05
申し訳ありませんが諸事情によりこの話から主な視点がかわります。元々2章で変える予定だったのですが、書きやすさを優先して前倒しにしました。三人称視点? になります。雰囲気が変わるかもしれません。
「お嬢様の記憶は、どこからあるのでしょうか」
突然の問いに、シアは目をぱちりと瞬いた。丸くした目でノイマンをひたと見つめ、また瞬き。
驚いていた、だけではない。質問の意図もそうだが、そもそもどこからという言葉がどこを指すのかを考えていた。ノイマンの表情にふざけた様子はない。彼がふざけていたことなどもそうないのだが、シアはその可能性をぼんやり、思考の裏で望んでいる。
自ら聞こうとしていたのだ。だが先に聞かれてしまった。そもそもが遅すぎたのかもしれないとも考える。もうシアが目覚めてから一月、いや二月ほどは経っていた。けれどこの質問で、シアは一つの事実を知る。
知っているのだ、彼も。いいや恐らく彼らは、みな。それは当然でもあるのだろう。なにせ五年間眠り続けていた子供が動き出したのだ。それまでとは違うのだと思わない方がおかしい。
「先生はどこまで知っているのですか?」
シアが黙っていた時間はそう長くはなかった。ノイマンは開かれた口から出た声が思っていたよりも落ち着いているのを見て、目を僅かに見開く。無意識に眉間に皺を寄せ彼もまた、その言葉でシアが何かを知っていることを確信し、けれど己の知っているものと噛み合うのかわからず言葉に詰まる。なんでもないことのように、まるでいつもの質問のように小さく首を傾げ見上げてくるシア。唇を擦り、逃げるように視線を逸らし小さな声で「それは……」と漏らした。
シアは視線を逸らさない。責めるものではない。マイナスの感情などそこにはかけらも見えなかった。けれども居心地が悪く、それはノイマン自身がそうしてしまっているに他ならない。
気付けばアストラも動きを止め、ノイマンを見つめていた。
言っていいものか。けれどどこまで、なにを。
「五年間、」
目を合わせる。口を開けば瞼が僅かに震えた。ノイマンはゆっくり、ゆっくり一言ずつ声に出していく。反応を逃さぬためであり、何より、シアを傷つけまいとする心から。けれどシアに変化は訪れない。じっと合わされた目は逸らされず、いっそ気遣うような色が見えるような気さえして、ここから逃げ出したくなった。
シアの気持ちがわからない。当然であることなのに今この場において、大切になってしまった生徒であるシアを傷つけてしまうかもしれない恐怖が、そのことに理不尽を感じていた。
「眠っていたことを」
言いきって、唾を呑んだのはノイマンだ。時間がいやにゆっくりに感じられた。ひたと合わさった視線に震えそうになる。数秒、白い瞼が視線を遮って、やっと息ができたような気さえした。
再び見えた薄く雲がかかった空ようなくすんだ青は柔らかく細められ、困ったような苦笑を映した。落とされた視線と頬を掻く小さな指。何かを言おうとして口を歪めると、誤魔化すように乾いた笑いを漏らした。
「全部じゃないですか」
さらにその顔が苦笑を濃くし、溜息。視線が外れシアは一拍置いてにこりと笑み、再びノイマンと目を合わせると一歩近づいた。辺りを見回すと内緒話でもするように口に手を当て、しゃがむようせがんでくる。ノイマンは場違いなように感じるそれに困惑しつつも従い耳を寄せた。
「私も、そうであったことを知っているんです」
目を見張った。弾かれるように顔を離して見れば、シアはまた眉を下げて困ったように苦笑する。
「私は私が、五年間眠っていたことを知っています」
なぜ、と掠れた、吐息のような声が口から洩れた。それを見てシアは視線を落とし、「何故でしょう」と首を傾げる。
「私もわからないんです。きっとアストラも理由は知らない。ただ私たちはそうであったことしか知らないんです」
だから、と小さく笑う。
「私の記憶は目覚めてからのものです」
一瞬、ノイマンは自分がした質問の答えだと認識出来なかった。あまりにもあっさりと、あまりにも簡単に答えを言うものだから。
最初からこうすればよかったのだろうかと思う。だがノイマンははやり、どうしても、自ら進んでシアに聞きたいとは思えなかった。シアが答えを持っているかもしれない、というリーレンの言葉は理解できるのだ。けれど、だからといって不躾に踏み込む行為を好めはしない。
