第七十二話 端役 歳末も年始も疾走する
「じゃ、足りなそうな分を市場の投げ売りで仕入れてくるわ。……おお寒い」
机から振り返り抗議の声を上げようとするライアの顔は勿論俺には見えなかった。ふだん面倒な買物を頼まれた際の声色と気だるげな動き、玄関扉を閉める音には寒空に出かけねばならん不快感を僅かに滲ませるという演技を完璧にこなす。端役とはいえ役者のはしくれ、この程度はできなきゃマズイだろ。庭の常緑樹で部屋の窓から姿が見えなくなるはずの角度に差し掛かったと判断した刹那、俺は年末の喧騒の中を不審に思われぬ程度の全速力でプレゼンスの馬房に走った。『巨人』亭の外のテーブルではすでに年越し宴会に盛り上がる探索者や冒険者が赤い顔で騒いでいる。本日、まっすぐ勇者は移籍に伴う書類の提出に忙しいニルに同行して留守、フランクがリバクリフで嵩張る買物をするというセルマの荷物持ち、メリッサは今日と新年3日間休みを貰ったにも関わらず、新年料理の持ち帰り注文が殺到し灼熱地獄と化した『優しき巨人』の厨房を見かねて朝から手伝い。千載一遇のチャンスなのだ。
四十代半ばのオッサンとしては十分胸を張ってよいだろうという程度のタイムでプレゼンスの馬房に到着。何だ?という表情で首を出したプレゼンスに挨拶し、馬房に飛び込む。冬本番の冷たい風が一瞬吹き抜けたが、中は温かい。セルマの事務所に置いてあった小型魔晶スクリーンを無断で持ち出し、ここに隠しておいたのだ。馬小屋を建てる最中、近くにケーブルネットの分配器を発見した時から温めていたアイデアであり、すでに無断で同軸ケーブルを引きスクリーンと接続済である。今年こそ、公都歌合戦でトリを務めるパルフィムを見てやる。初期の名曲『E・D・G・E』をプレゼンスと踊り新年を迎えるんだ。ちゃんと映るか確認……よしよし、バッチリだ。馬小屋作っておいてよかった、としみじみ思う。
◇◇◇
数日前のこと。食堂に置いてあるのと同じ大きさのスケジュール記入用掲示板をようやく見つけ苦労して持ち帰ると、アレックスは業務用手帳を眺めながら新年二週間分のスケジュールを書き入れた。それを見て俺が激怒したのは当然だ。なぜ最下段の俺の列だけピンクの休暇印が皆無なのか。すぐ上のプレゼンスでさえ、1日から五連休なのに。
「新年早々、白と青に彩られてるのはどういうことだ!」
白は補填具関係、青はバイトの印。なぜ俺が入れてないバイトがそこにある? 書き終えたアレックスは転記ミスがないか確認しながら冷淡に答えた。
「義肢試作品の第一号が未完成。牛小屋は3日の夕方に間に合わせろ」
牛小屋ってのは『巨人』亭のケイトさんからアレックスが頼まれた仕事だ。お馴染みの町会世話役、因業牧畜オッサンから乳牛を一頭預かり、厨房の裏で飼って作りたてのバターやクリームを使うことにしたという。仕入れるより安いし確かに旨い、だが牛小屋で困っていたところに、俺とフランクが建てた馬小屋の件を聞きつけた。竪琴さん、ああいうの裏手に作ってもらえないかねと相談され即承知したという。メリッサの義理もあるので文句はいわんが、新年2日と3日に俺一人でやれというのか? フランクも他の連中も三日間ピンクの完全休養マークなのに!
