第五十三話 女優 瑣事と大事を考える
他愛のない風を装う母の話相手を、ニルが律儀に引き受けてくれる間、わたしは馬車の窓枠に行儀悪く肘をのせ窮屈な頬杖をつき、様変わりしたライトクリークの大通りを見知らぬ街として眺めながら、大切な人のため自らを犠牲とするのは、その人をいちばん悲しませることだと書いたのを思い出していた。
それはわたしのことでもあり、お兄ちゃんのことでもあり、母のことかもしれない。久しぶりに帰省した娘を迎え、他愛ない話で場を柔らかく仕立て上げようとする手並み、それはわたしへの許しと無意識な罰、そして母が悲しみを生贄として捧げた結果払い続ける利子の一部でもある。そのことがわたしの悩みの種、でもここにいる。『ここ』とはどこなのかしら。おそらくは、ここじゃないと思うの。
◇◇◇
前夜、ビジネスホテル滞在二日目の夜。
「……セルマ、そろそろ年長者として一言だけ言わせてもらっていいかしら?」
郊外のビジネスホテルの不味い夕食に辟易し、外に出ようと支度をしている最中、ベッドに腰かけたニルが静かに言った。わたしが頑として、実家に滞在しなかったことを嘆いてる。まあ……依怙地なくらい不自然なのは分かってるわ。
「スケジュールについてもつまらない嘘をついて……せめて一晩だけでもお母様と一緒に……そのためにここまで来たのでしょ? お父様にも言われていたの。今からでも予定を変えて、何とか一晩でも……」
実家に近況を伝え、皇国側の依頼が多いパパの仕事に支障が出ないよう手を回してくれたのもニルだ。この件でわたしは頭が上がらない。でも、そうじゃない。お兄ちゃんの『グラン』を持ち出して飛び出した日から、お屋敷はわたしの居場所ではないと思っている複雑な感情をどう説明することができよう。
「……ごめんなさい……ニルが言ってる意味は分かる。みんなそう言ってくれたのも分かるし、有難い。親のいる間に逢っておけって、メリッサにマジな顔で言われたし。でも……あのお家は、わたしがいるべきじゃないところ。そう決めて、ずいぶん経つの。結婚して、子供ができたりしたら……どうかな、そんな気分になるのかもしれない。でも今は……」
真面目な話なの。わたしの在処である『ここ』は、逃げ出したライトクリークじゃない。在処でない場所にいる辛さ、それは『正しくない』感情だと思う。いつか故郷も『ここ』だと思える日が来ると思う。でも、それは今じゃない。
「お母様への負い目がこじれているのでしょ?……優しくするのは優しくされたいからだ、とフランクが小悪党に言ったことがあるそうよ。でも、お互い様なのだとも伝えたんですって。セルマ、感情を潔癖に保とうとするのは無理があるわ。あなたは小悪党を手本とすると言ったのでしょ? 面倒くさいことを先延ばしにする以外にも、少しは真似て、下手なりにでも、ご両親と折り合いをつけたらどうなのかしら?」
折り合いをつける。女優だもの、その程度簡単にできる…と思う。
「でもね、ニル。わたしはパパにもお母さんにも……できれば優しくありたい。だから、そんなことしたくない。偽るのはきっとラク、そうして過ごすのも当たり前のことなのかもしれない。でも、薄情と思われるわたしのほうが……いまのわたしのしたいことなの」
ニルは平静で冷淡にも見える表情で聞いてくれる。冷酷で残忍に映る顔をニルは親しい人間に隠そうとしない。世界は無邪気な害意で構成されていて、自分の本質もそうなのだから構わないと言う。だから見た目で分かる優しさを提供することを、侮蔑と同じなのだと思ってるんでしょうね。でもその論理を他人にも適応してくれるわけじゃない。
「貴方は女優でもあるのでしょ? 今までご両親にかけたご迷惑の償いとして、たとえ一時でも孝行娘の演技をすると思って……それも過程の一つなのよ?」
