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新たな旅路の祝福を  作者: 稀一
一章
6/54

03

「シアが剣術を?」


 驚いた表情を見せるファデル様に、はい、と頷いた。エーデリア様も目を丸くなされ、あらあら、と開いた口に手を添える。


「どうして剣術に興味なんか」


 眉を寄せ困惑なさるファデル様に、私は頭を下げることしかできない。お世話係であるのに、お嬢様の変化に気付けないなど恥ずべきことだ。邸内を散策なさったときになにかがあったのでしょうが……。離れるべきではなかったのかもしれない。


「あら、二人とも、どうしてそんなに困ってるの? リリシア、謝る必要なんてどこにもないわ。あの子が興味を持ったのよ。魔術は前々から先生を探していて、ついこの間いい先生を見つけたから興味を持ったなら僥倖だし、さらに剣術にまで興味を持つなんて、好奇心旺盛なかわいい子だわ」


 ふふ、と穏やかにおっしゃったエーデリア様に、それはそうですが、と思わず口ごもる。領主のご令嬢が剣術など、いいのでしょうか。聞いたことがありません。


「そう、だな。うん、もしかしたら私の仕事に興味をもってくれたのかもしれない」


 エーデリア様の言葉をお聞きになると、ファデル様も徐々に顔色を良くされ頷かれた。それに瞬きをして、シア様が叱られるような事態にならずに済んだことにほっと息を吐く。


「シアを、これからもあの子のことを、よろしくね。私たちはどうも、まだあの子に懐かれていないみたいだから」


 エーデリア様は悲しげに眉を寄せると、そう儚く微笑まれた。





 翌朝、いつものようにシア様のお部屋の戸を叩き挨拶をする。けれど今日は何故か、あの日から返ってくるようになった返事がなかった。


「シア様?」


 もしや私が窺う前に散策にでも出られたのか、と思いつつもう一度声をかけるが、やはりお返事はない。


「シア様」


 戸を開ける。本来ならこのような無礼なことは許されないが、もしやという不安がそんな行動をさせた。真っ先に目を向けた寝台の上にシア様はおらず、やはり部屋を留守にされているだけ、と安心しかけて、床に座り込んだシア様を見つけた。


「シア様?」


 思わず眉が寄る。なぜそんなところにお座りに?

 近づき声をかけるも、何故かシア様は反応を返してくださらない。視線を落とし、ただただ座っておられる。血の気が引く。もしや、また眠ってしまわれたのかと。また、あの一週間前のように!


「シア様」


 思わずしゃがみこみ、目線を合わせ、お顔を覗きこむ。シア様はあの頃と同じように、なにも見ていない目で、ただ眼を開けていた。


「シア様、シア様っ」


 震えそうになる声で何度もお声かけすれば、ふと、その目がこちらを向いた。しっかりと、とは言えないまなざしで、けれどこちらを見たのだ。


「おはようございます、シア様」


 恐る恐る口を開くと、シア様はぼうっとしたまま「おはよう」と返してくださった。あまりの安堵に体から力が抜けそうになる。

 よかった、よかった、また眠ってしまわれたわけではない。よかった。けれど挨拶を返してくださったままシア様は動かれない。胸がざわつく。不安が募る。確かに言葉を返してくださったのに、どうなさったというのか。動くとちゃんと追ってくる目に安心しながら、それでも不安だった。すると、シア様の手が私の頬に触れる。驚いて動きをとめその手を見るも、その後反応はない。


「シア、様……?」


 戸惑い、またお呼びする。するとまた手が動いた。私の頬から離れ、きゅっと小さく握りこまれる手のひら。それを見て、またお顔を窺った。


「シア様」


 私が見えていないようなシア様に不安になりながら呼ぶと、急にお顔を上げた。


「――」


 表情はあまり変わっていないけれど、どこか驚いたような様子に手を伸ばそうとして、


「ごめんなさい。なんでもないの」


 ぱっと開き下ろされた手に驚いて動きを止める。ほんの少し下がったような眉尻に安堵した。徐々に徐々に現れるようになった表情はじっと見なければわからないような変化だけど、確かに変化しているのだ。


「ご朝食の時間ですよ」


 止めていた手をそのまま伸ばし、下ろされた手を取った。シア様はわかったと頷かれると立ち上がり、ベッドまで促す私についてきてくださる。


 大丈夫。もう大丈夫。

 気付かれないようそっと、繋いだ手に力を込めた。





 早速本日より魔術の先生がいらっしゃると聞き、奔走する。

 エーデリア様も本日なら本日と、しかも住み込みなら住み込みだと事前に、いいえ、そんなこと気にするべきではありませんね。シルラグル家の使用人として、恥ずかしくない仕事をしなければ! と張り切りお部屋を用意していると、とうとう先生がお着きになったと知らせが入った。

 慌ててエーデリア様とお出迎えに行けば、先生は私のような使用人にも笑顔で挨拶をしてくださる、感じのいいお方であらせられた。きっとお嬢様も気に行ってくださる、そう思いながら執務室に戻られるエーデリア様を見送り、シア様の部屋までの案内を謹んでお受けしてふと、先生は疑問に思われたのでしょう。シア様はなにをしておられるのかと質問なされた。


