09
「初窓が起こる時高熱が出るのは、魔術式が魔力というエネルギーにギリギリで耐えているからだって説もある。本当の原理は分かってないが、俺は確かにそうなんじゃないかって思ってるよ。魔術式が変化していく年齢にも当てはまるだろ。二歳と五歳だ。生まれた時に備えられている魔術式が、二歳になって変化する。魔力をより早く、より多く流せるようになるのは二歳になってからだ。そして五歳。自身の魔術特性に特化したものになったりと、さらに変化、いわば、強化されていくんだ」
(――待て)
待て。待て! ということは、二歳で強化されても尚、魔術式が耐えられないほどの魔力だとでもいうのか! 五歳になり、最終強化を終えて、やっと耐えられるほどの魔力だとでも!
「馬鹿な」
気が付けば、震える声で否定していた。
そんなことがあるはずはない。それでは、まるで絵本に出てくる魔王のようじゃないか。お嬢様自身が、キシオンだとでもいうかのようじゃないか。
「確かに荒唐無稽な話に聞こえるが、否定する材料もないだろ。肯定する材料がなくて、否定する材料もなければ、仮説を立てて行くしかない。考えてもみろ、そこに書いてあることを鵜呑みにすれば、二歳になった時魔術式が耐えられる魔力量は通常の多い奴の二、三倍。それが次の強化の五歳まで耐えられないつーことは、まあそのまま考えればそれの二、三倍だ。だが五歳で魔術式の強化は最終段階。そう考えると、もっと高くてもおかしくないとは思わないか? 大の大人と同じになってから、やっと耐えられる魔力量って考えてみろ」
「そんな馬鹿な!!」
思わず本を閉じ勢いに任せ机に叩きつけた。リーレンは目を丸くするとすぐに細め、頬杖をついていた腕を下げ、こちらを見据える。
「教え子が化け物なのは嫌か」
言われた言葉に頭の奥で何かが弾けそうになる。掴みかかりそうになった己を深呼吸して堪えれば、感心したような眼を向けられた。腹立たしい。
「なに、魔力量がただ多いだけだ。お前と一緒だろ。ただお前よりちょっと多いってだけだ。なにも悪いことなんかない。むしろいいことだ。凄いことだ。魔王になろうってんじゃないんだ、悲観するなよ」
にやりと笑って言われた言葉に、一気に頭が冷える。そうだ、高がそれだけのことだ。魔力量が多いだけ。その問題は。
「他は、どうなる。もしそれだけ魔力量が多いなら、魔物の大軍が押し寄せてもおかしくないだろう。格好の餌だ。だがそんなことは起こっていない。生まれた時にすでに襲われててもおかしくないはずだ。それに五歳までのことは? 言葉を誰も教えていないのに理解していることは? 他にも説明できないことがありすぎるんだ」
冷えた頭で冷静になれば、何もそれだけが問題じゃないことは分かる。むしろお嬢様は問題しかない。不可解なことしかない。
まるで古代に消えた大量の魔術のように。
何故消えたのかが分かっていない、いくつ消えたのかもわかっていない、どんなものがあったのかも。すべて文献に残っていることしかわからないような、そんな古代のもののようじゃないか。
またも増えた荒唐無稽な仮説に、妖精説より酷いぞ、と項垂れる。額を抑え溜息をつけば、リーレンも悩んでいるようで黙り込んでいた。
「駄目だ、話が二転三転し過ぎている。最初の話題に戻ろう。何も今日すべてが解決できるとは思っていないんだ」
大きく溜息をつき思考を切り替えれば、呆れたような眼を向けられた。何だその目は。
「俺、言わなかったっけか。ばーかあーほまぬけーって」
「なんっ、おっまえは!」
やれやれ、とでも言いたげに肩を竦めながら言われ、反射的に胸倉を掴む。喧嘩でも売ってるのか、と睨みつければ、短い溜息。
「だからいってんだろ、冷静に考えてみろよ。答えなんか簡単じゃないか。魔虜もってけ魔虜。魔力が吸い取られるとき、なんにも感じないわけないだろ。それ以外にだって強制的に魔力を使わせる道具はいっぱいあんだ」