「31日に義肢の最後の重要部品が届く。煉瓦と漆喰は既に届いていると聞いた。問題ない」
材料の手配など聞いとらんわ!と怒っても効果なし、援軍ゼロ。ここまでされてはたとえ不毛と言えど『復讐』の二文字が日夜脳内を駆け巡ったことで誰も俺を非難しないだろう。
◇◇◇
クククケケと膝を抱え映りを確認しながら独り言をブツブツ呟く俺、プレゼンスは干渉せずスクリーンに尻を向け逆向きに腹ばいである。今朝ライアが届けた大ぶりのリンゴを時々大切そうに齧っている。一つくれ。
「まあそう毛嫌いするな。きっと気に入るぞ。フィーネの脚線美にはお前も驚くはずだ。キレまくりのムリーンのダンスは前衛の域に達してる。リーダーのぱるちゃんときたらもう……」
非常に残念なことに、ぱるちゃんのプロ根性の凄さをプレゼンスに説明する機会は失われた。漆黒と榛色の二対の眼が何の感情もこめず、藁に腹ばいになっている俺を見据え即座に凍結させたからだ。
「お! おお! おおおまえら、なんでココに居る! なぜ気づいた」
ニルが芝居がかった仕草で扉を開き、アレックスが二歩で俺の真横に立ち、襟首を持ってむんずと引き上げ外に放り投げ、暮れの休暇中に無粋な邪魔が入ったことをプレゼンスに詫びた。後に分かったが、プレゼンスの小屋の謎のエルフ文字、表札に使った精霊系樹木との相互作用で、不審者が近づくと周囲の音を風魔法でニルに知らせるというハイテク警報システムだった。馬小屋の扉を開けたとき吹き抜けた一瞬の寒風がそれだ。ここに来てからの俺の独り言も全て筒抜け、二人は役所からここに直行したのだった。
ケーブルを外し、スクリーンを持たされ連行される。満腹時に痩せたミミズヘビを見つけたドラゴンさながらの視線でニルは俺を蔑み、小声だが一音一音鼓膜に突き刺さるアレックスの説教が延々と続く。俺は不死人の同居人を見習い、生きる屍と化す練習を始めた。心を無にして、魂などという幻想から解放され……現実逃避は許されなかった。歩きながら手帳を取り出したアレックスが愛用のペンで何か書きつけた。
「休暇を一週間取り消す」
いつの? 俺に休暇あったの? 尋ねると嬉しいお返事を頂いた。
「黒字転換後、最初の夏の休暇だ」
……永遠に来ないじゃねえかよ。
◇◇◇
◆◆◆
街を荒らし終え 幌馬車はアジトに向かう
闇の森をはるかに 遥かに超えた先へ
朝焼けに 馬車は紅に燃えたち
いつもの汚れきった道を
漆黒を切り刻み進むなか
夏が家路を辿るのとすれ違うこともあった
道端に転がる安らかな屍は
予定された死を 予定通り死んでいる
ああ 無頼の瞳にも朝陽が燃え
乾ききった砂漠が 飛びこんでくる
そして聞こえるのは 逃げることをとうに諦め
囚われの生を歓びに昇華させた 娘たちの狂笑
◆◆◆
「殺伐とした歌ね」
部屋に監禁された。ドラキャスを爪弾きながら今の気分にピッタリの鼻歌を2コーラス分終えたところで、至極真っ当な感想が背中にぶつかった。椅子の背にうなじを乗せのけぞって眺めると、逆さになったセルマの顔、買い物から帰ったのだろう。見事なもんだ、さすが女優、鼻毛の欠片もねえんだな冬なのに寒くないのかと考えた瞬間、視線と顔色を読まれアングル流の手刀一閃、額を真っ二つに割られる。
「非常識。なぜ死んでくれないのかしら。枕元に立つなら竪琴親子限定でけっこうよ、遠慮するわ」
痛みに額を押さえ机にうつ伏せになっていた俺が顔をあげ涙目を開くと、丈夫そうな紙袋が目の前に置かれている。
「パスカン先生から届いたの。来月半ばに装着と習熟の第一回目をやれないかって」
どいつもこいつもなぜ大晦日まで通常営業してんだよ。年末年始くらい宅配竜車を休ませてやれよ。転生者の故郷では暮れ3日、新年も4日休むのが通常だと聞いている。こういう優れた文化は見習うべきだと思うんだが……袋の中身を覗く。俺の苦手なデジタル魔量子回路の基板、完成品なのが幸いだ。これを作れと言われたら一も二もなく断っていた。記号を確認して、すでに預かっていた諸元表と部品一覧、実体配線図を広げる。
