表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新たな旅路の祝福を  作者: 稀一
一章
53/54

07

 拾った木に魔法陣を刻む練習をしながら何度かノイマンを介して職人と思考錯誤している中、シアの生活は変わらず充実している。アンナと遊び、リリシアと過ごし、エーデリアと話をしてノイマンの授業を受ける。だがファデルはしばらく家の中で姿を見ることはなかった。おかげで剣術の授業も出来てはいない。

 シアも理由は予想できる。恐らく、と言わず魔物の討伐で帰る暇さえもなくなってしまったのだろう。その事実に不安が滲むが、シアにはどうすることもできないものだった。


「どうかなさいましたか?」


 馬車で隣に乗っていたリリシアが顔を覗きこみ、窺うように声をかける。シアははっと顔を上げ、なんでもないと笑って誤魔化した。向かいに座るエーデリアも心配そうにシアを見つめており、「本当になんでもありません」と笑うも信じてもらえていないようだ。心配をかけるつもりではなかったのにと苦笑しつつ、尻尾で足を叩いてきたアストラをやめてと諌めた。


「やっぱり視察についてくるなんてつまらないんじゃないかしら。引き返してもいいのよ?」

「いいえ、大丈夫です。私が見たいと我儘を言ったんですから」

「そう?」


 憂色の消えないエーデリアの顔に思わず苦笑すれば、口を噤みはしたもののやはり晴れはしない。なにをそんなに気にしているのかもシアにはわからなかったが、今日はシアがエーデリアの仕事についていきたいとお願いしたのだ。エーデリアが何かを気にする必要など本当にない。仕事しているところに子供がいると邪魔、というのならわかるが。


 三人が馬車に揺られて向かっているのは、領内の採掘場である。ガラスの原材料をとる現場。シアはそこを見せてもらうことになったのだ。

 話は今朝に遡る。

 部屋で遊べるものはなにかないか、とシアがリリシアに聞いたことが始まりだ。一緒に頭を悩ませ、リリシアが思いついて持ってきたものはガラスのビーズだった。リリシアと共に部屋に入ってきたエーデリアが嬉しそうに箱いっぱいに詰まったビーズを見せてきたとき、シアも年相応に目を輝かせた。そしてふと思ったのだ。このガラスの原材料はなんなのだろうかと。

 シアが見てきたガラスは透明なものも不透明なものもあった。色もそれこそ千紫万紅。まるで花の様にさまざまな色があった。目の前のビーズもそうだ。昔にテレビで見たガラスの製造工程は余りよくわからなかったが、もしかしたらそれが間近で見ることができるかもしれない、とはっとした。

 その結果、今日たまたま視察に行くというエーデリアについていくことにしたのだ。


「馬車はどこに向かっているんですか? 街と畑以外、この領になにがあるのかまだよく知らないのです」

「あら、畑から屋敷を挟んで反対側には家畜がいるのよ? 今度お邪魔させてもらう? うちだって自給自足とはいかないけれど、生きていけないほどの領ではないわ。街から伸びる街道は他領に続いているし、商人だってくるんだから」


 つまるところ街と農場があるということでは、とシアが首を傾げていると、エーデリアは悪戯に笑いシアの頬をつついた。


「それに、今から向かうのは他では見られない場所よ」


 エーデリアはにっこりと笑ってスカートを伸ばし、話しは終わりなのか座り直してしまった。思わずと言った風にリリシアを見上げるもリリシアもエーデリアが内緒というのなら話せはしない。苦笑を返され、シアは仕方なしに足元にいたアストラを抱き上げ、膝にのせて戯れることにした。


「そういえば、その子の名前はどうしてアストラにしたの?」

「え?」


 しばらくアストラと猫パンチを受け止めつつ合間合間に耳を弾いていたりしたシアは突然聞かれた言葉に顔を上げ目を丸くした。エーデリアはアストラをまじまじと見つめていたかと思うとシアを見て、小さく首を傾げる。シアはそれに「うーん」と唸り、顎に手を当て首を捻った。


「そんなに難しく考えないで。絵本の勇者と同じ名前だったから、気になっただけなの」

「絵本の、勇者?」


 ぱちり、と目を瞬かせたシアに、エーデリアが頷く。それにまた瞬きをし、アストラと顔を見合わせた。絵本などこの世界で一度も見たことがないシアは、そう言えばしばらく前に部屋に本棚が導入されていた、と思い至る。勉強や手紙、指輪のこともあるし、アンナと遊んだりもしていて忙しくて中身を見ていなかったのだ。だがその本を見る前にアストラはアストラだったのだ。


