第六話 端役巨人 先輩女優を怒鳴りつける
翌日から俺たちの暮らしが少しずつ転がり始めた。転がる、というのは主体的な行動とは言い難い。ローリンストン、成り行き任せというのが適切だ。
コーさん(本名を未だに知らない。コーさんはコーさんである。スタッフもそう呼んでいたのだ)は俺たちの存在を重宝に思ってくれ、助監督を務めるカリムさんと打ち合わせて幾つかのシリーズで声をかけてくれるようになった。チンピラ度100%の俺の顔は印象に残りやすいそうだ。出てきただけで3分後に惨殺される端役と分かるのは、ある意味役得だと言われた。
メリッサは数本の仕事をこなした後、単体で前後編に出演しないかという依頼が来た。主人公パーティーに毒を盛る暗黒淫売宿(どういう店なのか)の悪女将だという。俺とフランクは狂喜乱舞、ぜひ出ろ、すぐ練習だ、お前も遂に女優への階段を、ギャラ少しは寄越せとけしかけたのだが……断った。
「あたしね……なんかね、十把一絡げの悪党の一人しかやりたくない」
これまた謙虚だ。バンパイアで地味で謙虚。どういう方向に行きたいのか。
「……パッと出て、やられて、すぐ忘れ去られる方が楽。その役柄にもちょっと抵抗あるんだけど、それより……」
微妙な機微もある。芝居ですらやりたくないこともあろう。俺だって正義の士をやれと言われたら全力で拒否する。正義、善、倫理……受け付けないんだよねー、そういうの。正論で悪人を成敗するのも気分が悪い。フランクにも似たこだわりがあるかもしれん。
「いいんじゃねえの」
「ボクもね、自分が間違った存在として作られたという自覚があるから、そういう者を生み出す役は……やりたくないかも」
「そんなわけで、ね。……ギャラは惜しいけど……贅沢いってゴメン」
「気にすんな」
◇◇◇
『鋼の転生者』はシリーズ好調、天界竜のいる天界への扉を開く鍵作りに必要な7種の貴金属を集める旅が始まり、オリハルコンを入手するためにマッカーティー山脈を踏破しているところだ。貴金属狙いの姑息なこそ泥パーティー役としてめでたく2回目のオファーをいただき、全力で血塗れになってきた。雑魚パーティーを一蹴し山頂を目指す主人公たち、彼らが歩み去る後に残った、雪原に広がる深紅のカーペットの一部が俺たちの血だと思うと嬉しくて嬉しくて。少しアブナイ趣味に目覚めかけているかもしれん。
転生者キリットさん演じる勇者カシアスのパーティーはネコ耳ちゃんとダークちゃんに加えて竜娘、水の精霊、ハーモナイザー帝国の王女、イーブンタイド神殿の最高位僧侶姫、冥府の王を裏切った暗黒騎士嬢にまで拡大。もちろん全員がキリットさんの伴侶だったり恋人だったり嫁だったりする設定だ。実際にもパメラさん、竜娘のビスタさん他複数名が嫁枠でのキャスティングらしい。
ダークちゃんはフランクのことを覚えていた。印象強いのは得だな。倉庫裏でこそこそ帰り支度をしていたら「あら、こちらに……」と覗きに来てくれたのだ。準主演女優、しかも美形ダークエルフ。3人とも最敬礼でお迎えした。
「ほら、やっぱりお会いできましたね。言ったでしょ?」
とフランクに微笑んだので、メリッサと共に妙な雲行きに首を捻る。フランクは勇気を振り絞り、大斧を取り出してサインを示した。
「……これ、一度も折れてません。ダークさんのお陰です!」
役名で呼ばれたダークちゃんはキョトンとした顔の後、コロコロと笑い始めた。偉い人なのに気さくだな。メリッサが宜しかったら、と水筒のお茶を勧める。
ダークちゃんの本名はニルヴァーナという。涅槃ですか。言わないけど。
「ニルでいいですよ」いやいや無理っす。
「フランケンシュタインやバンパイアのお話、けっこう好きだったんですよ、子供のとき。外の世界を眺めてみて、どんな感じですか?」
またフランクが話を振られている。うむ、気配りのネーチャンだ。エルフの外見年齢は実年齢が全く分からない。
「まだ慣れてないです。でもボク、おそらく運があったんだと思います」
