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「何、簡単なことです。お嬢様の魔力量はまだ調べられていないそうで。事情もお聞きしました。いろいろと案は出ていますし、これらでほぼ確実に魔力を掴めるとは思います。が、それよりも、うちの方で新しく出来たものがありましてね、これならまだつかめていなくても、魔力量自体は測ることができると思うんですよ」
言いながら先ほど俺に渡したものと同じ紙を見せる。やはりどう見てもただの白紙だ。思わず眉を寄せながら見ていると、「まずは測ってみましょう」と杖を振った。途端足もとに現れた魔法陣に眼を見開けば、奴は口端を上げこちらを見ていた。
ずっと屈んでたのはこれ書いてたのか! 悪戯成功みたいな顔してんじゃねえ!
(お前とロキシー、本当にそっくりだ!)
一瞬の閃光に目を瞑れば、突然の浮遊感に襲われた。慌てて眼を開ければ目の前には床が見え、転移先を空中にされたことを悟る。硬い石の床に無様に落ちれば、いくら短い距離だろうと痛いものは痛い。以前にも感じた痛みが怒りに変換されるような感覚を覚えながら、頭に血が上りそうになるのを堪える。今怒鳴り散らしたところで何の意味もない。
「せっ、先生!」
焦ったような声で呼ばれ視線を向ければ、お嬢様が駆け寄り傍にしゃがみ込む。手を伸ばしてくれているあたり助け起こそうとしてくれているんだろうが、いかんせんこの身長差だ。無理があるだろう。むしろお嬢様の細い腕が折れてしまいそうだ。
ギロリと氷の向こう、笑いながらこちらを見ている奴を睨みつける。
「大丈夫です」
支えて来ようとする手をやんわり掴み制し、すぐに離して立ち上がる。一瞬寒気がして見ればファデル様に睨まれていた。たまにあの目を向けられるんだが、俺はなにかしただろうか。お嬢様に視線を戻せば表情こそ変わらないものの、落ち込んだような雰囲気に思わず苦笑して本当に大丈夫だと伝えながら頭を撫でる。ファデル様の視線がさらに痛くなったが気にしないことにした。
心配してくれたのか駆け寄ってくれたことに、ロキシーとは大違いだ、と心が温かくなる。しゃがみ込んで目線を合わせれば、顔を逸らす。ほんのり頬が色づいてるのを見れば照れていることはよくわかった。今朝見たばかりの可愛らしい反応についつい頬が緩む。
『おーい、なごやかな雰囲気作ってる場合じゃないだろうが。さっさとそれ使ってくれえ』
穏やかな気持ちをぶち壊す、先ほどまで傍にあった声が氷の向こうから聞こえた。思わず睨みつける。
「お前、使い方も知らせないで何言ってんだ。しまいにゃ破るぞ」
苛立ちを隠さず先ほどの紙を取り出すと、「困るのはお前だ」と力を抜きぐらついたように首を傾げ笑う。そうだな、と舌打ちをこらえれば、急かすように声が続く。
『その紙に手の平乗っけて、測定開始って言ってみろ。あ、まずはお前がな』
怪しさ満点の紙を見つめ、渋々手を当てる。言われた通り呟けば、手を当てた部分からぶわりと黄色が広がった。咄嗟に手を離しそうになるが、そこに浮かんだ文字に掴み直す。ロキシーが隣に来ると同時にお嬢様も気になったのか反対隣りまで移動してきて、そこに浮かんだ文字、いや、数字を読み上げた。
「八千、七百九十二?」
きょとん、と首を傾げたお嬢様の声に、俺も首を傾げそうになる。なんだこの数字は。それに、この紙の色は? 説明しろ、とまた氷の方を見れば、あーあやってらんねぇ、という声が聞こえそうな動作で肩をすくませていた。
『相変わらずとんでもねーな。俺がやった時は四千五百六十一だった』
その言葉に薄々感づいてきたものの睨みつければ、「そう怒るなよ」と眉を動かした。
