第七話 肉欲の吸血女
化物どものメインディッシュは人間、オヤツ程度に異種族や共食いってのが定番だろう。だが何百年も眠っていた連中が地上や現世に現れて活動する際、動力源はいかなるシステムになってるのか? 霊界相互浸透型エネルギー流通機構とか、常温魔融合炉内蔵とか、いっそ振り子やゼンマイ、弾み車でも構わないが。不死属性の動力の謎……ちょうどよい、疑問は早めに解決しよう。
床に正座して浅い皿に残った魚の骨に湯を注ぎ少しずつ啜っている行儀のいい不死の怪物、ベッドにあぐらをかいて売れ残りのレーズンブレッドのレーズンを綺麗に外し皿に並べている偏食気味の吸血女に聞いてみる。
「お前ら、メシ食わないとどうなるんだ? 干からびるのか止まるのか?」
目を細めながら小さなレーズンの欠片を指先で摘まもうとしているメリッサが即答した。
「お腹減って動けなくなるだけ」
「そんくれえ分かるわい。たとえば一週間とか飲まず食わずだと?」
湯の中で骨を綺麗に漱いでいたフランクはようやく満足のいく仕上がりになったのか、標本レベルにクリーンアップされた骨を解放し、意外な答えを返した。
「そんなのやったことないから、分からないよー」
へー! 水と塩だけで1週間、水も飲めずに4日半という経験くらい俺だってあるのに。
「メリッサもか?」
「当たり前。人も吸血鬼もパンのみにて生きるにあらず、オカズも必要」
「タマげた……好き嫌い多いのは、飯で地獄を見た経験がないからか!」
「背に腹は代えられないよ。ボクは何とか三食食べてたよ」
迷宮内で何を食っていたかは言わなくてもいい、というか聞きたくない。
「衣食住でも食だけは譲れないわ。裸で山奥に住むことになってもメシは食う」
原始吸血人かよ。逞しいな地味女。
「お前らがエーテルとか生物の霊気とか吸収して動いてくれたら助かると思ったんだけどな……不死属性って食い意地張ったヤツの代名詞なのか?」
「どうかしら。あたしは至極平凡な嗜好の持ち主だと思うけど」
「ボクも迷宮の定例会の会食に出たことないから、ワカンナイ」
あーあ、と剝がれそうな天井裏の壁紙を眺める。なんとか金を貯めて大き目の部屋に移る目途をつけたいのだが、食費の節約は前途多難である。
◇◇◇
メリッサは鞄一杯の私物を持ってたんだが、フランクは着たきり。毎日洗濯してたという三十年物の私服の生地は恐ろしいくらいの極薄になっており、迷宮内で拾った植物の繊維をほぐして隙間に差し込む伝統織物さながらの修繕が施され、明るい所で見ると糸屑で作った土蜘蛛の巣のようだった。古着屋にサイズがなかったので迷宮探索の異人種用専門店で一揃い買ったんだが……高え! 分割払いを拒否され、札が一枚も無くなった。
「初心者歓迎 女性寮完備」という求人を見つけ、渋るメリッサを送り出したらお馴染みのマルチ炎魔法書商法。この炎弾基本の書一冊を売るといくら、十冊以上でパーセンテージ、お友達を紹介すると……説明会の半分も聞かずに逃げ出してきた。散々似たのに出会ったらしい。
「寮もあるんだろ、住めば都だ。やりゃいいじゃねえか」
「友達も親族もいない子は、最初に五十セット自腹で買い取る必要があるのよ」
金額を聞いたら公国騎士初任給のおよそ2か月分だ。それは無理ですね。今は高齢獣人向け介護施設の下働きを嫌々続けているが、そろそろ限界かも。
フランクは日払いの力仕事を何度か探してきた。真面目で温厚な人柄なので評価は上々らしいのだが……別の問題が。お涙頂戴の単純な寸借詐欺に引っかかるのだ。
「またか! 今回はどんなストーリーに感動してきたんだ?」
「……あのねー……親切な牛人のオジサンがお昼に骨を分けてくれてね、義理の娘さんが蛇娘なんだけど、友達の誕生会に呼ばれて履いていくガラスの靴がなくって、つい魔がさして万引きしたら捕まって、お父さんは保釈金も払えなくて、奥さんは脱皮後のひだちが悪くて……」
分けてくれたのが骨だった時点でおかしいと思えデカブツ。何度か続いたので仕方なく俺も一緒に日雇いに出ることにした。パワーと機敏さを兼ね備えたフランクに比べ、身体機能下り坂の中年肉体労働はサボってるように見えるらしく、毎回現場監督に嫌味を言われて日当を減らされるが、フランクの稼ぎがきちんと確保できるだけマシである。
