甘い嫉妬
美紀はうんざりしている。目の前には圭織、だが、圭織の膝の上には茶色い毛玉が乗っているのだ。土曜日の昼間、美紀は胸を踊らせひっそりとした瀬川家を訪ねたはずだった。美紀は唇を尖らせた。そして、つまらないと溜め息を吐く。美紀は腕時計を見た。
「どうしてこんなことに」
何もしないまま一時間は経っている。今の時間は美紀が持ってきたDVDが流れているはずなのに。いや、たとえ、DVDレコーダーが突然壊れてしまったとしても美紀は圭織を組敷いてるはずなのに。美紀は恨めしげに毛玉を見た。
「ねぇ、二人っきりじゃなかったの?」
美紀が言葉を投げかけた瞬間、スエット姿の圭織が途端に嫌な顔をする。毛玉は眠っているのか全く動かない。
「はぁ? 二人っきりじゃん、それもあたしの部屋だし」
何が不服なのかと言いたげな圭織に美紀はかぶりを振る。二人きりであれば、圭織がどんな服を着ようと不満はない。服を脱げば同じなのだから。ただ、一つだけ言いたいのだ。
「じゃあ、その子は何なの?」
美紀は指を指す。その瞬間、圭織が真下を向き、「はぁ?」と言った。
そして、顔を上げた圭織は眉を寄せ、「小太郎だけど」と美紀を見つめる。美紀は息を吐いた、そんなことは解っていると。そもそも、お金が無いから部屋でDVDを見ようと誘ってきたのは圭織で美紀は最初から乗り気じゃなかったのだ。
「二人っきりだから妥協したのに」
美紀は呟く。圭織の弟である義之には絶対会いたくないのだ。それなのに、圭織はDVDをあっさりと諦め、美紀の存在を無視し毛玉とじゃれ付き合っている。
「ねぇ、おかしいと思わない?」
「え?」
その瞬間、圭織がああと意地悪に笑う。ようやく気が付いたようだ。圭織は何かと気が付くのが遅い。だが、そこもまた魅力なのだ。圭織はわざらとらしく口元を隠し、美紀を見つめた。
「あら、美紀さん、小太郎に嫉妬?」
「……」
「そっかぁ、そっかぁ。小太郎くん可愛いもんねぇ? トイプードルだし」
圭織は眠っている小太郎をわざわざ胸に抱き寄せ、その小さな顔に頬擦りをする。小太郎はすぐに小刻みに震え、丸い瞳で圭織を見た。美紀は毛玉をじっと見た。今の今まで邪魔な存在だったが小太郎は圭織が言うように可愛いのだ。美紀だって犬は好きだ。特に犬の中ではトイプードルを愛している。だが、今は犬よりも。
「圭織」
美紀は言い、圭織の腕を掴んだ。圭織は小太郎に舐められながら目を丸くしている。可笑しくて同時に愛らしい。体温がたちまち上がっていく。圭織が口を開いた。
「え、何?」
「何って……あんたからの返事、まだなんだけど?」
「はぁ? ば、馬鹿なの? 断ったじゃん、無理だって……」
「嘘、そうだった?」
「当日にすぐさま言ったんだけど……」
「忘れたわ、そんな昔のことは」
「一昨日のことなんだけど」
圭織は呆れ返っている。美紀は圭織を真っ直ぐ見つめ、息を吐く。
「酷い人。こんなに愛してるのに」
「はぁ? ちゃんと話聞いてた? それに酷いとか酷くないとか関係ないと思うけど……大事なのはあたしの気持ちなんだし」
「圭織の……」
「はぁ? そうでしょ、普通? いきなりそんなこと言われたら誰だって驚くじゃん」
「いきなり? 十年前から言ってたわ」
「そ、そうだけど……」
圭織は狼狽え、口をつぐんだ。
「もう良いじゃん、この話は……」
圭織は頬を染め、すぐさま美紀を睨んだ。美紀は笑う。本当に解りやすい。
「え、突然何なの?」
圭織が驚き、美紀を見た。美紀はより口角を上げる。面白い。その笑みの意味を圭織は解らないのだ。
「あ、ちょっと!」
圭織が叫んだ。
「別になにもしないわよ」
美紀は圭織から小太郎を奪い、床にそっと降ろした。小太郎は短い尾を振り、大きな瞳で美紀を見上げている。
「良い子ね。女の子だったらもっと良かったけど」
美紀は小太郎の頭を撫で困り顔の圭織を見た。
「良くないわ。それにね……私、イエス以外は認めないから」
その瞬間、圭織の表情がぐにゃりと崩れた。美紀はその解りやすさに微笑んだ。諦めるわけがない。
【登場人物説明】
加藤美紀 28歳 社会人 切れ長の美人 一人称:私
瀬川圭織28歳 社会人 一人称:あたし
圭織の弟……義之25歳 社会人
小太郎3歳 トイプードルの雄
短編的な雰囲気で続きます。
次回は番外編的に○○しないと出れない部屋や媚薬ネタで自由に書こうかと思っております。