「ちょっと考えりゃわかんだろーが」と軽く頭を殴られ、はっとしてしまった。こいつにはっとさせられたことが腹立たしく胸倉は離さないまま顔を顰める。「わかったようでなにより」と手を叩かれ、仕方なく放そうとしたその時、二度戸が叩かれた。
「何のようだ」
「午後の会議が二時間ほど遅れるとのことです。なんでもオルド元帥の下に――」
途端に声だけが厳しくなり扉の向こうへ掛けられた。厳格な雰囲気の声がこのだらけきった体から出ているのかと思うと不思議で仕方がない。仕事モードになればこの体もきっちりとしだすのだから、不可解だ。
……ふん、そうか、何も不可解な人間はお嬢様だけじゃない。多かれ少なかれ、度合いが高かろうと少なかろうと、不可解なことはあるものだ。
現実逃避染みた思考で少しだけ落ち着いてしまった自身にさらに顔を顰めつつ、振り払うように掴んでいた胸倉を離しドアのほうから離れる。部外者である俺が聞いていい話ではなかった。耳を塞ぎ待っていると、リーレンの口が動くのをやめた。話が終わったのかと手を退かせば、去っていく足音が聞こえる。
「考えても要素が足りないことは、仮説しかたてられないだろ。いい仮説だって悪い仮説だって立てられるんだ。それなら逆に、材料が一つでも出てきてから考えればいい。それでも足りなかったらもっと材料が出てくるまで考えないのが、精神衛生上一番だ。空回りしてるだけだったら馬鹿見るだけだからなぁ」
言いながらこちらを向いて、心底呆れたように顔を歪め脱力する。突然のことになんだ、と驚けば、溜息を吐かれた。お前は本当に俺を馬鹿にするのが好きだな。
「お前は昔っからそうだよな。無駄なことばっか考えて、空回りして、結局答えなんて出ないまま時間だけ無駄にしてくんだ。今みたいにさ、わかったことだけとりあえずメモして行けよ。そんで、後で見返したらなんだこんな単純なことだったのかって、自分でも呆れられんだろ」
机を漁り始めたリーレンの言葉に思わず呆けてしまう。まさか、ここまで自分を見られていたとは思いもしなかった。昔なんて今ほどにも交流がなかったはずだというのに。
「それにな、さっきの魔力量が多いってのだって仮説に過ぎないんだ。結局まだなにもわかっていないままってことだな。単に魔力量が多いだけなら、お前が言ったとおり魔物が寄ってくるはずだ。初窓を迎えていようがなかろうが魔物ってのは何故か魔力量が多い子供を好む。逆に、本当に魔力量が多いのならなぜ魔物が寄ってきていないのかって話になる。つまりは、それがどっちなのかが分かるまでこの仮説の先は立てられないってわけだ」
一度口を閉じると、探していたものを見つけたのかなにかの紙を突き出してきた。なんだそれは、と顔を顰めると、「そんなあなたにぴったりな品ー」と何故かダミ声で言った。なんの真似だそれは。思わずさらに顔を顰めてしまうが、奴は気にしていないようだった。
「ま、冗談はさて置き、これがあれば仮説の続きを立てられるって代物だ」
また口端を吊り上げ笑うと押しつけて来て、とりあえず受け取る。まじまじと見るも、ただの白い紙に見えた。
「これが一体、何の、っ!?」
役に立つんだ、と悪態を吐こうとして、背後に感じた魔術の気配に反射的に振り向いた。
視界の端でリーレンも表情を引き締めたのを捕えながら、目の前の現象に驚き眼を丸くする。突然空間に氷の粒が現れたかと思えば、水面に氷が張るように徐々に徐々に大きくなっていった。思わず一歩下がれば、最後にキンッ、と小さく、それなのにやけに耳に残る鋭い音を立て一気に大きくなる。咄嗟に机に立てかけていた杖を握ろうと視線を外さないまままた一歩下がれば、
(なっ、ん――!?)
