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そうして光が消え、お嬢様はまた自身の体を見る。腕を振ってみたり屈伸してみたりと色々して、何かの確認が終わったのかこちらに近づいてきた。
「暖かい感じはしたのです。ロキシーさんのは少しだけひんやりしたような気がして、先生のはぽかぽかしました。でもちょっと首のあたりがチリッとしました」
言いながらしきりに首を傾げ――もしかしたら自分の中の魔力を探しているのかもしれない――困ったように体を見回した。
「でも先生、自分の魔力がやっぱりわかりません」
「そうですか……」
どうしたものかな、と空を仰ぐ。魔力色ごとの特徴もつかめるほど敏感な感性を持っているのにもかかわらず、自分の魔力は感じ取れない。さて、何が原因だ。魔力がどういうものなのかは今ので覚えることができたはずだ。わからない。何が何だかさっぱりだ。自身の属性を知っておかなければならないんだろうか。だがどうやって? 魔術が使えなければ魔力色は見れない。ふん。
髪を掻き乱そうとしてお嬢様の存在を思い出し目頭を押す。乱暴な所作はまた怯えさせてしまう可能性もある。にしても、あまりにも不可解だ。
「今日は、ここまでにしましょうか。明日までになんとか考えてみます」
「ありがとうございました」
もしかしたらお嬢様の謎を解明しないとどうしようもないのかもしれない。そうなればお手上げだ。前例がない上、わかっていないことも多すぎる。もはやわかっていることが少なすぎるという方が正しいくらいには。ヒントが欲しい。
やけになってしまいそうな謎を前に、研究者として喜べなどと、自分に嘘はつけなかった。
「明日も頑張りましょう」
何もできないのではないかという不安を消すように笑って声をかければ、お嬢様は「はい」と力なく返した。そうだ、不安なのは俺よりも、お嬢様本人だろうに。いかん。こんな調子ではいつかお嬢様に気を使われる日が来そうだ。
「何か分からないことがあれば私の部屋に来てください。部屋はお嬢様の部屋からみて右の廊下です。戸に鳥のプレートがかかっていますので」
またも力のない返事。それに苦笑し、思わず頭を撫でようとして止める。ついロキシーと同じ扱いをしてしまうところだった。
これだけで謎が増えてしまった。授業中の覚え書きも後でまとめて書き出しておくべきだろう。
言葉を理解し話すこともできるのに、魔術関連の単語には必ずといっていいほど分からないような反応をしていた。誰が教えたわけでもなく言葉を操るようになったというのにだ。それだけがわからない、というのは、気にすべきところだろう。何か法則でもあるんだろうか。
やはり、まだなにもわからないままだ。
嘆息しながら部屋に入り、当面は目先の問題から片付けて行くしかないな、と半ば諦めながら結論付ける。本音を言えば、特殊すぎて手がつけられない。
また一つ溜息。考えようにも要素が足りず、ままならない。どうしようもないな、今は。
机に付いて一先ず今わかっていることだけでもまとめていった。
メモも終わりさてどうしたものかと考えていれば、突然戸が叩かれた。随分と急いだ調子に驚きながら向かえば、
「先生!」
と、ずいと小鳥が現れた。
「先生、雪が解けない魔術をかけてください!」
思わず目を丸くしているとそう言われ、ふ、と思わず漏れた笑いをこらえることもできず、口元が緩んでいく。はは、と漏れそうになり口を手で覆うも、すでにお嬢様に見つかってしまっていた。おっとまずい。
真剣な様子で考え始めてしまったお嬢様がさらにおかしくて、また笑いがこみ上げてきた。これはこらえられそうにないな。しかし、何をそんなに慌てているのかと思えば。
「ロキシーの魔術がかけられているので、雪でできてはいますがその小鳥が融けたりすることはありません。安心してください」
気付いたらぽんぽんと頭を撫でていた手にしまったと思うものの、お嬢様は特に反抗してくる様子はない。柔らかい髪はさわり心地もよく、つい調子に乗って撫でてしまった。するとお嬢様は動きを止めて、徐々に頬を赤く染めていく。
「えっと、あの……その」
かわいらしい反応にまた笑みが漏れるものの、さすがにやめるべきかと手を離した。ロキシーでは見られない新鮮な反応だ。
お嬢様は自分の頭をぽふ、と抑えると、沈黙。まずかっただろうか。
