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異世界端役の惨憺たる日々  作者: 小物爺
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第五十一話 端役達 春の野で追われる

「ケーククケ! カカカ! 思いしったかグーデレ野郎! おまえは今後負債を返し切るまで債務者だ! 債権者の俺を呼ぶときゃ様をつけろ、殿はやめてくれ」


グーデレのセルマに突き付けているのは鍵と種々の費用、債務一覧。今年で45年になる人生、他人を債務者とした借用証書を突き付ける栄光の瞬間が訪れようとは思わなかった。セルマはまた目を丸くして「グパ?」と言ったまま固まっている。


ここはニルのマンションから15分ほど西にある丘陵の中腹、築11年の三階建て小規模アパルトメント、304号の玄関前だ。グーデレに仕事が少しずつ入り始め、メリッサが世話でお疲れ気味なのも考慮し、新しい住まいをニルと俺で当たっていたのだ。既に二日がかりでニルとフランクが調度品を配置済と聞いている。


「さあセルマ、闇の扉を開くダークマターキー、その呪われた手で冥府に繋がる鍵穴へと……」


「ニル待って。……この看板、ナニ?」


ふふふ。そりゃフランク工房作成の事務所プレートだ。その製作費も請求書に入れてある。セルマは表面に浮き彫りにされ深碧で彩色された文字を読み上げた。


「『ライアー・エージェンシー』……?」


「ケケケクククカカカ! まだお前、個人事業所設置届を出してなかったよな。代わりにやっておいた。これこそお前が骨を埋める零細個人事務所、ライアープロダクション本部だ。経理はフランクがやる。その手間賃も当然お前の負債だククク」


経歴詐称で嘘つき呼ばわりされたんだから、いっそ開き直って嘘つき事務所にしちまえという俺の乱暴な案に、渋い顔のニルも結局同意したのだ。ただし綴りはLYRER。グーデレエルフお気に入りの加護があるかもしれんしな。


「…………」


「ほれグデ子、さっさと開けて客を入れなさいよ。アンタの事務所兼住居なんだから」


ちょっと固まったセルマの手からメリッサが鍵を奪いドアを開ける。ニルが真っ先に飛び込んだ。フランクと2人で配置したのはコイツだ、自慢したいのであろう。入ると玄関側はパーテーションで仕切られた奥行きの浅い、コーさんのオフィスに似た事務スペース。仕事の打ち合わせに使う簡易応接セット、小型クローゼットと資料用本棚。付き人を雇える余裕が出ても、なんとかなるだろう。全体は薄い若草色で統一している。


「ふふふ、簡易式魔晶用スクリーンは用意してありますが、映写用水晶本体はこれからの自分の稼ぎでお買いなさい。今年中には買えると思いますが……いえいえ、お酒を以前のように呑んでいたら大幅に納期が遅れ、セルマが三百歳を過ぎるあたりになるでしょう」


衝立の向こうが居住空間だ。固めのソファは座面が開かないタイプ。メリッサの部屋で多発した惨事を防ぐ一つの見識だろう。部屋隅には5本用の箒保管庫、おそらく剣二本は一緒に入りそうだ。はて、二段ベッドなのはなぜだ?


「ふふふ。私やメリッサ、さらにはライアが泊まる可能性まで考えた深謀遠慮による見事な選択を讃えなさい。ただし家具商でフランクがつぶやいた懸念は一考に値するものでした。『ニルー……ボク、おそらくセルマは、ここに片っ端から脱いだものを放り込むと思うよー』という賢明な推察。しかし! 御覧なさい!」


ニルは芝居じみた仕草でバスルーム前のカーテンを開いた。ありゃ……!


「この憂慮を享けて導入したのがヘルソニック社の定評ある、螺旋ドラム構造で遠赤外線炎魔法乾燥機能つきのCBR750RR型、一昨年のモデルです。私のマンションからフランクが運び込み、もちろん現在私の家にはふっくら仕上げ機能の追加された最新型F900ZR-Xが導入済であることは極秘なのです。依頼主のコモノへ送った請求書にはCBRの下取価格ではなく、F900ZRの現金一括購入時運送料無料激安価格でもなく、両方の新品当時のメーカー希望小売価格を合算して記入しました。これはM16A2アーマーライト粉飾方程式の演算結果から考えても当然のことなのですよ」


慌てて明細を見る。……謀られた! セルマ宛の請求書の魔化製品はCBRの減価償却適用後で計算していたんだ、だがなんで?