女優か……肉親の前で演技するのも……精霊の導きは許してくれるわけのない行為、でも……竪琴は許してくれるかしら……。私は力なく首を振り、ニルは深い溜息をつき、窓から見える街の明かりに眼を向けた。
「……致し方ありませんね。せめて明日はお母様としっかりお話をして……と、これも余計なことかしら。……しかしセルマ、ここの夕御飯はすこぶる、たいへん、非常にケシカラヌものだと思いますよ。もう少しまともな物を出すホテルなら私も気合が入り、あなたの説得くらい、闇の威光であっという間に……」
諦めてくれた。これも甘えなのだ。ゴメンね。
◇◇◇
パパは急な仕事が入って墓参に同行できなかった。事務所まで馬車で迎えに行き、御者の少年を残して母が呼びにいったら、しばらく経って慌てて駆け下りてきた。膨大な書類と格闘するのが仕事のパパも、時々はわたしみたいにそそっかしい間違いをするのかしら。今日の3時までに出さないと、お客さんの申請書類が全部水の泡になるという。
「済まない! ……まさか四枚とも先月から新様式とは気づかなかった……セルマ、あと一日二日くらい居られないのかね? せめて今夜くらい屋敷に……」
細面に片眼鏡、幼い頃の私は金鎖を引っ張ってパパを困らせるのが好きだった。
「幸い少しずつだけど仕事が頂けてるの。こんな状況だから、せっかくお話があったなら、一つでも断るのは嫌だと思って……ごめんなさい」
腰を上げて軽く抱き着く。ああ、この上着の感触、いつも変わらない。地元で気に入った仕立て屋さんを見つけてから同じカット、同じざっくりした生地。左肩に顎を載せると、耳元で金鎖がシャラシャラ鳴る小さな音が聞こえる。幼い頃、オフィスに顔を出した私を迎えてくれるのはいつもこの音だった。母がよくしてくれたのを真似て、背中を叩いてみよう。
「はい、パパ今度は間違えないで。わたしだって自分で書類やってるんだから、本職がミスしたら格好つかないじゃない」
フランクにメリッサ、勘弁してよ。これは傷つけない嘘、他愛のないウソだからさ。
◇◇◇
ニルは遠慮して、ママの眠る祠には母とわたしだけで入った。母は物語の木を一枝、持ってきてくれた。パパが何よりも大切にするママの形見の枝、わたしを産んですぐ野戦病院に戻ったママが、実家から持ってきた樹だ。時季外れだけど、もう日の高い時刻だけど、西の空にお祈りをした。守るという罪深さ、これからわたしは何を守り、どんな罪深さを抱えていくのかも分からないのだけれど、その一部はパパと母のことなのかもしれない。
その後でお兄ちゃんのお墓参り。わたしは石室に、フランクが年末に作ってくれた衣装を仕舞わせてもらった。そうするのが「正しい」気がしたから。母が咎めもせずわたしの好きにさせてくれたので、また一つ、負い目を作った気分になる。でも、あの時のわたしはおそらく、ここに納めるべきなんだと思って決めた。負けないためにも。
12年ぶりのライトクリークは様変わりし、観光都市にありがちなお店がずいぶん建っていた。あの頃は一人で出歩くことが殆ど無かったけど、竜車から見える風景は、道にしても建物にしてもずいぶん新しく、都会的になった。
「覚えてるお店がほとんどないわ……女性向けのお店が多いみたいね」
「そうよ、ここ10年でずいぶん都会になったのよ。……ほら、あそこ、公都にもあるブランドのお店、母さんの世代には分からないけど、若い人たちがシーズンになるとスゴイのよ、開店前から公園の前まで行列しちゃって」
向かいに座るニルが相槌をうった。
「昨年は仕事仲間とアレーアへ旅行にいったのですが、今度はぜひこちらへお邪魔したいですわ」
母はわたしの顔を見て、昔と変わらぬ「あら、いいわね!」の顔で私を羨んでくれた。
「アレーアは古い都なのよね……そうそう、磁器が有名でしょ? 綺麗な多色の。何か素敵なの、買ってきたのかしら?」
磁器? ……覚えてない。さすがに大瓶のお酒を背負って帰ってきたとはいえないわ。