「どうしました?」
何もなかった風に尋ねると、お嬢様は小さく首を横に振った。一拍置き、顔を上げる。その顔にはもう赤みもなく、いつもの無表情だった。
「少し質問をいいですか?」
「ええ、構いませんよ」
部屋へ招き入れ椅子をすすめると、お嬢様は大人しくそこへ収まる。机に向けていた椅子をお嬢様に向け直し、私も座った。「質問をどうぞ」と促すと、おずおずと目線を下げ、口を開く。
「妖精は、その、話すことはできないのでしょうか」
「ああ、ロキシーですか」
控え目に頷いたお嬢様になるほどと頷く。初めて妖精を見たなら、そう思うのも無理はない。
「ロキシーは特殊な例です。私たちと同じ言語の場合もありますし、妖精特有の言語の場合もありますが、妖精自体は話すことができます。ただロキシーは、どうやら声が出せないようなのです」
「声が……話せないのですか」
どこか寂しそうに呟いたお嬢様に苦笑しながら「ロキシーは気にしていませんから」、と言えば小さく頷いた。そういう話ではなかったのかもしれない。あの様子を見る限り、もしかしたらお嬢様はロキシーを初めてできた友達のように感じたのやも。見た目の年齢も近いしなくはない。友達と話したい、と思うのは普通のことかもしれなかった。
「他にも質問はありますか?」
落ち込んでしまった様子のお嬢様に聞けば、まだあります、と顔を上げた。
「ロキシーさんは指を振って魔術を使っていましたが、魔法陣や呪文は必要ないんでしょうか」
「そうですね、基本的に妖精は魔法陣も呪文も使用しません。どういう原理なのかはやはりまだ解明されていませんが、古い文献では妖精は私たちが使っている魔術とは違うものを使っているとされています。魔法に近い、という言い方もできるでしょうね。精霊ももちろん魔法陣や呪文は必要ありません。ただ妖精の場合は自我がありますが、精霊の場合そうはいきません。授業の際説明したように精霊はお願いをしなければなりませんから。妖精はお願いなどせずとも契約さえすれば勝手に魔術を使うこともありますが、精霊は妖精のように意思表示もしませんしはっきりとした自我もないとされているので、お願いをしなければまず何もしません。ただそこに在るだけです」
……待てよ、ただそこに在るだけ、とはまた、既知感のある話じゃないか。同じに見ていいものではないのだろうが、少しこの方向でも考えてみるとするか。あまりにも荒唐無稽な話になりそうだが、まあ損はない。後でメモしておこう。
「先生?」
「どうしました?」と声をかけられ、「なんでもありません」と笑って誤魔化す。そうですかと首を傾げるお嬢様に他にはと聞けば、少し考えて思い出したように声を上げた。
「ゾンビとグールは何が違うのでしょうか」
思わず目を見開いてしまった。
まて、なぜその質問が出てくるんだ。魔物や魔獣の話はまだしていない。外にも出ていないお嬢様はまず知りえない情報じゃないのか。
「え、あの、先生?」
困ったように声をかけられ、あまりの不可解さにどこでそんな話を聞いてきたのかと問い詰めたくなる。努めて冷静に、冷静に。
「お嬢様、その話はどこで?」
笑顔を浮かべてなるべく穏やかに聞けば、お嬢様はあ、と口を抑え視線をそらした。その反応はなんだ。なにか悪いことでもしたのだろうか。まさか邸を抜け出したとか。食後の散策だと言ってリリシアさんはお嬢様から目を離していたはず。他の使用人はお嬢様が何をしようと我関せずを貫こうとするだろうし。
思わず額に手を付いて溜息を洩らせば、お嬢様が恐る恐るというように顔を覗き込み、ごめんなさいと言ってきた。いや、目を離した大人が悪いのであって、まだ何もわからないお嬢様はわるくない。はずだ。
「情報源を聞くのはやめておきます。グールとゾンビでしたね」
どう違うのか、と言われても、そもそも全く違うものなんだが……なぜお嬢様は同じものだと思ったんだ? 妖精と精霊の時といい、お嬢様は不思議な知識を持っているように思えた。また増えた疑問をとりあえず頭の隅に置き、荷物を漁る。確か魔物の図鑑があったはず。
「これですね」
見つけた図鑑のゾンビのページを開きお嬢様に手渡すと、特に怖がる様子もなく普通に受け取った。その絵は忠実に描いてあって大分不気味だと思うんだが、お嬢様は平気のようだ。女児にしては珍しい。