悪天候で仕事にあぶれた日は初心者用迷宮に潜る。相も変わらず薄利のレジスターばかり狙うのだが、例のウニピカ作戦に暗雲が垂れ込めた。
「わ……ごめん、今月の雷魔法は今回ので打ち止め。魔力量制限かかった」
なんだ? 聞いてみた。大気中のマナやら異界とのゲートから流れ込むパワーやらを無尽蔵に使い放題できる魔法使いは超エリート、大概は各業者と契約を結び、定額制や従量制プランを最適化して使うそうだ。魔法の月使用量が契約上限に達し魔力量制限がかかると、単位時間の魔力回復量は頭打ちになる。
「小一時間休めば何とかなるか?」
「……エコノミープランのBだから……ごめん。半日は無理」
頼みの雷撃を失ったのでは腕力に頼るしかない。最弱第一層の入り口から入ってすぐの3部屋、100Ωから470Ωの雑魚中の雑魚ばかり汗水垂らして狩る羽目になった。十把ひとからげどころか、一山いくらである。材料不足で俺の音魔道具製作も滞る、端役仕事の安定しない現在は八方塞がり寸前で凌いでいるのだ。
こんなわけだから食費節約が頭をよぎったわけである。
「決めた! 野菜はモヤシと豊作で安いアスパラガスと根菜、肉はトリ、魚は暇なヤツが釣ってこい。炭水化物はイモか閉店間際の固いパンの投げ売り。以上だ!」
「ヒドーイ! せめてバラ肉と野菜くらいは常備してよー」
「生野菜不足は縫合痕に悪いんだよー。牛乳とチーズはカルシウムいっぱい、タマゴは物価の優等生だよー」
さすがに俺もこれはないと思うが、窮状の打破にはこの程度の覚悟で臨むべきだろ。家主特権を発動し黙らせる。
仕事に拘りがあるらしいメリッサが獣人介護の現場から逃げ出した。想像を絶する過酷さらしい。夜勤を受けないと馘だと言われてスタコラサッサと帰ってきた。この件では俺もフランクも何も言わなかった。部屋掃除と洗濯、共同炊事場を使った飯の支度などの家事一切を勝手に引き受けている。明るい素振りだが大丈夫か? 懸念はすぐ形になって現れた。
◇◇◇
五回目の端役仕事は外での撮影だった。貯水池を沼にみたてて、沼に巣食う三怪人の役。水に半身浸かってスタンバっていた時間が長かったので底冷えした。撮影終了後、メリッサがフラフラしている。回復魔法は大して使っていないので貧血気味なだけかと思っていたら、へたりこんで動けなくなった。フランクが額に手を当てた。
「コモノ! これ熱があるよね?」
分厚い掌なので自分の見立てに自信がなかったのか、俺の手を掴んでメリッサの額に当てさせた。……フランク、背負ってやれ。薬を手配……いや、聖教会に行ってみよう。自分で回復できない状態じゃ、ちとヤバイ。
聖教会右手の聖病院受付にかつぎこんだ。幸いただの過労との診断、薬をもらい宿に帰る。意識はあるのだが、熱で朦朧としており話すのが億劫そうだ。
「……うー……ごめーん……ちょっと冷えたかも……うー……」
「フランク、先帰って寝かせとけ」
「着替えは? このままだと汗かいてタイヘンじゃない?」
「……いい……水浴びしてから……洗濯しなきゃ……」
「上は脱がせて寝床に突っ込め、俺が許可する。お前の毛布もかぶせとけ」
「……うー……頭痛い……かも……少し……さむい……」
買い物を終え宿屋に戻ると、親爺さんが新聞から顔を上げた。
「どした? 吸血ネーチャン、背負われて帰ってきたぞ」
「ちょっと過労みたいで。あ、教会の病院に見せてきたんで大事はないっす」
詰まらなそうに椅子に腰を下ろし新聞を裏返しにしながら、少々不機嫌につぶやいた。
「だから部屋、早く借りろっていってんだろ。いい歳なんだからネーチャンのストレスくらい察してやれよ。吸血って聞いてなきゃ、フツーの娘じゃねえか。値段は考えてやるし、一か月位は店賃待ってもいいから、考えとけ」
一言もない。先立つものがないとはいえ、体を壊しては何にもならない。
「有難うっす……あ、炊事場のでかい鍋、ちょっと借ります」
◇◇◇
「……うー……水、もらえる? わ……汗だくだ……」
数時間はストンと落ちるように寝ていたようだ。上半身を起こし、水のグラスを渡す。ゆっくりと、だが全部飲み干した。本来は血のほうがよいのか? でも苦労して用意しても「いらん!」と突っ返されるんだろう。
