12
思わず目を見開いてしまう。まさか一度呼んだだけで、しかも攻撃もなしに来るとは微塵も思っていなかった。大抵は呼び出したことに怒りの拳か蹴りが飛んでくるんだが。
ちょこん、とお嬢様の隣に座り興味深そうに見つめている。両膝両手を地面につき、浮きもせず、まっすぐお嬢様の顔をだ。ふんふんと匂いを嗅ぐように鼻をひくつかせると、稀に見る朗らかな笑みを浮かべた。
絶句。
あまりにも普段の様子と違う自身の妖精に愕然としていると、お嬢様が心配したように声をかけてきた。しまった、あまりにも驚きすぎていろいろとすっぽぬけていた。
「なんでもありません。珍しく、彼女が来てくれたものですから少し驚いてしまいました。ロキシー、姿を見せてください」
言うと、これまた素直に姿を現した。不機嫌にもならず。そろそろ何がなんだかわからなくなってきたぞ、おい。お前どうした。
俺の眼には見えていたが、お嬢様には当然見えていなかったんだろう。ぽかんと口をあけ隣にいるロキシーを見つめていた。普段は見ることの叶わないだろう嬉しそうなロキシーの笑顔に、呆けたようにそれを見つめるお嬢様。ロキシーの内面を知らなければ微笑ましい光景だった。
「え、先生、彼女が妖精なのですか」
ゆっくりとこちらを向き問われた言葉に頷けば、お嬢様はまたロキシーを見つめた。
「ロキシー、こちらへ。いつまでもそこにいてはお嬢様も困ってしまいます」
とりあえずこの膠着状態から逃れるため、聞いてもらえるとは思えないがだめもとでロキシーに声をかける。ロキシーは顔こそ歪めてはいなかったが不満たっぷりの目で俺を見てついそれに苦笑。やはり聞いてはもらえないか、と思えば、ロキシーは目を丸くし、お嬢様を見て瞬き。また笑顔に戻ると大人しくこちらまでやってきた。
お前本当にどうしたんだ。
「すごい。ロキシーさんは、先生の言うことをちゃんと聞いてくれるのですね……」
また驚いて固まっているとお嬢様にそう言われ、まさか! と慌てて否定する。この借りてきた猫状態のロキシーが通常運転だと思われては困る。お嬢様の中の妖精のイメージが間違って定着してしまいそうだ。
「普段は言うことなんてちっとも聞いてくれません。こうしてあらわれてくれたこと自体驚きでっすっ!?」
ぐっ、と喉の奥で息がつまり、情けない悲鳴はおかげさまで出ずにすんだ。予想外の突然の攻撃に思わず蹲り、何が起こったのかもわからぬまま痛む足の甲を抑え震える。
まさかロキシー、お前か。
痛みに耐えながら横目で睨めば、ロキシーは何事もなかったようににこやかな表情でお嬢様を見ていた。
(――てっめ)
「せ、先生……? 大丈夫ですか……?」
湧き上がる怒りに震えると、恐る恐るというように肩に手を置き心配そうに見つめてくるお嬢様に少し怒りが収まるのを感じた。それと同時にこんな涙の滲んだ情けない顔を見せることになった現状を嘆く。
(威厳なんてありゃしない)
と、突然ロキシーが魔力を持って行った。まさか追撃するつもりかと驚けば何故か治癒魔術。お前はなにがしたいんだ。
痛みは引いたものの先ほどの所業を忘れられるはずもなく睨みつければ、ロキシーではなく視界の端のお嬢様が後ずさった。しまった怖がらせたか。
「ありがとうロキシー」
微塵しかないような感謝を言葉に乗せながら力を込めてロキシーの頭を撫でれば、不快そうに顔を顰めながらも攻撃はしてこない。少し不気味だ。何を企んでいるのかさっぱりわからない。さっきからおかしいぞこいつ。
さらに力を込めロキシーの頭を撫でながらお嬢様を見れば、片足を揺らして地面を見ていた。どうかしたんだろうかと呼びかけるとぱっと顔を上げ、何でもありませんと両手を振りながら首も振る。もしや今の短時間で俺はなにかしてしまったのだろうか。それとも怖がらせてしまったのが尾を引いているのか。
「今のはロキシーが私の魔力を、無断で、使い治癒魔術をかけました。わかりましたか?」
ロキシーに睨まれるも、今日は少し大人しいのはもうわかっているので気にすることもなくお嬢様を見る。
「はい。青っぽい光が先生の足を覆って、そうしたら先生が復活したように見えました」
復活……。やはり撃沈したように見えていたらしい。駄目だ威厳なんてものは残っていないかもしれない。
「その光はロキシーの魔力の色です。魔力はその人の得意な属性によって色が変わります。もちろん個人個人で些細な違いはあるのですが、赤は火、青は水、緑は風、黄色は雷、茶色が土となります」
「では先生は雷が得意なんですね!」
わかったことが嬉しいのか元気に言われ、それに笑いながら頷く。思ったよりお嬢様は子供っぽい性格をしているようで、少し安心した。
