06
「やっぱり相変わらず、人はいないんだね」
「君にそこまでの創造力がないんじゃないか?」
「ひどい言い草だなあ」
随分久しぶりにこちらに来ていた。フローリングに敷かれた化学繊維の絨毯がなんだか懐かしい。
アストラは窓から外を眺める私を見て目を細め、そのままリビングを出て行った。慌てて後を追えば、玄関から外へ出ようとしている。久し振りに麦茶を飲みたくなってきたというのに、一口しかまだ飲んでいない。ついて行くか行くまいか躊躇して、この世界でアストラと離れたことがないことを思い出ししょぼくれながら駆け足。
どうなるかわからない。離れてもしあの真っ暗に落ちたりしたら、なんて勘弁してほしい。
「どこにいくの?」
「君が気づいていないだろうことを確認しに」
「私が?」
「すぐにわかる」
それきり黙ってしまったアストラの後をのんびりついて行く。このへんはわりとしっかり作りこまれていることだろう。私の家、その隣のちーちゃんの家、そのむかいのあっくんの家。どっちも遊びに行ったことがあるから、きっとドアを開けても真っ暗じゃないはずだ。
ご近所の住宅街を抜けて、公園。その公園の向こう側は商店街みたいなもので、その向こうは駅だった。もちろん、駅には行ったことがないからはりぼてだろう。
「見えたぞ」
あちこちに向けていた顔を前に向けた。目に入った光景に驚いて後ろを振り向き、今まで歩いてきた道が変わらずあることに目を瞬かせる。そうしてまた前を向けば、アストラが私を見ていた。
「君の世界が広がった証拠、だろうか」
なのに、やっぱりひとはいないんだね。
そう言おうとして、それが寂しいことなのか、それともどうでもいいことなのかわからなくて口を噤んだ。
一歩足を進めて、前を見る。もはや見慣れた街だった。そのまま歩いて行けばアストラはつまらなそうについてきた。
「アングレアさんのお家。ホージムさんのお菓子屋さん。向こうに行けば小物屋さんの通りで、そのさらに向こうが訓練所。この道をまっすぐ行けば、お邸に続く坂道」
気がつけば、視界には金の髪が揺れていた。もしかしたら意識していなかっただけで、こちらに来たときからこの格好だったのかもしれない。だからアストラは私を見てたのかも。
「ちゃんとここもできたんだねえ。ここって、どれくらい広いんだろう。どこまで作れるのかな。私がもっと生きて、大きくなって、いろんなところを知ったら、ここももっともっと場所が増えていくのかな? まっくらな場所なんてできないくらい!」
きっとこの領を離れればまたドアを開けた先みたいにまっくらな世界が続いている。その世界が、いつか暗い所なんてなくなるくらい、私の世界で埋め尽くされる日が来るんだろうか。
「さあ。私にも、こんなことは初めてだからな、わからない」
「そっか。私以外はすぐいなくなったんだもんね。もう誰も来ないなら確かめようもないし」
「わからんぞ。そう仮定しただけにすぎない。もしかしたら、君の世界を吹き飛ばすような誰かがやってくるかもしれない」
「えっその時は私どうなるの?」
「さあな」
「ええー、消されちゃったらどうしよう。そしたらきみだって麦茶もおせんべいも味わえなくなっちゃうよ?」
「……それは困る。ホットケーキも捨てがたい」
「俗世に染まってる感じすごいね」
「うるさい。君がそうしたんだ」
「ちがうよ、きみが勝手にそうなったんだよ」
「コミックスだってなくなると困る」
「少女漫画くらいしかないでしょ。続きはもう出ないし」
「そうでもない。君の部屋ではないところに小説や他の漫画も置いてあったぞ。中身があったということは読んだことがあるんだろう」
「そう言えばお父さんとかお母さんも漫画読んでたなあ」
「あのアニメも存外面白い」
「あれは女児アニメだよ。きみが見てるって思うとちょっと面白い」
「他にもここにある食べ物や飲み物は手放しがたい」
「ふふ、私もここに来たら食べられるから、なくなると困るなあ。あ、先生に嘘ついちゃった。ここに来れば食べられるね。訂正した方がいいのかな」
「それに君と二人で過ごすこの時間がなくなるのは、耐えられないな」
はたと、足が止まる。
アストラはそのことに気付かないみたいに歩き続けていて、その後ろ姿を見て私も再び歩き出した。
その言葉の意味は、どういうことだろう。首を傾げながら、まさかさっき話してた少女漫画的な意味ではあるまい、と小さく笑う。
でも確かに、
「私も」
ここでアストラと過ごす、静かなのに騒がしい時間は、私にとっても手放し難いものなのだ。
「帰ったらホットケーキ焼くね」
「帰るのは向こうでいいのか」
追いついて隣を歩きながらそう言えば、今度はアストラが足を止めてそう言った。それに首を傾げて、そういえばと首を傾げる。
この場合、私の家はどっちなんだろう。
「私はてっきり、君はあちらを消すのだろうと思っていた」
「消すって、なんで?」
「ここは君の意識が作っている世界だ。君は梨夏を弔っただろう。その時に、君のなかであそこも消えているのだろうとばかり思っていた。次に君が来たとき、あちらは消えるだろうと思っていたんだ」
ああ、だから今日の夜は、私が来た後に来たんだ。あっちが消えてても、問題ないように。
