【番外編】媚薬攻防戦②
小瓶を奪った圭織は目の前の美紀をじっと見た。美紀の顔はかなり赤い。圭織はテーブルに転がった瓶を掴み、蓋をする。小瓶は店内の光を受け、七色に輝いている。圭織は目を細めた。とても綺麗だ。媚薬の信憑性についてはあとで美紀に試すとして今は――
圭織は小瓶を手元に起き、フォークに触れた。そして、美紀の様子に気が付く。美紀は固まったままだ。そんなに小瓶が大事なのだろうか。もしかしたら、高額商品だったのだろうかと圭織は少しだけ不安になる。だが、それより圭織はチョコレートケーキが食べたかった。圭織は美紀に声を掛ける。
「ケーキ。ねぇ、食べないの? あたし食べちゃうけど」
「え、ああ……そうね、食べるわ」
美紀ははっとし、圭織を真似るようにフォークに触れる。圭織は視線を落とし、フォークをチョコレートケーキに入れた。想像より柔らかい。圭織はケーキを口に運ぶ。口に入れた瞬間、圭織は目を細めた。ほろ苦さと程好い甘さに同時に訪れたのだ。圭織好みだった。
「へへ、美味しいね」
「そうね」
美紀はすぐににこりと笑う。圭織はその低い声と仕草にどきりとしてしまう。十年前から知っているはずなのに気を抜くと圭織は美紀に引き込まれそうになる。圭織は温くなった珈琲を飲む。気持ちを変えたかった。思えば、いつだって美紀は圭織の傍にいた。今だって二週間に一度は会っている。圭織はくすりと笑う。
「なんか変なの」
思っていた言葉は脳から滑り、口を衝く。
「変って?」
美紀が言った。圭織はああと笑う。美紀は首を傾げている。圭織は唇を珈琲で湿らし言葉を紡ぐ。
「あたし達、当たり前に会ってるじゃん? なんか凄いなって思ってさ。だって高校卒業してから十年経ってるし」
「……そうね」
「いつも、ありがとね」
圭織はふふと笑い、ケーキに目を移す。何だか照れ臭い。
「圭織」
「え?」
「私こそありがとう。圭織に出会えてよかったわ。だから、私は貴女の為に努力するのよ?」
美紀は切れ長の目を細めて白い歯を見せた。
「あ……」
良く見れば血色の悪かった歯茎はいつの間にかピンク色に変わっていた。美紀は得意げに笑う。綺麗な笑みだった。圭織はまた見惚れそうになる。
「どう、気が付いた? 聞いて、歯と歯茎のクリーニングをしてから一度も吸っていないの」
美紀は胸を張る。
「へぇ、凄いじゃん」
「でしょう? 特に歯茎のクリーニングは沁みて辛かったんだから」
「うん」
「……で? 言うことはそれだけなの? 他にあるでしょう?」
美紀が圭織を睨むように見た。圭織はたじろいだ。何だ、これ以上、何を望むのだ。そもそも、そんな顔で睨まないで欲しい。
「ええと? 頭でも撫でてあげようか?」と圭織は知恵を絞る。
「……それも嬉しいけど違うの」
「え、何?」
圭織は眉根を寄せた。美紀は首を左右に振った。長い髪が大きく揺れる。
「今日はいいの。そうじゃなくて……」
「はぁ? 言いたいことがあるならちゃんと言ってよ」
「……」
美紀は圭織から視線を逸らし、小瓶を見た。圭織は途端にうんざりする。美紀は期待している。圭織は口を開く。
「……これを飲めって?」
「そうよ」
「嫌です」
「なっ、思いの外、返事が速いわよ」
「駄目なの?」
「改めて聞かれると困るけど……そういうの嫌いじゃないわ」
美紀は言い、頬を赤らめた。圭織は深く息を吐く。
「もう、意味が解らない。何なの、変態なの?」
「煩いわね……仕方がないじゃない、あんたの全てが好きなんだから……」
美紀は言い、珈琲に口を付ける。今度は圭織が真っ赤になる番だった。
「す、好きとか愛してるとか……簡単に言わないで」
「嫌よ、好きなんだもの。我慢できないわ」
「……」
「それと簡単じゃないわ」
「へ?」
圭織は目を見開き、美紀を見た。美紀は怒っているような顔をしている。圭織が口を開く前に美紀が話し出す。声が震えている。
「簡単じゃない。簡単に言っているように見せてるけど……本当は簡単じゃないわ。だって……圭織、あんたに嫌われたくないじゃない」
美紀はカップを手に取り、口に運ぶ。指先は震え、カップが小刻みに揺れている。圭織は黙っている。何を言っていいのか解らない。
「圭織」
カップを置いた美紀が甘い声を吐息とともに吐き出した。愁いを帯びた顔に圭織は戸惑ってしまう。
「美紀……」
「貴女が好き。だから……」
美紀の手が圭織の手を包んでいく。そして、美紀はテーブルに両手を付く。そのまま、身を乗り出し、圭織に顔を近づけていく。
「圭織」
低い声が耳に届く。その瞬間、圭織は動けなくなる。美紀のペースに引きずり込まれていた。心臓がどうしようもなく苦しくなる。その間に美紀がどんどん近づいてくる。
「あ」
テーブルが鳴り、美紀がふと動きを止めた。そして、冷たい音が聞こえた。圭織ははっとし、近づいてきた美紀の唇目掛けて頭突きをくらわす。
「こ、こんなところでいきなり……ば、ばっかじゃないの!」
呻き、両手で口元を押さえた美紀を圭織は強くねめつける。全身が熱い。美紀はぎょっとしている。
「か、圭織……ちょっと静かに……」
美紀は涙目だった。
「あ……」
圭織は突き刺さる視線に驚きながらはたと気が付く。小瓶はテーブルから落ち、床を濡らしていた。
次は本編に戻る予定です。