「では、折角来てもらえましたし、何か他にも魔術を使ってもらいましょうか。何がいいか……攻撃魔術は物騒ですし」
ふん、どうしたものかな、と考えていると、ロキシーがローブを引いた。驚いて目を向ければ、ロキシーは私に任せろ! と言いたげな目をしていて、不気味さが増した。なぜそんな積極的なんだ。
「先生」
唐突にかけられた声に目を向ければ、お嬢様はロキシーを見たまま首を傾げている。「なんですか」と促せば、ロキシーも首を傾げた。
「ロキシーさんは先ほど、先生の魔力を使って魔術を行ったのですよね? なら、どうしてその魔力は青なのですか?」
「ああ。精霊は人からもらった魔力をそのまま使用するのですが、妖精は違います。妖精はもらった魔力を体に取り込み、瞬時に自身の魔力へと変換し使うのです。これは妖精と精霊の在り方の違いに関わってきますね。ですから、厳密には妖精魔術と精霊魔術は違うのですが、今の研究段階では正確なことは証明できていないので、同じくくりになっています」
精霊は個々に属性がついている。精霊眼を持つ人には見ただけでわかるようで、場所によってはある属性の精霊が多く、ある属性の精霊は少ないということもあるらしい。まあこれも文献で見たもので、実際に話を聞いたことはないんだが。会ってみたいもんだが、どこにいるかもわからない。本当にいるのかもわからないし、死ぬまでに見れれば儲けもの、程度に考えておくべきだろう。
「ということは、魔術がうまく使えない人にとっては妖精は救世主のようですね」
思いもよらない言葉に目を丸くした。ロキシーも驚いたような顔をしてお嬢様を見、お嬢様はそんなこちらを見て首を傾げる。
「なぜ、救世主なのですか?」
あまりにも突然だった言葉に驚きが抜けないまま聞けば、お嬢様は「え」、と小さく声を漏らした。二人して見つめているせいか居心地が悪そうに身動ぎすると、だって、と話しだす。
「魔術がうまく使えない人がいて、魔力が使われないとしますよね? その人がもし妖精と契約できたら、自分の魔力をいくらでも使ってもらって魔術を行使してもらうことができるんですよ? いくら気紛れだってその人のことを気に入ったり、魔力がいくらでも貰えるという利点があれば、お願いを聞いてくれたりすると思うんです。自分で魔術を行使することができない悔しさは残るかもしれないけど、それでも自分は妖精に魔力を与え、その魔力を貰って妖精が魔術を行う。この協力関係はとても素晴らしいものではないかと思います。出来ることを相互に提供することで、えーと、例えば戦う術のない人がお金を払って護衛を雇い守って貰うように、戦う術を持つ人がお金を貰い雇い主を守るように、です。精霊魔術でも代わりませんよね。どっちも、才能がなければ使えないとか、まず妖精と出会えなければ使えないという点はありますけど……」
――なるほど、確かに、魔力はあるが魔術が使えない人というのはいる。
人であれば誰もが持っている魔力だが、もちろんすべての人がそれを自在に使えるというわけではない。魔力自体は感じることはできるのだ。当然、すべての人は初窓を迎えたとき自分の中に魔力があることを知る。無意識に。だが魔力量が多かろうと少なかろうと、うまく扱えないものは扱えないし、扱えるものは扱えるのだ。
だが、そう、確かに、折角の魔力を一生使わないまま過ごす、よりも、精霊や妖精に代わりに使ってもらうのならば。
初めて魔術を使うとき、人は必ず呪文から始める。それが一番扱いやすいからだ。日常の中でも必要とされる生活魔術も呪文で、生活魔術は基本的に誰にでも使える。そこから練習を始め、生活魔術を確実に使えるようになって初めて呪文魔術でも次の段階、応用や他の魔術に手を出す。そうか、だから呪文が使えないと、大抵の人は諦める。自分は魔術を使うのに向いていないのだと。魔法陣は試すこともあるかもしれないが、それより難しい、精霊魔術なんてまず試すはずもないまま。
「あ、あの、いえ、もちろん普通に魔術が使える人が契約すれば、例えば戦闘の時なんかは魔力をあげておいて、自由に攻撃させて自分も魔術を、なんていう共同戦線が出来てしまいますし、差自体は縮まらないかもしれません。けど、でも」
「お嬢様!」
思わず、なぜか落ち込み始めていたお嬢様を呼んだ。驚かせてしまったのか大きな声で返事が返ってくるが、そんなことに気をまわすこともないまま「それです!」と叫んでしまった。さすがにびくりと跳ねたお嬢様を見て謝罪し冷静に努めようとするも、頭の中は色々な考えがぐるぐると忙しなく走り回っていた。
馬鹿な! それこそ馬鹿な!