「消さないよ」
なんだかおかしくて笑ってしまった。来たら家がなくなってた迷子のアストラ。ちょっと可愛いかもしれない。
「消せない」
振り向いて歩き出す。帰る家はそう、こっちでは、あそこなのだろう。あそこで目覚めた以上、こっちでの我が家はあちらだ。きっとそういうことだから。
「これは過去に固執してるんじゃない。これも、今の私を作る一部だからこの世界にあるんだよ。わざわざ消すものじゃない。私を構成する一部であることは変わりないし、それを否定したらそれこそ私は別人になっちゃうんだと思うの。言ったじゃん」
足を止めて振り向く。アストラは歩き出してはいなかった。空いた距離で今の言葉が聞こえていたかはわからない。
笑って、少しだけ大きな声を出した。
「決別じゃなくて受け入れるって」
アストラは感情の見えない瞳を僅かに、僅かに見開いて、そうしていつも通りの表情に戻ると小さく頷いた。
「そうか」
ノイマンがシアの前世での没年齢を聞くことはなかった。けれど彼はシアに対しての態度を少しだけ改めたようで、以前からそうあったわけでもないが、あからさまな子供対応は消えた。シアが両親と会話をしていると複雑そうな表情を浮かべるし、アストラを見ると緊張する。最後のは以前から変わっていないような気もする。
とにもかくにも、ノイマンにとってはなかなかにすさまじい事実であったようである、ということはシアにも何となくわかった。当然ではあるが。
シアはノイマンに預けていたエレがたったの三日で綺麗に加工され細かくなってたくさんになり、そして指輪の試作品のようなものと一緒に返ってきたのをしげしげと眺め細かいエレを袋にいれて金庫にしまった。試作品を手の平の上で転がしためしに指にはめて見る。両手につけてみるがなかなかにがちゃがちゃとしていた。そも指輪のアームが太いのだ。隣のものとぶつかり指を閉じることもできない。こうなるとは考えても見なかった、と考えつつ、技術力の差だろうかと首を傾げてしまう。
シアが想像していたのは細いアームの、華奢な指輪だ。こんなに分厚いアームをもつものではなかった。それこそシルバーであったりするもののように薄い、指同士の邪魔をしないもの。木であるから出来ないのか、それとも技術が足りないのか、今のシアにはわからない。であるから、デザイン案を描くことにしたのだ。
指輪をはずしてテーブルの上に転がし、メモ用紙を引っ張り出す。試しに梨夏の両親が指にしていた結婚指輪のようなシンプルなものを描いてみた。石も何もないものだ。しかしそれに首を傾げ、ばってんをつけて没にする。もしこれにエレを埋め込むとなると、相当不格好になってしまう。意外に難しい、と首を傾げ、俯き、今度は仰ぎ、息を吐いた。シアにアクセサリーのデザインをした経験はない。思い出せる限りの見たことがある指輪を描いていこうと思いつき、ペンを執った。
紙とにらめっこするシアを眺めるのも飽きたアストラが尻尾で指輪を転がして遊ぶのにも飽き、椅子の足もとで丸くなってしばらくして、メモ帳はたくさんのバツで消された指輪で埋まった。そのあまりにも成果のない紙を見て、腕を組み熟考するように眉根を寄せ首を傾げる。ノックの音にも気づかないほど集中するシアの背後に、そろりとエーデリアが忍び足で近づいていた。
三回ノックした。声もかけた。そっと部屋を覗いても見た。無視するシアが悪いんだわ、と悪戯心満載の母親は、気付いてじっと自身を見ているアストラに人差し指を立ててしー、と声も出さずジェスチャーし、シアの肩に手を伸ばす。
「シーア?」
肩を叩く感触とともに、ひょこ、と顔が横から現れシアは椅子の上で飛び跳ねた。恐らく三センチほど浮いた。ぎょっとしたシアに驚いたエーデリアも目を丸くし、お互い間抜けな顔で見つめ合ってしまった。
「ごめんなさい、そこまで驚くと思わなくて」
苦笑したエーデリアにバクバクと煩い心臓を服の上から押さえつつ、シアは「いいえ」と首を振る。頭を撫でるエーデリアを見つめれば、視線を紙に向けて首を傾げる。
「これは? 指輪……が欲しいのかしら」
「えっ、あ、違います。えっと、エレを指輪に入れることにしたのですが、どうすれば邪魔にならない指輪になるかな、と思いまして、考えていたところです」
あら、と目を丸くし、エーデリアはテーブルの上に散らばった指輪を手に取った。そうして「そうねえ」と首を傾げ、にこりと笑んだ。
「なら、私の指輪を見る? 古いものからたくさんあるわよ。残念なことにエレはないけれど、参考ぐらいにはなると思うわ」
さ、たって、と手をとって促され、シアは戸惑いつつ椅子を下りた。そのまま歩きだしたエーデリアの後をアストラと共に歩いていく。
「さ、入って」
案内された先は以前リリシアに鏡の有無を聞いたときに連れて来てもらった化粧室だ。トイレではない。鏡台に、姿見、壁一面を覆う大きなクローゼット。シアの脳裏にその日の苦い記憶が浮かび小さく顔を顰めた。促されるまま入れば、エーデリアは鏡台の上に置かれたシアの持つ金庫のようなもの――縁は金で装飾されているが色は緑だ――をとり、床に座った。
(え、床に?)
