すべてが思い出になる
大学二年生のころ、美紀はガソリンスタンドのアルバイトをし始めた。セルフのガソリンスタンドだった。実家から近く、時給が高かったこと、人とは異なるアルバイトをしてみたかった。そんな理由からだ。客が給油ボタンを押すと、目の前のボックスのランプが光る。確か、認証ボタンだっただろうか。ボックスは二つ。そこにアルバイトまたは正社員の店長が立つこともあれば、長年、勤めているアルバイトの男性と立つこともあった。
至極、気楽だった。誰もいなければ、奥に置いてある椅子に座り、文庫本を読むことが出来た。ただ、スタンプ二倍の日だけはトイレに行くことすら出来ぬほど混んでいたが、基本的に誰かと話すことがない環境は美紀にとって天国のようだった。
特に容姿について言及されることも、恋人の有無も、話したくもない幼少のエピソード、好きな食べ物、誕生日、此処では何も聞かれなかった。
淡々に仕事をこなし、洗濯機で洗ったタオルを干したり、スタンド、一つ一つに備え付けられた鉄製の灰皿、車内用掃除機、ゴミ箱のゴミ回収。車内用掃除機とマット洗浄機の現金回収をする。電話が鳴れば、電話に出ることもあるが、ほとんどクレームの電話ばかりで、正社員ではない美紀は店長か美紀より長く働いているスタッフに替わる。特に多いのはスタンプカードの渡し忘れだった。
そして、忙しいのはガソリンスタンドが終わる頃だ。平日であれば、ぽつりぽつりとしか人はいない。たまに面倒な客に絡まれることはあったが、にこにこと笑い、事務的なことしか言わなければ大抵はどうにかなった。
働き初めて3ヶ月後、新しいスタッフ、そう、きみちゃんがやってきた。
きみちゃんと呼んだのは店長だった。きみちゃんこと、船岡紀美子は大学三年生だった。シフトで一緒になるのは、スタンプ二倍の日だけだった。その日だけは四人のスタッフが朝から夕方まで入るのだ。一時間の休憩をローテーションで入り、トカゲの尾を必死に切っていく。
美紀はきみちゃんを船岡さんと呼んでいた。きみちゃんと呼んでいたのは店長だけだった。今、覚えばセクハラだったのだろうか。私も美紀ちゃんと呼ばれていた。いつだって、その時は気が付かないことが多かったような気がする。
告白は船岡さんからだった。
「ちょっと気になっているんです、変ですか?」
控えめな告白、美紀は「そんなことはないと思います」と微笑み、すぐに交際を始める。美紀は船岡さんを紀美子と呼ぶようになった。紀美子は美紀をみーちゃんと呼んだ。ただ、紀美子と付き合ったのは顔が好みだったからだ。紀美子は今まで異性とも同性とも付き合ったことがなく、そのことをとても、恥じていた。何故なのだろう。付き合ったことがないだけで、誰にも愛されていないという証明になってしまう。紀美子は悲しそうに笑っていた。
美紀はその時、「私がいるわ」と紀美子の手に触れ、切なさを取り除こうとした。紀美子は黙って頷いただけだった。きっと、彼女のなかで同性である美紀はカウントされていなかったのだろう。
楽しかった。お金がないなりに、遊園地に行ったり温泉旅行に行ったり、それなりの時間を過ごしていた。
それなのに──
追記しました。