『先生!』
お嬢様が現れた。
杖に伸ばしていた手が驚きとともに止まり、目を見開いてその氷を見つめる。確かにそこにはお嬢様が映っており、しっかりと動いていた。驚きのまま困惑していると端から茶色い頭が覗き、視線を移せば悪戯が成功したような性格の悪い笑みを浮かべたロキシーがこちらを見る。薄い紅色の眼がやけに愉快そうに細まっているのを見て、溜息を吐いた。もちろん、妖精魔術の未知さにではなくロキシーの性格にだ。お前、こんなことが出来たのか。
『突然ごめんなさい。用事のお邪魔にはなっていませんか?』
肩を小さく竦ませ申し訳なさそうに言ってくる姿に今の溜息を勘違いさせてしまっただろうかと内心ばつの悪さに顔を顰め、表面上は安心させるよう笑った。
「どうしました? なにか緊急でお話でも?」
後ろから「お前気持ち悪いな」と呟きながら氷を覗いて来ようとする奴の頭を、お嬢様から見えないよう殴りつける。小さな悲鳴は気にしない。情操教育によろしくない奴だ、こいつは。俺がいいのかと聞かれると答えに困るが。
『実は、……』
お嬢様は口を開くと躊躇うように視線を下げ、噤んだ。一体どうしたのかと呼べば、すぐに顔を上げ横にずれた。
『エーデリア様に変わりますね』
その言葉にやっとお嬢様の後ろに目をやれば、なるほど、そこにはファデル様、エーデリア様、リリシアさんとさらに知らない顔だが騎士のような男もいた。ふん。これは個人的な話ではないなと表情を引き締めれば、エーデリア様が氷の前に出てくる。
『本来の業務とはかけ離れたことになりますが、お願いしたいことがあります』
いつも聞くより硬い声に、僅かに顔を顰めながら姿勢を正す。初代女王と聞いてしまえば、穏やかなエーデリア様が素だとは到底思えない。こちらの方があっているような気もしてくる。しかし、やはりどう見ても三十超えには見えな……やめよう。
後ろをちょろちょろする奴にも気を配りながら、話を促した。
『王都にはつきましたか?』
突然の質問に驚きながらも「ええ」と頷いた。
「もう昼前には王都に着き、今は知り合いのところに来ています」
「友達って言えねーのかよ。つーか相手じょっおっ」
余計なことを言おうとした奴の後頭部を叩き、何の話をしようとしているのか読めない展開に警戒する。もしや、お嬢様の前であの類の話をするわけもないとは思うが。
『無事についたようでなによりです。実は、突然で申し訳ないのですが、王城に向かってほしいのです』
ぴくりと眉が上がる。本当に突然だな、と思いながら、後ろでまた顔を出そうとしてくる奴に近場にあった真新しい本を投げつけた。古い本はもう手に入らない可能性があるし、ちょっとの衝撃で壊れてしまう可能性もある。その点、真新しい本なら手加減さえすれば投げても問題はない。ふん。固定化は便利なものだ。決して投げるための魔術ではないが。
『近頃、シルラグル領の周辺で、というより、この領を目指しているのでしょう。魔物の数も増え、強力になっていっています。今まではなかったことです。この異常を、どうか国王陛下へお伝えください』
エーデリア様は表情を硬くしそう告げると、僅かに目を伏せた。女王らしからぬ表情にその程度で何をそんなに慌てているのかと疑問が浮かんだ。彼女が本当にそうなら、その程度なんの苦でもないだろうに。それとも伝説は伝説で、誇張されていただけだったのだろうか。それに一領の問題をそのまま陛下のお耳に入れるなんてことも、考え難い。
「それだけでは、王城へは入れませんよ。難しいと思います」
「お前その口で」