「ゾンビはそこに書いてある通り、簡単に言えば死体が動きだしたもので魔物として扱われます。ですがグールは違います。扱いとしては妖精の類です」
えっ、とお嬢様が驚いたように顔を上げた。それにもしかしてロキシーのような姿を想像しているんだろうかと苦笑。なにも妖精が皆ロキシーと同じ姿をしているわけではないんだが、まあその説明は今度にしよう。
「基本的に見た目は不健康そうな人です。まれに健康そうに見えるグールもいるそうですが、その見た目故、普段は人にまぎれて生活をしています。ただ彼らはグールですので、普通の食事はしません。死肉を喰らい、稀にゾンビを喰らう、生きている人間には害のない妖精になります」
途中でお嬢様の顔色が悪くなるのを見てゾンビは平気なのにグールはだめなのか、と不思議に思ってしまう。説明したとおり、彼らは私たちには何の害もない。
「死肉といっても墓に入れられたものは食べません。そのこと自体は文献にも載っていますが、理由が気になり直接話を聞いたところその通りで、何でも彼らにとって墓とは死者を供養しようとする思いが現れている証であるため、手をつけられないのだそうです。心情的にも。彼らはなんの手もつけられていない死体を日夜捜しているそうですよ」
ほら害はない、と安心させるつもりで説明を続けたのだが、さらに顔を青くさせてしまった。この話題はやめた方がいいようだ。
「他には?」
「えっ、あ、の、はい、あります」
ほっとした様子のお嬢様にではどうぞ、と促すと、「はい」と頷き図鑑を閉じた。それを受け取りながら、お嬢様の質問を聞く。
「魔法陣などで魔術を使えるのなら、どうして先生は杖を持っているのですか?」
また、不思議な質問をされてしまった。まるで杖で魔術が使えると思っていたような口ぶりだ。他で魔術が使えるなら杖なんていらないんじゃ? とでも言いたげな。
彼女の知識がどこから来るのかさっぱりわからず頭を掻いた。本当にお手上げだ。この調子ではわかりそうもない。やはり情報源については追及しておいた方が良かったのかもしれない。聞かないと言った以上今更聞けるわけもないし、困った。
「杖のことはとりあえず置きましょう。まずはある宝石について説明します。エレという石です」
言いながら杖をとり、一か所膨らんでいるところを指差した。これは埋め込まれているタイプなので黄色の透き通った石は見えないが。ふん、そうだな、お嬢様の属性が分かり次第仕入れに行こう。この領にはなかったが、伝手はある。
「この石は魔力を増幅させ、さらに効率よく使用し消費を抑える力があります。大抵の魔術師は持っていますし、一般の生活魔術しか使わないような人たちでも持っている人は多いです。その石をこの木の棒、つまり杖に埋め込みます。エレはそれ単独ではあまり効果をなしません。ただの宝石として扱われることもあるくらいです。ですが、木と合わせることで格段に能力を上げることができます。これは一説では木に魔力に馴染む性質があり、木自体にもまた魔力が流れているからだと言われています」
驚いたように「へえ」と洩らし杖を見つめるお嬢様に小さく笑う。
「もちろん杖の状態でなくとも、木と組み合わせさえすれば問題はありません。ですが杖の場合埋め込むことができるので、ただ固定化の魔術をかけるよりは効果も上がりますしいい状態を保つことができます。指輪やペンダントになると飾りにもするので、むき出しの状態ですよね」
固定化? と首を傾げられる。まだ魔術の説明は終わっていないので、わからなくても仕方ないだろう。
「固定化とはこうして、くっつけたままにしておくことです。その小鳥に使われているものも厳密には保存とは違うのですが、それとも違ったものですね。保存は保つことです。固定化はくっつける。わかりますか?」
こくりと頷いたのを見て笑う。飲み込みがいいようで、こちらも楽だ。
ロキシーが使ったものは人の使う保存とは違う。妖精の魔術が魔法に一番近いとされるのはそこで、そもそもどうやって何の魔術を使うのかなどもわかっていないのだ。あれらは呪文を必要としない。魔法陣も。ロキシーのように指を振るものもいれば、歌うものもいるし踊るものもいる。まだ知られていないだけで、他にも様々な方法で魔術を行使するものがいることだろう。妖精の国というものが本当に在るのなら、いつか行ってみたいものだ。
「固定化は接着剤なんですね」
謎の呟きも聞こえたが今は置いておこう。セッチャクザイ?