『魔力値だ。魔石なんかに頼らなくても、確かな細かい数字が分かる測定紙だよ。うちの魔術師長が神経質でな、自分の魔力量を正確に知りたくて、十五年かけて作った。ついでにそいつの魔力の色もつくからいいだろ、それ。まあ、まだ試作段階だけどな』
思わず、手に持った紙を見つめた。穴があくほど全員がそれを見つめてしまうのも無理はない。
お前それは……。
「魔石、要らないですね」
(魔石、いらねーじゃねえか)
心の中で呟くと同時に聞こえたお嬢様の声に、全員が実際、ないし心の中で頷くのが手に取るように分かった。
『ははっ、お嬢様わかってるじゃないですか。俺もそう思いました。ま、まだ表には出てない品ですからね。遅ればせながらお嬢様の誕生日プレゼントってことで、どうぞ』
楽しそうに笑いながらいうリーレンに、自分が答えを知りたいだけのくせに、と呆れてしまう。お嬢様は戸惑うように紙とリーレンを交互に見ており、あんなやつ見るんじゃありませんと視界を遮りたくなった。悪影響だあんなの。
「それ、ちょっと貸してくださる?」
じっと紙を見つめていたかと思うと穏やかな表情と声でエーデリア様が手を伸ばし、それに大人しく従い渡す。「測定開始」とこれまた穏やかな声で唱えると、その紙が青く染まっていった。なるほど、エーデリア様は水特化なのか。
「……あら、あら」
ふふふ、と笑って頷きながら紙を見ているが、一体どんな数字が浮かんだんだろうか。少し恐ろしく感じながら見ていると、お嬢様も見つめていたらしく、「気になる?」と悪戯に微笑んだ。僅かにお嬢様に向けて傾けられた紙が見えてしまい、その数字に肩の力が抜けた。六千五百八十九。女王というからどれだけ魔力量が多いのかと思えば。
お嬢様は慌てたように首を横に振り、エーデリア様はそれにくすりと笑むとリリシアさんを呼んだ。まさかまたリリシアさんで比べるのか。ふん。自分がやったことだが、他の人もやっている事実になんだか哀れになってしまう。
「測定開始、といえばよろしいので?」
紙を受け取るとまじまじと見つめながら聞き、リーレンが「はい」と頷けばあっさり唱えた。エーデリア様とは違う青に染まったそれに、リリシアさんも水特化なのかと驚く。少し期待したような表情だったリリシアさんは、浮かんだ数字を見るとあからさまにガッカリした様子で全員に見えるよう構えた。
九百八十九。今まで出ている数字が数字だ。あんまりな結果だった。
「旦那様やトアレ様もいかがですか?」
にっこりと笑うと紙をそちらに差し出すリリシアさんに、二人は顔を引きつらせながら遠慮していた。恐らく自分より下を探したいのであろうリリシアさんに思わず苦笑してしまう。
「そうですか、残念です。ではシア様、どうぞ」
肩を落とすと気を取り直したように微笑を浮かべ、お嬢様に渡す。心無しわくわくしたような様子に微笑ましくなるも、結果を思うと笑顔は浮べられない。目を向ければ、奴も真剣な表情をして見つめている。半ば確信しているのだ、俺も、リーレンも。
おずおずと紙を受け取り、恥ずかしそうに「測定開始」とお嬢様が唱える。が、紙の色は変わらなかった。覗きこむと、文字も浮かんでいないようで眉を寄せる。
「リーレン?」
どういうことだと見れば、奴も顔を顰めていた。予想していなかったのだろう。
『さてどういうことか。あー。初窓は確かに迎えたんですよね?』
改めて聞かれた言葉にエーデリア様たちを見れば、「お医者様はそうおっしゃいました」とリリシアさんが答える。エーデリア様もしっかり頷いたのを見て、またリーレンを見た。
『おっかしいなぁ。初窓さえ迎えていれば反応するはずなんだよ』
はてさて、と首を傾げるとお嬢様を見て、俺もついお嬢様を見る。全員に見られると居心地が悪そうに視線を迷わせ、突如走りだすとテーブルを回りファデル様に差し出した。逃げたな、と目を細めれば、こちらに気づいたお嬢様は顔を逸らす。まあ、仕方ないか。