いやいや。あのまま俺が奴隷商に売り飛ばしていたら金持ち貴族に買われ、一人娘に懐かれチヤホヤされてたかもしれんぞ。
端整な浅黒い顔、黒い瞳が笑顔でこちらを向いた。
「コモノさん、偏見はない方なんですね」
「いや、俺はともかく、この業界ってそのあたり全然オープンですよね」
フランクとメリッサに珍奇な目が注がれたかといえば、記憶にある限り皆無である。他の獣人、異種族、魔人族、エキストラの竜種に至るまでギスギスした感じはないのだ。
「そうですよ、転生者も大勢いるし。それで、コモノさんも偏見は全くないのですか?」
◇◇◇
……小心者は言葉の裏に隠れたトゲに異常に敏感である。これは少々絡んでいるのであろうか、ダークエルフ的な慎重さであろうか。
「……どうかな……今は同居で俺は好き勝手言ってますけど、偏見まみれかもしれないっすね。それはこいつらが決めてくれるでしょ」
メリッサが重くなりかけた空気を察知し、軽い調子で便乗してくれた。
「けっこうひどいんですよ。ニンニク嫌いなヤツには肉は一切食わせるなとか言ってきて」
笑ってくれるかと思いきや……え、少し温度が下がった気が。
「……そうした些細な物言いがデレハラの始まりなんです。私に笑いとばす器量がないのがいけないのでしょうけれど」
デレハラ、正式名称はディファレント・レイス・ハラスメントだったか。知性大戦の遠因の一つでもあろうし、同化政策の行きわたった現代でも根強く残っている非人間蔑視と差別の通称である。占領後に公国が公布した新憲法は基本的存在権を非人類にも認めているが、それが魔界側の傀儡政権による押しつけだと考える連中は未だにいるし、非人間の就業率が高い業界は相対的に社会的地位が低く形見の狭い思いもする。もちろん教養のある連中はデレハラ的要素を嗅ぎつけると共同で声高に糾弾するわけだ。うえー、フランク、おまえ御贔屓のダークさんは少々俺には苦手なタイプだ……穏便にいきたいな。
「みなさん種族差に配慮してお仕事の現場に臨んでいるのです。何気ない一言とお考えかもしれませんけど……悲劇や不幸がそこから始まる、ということはあるんですよ」
ダークだが潔癖症ですか? と混ぜ返せる雰囲気は皆無である。
「……気分害したらすみません、しばらくの間、意識して注意してみます」
こう言い残して逃げ出そうとした俺の肩を抑えるヤツがいた。
「ニルヴァーナさん。ボクはさっきの撮影の後、コモノに『死んでるかー?』って言われたから『そっちは死んでないのー? 頑張って』って言ったんだけど」
肩の手に力が入る。俺に加担してんのか? 空気を読め!
「コレって、死ぬ運命の生物を、不死であるボクが馬鹿にしたことになるんですか? デレハラになるんですか?」
ダークさんの顔がマジである。メリッサは……ヤバイことになったと混乱中。クビ、または干される。名のある女優に端役が突っかかってどうなんだよ! どうする?
「いやフランク、勘違いするな。非人間と暮らす側の一般的配慮をニルヴァーナさんがそれとなく伝えてくれただけ……」
だがフランクは断固として俺のとりなしを遮った。
「勘違いしてないよ。コモノも分かって言ってるよね。誤魔化しは良くない。どうですか、ニルヴァーナさん」
……ダークエルフに知り合いはいなかったが、なぜダークエルフが恐怖の象徴として取り沙汰されるのか、今のニルヴァーナさんの顔を見て納得してしまった。細められた目が端整な細面と相まって……マジ怖い。
「……あなたが幸せな迷宮暮らしを始めるよりもずっと、ずっと前から迫害され続けた多くの非人間が、抗議の声一つあげることもできずに葬られてきたのです。あなたにはそうした哀しみの声が聞こえず、その重荷を背負ってもいないだけ。だからそんな甘いことを言っているのでしょう」
フランクは真っ向から強い視線を受け止めている。半目だから恐怖も半減してるのかとバカな考えが頭をよぎり、あ、これもデレハラかと苦り切る。この状況では立ち去るという選択肢が消滅した。どうすんだ、不死の怪物!