「えーと……磁器は連れが見ていたわ……そうそう、剣術の博物館、覗いてきたのよ」
案の定、母は呆れた顔をした。
「アンセルマ……お仕事なのは分かるけれど、観光地でも剣術というのはねえ……ニルヴァーナさん、ご迷惑かけなかったかしら?」
お屋敷で勉強しなくて済む日は必ず、お祖父様のいらっしゃる森の小屋に出かけた。勉強よりもお祖父様から習う剣術のほうがずっと楽しかった。お兄ちゃんが加減してわたしが勝つと、必ずわたしは母に報告し、そのたびに「あら、すごいわね!」の顔をしてくれたものだ。
「とんでもない、剣を振るセルマはお世辞抜きで、皆さんから一目置かれていますよ」
「そうですか……でもねアンセルマ、今回は仕方なかったけれど、次に帰るときはせめて、パパの話を少しは聞いてあげてちょうだいよ。あとで愚痴られるのはお母さんなんだから……」
別にパパと話をしなかったわけじゃない。でも、仕事の知り合いの息子さんや娘さんの話になれば、それがどんな内容に繋がるのかは予想がつくもの。その都度わたしは話を遮り、板挟みで困る母と、平静な顔の下で僅かないら立ちを抱えているだろうニルに頓着しないふりをして、今の仕事や知人たちの様子を話してばかりいたのだ。
「ええ、お母さんがパパに愚痴られるのはちょっと可哀想。パパは人当たりいいから、こぼしはじめると長いでしょ?」
母は「まあ、そんなこと言って……」の顔をした。幼い頃と変わらぬ母の表情のうち、果たしてどれだけが作られたものなのだろう。全てなのかしら。わたしがはずみで女優をやっているのはそのせい? いや、違うだろう。
「今かけているモノクルの金鎖、ちょっと重たく見えたなあ……こっちに金細工のお店、あまりないのかしら。公都に知り合いがいるから、頼んで探して貰ってもいいわ。愚痴っぽい上に野暮ったいんじゃパパの仕事にも差し支えちゃうでしょ?」
母はこれみよがしに渋い顔を作って、ニルに愚痴ったわ。
「お聞きですかニルヴァーナ様……13年家を空け、久しぶりに帰ってきたと思えば……父親への詫びを金鎖一本で済ませようとする有様……カリャーマではつつがなくやっておりますの?」
するとニルは「はい、お嬢様は良いお手本を見つけられたと常々おっしゃってます。その方の薫陶あっての今ですのよ」と余計なことを言いやがった。まあ! という顔になった母に、ニルがいったいどんな話をし始めるのか心配する間もなく、馬車は予約していたレストランの前に到着した。
◇◇◇
レストランの個室にはすでに四人分の用意がされていた。精進落としだからお肉もお魚もなし。そうだ、忘れてた。
「お母さん、パパにも渡しておいて。これがわたしの個人事務所」
『ライアーエージェンシー』の名刺はコモノの知り合いに紹介してもらった職人さんに二百枚作って貰ったヤツ。あとは名刺入れに入ってる十数枚……帰ったら発注してもらわなきゃ。母はしげしげと眺め、こんな感想を。
「見慣れない言葉ね。どういう意味なのかしら?」
わ、そっちに食いついたか。裏面の経歴のほうで呆れられるかと思ったのに……経歴を『ハーフエルフ詐称時代』と『開き直ったグーデレ期以降』に分類して勝手に印刷したのはあの小悪党。詐称時代はまあいいけどさ。グーデレってやめてほしいんだけど。次のロットは絶対変更しよう。あ、『竪琴の加護受けし後』にしようかしら。
ニルが身を乗り出して由来を喋り出した。余計なこと言わないで!と言いたいけど、コイツにも世話になったし、債権者だからあまり逆らうとマズイわ。宥和文化省の件もニルが知らせてくれていたけど、ライアやアレックスの詳しい話は書いてなかったみたい。ウソツキ事務所と憎らしい顔で言ったオッサンを蔦で縛り上げたのは勿論内緒。
「……そんなわけで、その方々の家紋を拝借したのが由来なのです。その方々の御縁で、すでに入社希望の若い方もいらっしゃって……」