「アストラは勇者だったのかな」


 思わず目を合わせたままシアが呟けば、アストラが鳴きながら尻尾で膝を叩いた。「ごめん」と苦笑したシアとアストラのやりとりを見てエーデリアが不思議そうに「あら」と零した。


「シアがつけたのではないの?」


 その言葉に、はっとして顔を上げたシアは慌てて手を振り、しどろもどろに意味のない声を漏らす。「えっと、その、あの、ええ、あー」と視線があちこちに飛ぶのを見て、エーデリアはにこりと笑んだ。


「いいわ、今のは気にしないで。絵本が気になったら、あなたの部屋にあるから読んでみるといいわ」

「あ、はい、わかりました」


 頷きながら、誰かに聞かれた時のためにも言い訳を考えておくべきだな、とシアは内心一人ごちる。とはいえ、絵本の勇者の名前がそれであるのなら、その勇者の名前をつけたのだと言ってしまえばいいだけだ。猫に? と聞かれても、猫に、である。そうだな、と納得し再びアストラと戯れだしたシアを見て、エーデリアとリリシアが顔を見合わせていたことには気づかなかった。


 そうしてしばらくすると、馬車のスピードが明らかに緩くなった。顔を上げたシアはリリシアの制止を右から左に受け流しつつ窓から顔を出し外を覗き見る。見えるのは緑ばかりだ。後ろを見ればまだ街は見えているが、畑よりは街から遠いようだった。「あらあら」と可笑しそうに笑うエーデリアと「シア様!」と当惑しながら怒るリリシアにすぐに顔をひっこめ、軽く謝罪をする。


「もう止まるから、すぐに見れるわ」


 そう言って笑うエーデリアにさすがに子供っぽいことをし過ぎたのかと恥ずかしげに顔を背けながら、シアはゆっくりゆっくりスピードの落ちていく馬車にうきうきと爪先をパタつかせた。リリシアだけでなくアストラにまで窘められてしまったが。


「さあ、着いたわよ」


 いつかの時のように、先に馬車から下りたエーデリアの横に並ぶ。シアの肩に飛び乗ったアストラにエーデリアが僅かに目を丸くした。

 馬車から下りてすぐ、看板が三つほど立った目の前の地面には地中に続く穴が開いており、階段の様になっていた。斜めに真っ暗な土の中を伸びていくその通路の先は覗いても見えない。


「もしかして、これが?」

「ええもしかして、これが」


 穴を見てから瞬きを一つ。そして自身を見上げたシアにエーデリアはにこりと笑み、リリシアを見る。その視線にリリシアが「失礼いたします」と声を掛け二人の前に出てランタンを翳した。生活魔術で中に明かりを灯すと、振り向いて確認をとる。


「ええ、進んでちょうだい」

「かしこまりました」


 頷いたエーデリアにリリシアも頷き、その階段に足を掛ける。ゆっくりと降りていくその後に続いたエーデリアがシアを振りむくので、シアも慌ててその後についた。地中に伸びる通路はせまく、人が並んで歩ける程ではない。エーデリアは手を繋ごうかと伸ばしかけた手を見つめ、残念そうに息を吐いた。


 前を歩くリリシアの手のランタン。先に進むにつれ、周囲の色が段々となくなっていく。光を後ろにおいていくような錯覚があった。シアは思わず一度立ち止まり、小さくなっていく入口を振りかえる。気付いたエーデリアが名前を呼ぶのに前を向き、すぐに少し離れてしまった距離を埋めた。

 もうランタンの明かりだけが頼りだ。足元も見えなくなってきて、シアは恐る恐るスカートを持ち上げながら後をついていく。


「暗いですね……」


 思わず小さく零した言葉に「そうねえ」とエーデリアが同意する。どういう感情が籠っているのかもわからない自然な相槌に不思議に思いシアが顔を上げると、エーデリアは振り向いて笑った。


「火を灯すわけにもいかないのよ。困ったものよね」


 困った、と言いながらその顔は朗らかなもので、シアはどう反応を返していいのか分からず頷きもできなかった。暇になったのかアストラがシアの頬を尻尾で叩くのに、ちいさく「やめて」と唇を尖らせる。くすくすと笑うとエーデリアは再び前を向いてしまった。


