へ引き込まれる。

 太陽の光が遠のいていく。

 なんだか、とても眠くなってしまった僕は、不思議な安心感に身を任せ、瞳を瞑るのだった。



 深い、それは深い森の中、かつて湖だった場所に小さな祠があったそうだ。

 今は枯れはてた湖の傍らにある祠には、水を司る神様が祀られていた。その姿は美しい女性とも、執心深い(みずち)の姿だと言われている。


 その祠のある場所では不思議なことが起きていた。

 祠の周辺で、今まで存在しなかった古びた家と身目麗しい白髪の少女の姿が現れ、前触れもなく村から消えた人間が、枯れた湖の中心で溺死した状態で発見されたりするといった恐ろしいことが起こっていた。

 しかし、それらはある時を境にぴたりとなくなってしまった。

 その代わりに新しく出てきたのは、一人の白髪の男の姿と着物姿の女が、湖のあった場所を寄り添うように歩く姿が見られるようになったというものだ。


あえてタグには乗せませんでしたが、今作品は神隠しものとなります。


後書きにて水の神様の行ったことを簡単に解説します。


【主人公を捕えるまでの道筋】


1、一目ぼれした主人公を自分のものにしようと猛アピールするも、主人公の両親と村の者達に邪魔をされ、引き離れてしまったことで怒りに燃える。


2、その後、幼い主人公の夢に度々現れ『14年後に自分の元へ来るように』という暗示をかけた後に、時が来るまで適当に攫った村の人間で暇を潰す。


3、その最中、村の被害を知って、霊能力者見習いである寺坂雪子が訪れてくる。

 無謀にも彼女をなんとかしようと試みるが失敗。逆に囚われ、解放を条件に、いずれ来るであろう主人公をこの場に留める使命を背負わされることになる。


4、主人公が25歳になって十分に成長したと判断した彼女は、自身と主人公が引き離されたそもそもの原因である主人公の両親を土砂崩れを装って始末し、呪いと暗示により、主人公を徹底的に追い詰めて周囲との関係を根こそぎ断ち切った。

 全てを失った主人公は暗示により、のこのこと彼女のいる祠へと訪れ本編へと突入。


以上が水神様プロデュースの完全無欠のハッピーエンドプランとなります。

“神様は自分勝手”を前面に押し出してみました。


後にスーパー寺生まれのTさんとして覚醒を果たした寺坂さんが、主人公を奪還するための襲撃をかましたりしなかったりするかも(嘘)


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― 新着の感想 ―
[一言] 「秋の牢獄」みたいで面白かったです。
[良い点] ホラー…ほら…あなたにだけ届いて欲しい響け恋の歌… って感じの恋愛のような感じを受けましたが、これはこれで非常にいい! 俺こういうの好きです!
[良い点] 一途な神様と行き場のない青年の純愛物語 [気になる点] 特にないです [一言] 失礼ながら、くろかた先生は作品のジャンルを勘違いしていられるのでは?ぶっちゃけ、治癒魔法~のエヴァの方が遥か…
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