「待って待って! それはさすがに盛り過ぎよ、ニル。でもお仕事はみんなが骨折ってくれたおかげだし、その名前をお借りしているからには、とにかく断りたくないの、どんな役でも」
「そう……でもアンセルマが社長さんねえ……ふふ、お祖父様やティポンが聞いたら驚くでしょうね。さっき、ちゃんと伝えたのかしら?」
いえいえ社長ではないから。女優やってることは伝えたわよ。でも負債抱えた個人事業主とまでは……知らせたくないわ。
「お祖父ちゃんが騎士団時代、戦前の公国歌劇に入れあげていたのを知ってる?」
「え? 歌劇?」
母の生家アングル家は旧公国の首都防衛隊所属、でもお祖父様、そんなこと何も言ってなかったわ。大戦後すぐに引退したお祖父様は昔のことをほとんど話さなかったもの……剣術と馬の話以外は。
「若い方々を連れていくという名目でたびたび足を運んでいたそうよ。お祖父ちゃんに何度も聞かされたの」
「あらセルマ、初耳だわ? お祖父様からは剣だけでなく、演劇についても薫陶を受けていたの?」
「いいえ! ぜんぜん。素振りも見せなかったわ。そっか……そうねえ……ニル、『そういうもん』だって思わない?」
「フフフ、そうですねー。『そういうもの』だったんでしょうねー」
そういうもの? と首を捻る母にはちょっと分からないか。
「ああ……仕事の知り合いの口癖よ」
「あら、そう……でもお祖父様、ティポンにはその話を何度かしていたの。お前が騎士になれば歌劇場に毎晩通えるぞ、なんて言ってね」
初耳。お兄ちゃんが16で騎士になっていれば、もしかしたら……いや、よそう。
「ふーん……でもお兄ちゃんは派手な人、好みじゃなかったと思うわ。……あ、逆かな? 大人しかったんだから、じゃじゃ馬に引っ張って貰ったほうが向いてたかもしれないわね」
「そうそう、ティポンがまだ小さいときにね……」
母が再婚前のお兄ちゃんの話を幾つかしてくれた。女の子に間違えられたのか……そうよね、睫毛なんかわたしと同じくらい長かったもん。ニルは面白そうに話を聞いており、わたしの仕事はやはり家柄のせいだと断定してくれた。ナイスフォローよ。
◇◇◇
わたしたちはレストランの前で別れることにした。馬車の荷室を占めるお土産は、申し訳ないけど実家もちでアパルトメントまで送ってもらうことにした。これを持って長距離の高速竜車に……考えたくないわ。
「年に一度とは言いませんけどね。たまには顔を見せにいらっしゃい。今度はご友人の方々と……そうね、やはり秋か冬がいいと思うわ」
「……今年は無理かな。じゃあ一応、来年あたりを目標にしてみるわ」
「ニルヴァーナ様、娘が渋っておりましたら、またお尻を叩いていただけると……またご一緒にお越しください。次はぜひ屋敷のほうへ。主人にも言われておりますし」
「では次の機会には、お言葉に甘えさせていただきましょう。アドミナ様、カテドラル様にお詫びをお伝えください。きっとセルマは伝えないと思いますので、私から代わりにということで」
その通りですと笑う母。じゃあ、と軽く抱き着く。母は昔のように耳に顔をすり寄せたあと、「トンガリさんは、今はマルミミさんなのね」と小さくつぶやいてくれた。お兄ちゃんが勝手に逝ったあと、自らの悲嘆を隠してわたしとパパにばかり気を使う母を見ているのは耐えがたかった。衝動的に整形したわけじゃない。わたしはパパとママの娘で、母の娘で、お祖父様の孫で、お兄ちゃんの妹だった。姿形は問題じゃない? そんなのはやってみなければ分からないことだ。
「そうよ。わたしはアドミナ=セラムの娘、ほら」
母の耳に鼻先を擦りつけてみる。ちょっと鼻の奥がツンとする。それ以上でもそれ以下でもない。このくらいにしておこう。
◇◇◇