「エーデリア様、シア様、そろそろ着くころかと思われますので、足元にお気を付けください」


 土の壁を撫でながら下っていたリリシアがそう言うと、エーデリアが軽く返事をする。シアがよくわからず首を傾げていると、一瞬何かが視界の中で光ったような気がした。思わずそれを探して視線を迷わせ、


「ひっ、えっ!?」


 足を滑らせた。


「シア!」


 咄嗟に目を瞑り落下を覚悟したシアを慌ててエーデリアが抱きとめる。リリシアの慌てる声に大丈夫よと優しく返す声を聞きながらシアがそっと目を開けると、その視界にはエーデリアの困ったように微笑む顔と、その向こういっぱいに広がる、星空の様に一面光輝く洞窟。


「もう、危ないでしょう?」


 つん、と頬をつつかれながら、シアはぽかんと口を開け目を見開いていた。


 洞窟だ。どう見ても。だがその土の壁の中に幾つも、星のようにキラキラと何かが輝いている。それに見惚れるシアに気付いたエーデリアが笑って支えながらシアを立たせても、シアの目は洞窟いっぱいにひろがる輝きに奪われていた。


「綺麗よね。ランタンの僅かな光に反射してるのよ。これ全部が、ここの土全部がガラスの原料になるものを含んでいるの。ここはその採掘場」


 ゆるゆると頭を撫でながらエーデリアが一緒になって目を向ければ、シアがはっとした様子でエーデリアを見上げた。「ごめんなさい」とぱっと離れる小さな体に僅かに寂しそうにしつつ、「次は気をつけてね」と微笑んだ。


「リリシア、シアを頼んだわね。私は少し奥に行ってくるわ」

「かしこまりました。お気をつけて」


 つい、とスカートを摘まみ頭を下げたリリシアにエーデリアは微笑み、洞窟の奥、広くドームの様になっている場所から続く先へと向かって言った。


「エーデリア様はお仕事ですので、シア様はここでしばらく私と一緒にお待ちくださいませ」


 隣にやってきたリリシアの言葉にシアは頷きつつ、肩から下りて歩き出したアストラに「こら」と咄嗟に声を掛ける。だがここは通路のように暗くはなく、壁全部、床さえもがランタンの光を反射して明るい。まるで夜空の中に取り込まれたかのようだ、とメルヘンな思考が飛び、思わず顔が苦いものになってしまう。

 しゃがみこんで地面を撫でる。人が踏んで硬くなったのだろう土はそれでも少しでこぼことしていた。僅かに手の平につく土もキラキラとしたものが混じっていてまじまじとそれを見てしまう。


「ねえリリシア、これはどうしてこんなにいろんな色で光ってるの?」


 足元を見て、天井を見上げて、そうしてリリシアを見上げて疑問を口にすれば、リリシアは目を丸くしてから首を捻った。


「ええと、私には学もないもので、正しく理解しておりません。恐れながら不十分なものでもよろしければ……」


 渋々、と言った様子で悩みながらそういうリリシアに悪いこと聞いたかな、と思いつつ頷けば、「かしこまりました」と頷きランタンを指さした。


「光源がございます」

「うん」


 次に上を指さす。


「土の中のガラスが光を反射します」

「うん」


 きり、と真面目な顔をシアに向け、それで? と好奇心を前面に押し出しながら続きを待つ顔にリリシアは一度目を瞑って頷いた。


「以上です」

「えっ」

「……以上です」


 沈黙が降りた。悔しげに歪めた顔を全力で逸らすリリシアと、それを目を丸くして見つめるシアと、自由に闊歩するアストラだけの空間はしばらく続き、突如ぎゅうと顎をうめぼしにしたリリシアがわっと顔を覆った。


「大変申し訳ございません! 私にはこれ以上のことはわかりかねます! シルラグルの使用人として恥ずべきことと存じますが、とても私の貧困な知識と愚昧な」

「ああああごめんなさいリリシア気にしないでいいのごめんなさい急に聞いて悪かったわ!」


 カッ、と突然燃え始めた火のように叫び出したリリシアに一瞬唖然とし、その口から流れるように出てきた自身を卑下する言葉に慌てて止めに入る。シアの必死な様子にリリシアもまた必死な様子で「いいえいいえシア様が謝ることではございませんすべては私の愚かさが招いた――」と長々謝罪なのかもはやよくわからない言葉を続けてしまい、シアはおろおろとするばかりだ。収集のつかなくなってきたその場にエーデリアが戻ってくると、ぽかんしながら「どうしたの?」と一言首を傾げた。