「右腕の中枢部か。これで揃ったわけか……動くのかな……」
机の一番下の引き出しから大瓶の酒が入る程度の細長い木箱を出す……その前にドラキャスを床下の倉庫に仕舞う。後ろから肩越しに覗き込んだセルマがクピャーッ!と大声を上げそうになったので、紙袋を口に突っ込んだ。
「それでも食ってろ」
ゲパ!と紙袋を吐き出したセルマが床下を指さし糾弾。
「また増えてる! 金ない金ないって騒いでんのに、どうして魔楽機がじわじわ増えてんのよ!」
「物々交換だよ、非難される謂れがねえな」
迷宮第四層にしか生息していないオペアンプの変種、567というのが現れたと聞いて20匹ほど倒し素材を確保しておいた。音程をメチャクチャにする素晴らしい魔楽機、リングモジュレータに不可欠な素材だ。エフェクターの流行はおよそ10年で循環する。秋に出たパルフィムの新譜でリングモジュレータが大々的に使われていたため、また欲しがる好事家が増え市場価格も上昇、数台作って、懇意の店で棚ざらしになっていた中古の魔楽器と交換してもらったのだ。俺の唯一のストレス解消法、来年は何本増やせるだろうか。
絶対チクると脅すグデ子を放置して、卓上に義肢の試作品を出し、ハンダ鏝や部品も準備する。完成品はコネクターで簡単に接続することになるだろうが、試作品には数十箇所のハンダづけが必要だ。拡大鏡を使い慎重に作業し、とりあえず完成……自信はないが。ニルの希望で人族代表ライアの右腕を模し、指や関節、手首は人間的。明るい肌色の未知の素材が外装に使われている。
「俺が失敗してなきゃ、魔晶入れれば動作するはずなんだが……試す方法さえ定かじゃねえよ。先に届けて確認してもらう方がいいか?」
セルマがこわごわ触れ、皮膚部分を押す。固い。
「金属みたいね」
「魔晶入れないと筋繊維や神経が動作しないんだ……入れてみっか」
汎用の魔晶を使える設計なので、魔四型二本を入れ、こわごわ電源を入れて蓋を閉じる。人類の可聴範囲外で音が聞こえはじめたらしく、セルマが頷き、もう一度そっと触れてみた。
「あ……皮膚ね、今度はちゃんとしてるわ」
数回指先で軽く力をかけると、圧力に反応して腕の表面がかすかに窪む。俺も指のあたりを触ってみた。軽く爪を叩くと……わずかにピクリと動く。脊髄反射の機能も内蔵してるのだろうか。せっかく動作させたんだし、できればテストくらいしたいもんだな……。
「回復魔法使えるメリッサなら、俺より詳しいかもしれんな」
人類非人類問わず、不死のフランクまで治しちまうんだから。
「今日は?」
壁の時計を見上げる。そろそろ帰ってくるか……窓から『巨人』通用口を眺めたが姿は見えない。なんやかんやいっても厨房中心スタッフの一人だし、目途がつくまでは戻らないか。気苦労の絶えないヤツだ。
「本当は休みだから、早めに解放してもらえるだろ。我が家の分はその時持ち帰るはずだ……さっそく食ってくのか?」
「モチのロンよ」
「じゃ、みんな帰ってきて一息ついてから、お披露目とするか」
◇◇◇
帰宅した面々が着替えや風呂を済ませるあいだに、新年から使う『セルメル』用のネタメモを見てもらう。ニルは極悪非道な森の木として出演すると言い張っており、狂言回しに使えなくなった。
「神出鬼没のニルフフンの樹って言ってたわ」
アドリブで全部やってもらおう。何を書いても文句言いそうだ。
「コモノ、さっきの歌、物語があるの?」
「あ……あれか……酸いも甘いも嚙み分けすぎた大人向きの話だ」
略奪を生業とするその日暮らしのクズ、攫われ囲われてるうちにおかしくなった女たち、そんな女たちの産んだガキも溢れ、いつしか仕事みたいに略奪を行い精神を削られ消耗していく連中が、ふとした拍子に正気に還った一瞬の心象風景……俺はそんな風にとらえている。