複雑な表情を浮かべるノイマンを見てシアは小さく息をつき、アストラを手招いた。アストラは自身を見つめるシアから何かを感じ取ったのか、隣まで来ると一度座り、その姿が霧に映る幻のように歪み、霞む。シアは目を閉じていた。その目が開かれる頃には、そこにいるのは一人の少女だ。あの日、突如として現れたアストラが食堂で一度だけ見せた姿。
「正直私もアストラもどこまで話していいのかわからないんです。でも多分、私たちが知っていることもそう多くありません。先生には信じられないようなことも話すかもしれませんが、それでも信じてくれますか? 信じると約束してくださるなら、私は、私が知る限りのことを先生に話します」
黒い髪に黒い瞳。それを強調するかのような真っ白な肌。おおよそ健康体とは思えないほど血の気のない白紙のようなその肌は、頬や唇にさえ色がなかった。少女の姿のアストラは、何故だか酷く不安感を煽る。ノイマンは黒い目を見てしまわないよう僅かに目線をずらしながら、並んで立つ二人を見た。
シアの表情は真剣なものだ。ノイマンが静かに頷くと、その目が伏せられた。息を吸い、顔を上げると「着いて来てください」と歩き出す。それに驚きつつついて行けば、アストラがノイマンの後ろについた。まるで逃がすまいとされているようで居心地が悪い。
「まず最初に、私が知る中で一番最初の話をします。それを信じられなければ、私はそれ以上を話しません。いじわるとかではなくて、それを信じられなければ、きっとその後の話も信じられないと思うから」
言いながら歩き続け、庭を半周してたどり着いた木のしたで立ち止った。そこには少し前まではなかったはずの、墓石。ノイマンは目を見張りその石を見ており、シアはそれを見ながら石の横に並んだ。
「これは私のお墓です」
「――は?」
真面目な表情で、それと同時に至極当然のように言われ、とてもではないが言葉が理解できずぱっかりと口を開けた。そんなノイマンを見てシアは苦笑する。慌てて口を閉じたノイマンはしかし、「私のお墓」という言葉の解釈を頭の中でぐるぐると回した。
そのままの意味か、生きているのに? あるいは何かの比喩か、あるいは他に何か隠語のような、シアが考えた言い回しか。将来のために、とは思えない。家の者は知っているのか。けれどあまりのインパクトに、なかなか冷静になれない。唖然とした脳が唖然としたまま、なにをいっているんだこいつはと発言してしまいそうなほど、冷静になれなかった。
シアはそんなノイマンを見て、まあ仕方がないと苦笑する。当然の反応だろう。目の前にいる人物が、突然これは私の墓だ、といいだしたのだ。確かに目の前で息をして、話し、目を合わせている人物が。理解できないのも仕方がなかった。けれどこれを大前提としてのみこんで貰わなければ、話は進まない。
「まるで物語のような話ですけど、これはこの世界で先生が一番信頼できる他人だと思っているから話すことです。先生は聞いたら他の人に話したくなるかもしれませんが、内容からしても、そして私の気持ちとしても、誰にも話して欲しくはありません。誰にも、です」
いいですか? と再三確認をされ、ノイマンは未だに唖然とした思考のままこくりと頷いた。今の言い回し、それに疑問を抱く余裕すらなく。
それを見て満足げに頷くと、シアは石をそっと撫でる。深く息を吸うとゆっくり吐きだし、まっすぐにノイマンの目を見つめた。
「私はここではない世界に生まれ、生きていました。そうして死んで、次にここで生まれたんです」
シアがそう言って口を閉じると一拍、ノイマンは口のみならず目までもこれでもかと開き、次いで一拍置いて口を引き結び目を細め眉間に皺を寄せ、さらに一拍置くと顔面を両手で押さえ空を仰いだ。
あまりの反応に驚いてシアが一歩踏み出すと、ノイマンは絞り出すような声で「ちょっと待ってください」と待ったをかける。シアは踏み出した足をそのままに動きを止め、アストラを見た。アストラは肩をすくませ首を横に振ると、シアの横に移動しそのままなんの躊躇いもなく墓石を椅子にし、足を組んでノイマンを眺める。おかしなものを観察するかのような様子にシアが苦笑する頃、ノイマンはようやっと動きを再開した。
衝撃の事実……すぎた。ノイマンは理解というものを放棄し、混乱と共に只管のみ込んだのだ。理解を諦めるまでの長々とした思考はそれこそ混雑し混線し複雑なものであったが、その末にすらなにも理解ができず、放棄した。どうしようもないことであった。頭の固いノイマンには、とても理解のできるものではなかったのだ。だがこれをのみこまなければ話はできない、そう言われてしまったからには、もはや思考を停止し、放棄し、のみこまざるを得なかった。