硬直したシアを不思議そうに見つめて手招きをするエーデリアにシアの中のこの一月半ほどで築かれた母様像が歪む。いや、度々エーデリアの言動に内心首を傾げてはいたが、まさか貴族が、領主が、ドレスを着るようなマダムが、床に直に座るなど考えるはずもない。にゃあん、とアストラがひと鳴きするとシアははっと我に帰り、エーデリアがぽんぽんと叩くそこに座った。
「ひとえに指輪と言ってもいろいろあるのよ? あなたはこういうタイプを考えているようだけど、これだって悪くないんじゃないかしら」
こういうタイプ、といいながらエーデリアが指さしたのはまさにシアがいくつも紙に描いていた細いアームのタイプだ。金属のそれはとても華奢で、綺麗だ。そうしてこれ、と手に取ったのは厚みこそ変わらないか、もう少し薄いくらいであるが、幅のあるものだった。石座がなく、すべて均一で石もない、と思いきや小さなものがいくつか埋め込まれていた。繊細だ。一見幅もあってガチャガチャしそうだが、実際エーデリアが指にはめて見ても違和感もないし、ごちゃつきもない。細かな彫りが施されたそれはすっきりと綺麗なものだった。
「これが、木で作れるでしょうか」
「そうね、少し難しいかもしれないけど、細いものよりはいいと思わない? この薄さで細いものより、幅のあるものの方が壊れにくいのではないかしら」
なるほど、指で押しただけでパキッと折れてしまいそうな細くて薄いものより、まだ広くて薄いもののほうがいいような気もする、とシアは思いつつ、けれどエレはどこにどう埋め込めばいいのだろうかと首を傾げた。今エーデリアが見せてくれているもののように表面に埋めるのでは木で覆えない。それに判子にもならない。そこでやっと判子にするのだといい忘れていたことに気付き、シアはしまったとわかりやすく顔を顰めた。
「あら? どうかした?」
だめだったかしら、と傾げるエーデリアに違いますと首を横に振り、目を逸らす。
「その、指輪を判子にしたくて……」
「判子?」
きょとん、と目を丸くするエーデリアにどういうことかと説明すれば、人差し指を唇にあて「うーん」と首を傾げた。それに可愛いなと感想を抱きつつ申し訳なさそうに見上げれば、そうよ、と手を叩く。
「一部分だけ平らにすればいいわ。なにも判子であればいいのだから、厚みはいらないもの。大きさもいらない。トップだけ少し厚みを持たせて上を削ってしまえばいいのよ。そうすれば四角い平らな面の出来あがりよ」
どう? と自信たっぷりに笑ったエーデリアになるほどとシアが頷けば、小さく笑い手を握る。「頑張ってね」と軽く振られた手に笑ってシアははいと頷いた。
少しだけ上がった気分でるんるんと部屋に戻り描いてはみたものの、どうにもエレを埋め込む場所が決まらない。魔法陣は平らな面に描く。それは確定だ。だがエレは小さくなっているとはいえ薄い木の中に埋めることは出来そうにはない。そこまで考えて、シアはあれ? と首を傾げる。紙に描いた指輪をじっと見つめ、再びペンをとり斜めの角度からの絵を描き、魔法陣を描く予定である部分の内側、肌に触れる部分に丸く線を引く。
ここに、嵌めてしまえばいいんじゃないだろうか、とひらめいたのだ。
木で覆い隠してしまう方がいい、とノイマンが言っていた記憶はあるが、それはあくまでも効果が高くなる、というだけだ。絶対条件ではない。つまり、木で片面を覆いつつ、もう片面を肌に触れさせる。エレはまた加工しなければならなくなるが、肌に触れる部分を僅かに削ればそれで済むだろう。
私は天才かもしれない、とシアは思った。実際はそんなことはない。
「どう? アストラ。これすごいと思わない? これが実際に作れれば完璧よ!」
床に寝転がりしっぽでぱたぱたと床を叩いていたアストラに紙をつきつけ、ふん、と鼻を自慢げにならす。アストラは一瞥するのみで、他になんの反応も見せなかった。
「冷たい」
自信満々だっただけにそれなりにショックを受けた。
読んで頂きありがとうございます。