「クズのクズな一生を一瞬だけ輝かせる光芒、といったイメージだ」
「あんた、狂気とか大スキよね……もう一度弾いてくれる?」
軽く踊りたいという。
「別に構わねえが……歌詞を書くか? 五分もありゃ終わる短い曲だ」
「ううん。とりあえず、先入観なしで」
再び床下倉庫を開けて、先日手に入れたセミアコ型の魔楽器を取り出す。魔導アンプは使わない。殺伐で投げやりな内容だと、俺は柔らかめの音色で優しく表現したくなる時が多い。去年の今頃か、俺が延々と演奏したおかげで付き合って踊ったセルマがぶっ倒れアレックスに大目玉を喰らったが、オンテンポ、ポップスみたいな小曲だから心配ない。軽いリハ気分だ。
歌い始めるとアレックスとニルが覗いたが『セルメル』系の相談だろうと察して何も言わず扉を閉めた。セルマの踊りを観ながら綺麗にまとめて終える。先日見せてくれた二種類の動きのうち、コイツらしい、微妙な引っかかりのある動きで統一していたようだ。
「曲自体は綺麗で分かりやすいのね」
「……男目線じゃなく、狂気に堕ちた娘の一人が、ふと正気に返ってみたんだな……正気の自分に耐えられず、すぐ狂気に戻りたいという感じの……不幸か幸せか分からんが」
砦に囚われた一人の娘の立場に見えたので、その印象を話した。
「今度、一回試してみたい……ニルもメリッサも踊れるし」
「人形劇でミュージカルにするのか?」
「生身でないと無理よね……影絵とかできないかしら?」
影絵……シーツの向こうからライト当てて、シルエットだけ見せるヤツね。
「光源を準備……メリッサに頼むか、ランプや魔晶ライトで照らすか」
「あくまで実験。ジミ子も顔が出なきゃいいわよね?」
ライアープロのアイデアの多くがセルマの発案だ。直観とセンスは皆が当てにしている。『セルメル』と無関係でも、とりあえずリハは録画しておこう。
◇◇◇
メリッサが持ち帰った新年用の料理をつまんで腹ごしらえした後、義肢のお披露目とテストをするため俺たちの部屋に移り、メリッサに回復魔法系の魔力観察を頼む。
「分かるかしら……?」
「正常に動作してるか程度は試しておきたいんだ。接触部にだれかが皮膚を当てれば、何か反応すると思うんだがな……ライアも手伝ってくれ」
うーん、と微妙な困り顔になったがモデルの責務と思い直し、引き受けてくれた。
「師匠、分かったことあったら、教えて」
「数式ねー……聖教会系のだとすると、AK47の異球面か……自習してる?」
「うん。微分構造の拡張と立式まで読み終わった」
あー、俺は聞きたくない超高等数学。敏腕マネージャーは自腹で買ったヘルソニック社製のコンパクト魔写真機、GH3を持ってきてテストの様子を撮影する準備。ふだんはセルマとニルの宣伝材料として現場スナップを撮影しているが、いきなりストロボを作動させて周囲を驚かせ、俺がお詫びに回ることも数回に及ぶ。無表情マネージャーによる俺の酷使と虐待は知れ渡っており「竪琴さん」を怒鳴りつける無謀なスタッフはいない。いい加減覚えてくれよ、使い方。案の定、動画機能を初めて使うため俺がセットすることに。
今回の義腕は汎用、胴側の接触部から人類の神経信号や非人類の魔力系パルスを受け取りなんやかんや、それが変換され俺の組みあげたアナログ回路を通り、先日届いたデジタル部、小型魔導モーター内蔵の機構部へと伝わっていく。信号を受けとっているかも分からないので、まずはライアが接触部に指先で触れて、メリッサが茶の瞳を素早く動かして様子を確かめる。
「……ライア、指先を動かすイメージを伝えてみてくれる?」
うーん、と真剣な顔でやってみたが反応なし。アレックスが、実際に指や手を動かせば信号も正確に伝わるのではないかと言い出した。卓上に置いた義肢の接触部に、跪いたライアが肩の外側をそっと触れさせ、上を向けていた掌をおいでおいでをする要領で動かすと……あら、動いた。全員意外な表情、アレックスがGH3を義肢の手に近づける。
