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新たな旅路の祝福を  作者: 稀一
一章
14/54

11

 お嬢様の事情を聞き、我ながら手のひらを返し過ぎだろうとは思ったが心を入れ替え授業を行った初日。お嬢様はすんなり自身の名前、領内の特徴、特産品、その他諸々の身近な知識を覚えて行った。ここまでは予想通り。しかし、文字の練習を始めようとしたところで不思議なことにぶち当たってしまった。


「それでは、覚えた名前を書いてみましょう。そのためには文字を覚える必要があります」

「文字……」


 気の乗らないのか沈んだ声で言ったお嬢様はしかし、文字一覧の紙を出した途端はたと首を傾げた。


「どうしました?」


 何かおかしなものでもあったのだろうかと紙を見てみるが特に何もない。だがお嬢様の顔を再び見れば表情は変わらないものの、困惑したように手を口元に添えていた。


「先生、どういうことでしょう。読めるんです」


 やはりどこか困惑したような声音にこちらが目を丸くする。読める、とは、読めるということだろう。そうだろうとも、そう言っているんだから、と頭の中で無意味な問答をし、瞬き。


「ではお嬢様、少々お待ちください」


 紙を引っ込め、荷物から紙とペンを引っ張りだす。そこに「こんにちは、今日はいい天気ですね」と書き、大人しく俺の挙動を見ながら待っていたお嬢様の前へ置いた。


「これを読んでみてください」


 きょとんとした様子で瞬きをしながら紙を見つめていたお嬢様に言えば、お嬢様ははっきり正確に書いた文字を読んで見せた。ということは、単語も習得しているということだ。

 ふん、と少し考える。お嬢様も読めるわけは分かっていないようだ。ということは、これはなぜか話せる、ということと一緒くたの話なのでは? それはそれとして、さて、なぜ話せて、なぜ読めるのか。

 言語を理解している。五年間眠っていたのに?


「……わからん」

「え?」


 思わず小さくつぶやくと幸いお嬢様には聞こえなかったようで、首を傾げられた。なんでもありませんと笑い、今日はここまでにしましょうと立ち上がる。お嬢様は慌てて椅子から飛び降りると――その行為はご令嬢としてはどうなのだろう――俺にしっかりと頭を下げた。


「今日はありがとうございました。また明日、よろしくお願いします」


 上げた顔はやはり無表情ではあったが、それに笑顔を返した。


「ええ、また明日、こちらこそよろしくお願いいたします」


 こちらも頭を下げ、お嬢様の部屋を後にしようとして、ふと思いとどまる。首を傾げたお嬢様にこちらをどうぞ、と文字一覧を渡すと、さらに首を傾げた。


「一応、こちらをお持ちください。文字を覚える宿題ということで」


 笑いながら言うとお嬢様は口をあけ、すぐに閉じるとはいと大人しく受け取った。何を言おうとしたんだろうか。

 それでは、と軽く挨拶をしてドアを閉め、明日のことを少し考えながら宛がわれた自室へ向かった。





 結局、一日考えたところでお嬢様のことは何もわからなかった。いや、わからなかったというのは正しくない。いくつかの信憑性もない想像とさえ言えないような仮説もどきを立てたまでで、結論は出なかったというべきか。リリシアさんもエーデリア様も何か思い出したらその都度話してはくれると言っていたが、あまり期待はできないだろう。不可解なことが多すぎるのだ。

