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新たな旅路の祝福を  作者: 稀一
一章
49/54

03

 思わず目を見開いてしまった。見上げた先で母様は困ったように笑って視線を外す。私の頭を撫でると「ちょっと待っててね」と席を立ち、少し離れたところから巻物のようなものを持ってきた。古いものなのか片面だけが日焼けして他の紙より黄色い。


 突然の話に驚いてしまったが、いまいち意味がわかっていない。言葉通りの意味なのだろうか。まさかそんなことがあるとは。


「これはシルラグルの家系図。みるとね、面白いわよ。他とはちょっと違うんだから」


 おちゃめに笑いながら座ると手に持つ巻物、家系図を机に置き開いた。

 解かれた紐をそのままにくるりと開かれ、一人の名前が見えた。カトリフィ。横に名前がないことから結婚はしなかったのか、それとも過去の書類から名前を見つけて後から書かれたものなのか。下にまっすぐ線が引かれ、キーリンディと続いている。どんどん伸ばされていく紙にしかしその後もまっすぐに線が書かれ、四人目。やっと旦那様の名前が出てきて横に線が引かれた。その間からTのように下に引かれた線は一本。それをまた二度繰り返し、ようやっと母様の名前が出てきた。父様の名前を繋がれた線からはまた一本だけ線がのび、私の名前が書かれている。


「横にね、拡がらないのよ」


 まるで駄洒落でも聞いたかのように可笑しそうな笑みを浮かべる母様を見て、何が面白いのかはさっぱり理解ができなかった。だけどこの家系図が特殊であることはわかる。旦那様の方は旦那様の方で家系図が拡がっているのだろうけど、これはあくまでもシルラグルのものだ。只管下にしか伸びていない。


「不思議でしょう? 何故かはわかっていないの。わかるものでもないのでしょうけど。でもそういう家なのよ、シルラグルは。父方の親戚ならいるわ、当然ね。でもシルラグルの親族は存在しない」


 家系図というものがどれくらいの代書かれるものなのかはわからないが、たった数代しか書かれていないそれを指でなぞると、母様はまた私の頭に手を乗せた。温かい手がゆっくり頭を撫ぜていく。心地よくて目を細めると小さく笑って家系図を閉じた。

 私の兄弟はきっとうまれないと言ったけど、母様のなかではすでに当然そうであることだったのかもしれない。


「シルラグルの領主は代々女性なのだけど、その理由はこれしかないわ。よそではいろいろ言われているみたいだけど気にしたって仕方のないことだし。それにね、ライベル様を覚えている?」


 聞かれ突然出てきた名前に驚きつつ頷く。

 しっかり覚えている。少ししかお話はしていないが、物腰柔らかで優しそうな人だった。あの日の記憶はほぼほぼシオル様で埋め尽くされているが、忘れてはいない。


「あの方みたいにね、あの方のお父様が私のおじさまになってくださったわ。代々ユーオリアが、まるで親戚のように接してくれる。もちろん本当の親戚ではないけれど、それでも、あなたもきっと」


 そっと頭を抱き寄せられ、耳の後ろを指が撫でる。優しい声が、


「きっと、寂しくなんてないはずよ」


 寂しげに聞こえたのは、私の気のせいだったのだろうか。






 あれから三日。母様はこれから少しずつ私にシルラグルのことを教えていくつもりらしい。時間を見つけてはお話をしてくれるようになった。忙しいのにそんなことまでさせてもうしわけないという気持ちと、何より、私が領主にならなければならないのだという事実が未だに呑み込めない。

 下が生まれなければいつかは継がなければならないのだと思ってはいた。思ってはいたけど、下は生まれないし、私以外に継ぐ人間がいないのだと言われると気概を持たねばと思ったりもする。


 私は責任を持って生きたことがない。

 なにかを背負うことも、なにかを守ることも、ましてや後を継ぐなんてこともしたことがない。出来るだろうか、私に。この領を愛し、守ることが。

 考えたところでわからなかった。私はまだこの領を知らない。この世界を知らない。今わからなくてもいいのかもしれなかった。いつかはしなければならないのだとしても、そのいつかまでにわかればいい。今わからないことを悩むなんてきっと時間の無駄なのだ。


 と、いうわけで、ちいさなことからコツコツと。


「やっと来た」


 言われた通り汚れてもいい服、父様との訓練の時来ているものを着て長い髪を結び、やって来たとある家。ノックをする前にドアを開け出迎えたトフィーは、変わらず気の抜けた顔をどこか疲れた風にして溜息をついた。