妖精に魔力を上げながら自身でも魔術を使うなど、誰もしない。なぜなら魔法陣だろうと、呪文だろうと、それに使おうと練り上げた魔力を妖精が持って行ってしまうからだ。だがそれは普通ならの話。例えば俺なら? 魔力量が多い人なら? もちろん理論上はできる。何故考えなかったのだろう。こんな簡単なことに何故誰も気付かなかったのだろう。それなら魔術に使う魔力より、多く練ってしまえばいい。もしくは事前に魔力を食わせといて、こちらも使えばいいのだ。妖精が魔術を使えば魔力は空になる。その考えが違うのだということぐらい、勝手に魔術を使うロキシーと契約している俺は早くに知っていたのに。魔力量が少ないから空になるんだ。妖精の魔術は人の魔術より魔力を多く使い、その分威力が高い。ああくそっ、こんな簡単なこともわからなかったなんて!
お嬢様の声を聞きながら冷静になれと自分に言い聞かせる。あまりの馬鹿さと当り前という前提のくだらなさ、提示された可能性に怒りやら嬉しさやらが混じり合って内心がとんでもないことになっている。
とにかく、と一度お嬢様を見る。この話は後でまとめるとして、今は授業に集中しなければ。
「すみません、気を取り直して、授業に戻りましょう」
笑って言えばお嬢様も頷き、それに少しほっとする。引かれていたらどうしようかと。教師の威厳もないのにその上変人にでも見られようものならさすがに落ち込む。
「ではロキシー、何か危険のないものをお願いします」
言いながら一歩下がれば、ロキシーは笑って頷き魔術を使い始めた。確かに自分から魔力を持って行っているのを感じながら、小さく呪文を唱える。後ろに回した手に確かに火が灯り、それにほくそ笑みそうになる。だめだまだ冷静になれていない。だが示し合わせるか相手が使った直後を狙わなければならないのでは、戦闘には不向きだろう。練習か検証がもう少し必要だ。
「う、わ、わ、わ!」
お嬢様の驚く声に目を向ければ、ロキシーは雪を出しているようだった。お嬢様はまだ雪の降る地域にも行っていないだろうし、目覚めてからなら季節そのものもまだ巡ってはいない。なるほど、驚かせるにはいい選択だ。初めてみたのであろう雪にお嬢様が興奮しているのが見てわかり、思わず笑ってしまう。
「うわー!」
出来上がった雪の小鳥に、ロキシーが仕上げとばかりに自身の魔力を注ぐのを見て驚いた。
珍しく笑顔満天のロキシーと、雪の小鳥を受け取り目を輝かせるお嬢様の姿に笑みが零れる。それに気づいたようでこちらを見て顔を真っ赤にしたお嬢様にしまった、と表情を引き締めるも手遅れだったようで、赤い顔のまま喉を鳴らされ、それに思わず苦笑。すぐに表情を引き締め、なにもなかったことにした。
しかし、さっきから思ってはいたが随分とロキシーが懐いている。あのロキシーがだ。人見知りでまさか主の俺に攻撃してくるようなロキシーが。過去に妖精に好かれやすい人がいると聞いたことがあったが、もしかしたらお嬢様はそうなのか。今ほかに妖精はいないし試すこともできないが、興味深い。一度呼んだだけで来たのもお嬢様がいたからか? 主形無しなんだが。それとももしかしてロキシーは子供好きなのか?