ライトクリークから高速竜車に乗って一日、それでもようやく帰路の半分。竜車ターミナルの近くでは宿が取れず、ずいぶん離れた安宿をようやく見つけたのは午後八時過ぎ。素泊まりだから……お腹へったわー。大した理由ではないけど、パパが菜食主義者なのも実家に泊まらなかった理由の一つ、と言ったらニルにほとほと呆れられた。
「ニル、燃料補給にいきましょ。メリッサじゃないけどさ、肉欲ってこういうときに使う言葉だと思うのよわたし」
ライアの手紙には下品な表現を使うべきではないですよ検閲しますよと言いながら、ニルは鞄から竪琴カーディガンを出して羽織った。コモノの公都土産。色違いで同じデザイン、胸の刺繍は4人とも別々なの。
「そういえば、ライアからのは何が一緒に包んであったの?」
「パウンドケーキ3本よ」
実は「ニルさんには内緒」というメモと共にミートローフが1本入っていた。さすが我が舎弟。開けてみたら、角が測ったみたいに直角……間違いなくアレックス製ね……何日かかったのかしら。財布と鍵を持ち、階段を下りていく。207号、覚えておかなきゃ。いちおう色眼鏡を持ってきたけど、バレてしまったので口止め代わりにフロントには色紙を渡してある。
「ではきっとメリッサにも同じものが……貴方と違いメリッサは節度ある食事を心がける感心な貧乏性、おそらく私が戻るころにもまだ残っているはず……パウンドケーキはレモンですかハニーですかトッピングはアプリコットだったの、それともドライチェリー?」
夜の町に出る。カリャーマほどじゃないけど、まだ街には明かりがチラホラ。……どこにしよ?
「わたしの貰ったヤツにはあんたが言ったの全部入ってた。お酒で香りづけしてあった」
「ななななんですかセルマ、自慢ですかまだ残っているのですか、勿論アレックスのミートローフはテリーヌに匹敵する滑らかな仕上がりでしたからあげませんが」
知ってるわよ。ちなみにコイツは2日で完食し、フランクから2本を奪った。闇の伝承第五十八、ミートローフは不死属性と相性が悪いのですよフランクふふふ、とかやったらしい。
「今回の同行に関する手数料、それで手を打ちましょう。領収書は貴女の好きな金額で切りますから安心なさい」
「えー……まあ仕方ないか。一本やろう。それでさ、メリッサのは三色のマシュマロだったのよ。赤、黄、青」
「あら……セルマも知ってるでしょう? ライアの手紙にあった『鳥』のお話」
「ええ、ピクニックのサンドウィッチもそれが頭に残ってて、やってみたの。あれ、有名な話なの? パパに聞いてみればよかったな……」
「私も初耳でした。三原色を加算して茶色、だから茶色が全き色というのは面白い発想ですが……フフフ、やはり地味ですねー。メリッサの料理の腕以外に全き部分を探すのが困難な現状、ライアが気を使っただけですね、ところでお味はどうなの貴女は一つずつ食べたの?……セルマ、その右の角のお店はどうかしら?」
食べ物の話をすることが多い。なぜなのかしらとメリッサに尋ねた時、お前が言うなと鍋掴みではたかれた後、些細な出来事と人生の大事が同じだと錯覚したいからだという悪党オヤジの説を紹介してくれた。そう、私の騒ぎとパウンドケーキの行方、それも大して違いのない問題なんだと思えれば……いや、思うようにしよう。そのうちに本当にそう思えるようになるんだろう。よし、修行。ニルが示したのは『優しき巨人』亭に似た構えの店。居酒屋なんてどこもこんな感じね。
「よし。突進するわ。宿代ケチったんだから、せめて一度くらいは……」
肉欲を満たすべく肉料理を4種類……でも30分後、ニルがベッタリ甘くヒリヒリ辛すぎるバラ肉煮込みをフォークの先でつつきながら、ドヨーンとした雰囲気でバラ肉教の司祭に小声で祈りを捧げる羽目になった。今回の里帰りで美食剣士セルマンプクは敗北したわ。でも明日の夜はカリャーマに着く。届いてるはずの実家土産を持って端役ハウスに突撃しよう。