「はっきり映らんぞコモ。不良品か? 直せ」
レンズの最短撮影距離、35センチメルカルを保てと厳命した。アバウトな指示を嫌うコイツには数字で伝えるのが楽である。ライアが呟く。
「……ちょっと、きもちわるい」
悪影響かと一瞬焦ったが、自分と同じ動きを機械がやってるので生理的な軽い違和感を感じただけだった。指を一本ずつ折る、数を数える……反応速度も良好、姉妹みたいに仲良く動く。手首も正常に動作した。メリッサに分かる範囲では人体からの信号は正しく変換されており、ニルセルも異常は感じないという。
「……妙な波動や負荷はないし、……逆の流れが僅かにあるけど、感覚を伝える信号に似ているわ。機械の部分は分からないけど、弟子は大丈夫、全くの健康体ね。影響も皆無」
休憩後、今度は感覚が伝わるかのテストをやることに。
「いい? 信号が過大に増幅されたり、フィードバックする可能性もゼロじゃない。あたし達が感知したらフランク、即座に引き離してよ」
「分かったよ。ダイジョーブ、任せてー」
メリッサはライアの肩に手を当て、様子を見ながら俺に合図した。微小な刺激が巨人の大槌ほどに増幅されたり、接続ミスで指への刺激が人体の全く異なる部位に届いたりする可能性もあると警告されているので、全員緊張する。フランクの使う中で一番細く柔らかい絵筆を借りる。動画撮影中のアレックス、万が一に備え精霊魔法、最悪の場合暗黒魔法で義肢を消滅させる準備までしているセルマとニルも不安げに見守る。動きを予告し、その通り実行するようメリッサに三度目の注意を受けてから、俺は筆先をそろりそろりと人差指の先端に近づけた。
「じゃ、麦の穂が軽く触れる程度の力で、さっと撫でてみるぞ」
ライアが頷いた。筆先が指先を僅かにかすめたと思った瞬間、義肢は大きくピクリと動き、メリッサがライアを後ろに引っ張り、フランクが義肢をライアから離した。全員凄い勢いで立ち上がり、室内の気温が下がった一瞬。
「「大丈夫!?」」
だがライアはびっくりしただけで、腕をくるくる動かしながら、感触があったことを報告。不完全ながら人体と連携することで、本来の筋力に近い出力が発生し、義肢本体に内蔵された反射機能によって跳ね上がったのだろうという推論。
「人差指か中指か、ちょっと分からなかった」
肝を冷やしたが、ライアは怪我も異常もなく、本人の希望であと一度だけ試すことになった。ふたたびライアの肩にフランクが接触部を触れさせ……すぐライアが報告した。
「フランクの右手が握ってる感触。このあたりで感じる」
左指で自分の右の二の腕の下部を指した。義肢のその部分を、フランクがでかい右手で優しく包み込むように保持しているのだ。GH3を止めたアレックスが言った。
「充分だ。専門家不在では不安が大きい。中断を提案する」
動作していることが確認できたので、ここで終了。魔晶を抜くため腕の開口部を開ける俺の様子を、皆が物珍し気に眺めた。
「本当に貴方が作った部分が存在し、機能したのか?」
作業中の姿は夕方セルマも見ている。でも信じられないだろう。
「疑うのも当然だな……そうだ、おまえのGH3、俺がセルマんとこから拝借した魔晶スクリーンに繋げるだろ? 大きい画面で見せてくんねえか」
馬小屋から運んできたスクリーンで再生し、時々一時停止しながら観察する。指先のアップは、機械と知らなければ本物の手の動きだと思うだろう。違和感を感じたのか、またライアが複雑な表情になった。
「ニル、腕と記録を合わせてパスカンの旦那に送るほうがいいよな。……これ予備の魔晶だ。アレックス、入れ替えてくれ」
「了解した」