 ふん。

 朝食に買ったバンズを噛み千切りながら、咥内に広がる味に意識を向けることもないまま街を歩く。朝食を用意してくれるとのことだったが、今日は遠慮しておいた。


 個人経営の店が建ち並ぶ道に入り、流し見て行く。やはり街自体小さいせいか、魔道具を扱っている店の数が少なければ、品物の質も格も違う。その分安くはあるが。

 適当に入り中を見て行く。今欲しいのは文字の書き取り練習に使えるものだ。なるべく早く戻り授業を始めたいんだが。


「すみません。この店で文字の書き取り練習ができる魔道具はありますか?」


 店主を捕まえ聞くこと五軒目。首を横に振られるばかりで少し諦めはじめ、もう自身で作ってしまおうかと思い始めていたところで、やっと店主が頷いた。


「ああ、あるよ。文字を習得する必要もないんで、この街じゃてんで売れんがね」


 そうか、規模の小さい領だと自然と仕事は肉体労働が主になる。この領の場合は少し事情も違うが、学校もないようだし、それで扱っている店がなかったのか。


「それをください」


 これからは店を回るより自力で作れるものなら作ってしまった方が早いな、と思いながら言われた値段分の金を渡した。そういえば、お嬢様は金のことなども知っているんだろうか。

 ふと浮かんだ疑問に、わからないこととわかることをそのうちはっきりさせないと、色々支障が出そうだなと考え嘆息。もしかしたら常識的なことも、教わっていないからには知らないかもしれない。本来なら絵本の読み聞かせなどで培ってくんだが。


 ふん、仕方のないことか、とまた一つ溜息を吐きながら、他にも何か使えるものはないかと色々な店を冷やかした。





「あら先生、おかえりなさい。おはようございます」

「おはようございますエーデリア様。ただいま戻りました」


 屋敷に戻ると丁度エーデリア様がお出かけになるところだった。にこやかな挨拶にこちらもなるべくにこやかに返せば、くすりと笑われた。ファデル様はもうすでに騎士団の方へ向かわれたのか、靴がなかった。


「今日もシアをよろしくお願いします」


 丁寧に頭を下げられ、こちらこそと頭を下げ返した。初めて会った時にも感じたが、エーデリア様は少しおっとりしているようだ。なかなか身近にいなかったタイプにどう接すればいいのかまだ掴みかねている。


「では視察に出てきます。うちのことで何か分からないことがありましたら、リリシアにお声掛けください」

「わかりました。お気をつけて」


 使用人を一人連れ出て行かれるのを見えなくなるまで見送り息をつく。慣れない。素で話してしまいたいものだが、領主や領主令嬢、領主宅の使用人に失礼な話し方をしようもんならどうなることやら。いくら少しは打ち解け、同じ秘密を共有しているとはいえ、必要な距離はある。あくまでも雇い主と雇われる者だ。


「ノイマン先生、おはようございます」


 後ろから声を掛けられ振り向けば、リリシアさんが微笑みながら立っていた。おはようございますと返し、お嬢様の所在を聞く。


「お嬢様でしたら、今は食後の散策に出ていると思います。まだ邸内すべてを歩いていないらしく、張り切って自室をお出になりました」


 リリシアさんに礼を言いお嬢様を探すことにする。見えない位置から普段の様子を観察しようと考えた結果だ。あちこち邸内を見て回ると、丁度エーデリア様の執務室前の廊下をうろついていた。しかしどうも様子がおかしい。きょろきょろと視線を迷わせ、行ったり来たりを繰り返していた。せわしなく顔を動かし、たまに時計を見てはまた行ったり来たり。表情はあまり変わらないものの、目には涙が滲んでいるように見えた。


 迷ったのか、と察するのは容易い。普段の様子を見ようとは言ったものの、このまま放置するほど鬼ではない。助けに入ろうと一歩踏み出したところでお嬢様の後ろ、向こうの角から使用人が一人曲がって来たのが見え止まる。お嬢様も足音に気付いたのか振り向き彼女に駆け寄った。


「ごめんなさい、ちょっといいですか」


 ふん。話しかける際相手に了承を得る、か。自身の家の使用人に丁寧語。お嬢様らしからぬものはある。令嬢らしい言動なんぞされれば気分も悪くなるが、それでももう少し使用人に対する態度、というものを覚えてもいいように思えた。


「あっ、あの……」


 一瞬、使用人は怯えたような表情を見せると無言のまま足早にその場を去って行った。お嬢様は話しかけた格好のまま使用人の背に声をかけ、結局姿を消してしまった彼女に固まっている。大きく肩を落とし溜息を吐いた姿に、目を見張ったまま愕然としてしまった。