「シア様はただいま自室で休憩なさっております。申し訳ございません。お嬢様にお知らせする時間がなく、私のようなお出迎えで」

「え、ああ、いえ。リリシアさんは立派にこうして仕事をされているじゃありませんか。出迎えに不満なんてありませんよ」


 笑って否定なさり、逆に気を使っていただいてしまったようで、使用人として不甲斐ない自分に反省しつつ立ち止る。シア様の部屋の前についたのだ。


「こちらがお嬢様の自室になります。少々お待ちください」


 振り向いて先生にお辞儀をし、戸に向き直りいつも通りノックをする。


「シア様、先生がいらっしゃいました」

「はっ、はい! 少し待って!」


 声をおかけすると、シア様の少し急いたようなお声が聞こえ、すぐに戸が開けられた。開いていく戸の先に誰もいないことを見てか先生が小さく首を傾げられたと同時に、シア様が戸の影からお姿を現し、私たちの前まで来られる。


「ごめんなさいリリシア、お待たせ、」


 謝りながら顔を上げられたシア様は、私を視界に納め、次に先生を見つけたのでしょう。口を開けたまま動きを止めてしまわれた。言い方が悪かった、と私は自身のミスの結果であるというのに思わず苦笑を漏らしてしまった。


「シア様、こちら、本日から住み込みで勉学を教えてくださる、ノイマン・ジクトレト先生でございます」

「初めましてお嬢様。これからよろしくお願いします」


 一歩ずれて先生を紹介すると、先生も軽く挨拶をされた。すぐにシア様も動き出し、口を閉じるとそっとワンピースをつまみ腰を落とされる。教えた通りの、綺麗なものだ。つい自慢げな顔をしてしまったが、誰にも見られなかっただろうか。


「申し訳ありません先生。こちらからお出迎えすべきですのにこんなところまでご足労いただいてしまって。これから、よろしくお願いいたします」


 それを見届け、背後に控えていた者たちに合図を送る。頷き勉強机となるテーブルといすを部屋に運び込むと、先生に軽くお辞儀をし去って行った。それを見送り、私も部屋に失礼して手に持っていたトレーからティーセットをテーブルに並べた。


「それでは、私は部屋の前に控えておりますので、御用の際にはお呼びください」


 粗相のないよう笑みを浮かべ、部屋を後にする。扉を閉め外に控え、己の失態を恥じていた。時間を気にするべきだったのだ。お嬢様にお知らせする時間がないだなんて、言い訳を口にするなど恥ずべき事です。

 溜息を吐きそうになったところで、早くもお嬢様からお呼びがかかる。こんなに早くいかがなさったのかと思いつつお部屋に入れば、


「椅子に届かないの、乗せてもらえるかしら。ごめんなさい」


 どこか申し訳なさそうに見上げるシア様がおりました。

 どうして、とまさかの事態に驚きながら、慌ててシア様を椅子に座らせる。エーデリア様が本来は食卓で使うの、とわくわくした様子で用意していた、大人の方とも目線が合うよう高めに作られている椅子だ。一人ではまた乗れないから、と階段を用意していたはずなのに、どうしてそれがないのか。そこまで考えてから、また、あ、と己の失態に気付いてしまった。

 あの者たちは、お嬢様に怯えるばかりかよく思っていない者も混ざっていた。しまった、どうしてそんな者たちを引きつれて来てしまったのか。わざと持ってこなかったことを悟りまた溜息をつきそうになるのを堪え、先生に同席の許可をいただいた。これからの新人の使用人への対応、指導を考えながらシア様の斜め背後に控え、何度も溜息をつきそうになっていると自己紹介を始めたらしく、先生が簡単にお名前と経歴をお話になる。


 学園都市のでとは、素晴らしいお方なのですね。エーデリア様と繋がりがあるはずです。


「ご挨拶ありがとうございます。私は、」


 一人うんうんと納得していると、お嬢様が先生に会釈をしかえし、口を開かれる。が、何故か突然私の顔をご覧になり、なんでしょうと微笑み首を傾げればぱっとまた前を向いてしまわれた。


「名前、は」


 ――そうして、とんでもない事態を知るのです。

 サーッと、今度こそ本当に血の気が引いた。なぜ気付かなかったのか。当たり前のことなのに!


「こ、こちらっ、トア・シアメル・シルラグル様、シルラグル領主のご令嬢でございます。まだ語学も勉強しておらず、先生には一からお世話になることと思います。よろしくお願いいたします」


 もはや弁解できぬ失敗だと悟りながら取り繕う。なんということか。シルラグル家の使用人として恥はかけないなどと言っておいて、このような!

 唇を噛み締めながら頭を下げ膝を落とすと、先生は眉を寄せてシア様をご覧になる。それにぎゅうと眉が寄り、


「五歳にもなって、自分で名乗ることも、できないのですか?」


 その言葉に、その視線に、この行為すらもとんでもないことだと知りながらシア様の顔を隠した。その瞬間きつい視線がこちらに向く。


「それにはわけがございまして、そちらはその、後ほど、後ほどご説明させていただきます! 今はどうか、授業をなさってくださいませ!」


 これ以上、恥をかくわけには、かかせるわけにはいかなかった。私のせいで、お嬢様に!

 慌てて首を振れば、先生は眉を寄せ、もはや睨むように私を見ていた。それにひるまずぐっと見返す。ここで怯えてはならない。


「ごめんなさい」


 違うのですシア様!


 小さく溢された謝罪に、慌ててお嬢様を見た。俯いてしまった顔は伺えず、ああと顔が歪む。

 これは私の恥ではない。シルラグル家の顔に泥を塗ってしまった。シア様の顔に、泥を塗ってしまった! 当たり前のようにシア様などとお呼びして、ご自身の名前をきちんとお教えすることさえ、していなかった!


 目覚めて一週間。生まれて一週間で、呼ばれている自身の名前以外を、知ることができるはずもないのに――!

読んでくださりありがとうございました。

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