秋の初めはどうなることかと心配したものの、結果的に予定の開発スケジュールを初めて追い越せた。専門家にも充分検証して貰い、改良箇所があれば直してから、子供達への装着に臨むことができるだろう。何はともあれ俺は安堵した。作業の全体像が朧げに見えたからだ。素材さえ準備しておけば、俺の担当部分はエフェクター2台作る程度の時間で仕上がる。今いる子供たちの人数分を揃えるのはさほど難しくない。俺が専業となって量産した場合だと……月産10台程度だろうか。
「羽根や蔓腕、触手も作れるようになるのかなー?」
フランクの疑問は『空』に通う一人一人の子供を姿形を思い出したためだろう。遊び感覚で色々試させようという発想から始まったが、社会に出るなら自種族のスタンダードな補填具が良かろうと考えるのは当然だが。
「コモノの腕が触手だとしても、バカで泣き虫で姑息でサボリ魔なのは変わらないでしょ。わたしとニルは拘らない。先生も同意見よ」
メリッサも俺に似た考えだが、竪琴母娘はセルマの言い分に納得して頷いている。外見と中身、どちらが大切かというのは一概に決められん。
◇◇◇
何という年の瀬だ。まもなく年が変わるという気分が皆無。食堂に移って料理の残りをつまむ。先日の白ワインは20本買ったのだが、残り僅か。
「明日食う分がなくなっちまったな」
日持ち重視で濃い味つけになっている冷菜が片っ端から消えていく。魔冷庫の食材を使って、新年初日から誰かがキッチンに立たねばならん。夕刻の細かい作業で凝っている首を揉みながら、ドアの上の掛時計を見る……まもなく年が変わる。ああ。パルフィム見られなかった……。俺の視線を追った一同のうち、非人類四人が視線を交わすと一斉に立ち上がり、ちょっと待っててと言って二階に上がった。
「……何だよ? また仮装大会か?」
竪琴母娘も何も聞いておらず、首をかすかに傾げる。待つこともなく四人が下りてきた。最初に入ってきたニルは、虹色の包装紙で包まれた小箱をライアに渡した。怪訝な顔で受け取ると、セルマ、メリッサ、フランクが次々に、無言で微笑みながら大きさの異なる箱を渡し、再び腰かけた。ニルが時計を見上げ、口を開く。
「……ライア=ブレイド=コモン、人族の娘よ。ニルヴァーナ=クロウスカイは、貴女が成人の儀を迎える日に立ちあえた喜びを友と分かち合えることを終生忘れないでしょう。おめでとう、竪琴の加護のあらんことを」
成人……法定年齢だ。春の卒業で名実ともにライアは一人前、72年とはそういう年だった。セルマ、メリッサ、フランクが短いが芝居がかった祝いの挨拶を述べる。
「我が再生を司り道を示してくれた賢明なるライア=ブレイド=コモン様。貴女を弟子と呼ぶ不遜を、我が衷心よりの敬意の顕れとお受け取り下されば幸いです。貴方の生涯を七色の竪琴の光輝が包むよう、精霊とともにお祈りいたします。竪琴の加護の永遠にあらんことを」
「……えーと……コホン。『全き鳥。炎と雷、そして清き水の在る限り、汝の歩みを助けん』……考えたのよっ、ニルセル笑うな! とにかく……竪琴の加護のあらんことを」
「……ボクも苦手だから勘弁してねー。うんとねー。『与えられし暗黙の約定 知られざる神の守ること能わざりし誓言 其が示されぬ意味を汝は求むるか?』……みたいな感じー。竪琴の加護の、あらんことをー」
ぎょっとする隠喩に溢れる台詞もあるが、ライアはあの、瞳を大きく見開いた「瞳で噛みつくが如き」真摯な表情を崩さず、皆の祝福を体全体で受け止めた。一瞬の後、隣に掛けているアレックスが……静かに体を揺すり、笑い始めた。こいつの笑い声を初めて聞いた四人は驚いたが、アレックスは拘泥せずにうふふ、うふふふ……口を両手で押さえ、こみ上げる喜びと感謝に体を揺らし、娘に瞳を柔らかくあてながら、子供みたいに笑い続けた。しばらくは止まらんのだ。仕方ねえ。俺は立ち上がってライアの右後ろに立ち、たった今成人と認めてもらったばかりの娘の、年上の友人たちの顔を等分に眺め、顔を歪めた。
「聞きてえことは色々あるが……俺は誰かのせいで、おそらく死ぬまで、死ぬほど忙しいんでな、やめとくわ。礼を言いてえ気分も無くはないが……暮れの一日を台無しにされたのがこのためだったのかと思うと気乗りしねえな……」