(なんだ今のは)


 お嬢様に使用人に対する態度を教えるなどと言っている場合ではない。使用人の態度そのものがおかしいのではないか。

 思わず眉間に皺をよせ、そういえば、とリリシアさんの話を思い出す。気味悪がられているんだったか。だとしてもあんまりじゃないか。エーデリア様はお嬢様を溺愛しているようなのに、どうしてこんな状態で放置してるんだ。


「お嬢様」


 声をかければ、向こうを向いたまま肩を落としていたお嬢様が勢いよく振り向いた。そうして眼をほんのわずか大きく開いて、無表情に戻るとこちらにかけてくる。


「先生、どうかしましたか?」


 すぐ傍までやってくると見上げながらそう聞いてきて、それに笑った。


「授業のお時間ですよ」


 本当は、まだのつもりだったんだが。


「はいっ」


 そんなに嬉しそうな声で返事をされてしまっては、構わずにはいられないと言おうか。





 街で買ってきた役に立ちそうなものをすべて机に広げていると、お嬢様はそれを不思議そうに首を傾げ見つめていた。その様子に、気になるならなんでも聞けばいいのに、と思わず笑ってしまう。


「先生、文字の練習をするのですよね?」


 念のため確認を、というように聞かれ、そうです、と笑いながら返す。お嬢様はそれになぜか視線を逸らし椅子に座る。高さも問題なく、段つきなのでお嬢様一人でも座れる。それを一応確認しながら俺も前に座った。

 まあまずは、これからか、と板を手に取る。


「これは文字の学習用具です。お嬢様は読むことは出来るようですから、筆記を学んでいけばよろしいかと」


 言いながら渡せば、お嬢様は不思議そうに板を見つめながらどう使うのかと聞いてきた。それもそうか、初めて見るものだろう。


「こう使うんです」


 裏返してまじまじと見つめたり軽く振ったりするお嬢様に苦笑しながら一度返してもらい、さてどうしようかと思いながら、まあまずは簡単なものでいいか、と適当に「おはよう」と板に向かって声をかける。お嬢様が不思議なものを見るような眼で俺を見てきた。そうか、物に話しかけるのが変なことという認識はあるのか、と思いもよらぬ常識確認ができてしまったことに思わず顔を顰めそうになりながら、板をお嬢様へ向ける。


「ここになんと書いてありますか?」

「おはようと書いてあります」


 お嬢様が板を持ったのを確認し促すと、しっかりそれを読んだ。やはり読むことと話すことはできるらしい。


「それは言った言葉を文字に起こしてくれるものです。それをなぞるまでがその教材なのですが、なぞるものはペンでも指でもかまいません。自動修復の魔術ががかっていますから、たとえナイフでなぞろうとも問題はありませんよ」


 説明しながら取り出したナイフでガリガリと板を削るも、少しすると傷はもとからなかったように消えた。それを真剣に見つめ、引っ掻いては元に戻るのを見てを繰り返すお嬢様に笑う。文字への興味より、魔術への興味のほうが強そうだ。

 そうだな、文字の練習は一人でもできるが、魔術は一人ではできない。


「今日は、魔術の勉強にしましょうか」


 好奇心旺盛な姿に笑いながら言えば、お嬢様は慌てたように板を持ち直し謝った。気にすることはない。興味や好奇心はなによりもいい勉強への心だ。そう諭しながらお嬢様の手からやんわりと板を離し、机の上に置く。庭にでるかと言えば、お嬢様は元気よく返事をした。素直な子だ。


 思わず漏れた笑みに気づいて苦笑し、一度部屋に寄らせてもらいお嬢様先導の元中庭へと向かう。慣れたように歩く後ろ姿に、こちらの方向はもう探索済みなのだな、とまた笑いそうになる。そうしてあのメイドの態度を思い出し、小さく眉をしかめた。