「お前の家の洗濯機の新調は無関係だろ!」


「あら債権者に何という口のきき方。転生もできないくせに転生三回分の負債を抱えた無能激貧オヤジがどの面さげて仰るのかしら、フフハフハフ!」


「ニル、でかした。あたしはこの英断、褒めてあげるわ。ほれセルマ、足りないものがないか見てきなさいよ。たかるなら今が最後」


ホパー、とかテニャーと感嘆しながら新居を一周するセルマ。第一声がコレ。


「メリッサの部屋よりずっと綺麗、埃もないし洗濯物も散らかってないし、食べカスもないわ」


もちろん背中に氷弾を入れられピヒャー!と飛び跳ねる羽目になる。ベランダは小さ目だが洗濯物を干す機会は少ない、問題なかろう。台所を見学してゴソゴソやりながら、また文句をつけやがった。


「フランク、魔冷庫があるのは当然だけど、なんで中身がないの? 買い忘れたのね」


「グデ。稼ぐまで肉は食うな。横を見ろ」


イレーヌの実家『ドライセル』食品から礼にと贈られた、プリッツェルと缶詰の大半はこちらに置いてある。飢え死にはしないだろう。


「あとお前、領収書は一枚たりとも捨てるな。経理で必要になるぞ」


さっそく二段ベッドの下段マットレスにグデーとなったセルマは、最近お得意のワガママを言い始めた。


「……えー……ここ坂の途中だし……メンドくさい……あんた代わりにやって」


ニルがこれ見よがしに溜息をついた。


「端役ハウス滞在で明らかに暗愚小悪党の怠惰に感染しましたね。お祓いをせねば。……今回は荷物も少ないでしょ? 自分で全部おやりなさい」


「えー……フランクー、また荷車借りて引っ張ってー。石工の息子さんにサインなら何枚でも書くからー」


「もういらないと思うなー」


◇◇◇


外観やロケーションを眺めにいったニルとフランクとメリッサ。まだ二段ベッドの下でグデグデしているセルマが、マットレスのベッドの隙間に手を突っ込み、プリッツェル箱が何個収納できるかを確認しながら尋ねてきた。


「……二つ教えてくれる? パパがお金出してくれたか。あと、事業主登録の手続きも」


「ニルが大体連絡してたから詳しくは知らんが、親父さんの金はまあ……出てると思う。書類は俺とニルでやったから、そっちは世話になってない。……公証人とか弁護士みてえな仕事なんだって?」


「うん……」


「落ち着いたら一度顔くらい出せよ。俺に言われたかねえだろうけど」


「……分かった」


マットレスの寝心地を確かめているらしく、顔を埋めていて表情は分からない。


「まだ居候続けるって騒ぐかと思ってたが、取り越し苦労だったみてえだな」


「うん。負けたくないから」


「負けたくない? 誰に?」


「ないしょ」


そこでセルマは顔を上げた。はいはい。そういう顔を見せたくなかったんですね、分かりました。


「俺はもちろんのこと、別にどいつも大した役にゃ立ってねえ。まあ頑張ってくれ」


「……引っ越し祝い、やってよ。春だしさ」


「引っ越し祝いというのは、越してきたヤツがご近所や世話になった方々に配るもんだ。間違えんな」


「ちぇ。また小悪党が意地悪したって手紙でチクってやる」


もともとライアは用がなきゃ手紙を書いてこないんだが、4人との文通量が物凄いことになっている。下手すると週に二回は来るのだ、ヤツら宛に。特に羨ましいとは思わんのだが。学業に障りはないのか。


◇◇◇


コルマンス近くの丘、花が見頃だというのでやってきた。すでにセルマは引っ越し済み、一週間後にニルとメリッサが見に行ったが、CBR750RR型洗濯機の効果は覿面で、洗濯物が溜まっていなかったという。台所にも酒瓶や缶が殆どなく、これは偉大な進歩ではないか。


先日の転生食堂サンドを一人だけ食っていなかったニルの希望で食い物は全てサンドウィッチ。何とセルマまで作ってきた。


「引っ越し祝いはわたしの義務だって言われたからさ」


殊勝なものだ。端役ハウスは更生施設にも使えるかもしれん。ギルドにダラシないヤツ預かりますの張り紙を出そう。だがコイツ、料理できんの?