「つまりお嬢様は生まれ変わったということですか。それも、世界を、越えて」
まるで理解したかのようなセリフを聞いてシアはぱっと表情を明るくし、「はい」と嬉しそうに頷いた。とても理解などしていないノイマンは心に槍を突き立てられつつ、さも理解しましたよ、というような顔をして話の続きを促す。シアもさすが先生だ、というような顔をしてにこにこと口を開いた。
この場において、正確に場を理解していたのはアストラのみである。無表情であり、そのことになんの感情も抱いていないのがなんとも惜しいことであった。おかげで二人は表面上のみ噛み合い、わかりあったような顔をして話を続けることになってしまったのだ。もっともシアは本当にそうだと思っているのだが。
「死んだ後のことは私には記憶もないのでわかりません。ですが次に目覚めたとき、私はすでにここに生まれ五年を過ごしていたんです」
目覚めた時なにもわからなかったこと。以前生きていた記憶の続きのように目覚め、けれどさっぱり何もかもが違ったこと。自分の名前も、容姿も、年齢すらも知らず、ただ目覚めてしまったこと。そうしてその後の様々な出来事に流されるように生きて、アストラに幾つかのことをお教えて貰ったこと。アストラの世界――であるのかはわからないが便宜上そう呼称した――というものがあること。
シアが次々と話していく隣で、アストラはなにも言わずただ黙って自分の膝に頬杖をついて眺めていた。たまに言葉に詰まるシアを、たまにノイマンを見つめ、表情も変えず。
随分と長い時間話していたように思う。シアは軽く咳払いをし、乾いた喉を誤魔化した。ノイマンはシアが口を閉じてから黙ったままだ。時たましていた相槌も、途中消えていた。視線は外れ、今は地面に、いいや墓に向けられている。それが墓のことを考えているのか、それとも考え事をしている目がそこに向いているだけなのかシアにはわからないが、酷く落ち着かない心地なのだ。そわそわと視線をさまよわせ、手を無意味に胸元で動かして足場を確認するように何度も足を動かす。
本当なら話すつもりなどなかった。目覚めてすぐにそう考えて、ずっと変えることはないと思っていた。こんな話、頭がおかしくなったのだと思われるのがオチだ。前に生きていた記憶がある、など、前の世界でもテレビで何度か見たことはあったが、それは世界を越えたものではなかった。ただでさえ信じがたい話が、世界が違うという要素が足されるだけでとてもではないが現実の話には思えないものになってしまう。ありえるかも、といううっすらとした期待すら抱かせないような。作り話めいている。話していて、途中からシア自身不安になったほどだ。
あれは本当の記憶だったのか。五年間ただ夢を見ていただけなのではないか、と。けれど不安になるたびアストラを見れば、その凪いだ瞳が間違っていないと教えてくれるのだ。シアが決して、自分の作り話をノイマンに聞かせているわけではないのだと。
溜息が聞こえた。ノイマンは額を押さえると、その手で無理やり顔を上げるようにシアを見た。はっとして佇まいを直したシアを見て手を下ろしたノイマンが小さく顔を顰める。
「五年前に生まれ変わり、けれど精神は肉体を置いてアストラの世界に在り、そこでもなお寝ていた。そうして五歳の誕生日に初窓を迎え、その後目覚めて今に至る、と」
表情とは違い、声はいたく冷静なものだった。シアがそれに頷くとノイマンは深く息を吐き、眉間を揉む。
「そしてアストラの世界がなにかもわからず、アストラにもそこで眠っていた原因はわからず、お嬢様に自覚もなかった。アストラの存在がなにかもわからないが便宜上妖精と仮定し、さらに何故魔力が七色あるのかも転生したからという仮定のみで確証はなく、そも、なぜ世界を越えて転生したのかもわからない。記憶がある理由も、そして言ってしまえば、あまりに都合がいいあらゆるものも、わからない、ということですね?」
「はい」
一つ一つ頷いていたシアはノイマンが目を合わせるとしっかりと返事をした。それこそいつもの授業の様で、ノイマンは眩暈でも起こしてしまいそうな不可解な感覚に襲われる。が、それは大したことではない。シルラグルに来てからというもの、精神がぐらつくのはノイマンにとってはもはやよくあること、で済ませることができるものになってしまった。