「……ふー……熱あったんだ、気張ってて気づかなかった……面倒かけたわね。……フランクは?」
「すぐ来る。過労って見立てだったから、しばらく寝てろ。着替えるか?」
「……なんかもう少し汗かきそうな気がする……もうちょっと寝る……」
またもストンと横になり、すぐに寝息が聞こえた。部屋を静かに出て共同の炊事場に向かう。大鍋をかき回すフランクの背中が視界一杯に広がった。
「……目を覚まして水飲んで、また寝てる。どうだ?」
「こんな感じだよ。ちょっと薄味だと思うけど」
「具合悪いときは薄味の方がいいだろう。一番弱火にして蓋しておけよ」
一階の共用スペースに降りてボソボソ話す。
「甘えてたな。親爺さんに叱られた。部屋の件、早めに考えねえと」
「そうだね……採掘作業の通しを頼まれたんだよ。受けていい?」
通しというのは仮眠や休憩を挟んで24時間拘束、ギャラはいつもの2倍以上だが、長いあいだ続けられる仕事とは言い難い。
「ボクは不死の怪物なんだからさ。その位は平気」
「……端役の仕事もいきなり舞い込む。それ断るのは避けたいぞ」
「そっか……難しいもんだね。でもさ、3人いるんだから……」
部屋数の多い上階の宿代をどう捻出するか、展望を話していると、俺達の部屋の戸が開く音が聞こえた。長年厄介になってるから自分の部屋の軋み音は耳が覚えている。上がってみると着替えたメリッサが、汗に濡れた下着や敷布を抱えて手すりを伝って歩いていた。
「おお……それ貰う、俺が洗ってくる。メシは食えそうか」
「いいわよスケベ……やるってば……」
まだ手が熱っぽいな。強引に引ったくり、フランクに目くばせして、洗濯場に下りる。女物の下着の手洗いなんぞ飽きるほどやってきた俺なのであり、特に疚しさも覚えない。いちばん難しいのは揉み洗いより絞り加減だと思う。洗濯物はフランクに渡して窓際に干させた。
「何か食えそうか?」
「……あー……お腹は減ってる気がするわ……」
「薬飲むのに空っ腹じゃマズイだろ。ちょっと待ってろ」
炊事場でグツグツ煮えていた薄目のスープを皿に入れて渡してやった。
「あら、ポトフ? ……でもいい匂い……あ。お肉ハッケーン」
スプーンで肉を割り、脂身の多い部分をフーフー冷ましてから口に入れた。
「……薄味じゃなかったー?」
「フランクの味付けなの? 舌が熱でバカなのかもしれないけど、丁度いい」
「よかったー」
「……あー……肉の栄養が五臓六腑にしみわたる。うー。美味しいわ」
根菜も一つずつスプーンで割り、断面を観察して中まで火が通っているのを確認して頷きながら、ゆっくり食べている。スープまで飲み干した。
「……はあ。ごちそうさま。たくさん作ったの?」
「大きい鍋にいっぱいあるよ」
「じゃあ明日も食べられるわね……ちゃんと残しておいてよね」
「肉は2つとっといてやろう」
「いくつ入れたの?」
「確か10個だったよ」
「……今2つ食べた。するとアンタたち3つずつ食べるの? もう一つおまけしてよ。病人なんだから」
聖教会の印入りの袋を差し出す。
「診察後に貰ったやつだ。飲んどけ」
「いや、大丈夫そうよ。おそらくあたし、肉に飢えてて肉不足で倒れたのよ。……だからバラ肉の常備を要求するわ再び」
「……分かった分かった。善処しよう。早めに寝ろ」
「うーん……言われなくても温かくなって……すぐ眠れそう……おやすみ」
◇◇◇
心優しきフランクと俺は晩飯を肉一つずつで我慢した。ぐっすり寝て調子を取り戻したメリッサは翌朝、6個のバラ肉の塊を朝飯として綺麗に平らげた。
「そうよ。お肉。断固としてお肉は大切だわ」
共同生活のストレス説は果たして正しいのか。大きい部屋にすぐ移る話は立ち消えになった。食い物のバラエティが乏しいことによる潜在的なストレスの恐ろしさをメリッサが力説したためである。乱暴に要約すると、その金をメシに回せ、ということだ。
魔力切れの体調不良、男二人との同居による精神的負担、家事のストレス、撮影時の寒さによる軽い風邪、いろいろ原因はあるんだが、吸血鬼はお肉が切れると弱るのだという知識が俺たちに刷り込まれた。なぜニンニクはダメなのか分からない。