「こ、こんにちは」


 なぜそんな出迎えの言葉なのかと思いつつ挨拶をすれば、茶色いオーバーオールのようなものを着たトフィーが「こんにちは。入って」となおざりに言うなり中に入っていってしまった。いいのかな、とアストラを見下ろせば、アストラはぴょんと器用に壁を利用し私の頭の上に乗っかる。おも、くはない。なんとアストラ、実はほぼ重みを感じない軽さなのである。足音がしないのは猫だから、ということではなかったようだ。


「入れというんだから、入っていいんじゃないのか?」


 どうでもよさそうに言って尻尾で首を叩いてきた。それにむっとしてデコピンを返し、ふんと鼻をならしてから恐る恐る閉じられてしまったドアを開ける。


「お邪魔します……」


 中を覗きこめば、以前お菓子を頂いたダイニングらしいテーブルにトフィーは座っていた。指がトントンとテーブルを叩いており、視線は階段に向けられている。アングレアさんはいないようだ。


 そうそう、知らなかったが、このお宅はアングレアさんのお家である。アングレアさんのところの兄妹、というからてっきりあのお母さんの名前かと思っていた。母様に聞いてみたら「自己紹介もしていなかったの?」と少し笑われてしまった。恥ずかしい。した記憶はあったんだけどなあ。


「アンナ、まだ? もう来ちゃったよ」

「うそ! ちょっとまって!」


 階段に向けて言われた言葉に目を丸くすると、二階からアンナの声が聞こえた。それに一度目を向け、けれどまたトフィーを見る。


「なに?」


 目も向けず聞いてくるトフィーに「いいえ」と首を振った。そこでドアを開けたままだったことに気付いて、体を滑り込ませ閉める。中に進めば、トフィーは一瞥するだけでほかに反応はしなかった。

 前回来たとき雨が降ることを忠告したように、まるで私が来ることがわかっていたかのようだ。ドアをノックする前に開けたあたりも、不思議でならない。もう来ちゃったよ、ということは、あのドアを開けるもっと前からわかっていたんだろう。アンナも知っていた。それはトフィーに聞いたから?


 じっと見ていると頬杖をついた顔がこちらに向く。向けられた目がすぐに逸らされ、短い溜息をついた。


「今日は来ないのか今日は来ないのかって、毎日聞いてくるんだ。次は約束してってやってよ」


 突然の言葉に目を丸くすると、トントントンと、軽い足音が階段を下りてきた。ひょっこりと顔を覗かせたのはトフィーと同じく茶色のオーバーオールを着たアンナだ。肩までの短い髪を三つ編みにして、花の飾りで留めてある。


「お、おまたせしました。……あっ、こっこんにちは」


 階段を下りきると肩を縮こませ会釈した。それに「こんにちは」と返すと控え目に、可愛らしい笑顔が浮かぶ。照れたように首を竦ませ視線を外したアンナはすぐにハッとすると、自身の右手にあるものを見て駆け寄ってきた。そう遠いわけでもないが、小さな歩幅で駆けてくる様は愛くるしい。


 なんというか、ちくいち可愛い子だ。そう思ってから、そう言えば母様も仕草が可愛らしかったなと思う。この世界の女の人はそうなのだろうかと思うけど、シオル様のところのメイドさんはにこりともしなかったなと思い出して内心首を傾げる。人によるのだろう。世界とか、そういうことも関係なしに。


「あ、あの、いやじゃなかったら、こっこれ、これを」


 アンナが勢いよく上体を倒し腕を伸ばして差し出してきたのは、二人と同じ茶色のオーバーオールだ。二人が着ているものと違って新品なのか綺麗なもので、汚れもシミも、ほつれもない。

 これを、なんだろうか、とついまじまじと見ていれば、アンナが不安そうにそっと顔を上げた。突き出された手とその顔を交互に見ていれば、トフィーが溜息をつく。


「それ着てついて来て。今日は畑に行くんだ。この街は遊ぶところもないし、外に行かないとなにもないよ」


 遊ぶところがない、のか、この街は。そう言えば上から見たとき公園のようなものは見なかった気がする。ううん? ちょっとまって?