「ボクは幸せだったんですか?」
「おめでたい、と言い直すべきかしら。あなたがこれから直面する全てが、幸せなあなたに現実を伝えてくれるはず」
直後、俺たちはフランクの本気の怒鳴り声を初めて聞くのであった。
「おためごかしは沢山です!」
決してでかい声じゃないが、倉庫に張られた薄い金属の外張りがジリリと震える程度には気合が入っていた。地声が低いから、響く響く。
「ボクの幸せ? ボクの不幸せ? 勝手に決めないでください、ボクは自ら選んでここに在るだけです。幸不幸なんて分からない。命の不格好な物真似を永遠に続けるだけ。他の不死者も関係ない、ボクだけの問題です。ニルヴァーナさんが自分の不幸を嘆くなら、自分の不快をぶつけているならボクは腹なんか立たない。でも、ボクの不幸を勝手に代弁されるのは不愉快です!」
……もう限界だ。だからコイツは複雑バカなんだよ。
「メリッサ。フランク連れて先、いってくれ」
巨体を無理やり全身で押して距離を取らせ、メリッサに引き継ぐ。フランクは顔色一つ変えずに後ろを向いて、メリッサに背を押されながらのしのし立ち去った。……参ったな。俺を庇う必要がどこにあるんだ。
◇◇◇
「俺に思うところがあるのは分かりました。言いたいことがあれば、ああいうやり方じゃなく、俺に言ってください。聞きますよ」
人にも非人間にもそれぞれの事情と歴史がある。俺と呑気に立ち回っているあいつらを見て、屈託だか鬱憤だか義憤だかが募っていたのかもしれん。
「聞きたいことは一つです。三度お伺いしましょう。偏見はないのですか?」
偏見、偏った見方。どんな答えが返ってくるか分かり切った質問をして追い込むやり口は……。生来の短気がつい顔を出す。
「あるに決まってますよ。実際、不死の生き物が俺に危害を加えようとしたらどうなるか分からない。生殺与奪の権を握られてるのかもしれねえ。俺にとってはメリッサだって同様ですよ、ニルヴァーナさん、もちろんあんたもです。だから偏見は持ってるし、なくならねえし、無くす努力もしてない。俺が孤独な質だから、他人と謀って非人間に石を投げるのも面倒くさくてやらないだけ、でも偏見は俺の体中から滲みだしてるかもしれない。それだけですよ」
「無くそうと努力する気はないのですね」
「その通りです。だから今みてえに、いくら難詰されても腹も立たない。それが正当か、偏見かなんて知ったことじゃない。お互いさまってヤツでしょ」
ニルヴァーナさんは俺の大嫌いなタイプの表情になっている。誰もが信じる正しい理念を認めない愚か者に向けられる、良識を代表した連中の苛立ちを背負った顔だ。
「恨んでいるから、恨まれても構わない? 無垢の幼い非人間も、争いと無縁の弱く脆い者もいました。彼らがあなたに恨まれる理由があるとでも?」
「……答えは、その通り。そういうもんなんですよ。そいつを忘れちゃいけないと、俺は思ってますよ」
更に眉根が寄せられるが、俺の言い分を聞こうとする程度には冷静さを保っているようだ。俺も頭に血が昇っていて、早口で続けてしまう。
「罪なき者を憎み、場合によっては殺めちまう。一人かもしれねえし大勢かもしれねえ。確信をもって行動するヤツもいるし、命じられたまま動くヤツもいる。正しかろうが過ちだろうが……同罪だと思いますよ。巻き込まれただけの連中も、たまたま生き残った運のいいヤツも。生きてるだけで罪なんじゃねえのかなと思う。それでも変わりゃしない。なんにもね。それで死ぬまで生きる。間違ったまま」
ニルヴァーナさんの表情が明らかに変わり、当惑の表情に。
「……あなたも……?」
「何のことだか分かりません。思うところがあるなら、コーさんにでも誰にでも伝えてくださいよ。それとも何か、ご注文はありますかい?」
微妙に動揺しているニルヴァーナさんを気にせず、汚い鞄を持って倉庫裏から出ようとして……大きな壁にぶつかった。
「痛!……いたのかよ」
メリッサが申し訳なさそうな顔になる。
「動かなくて。あたしじゃ無理」
するとフランクは再び大股でニルヴァーナさんに向かい、先ほど同様真正面に立った。慌てて走り寄る。当然だ。馘ならまだしも……まさか危害は……。