頭を下げるのは日常茶飯事、土下座もみな見慣れている。コイツらを真似た美辞麗句も思いつかない。魔楽機と歌も芸がない。大切な礼を伝えるのは本当に難しい。
「……そうだな……ライアープロが黒字になると俺にも休暇が貰えるらしいんだ。堅物マネージャー次第だが、そん時は旅行でも行くか……俺持ちで」
アーレアの時みたいな豪遊は無理。今度こそ木賃宿の貧民旅行、馬も一頭連れていかないとならんし。分不相応な厚意に対してあまりにもいい加減な礼だと思うが、仕方ない。小物で端役なんだ。肩に置いた手を外さず、最後だけ芝居じみた一礼。ライアも静かにそれに倣う。四人は吹き出し、バカにしたみたいな騒がしい拍手が続く。アレックスがまだ笑っている。メゾソプラノで。
◇◇◇
ニルもセルも泊まりである。さきほど二階に上がった。ヒドイ一日のお蔭で風呂を浴びる機会を逸していた俺もシャワーを浴びて寝支度を整える。部屋に戻るとライアが四種の品をローテーブルに置き、嬉しさと困惑を半々に混ぜた表情だ。アレックスは寝間着の上にカーディガンを羽織りベッドに腰かけ、無言で眺めている。
「どれも俺は初めて見た。特にそいつは、実在してるとは思わんかった」
ニルがくれたのは鈍色の石を一つだけ使い、精霊樹の小片を磨いた小さい玉を繋げた地味なサークレット状の飾り。一部で『閉ざされた空』の欠片と信じられている石、クローズド・ストーンだと思う。パレアス最高峰の秘宝だが存在を知る者はごく一部なのだ。メリッサは全て手書きと思われる恐ろしく古びてボロボロな革表紙の本を贈った。彼女をただ一人認め、陰ながら応援してくれた同族の婆さんから貰った、吸血族の伝承と歴史を綴ったものだろう。三年ほど前、婆さんが粛清される寸前に郵便受けに投げ込まれていたものだったはずだ。
セルマの大箱は最新型箒の詰め合わせかと思ったが……エルフ族以外に身につけられない精霊騎士用の鎧、もちろん本物だろう。全方位魔力感知型の金属は装着者の力量に応じて重量を打ち消し、絹同様に軽く感じられるという。ライアがひょいと置いた箱を持ち上げるのは一仕事だった。左胸や籠手、脛当てに竪琴の金細工があしらわれている。亡くなった兄のため用意していたものに手を加えたんだろうか。
フランクから貰った、掌に乗る程度の透明な星形の立体は水晶細工に見えるが、手に持って覗き込んだライアは瞳ばかりか口まで丸くあけて「……よくわからない……」と呟き、そそくさと仕舞いこんだ。俺とアレックスには何も見えなかったが、おそらくは……収束の大二十面体と呼ばれるものだろう。無知蒙昧の輩が触れると瞬時に砕け散るという伝承もある迷宮産の宝玉の一種、存在は知られているが、迷宮から持ち帰ればこれも博物館クラスの稀有な品だ。
「大した分限者になったもんだ」
軽口を叩き、即座に二人に睨まれる。冗談の通じない連中だ。
「俺には見当のつかんことを言ってるヤツもいたが……心当たりはあるんだろ?」
アレックスは動かず、ライアは下唇を軽く噛んだ後……コクリ。俺は自分の本を突っ込んだ木箱の奥から、三冊の古書を取り出した。
「読みたければ貸しておく。俺にはまだ理解できねえが」
受け取ったライアがタイトルを見て表情を変えた。『無学 その理論と実践』。
「コモ、これ……ううん。ありがとう」
四種の貴重な宝物の横に並べたあと、収納場所に悩み室内をウロウロ……手狭だよな。家主のモニカさんのご両親に手紙を出して、地下室を作るとか、窓側を庭の一部に延長するとか……俺が出てきゃいいのか、馬小屋に居候するか。ライアは何とか品々を収納し終えると、改まった顔つきで、俺とアレックスを底辺とする架空の正三角形の頂点に立った。
「お父さん。お母さん。ありがとう。これからも。私もやりたいことが見えてきた。……がんばる」