「えっ、畑ですか?」


 今更頭に届いた言葉に目を丸くする。そうしてやっと、それを受け取った。ほっと息を吐くアンナに察しが悪くて申し訳ない気持ちになりながら、手に持ったそれを広げて掲げる。アストラは私の頭の上からぴょんと跳び下りると床を滑るように歩き、トフィーの足元へ行った。トフィーがそんなアストラに手を伸ばしながら、目を向けてくる。


 遊ぶから、ではなく、畑に行くから汚れてもいい服だったのか。今更理解したそれになんとも微妙な気持ちになる。遊ぶ場所がないのはあまりにも予想外だ。畑がいやなわけではないのだけど、そうするとこの街の子供たちはなにをして過ごしているんだろう。初めてあった日にやったボードゲームとか、そういうことだけなのだろうか。


「着方はわかる?」

「あ、はい、大丈夫です」


 頷いて肩ひもを止めているボタンをはずす。バックル、はまだ存在しないのかもしれないなと思いながら両肩を開放し、足を突っ込んだ。トフィーとアンナが何故か驚いているが、それになんだろうと首を傾げつつ一気に持ち上げる。後ろに手を伸ばすが、困った。内側に折り込んでしまったようで、届かない。

 持ち上げたオーバーオールを押さえる手を離すと落ちるわけで、まだまだ短い腕を後ろに回しきることも、なかなかに難しい。はてどうしようか、と考え出す前に、アンナが慌てた様子で後ろに回った。


「は、はい、これ」


 後ろにいるため見えないが、伸ばした手に布が触れた。アンナが拾ってくれたのだろう。


「ありがとうござ……えっと、ありがとう」


 今更口調もなんとかしろと言われたのを思い出した。掴んで前に引っ張りながら言いなおせば、見えないはずのアンナが驚いているのがなんとなくわかった。アンナとトフィーの驚きポイントがいまいちわからないのだけど、私だけだろうか。


「アングレアさんの畑では何を作っているの?」

「そんなに広くはないんだ。トトスとリッコラ、あとモッス」


 も、もっす? 不思議な名前を聞いた。この世界の食べ物は向こうと似たものも名前が違うから、私に搭載されている自動翻訳は名詞はきちんとそのまま伝えてくるらしい。しかしリッコラってどこかで聞いた名前。

 ボタンを止めて落ちないことを確認し手を離す。トフィーはだるそうに椅子から下りるとアストラを抱き上げ歩き出した。アストラが驚いて目をまん丸くしている。人の姿の時は表情なんててんでかわらないのに、猫になると感情豊かだ。


「行こう。母さんたちはもう畑にいるから」


 いいながらドアに向かっていくトフィーの後を、アンナと共に慌てて追いかける。三つ編みにされた金髪のように明るい茶色の髪がひょこひょこと揺れるのを見ながら家を出れば、そのまま街の外まで向かうようだった。


「ちょっと歩くけど、我慢して」


 振り向きもせずそういうトフィーに思わずアンナの顔を見れば、私の視線に気づいて一度照れたように笑った後、「ちょっとだけだよ」と視線をあちこちに逃がしながら言った。アストラがトフィーの脇に抱えられ手足をばたつかせている。助けを求められるほどではないようだから、問題はないだろう。


 街から離れてしばらく歩く。ふと振り向けば、なんだか不思議な光景だった。柵もなにもないのに、突然ぽっかりと街が現れるのだ。辺りの草原になじまない、融け込まない不可思議なものだった。


「ど、どうかした?」


 少し先でアンナが振り向いた。トフィーもアンナの声で振り向いて、立ち止っていた私を見て首を傾げる。なんでもないと首を振り追い付けば、アンナも目をぱちくりとさせて私を見た。


「徒歩で街から離れるの、初めてだったから」


 街から離れること自体、これで二度目なのだけど。領の外に出たことなんて一度しかないほどなのだから、傍から見れば文字通り箱入り娘だ。


「ああ、邸から出てこなかったから」


 ぽつりと溢されたトフィーの言葉に、思わず苦笑する。引きこもり領主令嬢。これは新しいなにかだろうか。明らかに世間体はよろしくない。

 軽くアンナに背中を叩かれたトフィーは一度視線を外し、首を傾げるようにして私を見るとなにも言わず前を向き歩き出した。アストラは動きを止め、こちらを振り向いている。


「大丈夫」


 声には出さず、口だけを動かした。アストラはそれを見てふんと鼻を鳴らすように頭を動かし、一度しっぽをぱたりと動かした。

 問題はない。それは事実だし、ここで言い訳をしたところで理解してもらえるものでもないだろう。邸から出なかった五年間私はずっと寝ていたんです、だなんて。


 ああそういえば、家族はどう思っているのか、聞いたことはなかった。

読んでくださりありがとうございます。

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