「……コモノのデレハラは日常茶飯事です。毎日迷惑してるからボクもメリッサもやり返してます。おそらくこの先も変わりません。ただ、迷宮を出た日から今日まで、コモノが間違ってなかった日は一日もないけど、食べないものの命を奪ったことは今までなかったです。それだけ言っておきます」
つまらないダメ押しをしやがって。プライドなんて金にならないもん、俺はとうに捨ててるのに……ニルヴァーナさんが目を細めた。手が少しずつ上がり……魔法か!? やばい、終わりか? メリッサが身構えた瞬間、
「……フフ……フフフ……フフフフ……」
身を折って微妙に震え始めた。
「……クク……フフフ……! ウフフフ……」
笑い出したよこの人。どしたの? 笑い終えて目頭を軽くおさえたニルヴァーナさん、フランクに笑顔を向けて礼を言いやがった。
「……フフ……ありがとう。そういう叱られ方は久しぶり。貴方の言った通りかもしれませんね」
口元から手を放すと、フランクの手斧を指さした。
「それをお借りできるかしら? もう一回、書きたいことがあるの」
受け取った途端に精霊魔法や闇の呪術を俺めがけて飛ばすんじゃないだろうか……まだビビっている俺とメリッサをよそに、フランクは素直に大斧を逆手に持ち替え、柄の部分を差し出した。ニルヴァーナさんは指先に微細な魔力を呼び出したようだ。指先で柄をなぞると、柄の焦げる匂いが微かに。
「お詫びです。じゃ、またお会いしましょう。そのときは宜しくお願いしますね」
笑顔で立ち去るニルヴァーナさん。
「フランク……今の状況で好感度上げるとか信じられないわ。あんた何者?」
「お前、あの人のファンがいたら確実に殺されるぞ」
「もう死んでるから大丈夫。これ……読める?」
斧の柄には植物の枝が奇妙にのたくったような模様が浮き出している。焦げた匂いがしたから焼印かと思ったが……文字なんだろうか? 呪いとか嫌だ。しかし読みようがない。
「じゃ、いいや。帰ろうよ」
「はー……助かったのかしら。助かったのよね。仕事もらえるのよね」
◇◇◇
その次の撮影は結構ビクビクであった。腹痛を装い2人だけ行かせようと思ったのだがフランクに見破られ、子猫みたいに首筋をつかんで連れていこうとするので諦めた。撮影所の隅っこで目立たぬよう固まっていたんだが、動きの打ち合わせが終わった昼休憩のタイミングでニルヴァーナさんがやってきた。
本日からは新しい衣装、漆黒の妖精といった趣のヒラヒラドレスに杖、ティアラっぽい髪飾りには黒を基調とした模造石が大小取りまぜて嵌っている。目を見るのは怖いのでティアラの一番大きい宝石に視線を当てたまま挨拶した。
「おはようございまーす、宜しくお願いしまーす」
するとニルヴァーナさん、ニコニコ顔を俺とメリッサに向けた後スタスタとフランクの前に。
「フランクさん、私の不遇ならいくらでも聞いてくれるって言いましたよね?」
……? そうだっけ? なんか拡大解釈されてる気がするが、似たようなことは怒鳴ってたな。
「うん。何かあったんですか?」
「そうなんです! 見てくださいこれ、先日撮った番宣の魔写真、ぜーったい私だけ変な顔です。パメラもビスタもエオーリアも、みーんなベストショットです、でも私だけ、ほら、前髪がこんなに!」
律儀なフランクは覗き込み、「あー」「うー」と相槌を打っている。見たいけど近づきたくない。
「それに、今日の仕出し、私のだけ美味しくないお魚のフライが入ってたんです! みんな美味しそうに食べてました! 私のだけパサパサでした!」
なんだこの人。被差別意識……とは無関係だ。なんつーの? 困ったちゃん? 駄々っ子さん?
フランクは延々と続くニルヴァーナさんの日常雑事愚痴ネタを熱心に聞いたあと、タイミングをはかって斧の柄を差し出し尋ねた。
「えっと……ニルヴァーナさん、これボク読めなくて……」
ニルヴァーナさんは差し出された斧の盛り上がった文字を撫でながら、巨人の顔を上目遣いで見上げる位置に歩み寄り、こう告げた。
「巨人さん。それは『プレゼンス』。存在、という文字を彫ったの」
そりゃいい。確かに『存在』してるしな。俺の存在も何とか保障していただきたいんだが……寄らば大樹、いや巨人の陰。ダークエルフに睨まれたら逃げ込むことにしよう。