良く言えるな、とでも続きそうな呆れ声にまた叩いて黙らせる。俺は言える。王城への出入りが自由なのは、俺じゃ無くこいつであり、あくまでもこいつの許しがあってここにいるのだ。俺単体で陛下に進言など、まず無理だ。
眉を寄せたエーデリア様に口元が引きつりそうになる。答え方を間違えたような気がする。
『カンデラの森級といえば、良いですか。それも、これまでの間で随分と強いものが増えてきています。数も今までは二、三匹だったのが、今では二十になります。これは明らかに異常です。すぐに国中の領に調査団を派遣すべきだと、思いますが? 被害は、もしかしたらうちだけではないかもしれない』
予想外の言葉に思わず目を細め、思案する。ここになって突然強力な魔物たちが領へ押し寄せてきた。これはもしかしたら、あるんじゃないのか、さっきの仮説が当たっているという可能性も。しかし、なぜ今更。
目配せすると、奴も頷いた。考えは同じのようだ。もうどうにでもなれ、と息を吐き、真剣な顔で見上げてくる奴を持ち上げた。なにも律儀に屈んでいなくたっていいものを。まあ無断で顔を出せば殴るが。
「聞きましたね? 異常事態です。本当にどうにかなるんでしょうね」
「お前ね、ほんと人使い粗いな。つーかまあ、エーデリア様がいれば何とかなんてなると思いますけど?」
首根っこ掴んだまま氷の前に持っていけば、扱い酷いな、とばかりに呆れた声を出された。ふん、お前相手だ、どうとでも。しかしお前、俺が言えなかったことをよくもまあ堂々と。
ふ、と小さく溜息を洩らすとダルそうに頭を掻き、突如姿勢を正す。突然のことに驚き手を離すタイミングを逃した。つい掴んだまま向こうを見ると、エーデリア様とロキシーの表情が凄いことになっていた。ロキシーはこいつのことが心底嫌いなようだからまだ分かるが、お前は一体エーデリア様に何をしたんだ。
「事態は把握しました。すぐにでも動きましょう。しかし、その前にひとつ、ある可能性を提示させて頂きたい」
間延びした声も動作もなりを潜め、人差し指を立てる。表情は見えないが、先ほどとは違って引き締まったものになっているんだろう。お嬢様の驚く顔が見えた。エーデリア様は腕を組むと目を細め、首を傾げどこか見下ろすようにリーレンを見る。邸に居たのでは決して見ることはなかったであろう仕草に、思わず顔を引きつらせた。
『なにかしら? リーレン・ブラヴァウト魔術師長補佐様』
静かにリーレンを呼んだ声に、ファデル様たちが驚きを示すのが見れた。それはそうか。知り合いだから感覚も麻痺しているが、普通に見ればとんでもない地位の人間だ。国で、魔術においては二番目を誇るというのだから。まあ、二番目、というあたり、迫力に欠けるが。お嬢様は分かっていないようで、きょろりとあたりを見渡すと、開きかけた口を噤んだ。
あとロキシー、その睨めつけ方はやめろ。
「いえね、先ほど彼から話は伺いました。お嬢様の件、五歳の誕生日を無事に迎えられたこと、お祝い申し上げます。そちらにいらっしゃるのがそうでしょうか」
「おい、何を言うつもりだ」
突然出たお嬢様という単語に反応すれば、リーレンは黙っておけというように後手をひらひら揺らす。あんまりなことを言うようだったら確実に首を絞めて黙らせる、と無言で脅しをかければ、手が止まった。
「白々しい」
嫌悪を露わにした表情で吐き捨てるように言ったエーデリア様に同意したくもなる。そもそもこいつは五歳の誕生日を無事に迎えていることなど知っているのだ。今更すぎる。
読んでいただきありがとうございました。