家族でワイワイとやっている様子を横目に見、氷に近づいた。ロキシーも付いてきたがまあ構わない。
「どう思う」
ファデル様が目元を覆いリリシアさんが喜び、エーデリア様が穏やかに笑う様を見ながらリーレンに話しかける。「さてなぁ」と返ってきた言葉に睨みつければ、「待て待て」と顔を顰められた。
『俺にだってわからん。初窓がほんとはまだ来てなかったって説だったら、嬉しくはないが納得できたんだけどなあ』
頭をらしくなく乱暴に掻くと、「もう一度やってもらうか」と顔を上げる。
「お嬢様、もう一度試してみましょう」
ご機嫌なリリシアさんを見る限りファデル様の方が低かったんだな、と思いつつ声をかければ、ファデル様から紙を受け取りこちらまでやってきた。緊張した面持ちでいるのに苦笑する。
『じゃあお嬢様、もう一回』
リーレンの言葉に素直に従い、紙に手を当て唱えた。すると今度は反応を見せたが。
『ちょっと待った、待った!』
リーレンが珍しく焦ったように言うも、紙に起こっている現象は止まらない。俺も呆然とその様子を見つめることしかできなかった。
紙はお嬢様の手が当たる中心から、徐々に徐々に消えて行っていた。
「えっ、あの、これ、あのっ、えっ」
ぽかんとしていたお嬢様も慌てて手をどけるが、止まることはない。全員が呆然とし見つめるほかなかった。リーレンはこの世の終わりのような顔をして項垂れている。上司のものだ。何枚あるのかは知らないが、試しに使ってみたら消えてしまっただなんて信じてもらえるかどうか。
「あっ」
完全に姿が見えなくなってしまった紙に沈黙が降りると、お嬢様が声を上げた。それに見れば、もう意味が分からない。何が起こっているのかさっぱり理解できない。
「浮かびました」
透明な空間に、数字だけが浮かんでいた。
『はー? もう意味わかんねぇよー』
言いながらほっとした様子のリーレンに、お前も上下関係とか気にする人間だったんだな、となんだか安心してしまった。それどころじゃないんだが。
紙を確認するようにそこを触るお嬢様を見て安心して、数字を見るのを忘れてしまっていた。慌てて眼を向ければ、そこに浮かんだであろう数字を見たお嬢様は気まずそうに背後に隠す。それに何事かと目を丸くすれば、ちらりと視線をこちらに向けてきた。思わず首を傾げると、視線を下げる。
「先生より、多いです」
拗ねたようにいう言葉に思わずリーレンを見れば、奴は顔を顰めた。当たってほしくはない仮定が当たってしまったらしい。俺とリーレンの間に走った緊張を見て、エーデリア様もわけに気付いたのだろう、目を見張った。その可能性を考えていなかったのか。それもそうか。
「すごいですね。いくつでしたか?」
できるだけ自然に笑いながら問いかければ、視線を迷わせながらおずおずと差し出してくる。受け取ると、確かに透明ではあるが紙の感触があった。それにもどういうことだと顔を顰めそうになりながら数字を見て、
「リーレン」
思わず奴の名を呼ぶ。「見せろ」という奴に躊躇いもせず見せれば、目を丸くして固まってしまった。
あまりにも、予想外だった。俺もリーレンもそうであって欲しくないだの、仮定だのと言いつつ、半ば確信していたのだ。そうであろうと。
「九千百四十三」
だが、違った。確かに多い方だが、何も人外というような数字では決してない。俺より少し多い程度。完全に当てが外れ、拍子抜けしてしまう。しかしこの数字なら魔物は寄ってくる。俺のときでさえ割と強力な魔物が結構な数寄ってきた。エーデリア様に目配せすると、しっかり頷かれた。これで陛下に報告なんてせずに対策は取ってもらえるだろう。お嬢様に向かっているだけで他の領には起こっていないはずだ。
すぐに頭を切り替え、この透明になってしまったのはなんなんだと顔を顰めた。
「ごめんなさい」