「ということになってしまったの」


 しゅん、と落ち込みながら話すシアに、アンナは眉を下げながら「そうなの……」と自身も落ち込んだ様子で相槌を打った。


 アンナとシアはそれはそれは仲良くなり、いろいろと話もするようになったのだ。シアは自身の立場と追いつかない気持ち。アンナは気弱な自身の性格と走り回っていてもつかない体力、畑を継ぐ自信がない不安な気持ち。そうしてお互い頑張ろう、と励まし合ったり、ころっと忘れたように笑いあったり、遊んだり畑を手伝ったり遊んだり。もっと自分から動いて見るわ、とお互いに決意し合った直後の出来事の話を聞いて、アンナも頑張れる自信がしおれかけだ。


 二人してカトランダの花を見下ろしながら沈んでいたが、そこにトフィーが呆れたような息を吐きながら近づいてくる。手には新たに植えるリッコラの苗が詰まった籠が抱えられていたが、アンナの隣にしゃがみこむとそれを置き、カトランダを一つ摘む。


「あっ」


 畑を囲う、獣よけのおまじないのような花だというのに摘んでしまっていいのか、とシアが思わず声を上げると、トフィーは片方の口角だけをうっすらと上げ笑った。


「二人して落ち込んでどうすんの。子供なんだし、失敗なんてよくあるでしょ。せっかく遊びに来てるんだから、楽しく過ごしなよ」


 畑仕事にひっぱりだした張本人だというのによく言う、とアストラが内心で独り言つが、それを聞くものは当然いない。トフィーはするりと自然な動作でアンナの三つ編みを手に取ると、そこにカトランダを差し込んだ。その動作にシアが一人「ひえっ」と情けない悲鳴を上げるが、アンナはそれに微笑んだ。


「そうだよね、落ち込んでたってどうしようもないもんね。うん、次頑張ろう、シアちゃん」


 頷きながらシアを見つめて笑んだアンナは先ほどのトフィーの行動に一切の疑問を持った様子はなく、日常的にそんな少女漫画のようなやりとりをしていることがうかがえた。シアはやっとトフィーが超絶シスコンなのでは、という可能性に思いいたり、思わずトフィーをガン見してしまう。


「なに?」


 どこか気だるげないつもの顔で首を傾げたトフィーを見て、もしかしてこの世界の兄妹の距離感はこれが普通なのだろうか、と理解を越えた世界を目の当たりにした気分になるシアだった。なんでもない、と顔を背けるものの、なんだかすさまじいものを見せられたような気がしてならない。


「そうだ、シアちゃんの髪とても綺麗だから、カトランダがよく合うと思うんだ。これやってみない?」


 これ、と言いながら自身の三つ編みに手を添えたアンナにシアは目を丸くする。花冠はなかったのに、もしかして髪に花を刺すのはメジャーな髪型なのかと。ぎこちなく頷いたシアに首を傾げながら、アンナが「触ってもいい?」と聞きながら背後に回る。それにも頷けば、アンナは嬉しそうに笑いシアの髪を両手でそっと束ねる。


「お揃いにしてもいいかな?」


 はにかみながら聞かれた言葉に、シアの脳みそから先ほどまでのあらゆる困惑が吹き飛んだ。一瞬きょとんと目を丸くし、ぱあと顔を輝かせる。


「うん!」


 満面の笑みで頷いたシアに、アンナも喜色満面に笑い手を動かしだした。そこまでを見届けたトフィーが畑の方に戻るのに気付かないほど、二人はきゃっきゃと夢中になってお話と髪を弄ることに夢中になってしまった。


「できた!」


 ぱっと手をはなしたアンナがそう言うと、シアは振り返るように自信の髪を見る。長い三つ編みに、そこに共に編み込まれた赤いカトランダの花。なんだかまるでおとぎ話のお姫様にでもなったような気分で、頬がどうにもにやけてしまう。


「ふふ。花冠より素敵」


 体ごと向き直ったシアの言葉にアンナが「花冠?」と首を傾げると、シアはああと頷いた。そういえばなかったのだった、とシオルとのやりとりが脳裏に浮かぶ。思い出し笑いをしながらこういうものだよと手と口で説明すれば、アンナの表情がきらきらと輝きだした。