「あれ、でも先生。先生は魔力量が多いのですよね。なら、わざわざエレを持たなくてもいいのでは?」
「まあそうですね。確かにあまり必要はないのですが、私に魔術を教えてくださった、所謂師匠から頂きまして。愛着も湧いて手放せなくなってしまいました」
なんだか少し気恥ずかしい気分になりながら話せば、お嬢様はなぜか嬉しそうにそうなのですか、と呟くと慌てたように顔を上げ姿勢をただした。突然どうしたのかと見ていれば、お嬢様は真剣な様子で身を乗り出す。
「忘れるところでした! あの文字書き練習用の板、あの魔術はどう発動しているんですか? 魔術の効果は持続するんですか? それともどこかに魔法陣が隠されていてずっと発動し続けているんでしょうか。でも魔法陣はエネルギーで消滅するんですよね、その場合どうして残っているんでしょう」
口を開いたお嬢様からのたたみかけるような質問を一つ一つ頭の中にメモし、口を閉じると同時に答えを待つ姿勢でじっとこちらを見るお嬢様に溜息。
「お嬢様、質問に答える前に、まず複数質問があるときは一つずつお願いします」
苦笑しながら言えばお嬢様はあっ、と肩を縮こませ、ごめんなさい、とこちらを伺うように見ながら謝ってきた。それに笑ってわかったならいいと頭をなでる。
ふん。お嬢様は頭を撫でられるのが苦手なのか、それとも単に慣れていないのか、また固まると頬をほんのり染め視線を迷わせていた。苦手だったら悪いなとすぐに手を離し、質問に答えることにする。魔道具についてだったか。
「魔術のかかった道具をそのまま魔道具というのですが、魔道具の製作については専門の職業になります。基本的にはですが。魔道具の生産元は世界で四つのみでして、その門を叩いたもののみに伝えられる門外不出の技術があるとされています。私はその門をたたいていないので詳しくはわかりませんが、効果が続く魔術自体はあります。先ほど言った固定や保存などもそうです。ただ私たち一般の魔術師が掛けたものでは徐々に効果も落ち、かけ直す必要が出てしまいます。それも完全に状態を保つものではありません。保存魔術はあくまでも劣化を遅らせる、というもので、対象の時を止めるわけではないのです。固定も同じです」
「門外不出なのですか……」
残念です、と小鳥を見つめたお嬢様に、そういうことかと苦笑した。
「生活魔術が使えるようになったら保存の魔術を教えましょう。ロキシーの魔術なら魔力色もありますから大分先まで問題ないでしょうけど、覚えて損もありません」
「本当ですか! お願いします!」
途端に顔を上げ元気に頭を下げると、「質問はこれだけです」と立ち上がった。
「ありがとうございました」
頭を下げて部屋を出て行ったお嬢様に笑いながら、今の会話だけで増えた疑問もメモしておかないとな、と内心溜息をついた。
読んでくださりありがとうございます。
↓用語説明
◇エレ
魔力を増幅したり、効率よく魔力を使用し消費を抑えたり(省エネ)できる宝石。自身の属性に合わせた色のものを使うとさらに効果が上がる。質はそれぞれ違い、大きさはあまり関係ない。値段も質が良ければ高く、いくら大きくても質が悪いとかなり安い。杖に埋め込み使用するのが通常。
質によってはとても高価だが貴重なものではなく、魔術を使う者なら大抵は持っている。
アクセサリーなど装飾品に使用されることもあるが、その用途の場合は質の悪いものをつかう。宝石としての美しさにはエレとしての質はあまり影響しない。
◇保存魔術
その名の通り保存するための魔術。効果は魔術師の得手不得手もあるが、込められた魔力量にもよる。
保存魔術はあくまでも劣化を遅らせる、というもので、対象の時を止めるわけではない。なので完全にその状態を保つわけではない。保冷剤を入れても冷凍のものが溶けていくのと一緒。状態の進行を遅らせるだけ。冷凍庫に入れて溶けなくても劣化はする。
◇固定魔術
接着剤のようなものだと思っていただければ問題ない。効果は魔術師の得手不得手もあるが、込められた魔力量にもよる。
◇魔道具
魔術効果の掛かっている道具。守護のお守りなども魔道具に含まれる。
◇ゾンビ
死体が何らかの要因で動きだしたもの。魔物の一種。死体をゾンビにし操る魔術師もいる。
◇グール
死体を食べる妖精。見た目は普通の人と変わらない。ただ不健康そう。肌が異様に白かったり、体が細かったり、猫背だったり、目の下に隈があったりと、色々なタイプがいる。そこは個性。不健康そうに見えない個体もいる。妖精としては特殊で、人に紛れ生きている。
死体なら人でも猫でも犬でも何でもござれ。ただし個々に好みがあることも。腐っているのが好きなグールもいれば新鮮な死体が好きなグールもいるし、ゾンビが好きなグールもいる。何の死体が好きということも嫌いということも。やはり個性。ゾンビの天敵。ただし一貫して墓は荒らさない。