申し訳なさそうに視線を下げるお嬢様に「大丈夫ですよ」と言えば、疑わしそうに見上げられた。お嬢様は俺をなんだと思っているんだろうか。自分より魔力量が多いだけで怒る様な人間だとでも。
『いやいや、優秀な数字だ。なにも気に病むことじゃない。そっちより、何で透明になったかだな。確かに紙はそこにあるんだな?』
言われ頷きながら唱えれば最初と同じように黄色に染まった。あるだろう、と見せれば、心底ほっとしたように息を吐く。お前の上司はもしかしてそんなに恐ろしい人物なのか。
『しかし変だな。無属性か?』
もう一度やってみようというのでお嬢様に渡せば、恐る恐るまた唱えた。そうして間違いなく姿を消した紙に、リーレンが溜息を吐く。
『そういや無属性は試してなかったなぁ』
その言い分だと、他の全ての属性は試したのだろう。お嬢様にローブを引っ張られ視線を向ければ、「無属性ってなんですか」と聞かれた。以前属性の話をしたとき、無属性は抜かしたのだったか。
「無属性とは、どの属性にも特化していない魔力のことを言います。稀にいるんです。どの属性も同じように使えますが、どれも得意といえるほどにはなれない。魔術師にはなかなか、向いていない属性になります」
言えば、お嬢様はショックを受けたように己の両手を見つめた。確かに、数日とは言え魔術が使いたくてやってきたのだ。魔術師に向いていないなどと言われれば、ショックも受けるだろう。
「私は無属性ですので、試してみましょうか」
突如上がった声に目を向ければ、トアレさん――と呼ばれていたはず――が立ちあがった。武装したまま近づかれると魔術師としては危機感を覚える。そこで気がついた。
「リーレン! 俺のメモと杖を返せ!」
はっとして氷に向けば、奴も今気づいたのか「あ」、と声を洩らし振り返る。「悪いな」と全く思っていなさそうな謝罪とともに魔法陣を描いている奴を見て怒りも湧くが、それよりも呆れが勝ってしまう。奴に関しては諦めた方が吉だ。
『送るぞ』
だるそうに杖を振った奴に溜息をつき、手元に現れた魔法陣に安堵した。杖を握り、メモをしまう。気付けば集まっていた視線に慌てて「お気になさらず」といえば、トアレさんがお嬢様から紙を受け取った。特に構えることもなくそのまま唱えるが、紙に起こった変化はまた違うものだった。いや、同じものだったというべきか。
「色が、つきましたね」
リリシアさんが不可解そうに言いながら近づき、覗き見て少し嬉しそうな顔をした。また彼女より低かったようだ。だが問題はそこじゃない。色がついたのだ。それも灰色が。
トアレさんから受け取り見れば、文字が白で浮かんでいる。リーレンにも見せれば、はーん、と頷いた。
『無属性は一見、魔力が白に見えるからな。光と間違われることが多いんだ。紙が灰色に染まっただけなら闇と光に特化しているってだけだが、文字が白で浮けばそれは違う。闇のやつが試したんだが、真黒に染まっても数字のふちが白になるだけで、数字自体は白にならなかった』
「つまり、無属性は灰色に白字ってことか」
頷くリーレンを見て額に手を当てた。深く溜息をつき「じゃあ透明はなんなんだ」と聞けば、「わからん」としか返ってこなかった。
「お嬢様、もう一度やってみましょう」
また紙を渡せば、お嬢様も疲れたのか、飽きたのか、それとも怖くなってきたのか、躊躇いながら受け取った。
また唱えるも、お嬢様がやると透明になる。それをまじまじと見て、ふと違和感に気づいた。
「……数字が変わってる」
見直すと、確かに変わっている。リーレンに見せ、彼の記憶の数字とも違うことを確認した。八千九百二十九。試作だと言っていたし、もしややるたびに変わるのかと思い俺も試してみたが変わらない。お嬢様がもう一度やるとまた変わった。今度は九千四百二十五。
『お手上げだ!』
誰もかれもが、そういう他なかった。
読んでくださりありがとうございました。