「素敵! 教えて!」


 もしかして、この先なんどかこういうことになるのだろうかとシアは思わず苦笑する。

 畑を囲む花だというのにそんなに使うのも、と二人の母親に確認をとれば、好きに使ってくれて構わないと帰ってきた。それなら、と教えていけば、お菓子作りが得意なだけあってアンナは手先が器用だ。覚えが早く一度見せただけで作り上げてしまった。エーデリアの不器用さを思い出して笑ったのは内緒だ。


「かわいい。綺麗だなあ」


 出来あがった花冠を見つめて嬉しそうに呟いたアンナに、見本で作った花冠をあげたシアは優しくてかわいいアンナが大好きである。


 三つ編みにカトランダをさしたお揃いの髪型をした二人が、手に花冠を持って笑いあうのを見てアンドレア夫婦は穏やかに笑った。可愛らしいもんだ、まるで天使が戯れているみたいだ。そう呟いた父親の言葉に、トフィーは「土だらけだけどね」と突っ込んだ。






 魔物の侵攻が激しいようだった。ここのところ厳しい顔をして走り回るエーデリアを見て、シアはなにを言われずとも察してしまう。ファデルは変わらず帰ってこない。心なし邸の雰囲気は重く、街に出かけても暗いような、そんな風に感じてしまうそんなある日。


「お嬢様、職人から指輪が届きましたよ」


 授業の終わりにノイマンがだしてきたのは、職人がこれが最高傑作だ、と送りつけてきた指輪である。

 金属であればいわゆる平打ちのリング。これは木で作られているが、とても薄く、高い技術で作られているのだろうと見ただけで察せられた。どう削り取ったのかなどシアには想像もできないほどだ。もちろんそういう技術者ではないノイマンにも。


 濃い飴色の艶やかな表面。木独特の滑らかな肌触り。覗きこめば指に触れる面に小さく加工されたエレがきちんとはめ込んである。試しに指に嵌めて見れば、第三関節と第二関節までの半分ほどを覆うほどの幅だった。指を曲げて見るがギリギリ稼働域に影響しないといった程だ。ぴったりと隙間なく、けれどきつくもなく指に吸いつくような着け心地。今は慣れないものだから当然違和感もあるが、つけ続けていれば気にもならなくなるだろう。

 これはすごい、と想像以上のものが出来あがったことに感動しているシアを見て、ノイマンは微笑ましげに笑う。


「装着者の指に合わせて変形するそうです。魔術師やあらゆる技師の伝手を総動員して作ってくださったそうですよ。あとはお嬢様が魔法陣を刻み、加工面も仕上げをして貰えば完成です。予備も合わせ二十一個届いていますので、すべてお預けします」


 言いながらカラカラと音のする袋を渡され、シアは恐る恐るそれを受け取った。失敗すればまた作ってくれるかもしれないが、そこまで全力で作ってもらったものを無下にはできない。もとより当然全身全霊で刻むつもりだったが、失敗は出来ない、と緊張から手に力が入る。縛られた口をしっかりと掴み、ノイマンに頭を下げ部屋に走った。


 練習用の木に幾つも刻まれた魔法陣は様にはなっていた。だが本番ともなると手が震えそうになる。もっと時間を掛けて練習すべきか、それとも覚悟を決めて本番に取り組むか。唾を呑んだシアは指輪の袋を持ったまま、庭に出て隙間もなくなりそうな木に小さなナイフ片手に向きあった。何度も表面を削り、何度もそこを埋めてはまた削り、そうして繰り返した木はもう随分と小さい。最後の練習だと気合を入れ、ナイフを宛がった。






 それから三日。ノイマンは完成品の指輪をシアに届けようと歩いていたところでエーデリアに呼ばれた。重苦しい雰囲気の執務室。エーデリアとノイマンは硬い表情で向かい合っていた。


「こんなこと、あなたの仕事ではないことはわかっているのだけど」


 視線を下に逃がし静かに、けれど強い声でそう言うエーデリアに、ノイマンはどんよりと暗い気持ちを押し込めしかとエーデリアを見た。


「とんでもありません。私で力になれるのでしたら喜んで」


 不穏な空気が近づいていることに、シアはまだ、本当の意味では気付いていない。

読んでいただきありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