ふん。次はどうするか。とりあえず粗方説明はしたが。
特に考えてもいなかったプランをああでもないこうでもないと一人唸っていると、ロキシーがどこからか魔石を出しお嬢様に渡していた。それに「ああ」と頷く。まず何よりも先にそれだった。忘れていた。
「そうですね、まずは魔力量を測ってみましょう。最近だったとはいえ初窓からも時間はたっていますし、魔玉も安定しているでしょうから」
よくやった、とロキシーの頭を撫でるとお嬢様が首を傾げる。
「先生、それは一体なんですか? 聞き覚えのない単語です」
思わず目を丸くした。いかん。お嬢様にかかわると驚いたり取り乱したりすることが多いような気がしてきた。しかし予想外だ。言葉がわからないというのは初めて聞いた。今の流れからすると、初窓と魔玉、か?
「すべてが解き明かされているわけではありませんが、多くの生き物には魔力があります。そしてその魔力を作るのが、魔玉です。それが体のどこにある、と言った詳細はわかりません。過去には……」
説明しながら、ふらふらと歩き出したロキシーの襟を掴む。抵抗するようにグッと引かれ、それにこちらも対抗して力を込めた。いくら妖精相手とはいえ、子供に負けるほど力は弱くない。
あっちこっち勝手に行くんじゃないこのじゃじゃ馬が。
リリシアさんのご機嫌取りを後でしなければ、と遠い眼になりながらお嬢様に魔石を渡しひとつ溜息。ロキシーがざまあみろというように笑っていたので軽く叩いた。
「先生、変わりません」
何の変化もない魔石をお嬢様が掲げる。うまくいかなかったのだろうかと内心首を傾げ、魔力を込めなければといえば心底困ったような声で、
「魔力の込め方がわかりません」
そう言われてしまった。
込め方がわからない、とくるとは。まさかの前途多難さに、思わず頭を抱えそうになる。じっと見つめられてもこればっかりはどうしようもない。困った。
「込め方、ですか……。通常、なにをせずとも無意識に魔力を認識しているものなのですが」
魔術が使えない人でも魔力の込め方は知っている。初窓を体験したときに自身の中の魔力の存在を知るからだ。それなのにそれがわからないとは一体どういうことなのか。顎を擦り、そうか、と気付いてしまった。
お嬢様は初窓の時も眠っていた。まだ起きていなかったのだ。つまり眠っていたころ、お嬢様には本当に意識がなかったということになる。いいやむしろ、体にいることすらしていなかったのかもしれない。ただこの体の中で眠っていたのではなく、この世界にいなかったのではないか? なら言葉はどうして。そもそもそんなことが起こりえるのか? 魂が後からついてきたようだ。体だけが先に生まれてしまったとでも? 馬鹿な。
他人に話せば頭がおかしいといわれてしまいそうな考えに首を振る。これについては一度忘れよう。その前にどうやってお嬢様に自身の魔力を教えるかが問題だ。魔力を認識させる方法なんて聞いたことがない。それこそ魔術を使わせるしか。しかし魔力がわからなければ魔術は発動しない。初窓を再体験などさせることもできないし、困ったな。これは、どうするべきか。
「そうだ」
閃いた考えに思わず口をついた。ロキシーを見る。ロキシーはすぐに意図を分かってくれたようで、しっかりと頷くと準備運動だとばかりに腕を振った。
「お嬢様、一度魔術を受けてみましょう。今は怪我などもしていませんが、ロキシーに治癒魔術を掛けてもらいます。そのあと私も掛けますので、なんとか感じ取っていただきたい」
急な展開にお嬢様が戸惑うのが手に取るように分かったが、それでも今のところこれしか方法はない。
ロキシーがお嬢様を見ると、お嬢様も覚悟を決めたように身構えた。治癒魔術なのだからなにも構える必要もないんだが、と思いながら、それを見守る。ロキシーが指を振るとお嬢様が青い光に包まれ、その光が消えたのを確認し、こっちも魔法陣を描き始めた。お嬢様は不思議そうに自身の体を見ていたが、俺が声をかけるとまた身構える。
(だから、ただの治癒魔術だって)
思わず零れた笑いにお嬢様が首を傾げるのを見ながら、魔術を発動させる。光った魔法陣にまた身を固くするのを見て耐えきれず笑うと、お嬢様は黄色の光に包まれながら拗ねたように顔を背けた。
読んでいただきありがとうございます。