公国主催の成人の日記念弁論大会に出るつもりなら、第一次予選で敗退だな。久しぶりに笑ったアレックスは表情筋が緩んでいるのか、世間の母親とさほど変わらない程度に相好を崩していると、俺とライアには判断できる。さて俺はこういう場面も苦手である。
「おいそこを早くどけ。さっき組み上げたから辛うじて1日だけ休みになったが、2日からは煉瓦の牛小屋作りが控えてる。もう臨時休暇が22時間しか残ってねえんだよ。早寝して早起きして俺の愛する創造的文化活動を存分に実施したい。寝床を敷かせてくれ」
何と驚き、初めて二人が俺の布団を引っ張り出して敷いてくれた。シーツを丁寧に伸ばすライアに、いちおうリサーチしておく。
「黒字になったら、どこか行きたいとこはあるか。意見だけは聞いてやる」
「うん」
「どこだ」
「まだ内緒」
あとは言葉を交わすこともなく、おのおの寝床に潜り込む。零時に閉めたはずの『巨人』亭の店先あたりから、まだ酔客の声が聞こえる。全き鳥ってのも聞いたことはないし、不死巨人の謎かけもサッパリ分からん、だが非人類とライアには通じているようだ。マネージャーに転職した元護衛騎士はそれもお守りなさるのだろうか。どっちを向いても意味不明だ。
鈍色、それは『閉ざされた空』の色。大きな榛色の瞳を見開いた生真面目な娘が鎧を纏いフィアレスに赴く後姿をふと思い浮かべるが、俺はその角度から芝居を見たいとは思わなかった。端役は斥候役として序盤に吹き飛ぶのが本道だ。主役やミステリアスな脇役には事欠かないのだから、彼女の前をチョコマカと落ち着きなく走り回りドカーンと吹き飛ぶのがいいだろう。そしてカットの声のあと、ボロボロで微動だにしなかった俺は治療を懇願し、地味女の手当を受けながら、相変わらずの立ち回りの不味さを皆から罵られることになるはずだ。
七人と一頭でフィアレス観光……幾らかかるのか。おっとプロダクションの黒字化が前提だよな。人形芝居やローカルCMに補填具、女優グッズ販売や影絵ダンスの商品化程度じゃ到底無理だ。輜重課主任と相談しモグリの運輸業をやってみようか。だが輸送ギルドにバレて巨額の罰金を払うハメになるだろう。すると小屋作りか。馬小屋牛小屋、木造石造なら二日で仕上げます、ご用命あればマネージャーまで。これが一番堅実ではないか。そうか実は俺の天職かもしれん。うむ、さっさと寝よう。起きたらダラダラ過ごし、煉瓦積みと漆喰の攪拌という激務に備えるのだ。2日と3日は晴れてくれると助かるが。昨日の俺は柄にもない振舞をしなかったよな? そうすると大雨が降るのだ。氷雨の中、寂しく煉瓦を積むのはイヤだ……。
◇◇◇
夢に隊長殿と子供たちが出てきた。『から騒ぎ』に客演させろという。子供はともかく、隊長殿はやめてくださいよと答えると、では料理教室を担当させろ、断れば銃殺だと仰る。もちろん断って逃げる。突然土魔法が発動し地が割れ巨大な義肢が現れて俺をつまみあげる。放り出された先はプレゼンスの牽く馬車の御者台だ。道端で昼寝している不死巨人が、そっちはアブナイよーと教えてくれる。前方に鈍色に輝く砦が見える。酒乱エルフ達のバカ笑いと輪唱に合わせ焔と滝と雷が荒れ狂っており、もちろん引き返そうとするが、背後で細剣を握る金髪の少女は問題ないと断言する。手綱を無視してプレゼンスは疾駆する。
翌朝目覚めると『事務所盛業祈願 10:00 オーシャス山頂祠』という流麗な一行のメモがテーブルに置いてあり、誰もいなかった。今は……9:15。俺は顔も洗わず着替えて飛び出した。遅れたら仕事の不首尾は全て俺に押し付けられる。新年の朝、俺は昨日も走った道をしゃにむに突っ走ったのだった。
作中の詩は偉大なるJack Bruce and Pete Brownの 『Theme for an Imaginary Western』の世界をより頽廃的に解釈し、大幅に誤訳したものであることを明記します。小物爺