一度喉を鳴らし、歩きもせず立ちっぱなしで少し違和感のある足を足踏みで誤魔化す。佇まいを直せばそれに思わずといった風にシアが背筋を伸ばすのにひっそりと癒されつつ、また喉を鳴らした。すっかりいつも通りの平静な様子を装いつつ、地面についた杖に少しだけ寄りかかる。
「では、質問をよろしいですか?」
ぱちりと瞬きをしたシアはすぐに「はい」と頷き微笑んだ。
「アストラは妖精ではない?」
「はい」
「言語を理解しているのはアストラ曰く、自動翻訳のようなものがあるから?」
「はい」
「知らない言葉をたまに使うのは向こうの世界の言葉なのでしょうか」
「えっ、と、どのことかはわかりませんが、多分そうだと思います」
シアがことごとく頷くと、ノイマンは一度視線を外し口元を擦った。アストラの仮定、と思われるあらゆる現象。結局のところそれは仮定でしかなく、はっきりとした確信も理由もない。それではわからないのと変わりないのでは、とも考えるが、アストラが妖精ではなく、少なくとも妖精よりも異常な存在であるのだということはわかった。そのアストラが仮定していることも、ただの仮定だ、と流すべきではない、ように思える。
シアを見れば、まっすぐノイマンを見つめていた。様子を窺っているというよりも、本当にただ見ているだけだ。ノイマンから始めた話ではあったが、こうも動揺を見せないとは、と驚いてしまう。シアにとって五年間は一体何だったのだろう。そしてその後の、今日まで生きてきた日々は。以前生きていた記憶に何か思うことはないのだろうか。
あまりにまっすぐに見つめてくる目が、あまりに普段と変わらなさすぎて、いっそ今話していることは重要でも何でもないのでは、と錯覚してしまいそうになる。怒りも、喜びも、寂しさもなにもない。その目が訴えてくる感情が何一つ見えないのだ。
「五年間眠っていた間の、記憶は」
「……ありません」
恐る恐る聞いた言葉に、シアは瞬きをした後首を振った。ノイマンはもはや何を言えばいいのかも、何を聞けばいいのかもわからなかった。
不意にアストラが墓石から飛び降りるのを見て、そういえばと目を向ける。あの墓を見せた時の言葉は、きっとそのままの意味なのだろう。以前生きていたシアの墓。
「前の世界に未練はないのでしょうか」
意識せず口から出た言葉にノイマンは咄嗟に口を押さえ、顔を逸らす。無意識とは言え、酷なことを聞いただろうか。
シアはその質問に忘れていたとでもいいそうな仕草で「そうでした」と手を叩いた。本当に普段通りだ。他愛もない日常会話でもしているかのように。
「ありません」
初めて会ったときは考えられなかった明るい満面の笑み。予想外の表情にノイマンが目を丸くすると、シアはそれが可笑しかったのか小さく噴き出した。咳払いで誤魔化すとまた笑みを浮かべ、お腹の前で指を組む。
「未練はありません。未練って、あきらめられないとか、そういう意味ですよね? やり残したこととか、心残りがないか、といわれれば、あります。以前の両親には会えない。友人にも会えませんし、好物ももしかしたらここでは食べられないかもしれない。景色やにおい、お気に入りのなにか。思い出を共有できる人。それらはすべて私からは手の届かないものになってしまいました。けど、だからと言ってそれが私の中からなくなったわけではないから」
シアは目元を緩ませ、穏やかな声でそう言った。ふ、と息を漏らすように小さく笑い、目を合わせる。
「それに、今はその続きなんです。私が私であることは変わらない。両親はここにいるし、友人だってこれからたくさんできるかもしれない。好物は新しく見つかるし、ここの景色やにおいを覚えられる。お気に入りの何かだってたくさん見つかる。思い出だって、これから母様や父様、先生やリリシア、それに友達と共有していけます。私は、変わらず私として、けれど新しい私を生きているんです」
「新しい、自分?」
小さく首を傾げたノイマンにシアは頷くと、「だってそうじゃないですか」と手を広げた。まるで太陽の光をいっぱいに浴びようとする花のように。笑い、手を広げ、そうしてノイマンの目をまっすぐに見つめる。
「私はここで生きているんです。あそこじゃない。ここで、今!」
シアの笑みは、どこまでも今が幸福だと伝えるように、朗らかで、柔らかく、あたたかなものだった。
読んでいただきありがとうございます。