 初日の態度を顧みれば俺の言えたことじゃないが、それでも自身を雇っている家の子にあの対応とは、随分じゃないか。


 ここです、と明るいお嬢様の声に顔を上げれば、ガラス戸をあけ外へと出て行くところだった。なるほど、俺も邸の中を歩きまわってはいないので知らなかったが、中庭を四角く囲うように邸が立っていたのか。

 広い中庭の真ん中で、こちらを見てわくわくしたように揺れるお嬢様を見て笑いながらそちらへ向かう。


「ではまず魔術の種類から始めます」


 杖で魔法陣を描きながら言い、はたと止まる。真っ先に魔法陣を描いてしまったが、ここは何があるかを教えてから興味のある順に説明していくのがよかったんじゃないだろうか、と思ってしまった。だが、ふん、まあいいか。どうせ全部説明はするのだし、問題はない。


「魔術には三種類あります。魔法陣を使用するもの、呪文を使用するもの、そして精霊魔術という特殊なものになります。まずは魔法陣から説明しましょう。魔法陣は今私が行ったように宙に描いたり、物や体に刻んで使うものになります」


 描き終わった魔法陣に魔力を流すと、黄色い光がその姿を浮き彫りにした。お嬢様をちらりと見ると魔法陣にくぎ付けだ。わかりやすい。


「体に刻むのですか?」

「ええ。体に刻むことによって紙の消費を削減でき、さらに再び魔法陣を描く必要がなくなります。一度体に刻みこむことでそのその魔法陣が消えることはなくなるのです。その上魔力の通りもよくなり、消費魔力がすこしだけではありますが軽減できます。デメリットとしては一度使った魔法陣は決して消えないこと。さらに体に書き込むので、数が限られてしまうことです。描いても、その魔術を一度も使用しなければ消すことができるのです。一度使うことによって定着します」


 一拍置いて、少し身を固くしながら聞いてきたお嬢様は一度自分の手を見つめ、すぐに顔を上げた。


「先生は刻んでないのですか?」


 聞かれた言葉にああ、と頷き、ローブをまくる。久々に自分でもまじまじと見たが、懐かしいものだ。咄嗟に刻んだおかげで形は歪だがなんとか魔法陣として動いてくれた。


「先生、それは……」


 少し感慨深い気持ちになっていると、困惑したような声をかけられはっとした。まずった。これは見て気持ちのいいものではない。


「すみません。自分では見慣れているもので麻痺していましたが、お嬢様のような年齢の子供に見せていいものではありませんでしたね。気分を害されたでしょう」


 ローブを戻ししっかり押さえて見えないようにしながら言えば、お嬢様は強く首を横へ振った。あまりにも振るものだからなんだか少しおかしく、笑ってしまう。

 お嬢様といると笑ってばかりのような気がする。

 ふと浮かんだ不思議な気持ちに首を傾げそうになりながら、どこか覚えのある感覚に目を細めた。





「精霊と妖精は違うものなのですか?」


 なぜ、同じものだと思ったんだ。


「そうですね、違いますよ。精霊はこの自然の中に漂っているのです。生きている、いる、ある、学者など人によって言い方は変わりますが、今私たちがいる庭にも精霊はいるでしょう」


 今もここにと庭を見渡すと、お嬢様もそれに倣うように顔を向けた。説明を続けながらそんなお嬢様を観察する。表情は動かないおかげでわかりずらいが、驚いているように見えた。不思議な話だ。精霊と妖精が何か、とは聞いてこないのに、同じじゃないのかなどと聞いてくるとは。まあなにかと聞かれてもそういう存在だとしか言いようがないんだが。解明されていないものは仕方がない。


「試しに呼んでみましょうか」


 実際に見たらどんな反応をするだろうかと杖を振る。折角契約してるんだ。こういうときくらいは先生という面子を立たせるためにも来てもらいたいものだが、はたして来るだろうか、あのはねっ返り。大半は呼んでも来ないし望み薄だが。

 あまり期待もせず魔力を練れば、


「……」


 来てしまった。

読んでくださりありがとうございました。

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