ニルがバスケットを開けた。あらー、見た目はマトモ。赤、黄、青の具材が鮮やか。


「赤いのはこないだ貰った実をジャムにした。黄色はテンパラ撮りの日に、スナウトさんが鉄道内で売ってるカレー粉を分けてくれたから使ってみたわ。青は食べて当ててみて」


ほほう。みなで食ってみる。ジャムは酸味が強いものの上品、カレーは細かくほぐした鶏肉のペーストだな。


「掛け値なしに旨い。さてこの青いのは……」


口に入れて噛んだところザクリ、しばらく噛む……覚えのある味だが……そのあたりで辛みが口に広がった。うわ、コレ青い辛い野菜だろ?


「ゲホゲホ……こりゃ辛いんだが……ザクリの正体が……」


メリッサは辛いのに強い。口の中でじっくり吟味して、あ、と気づいたようだ。


「あー、プリッツェルね? アレ砕いて和えたのね。パンにパン、歯触りが面白いわ」


壮絶に辛いが酒には合いそうだ。発泡酒を一口もらう。


「三色にしようと思ってさ、青い食べ物で悩んじゃって。試しにやってみたら結構イケルと思ったのよ」


「いいねー。季節感があって、お花見にスゴク合うよー」


ニルが赤いのを気に入ったらしく、パクパクと口に運んでいる。


「珍しいな、暗黒呑兵衛。そんなにジャム好きだったか?」


「いえ、これは懐かしい『律動の実』の味よ。精霊のいる森で採れる、季節の果実なの」


なるほど、セルマの実家から送ってきたんだろう。


「カレー粉は転生さんの文化だな。青い辛い野菜って大陸原産だろ?」


期せずして宥和政策みたいなサンドウィッチになっている。メリッサの嫌いなマヨネーズも転生さんが持ち込んだものだったな。


「は! さすがわたし。魔映画女優の鑑、キャスティングもいけそうね」


「そうだ。あんた、ライアの手紙、読んだ?」


もちろん俺は知らない話である。なんだ?


「アハハ。ピエタにプロダクション要項を送ってくださいってヤツね。ちゃんと説明したわ、まず赤字を減らさないと」


ピエタ、ライアの友達のエルフ娘だな。


「フフフ、では黒字転換の暁には私が契約第一号となり、セルマを社長と呼んであげましょう」


「あ、あたし経理と掃除と食事当番」


「ハハハ。社長はニルに譲るわよ」


果てなき夢だな。実現するころにゃ俺はイイ歳、ヨイヨイだ。


「そうそうフランク、先日お願いした私のマンションの棚の修理、あそこに見える木は色合いも太さも私好みです、さあ斧を持っておいでなさい、薄板が二枚と支え板四枚と……」


ニルが発泡酒片手に遠くに見える大木までフラフラ歩き出し、フランクがしぶしぶ後を追い、やはり洗濯物をかける物干し竿が一本欲しいのよとセルマまでついていった。メリッサはセルマのこさえたヤツを、フムフム言いながら律儀に三色順番に食っている。


「よく仕込んだもんだ。感心したぞジミ子」


「シンドかったわよー。器用なのか不器用なのかワカンナイのよ、アイツ」


「それを不器用というんだ。前のアパートじゃどうだったんだ? 俺は二度しか見てねえんだ」


「ああ、太るの気にしてあまり食べてなかったみたい。気づいてなかった?」


「そうか、うち来たときゃガツガツ食ってたが」


「女ってその分、一人だと食べなくなる場合あるのよ。お酒もそのせいだったかも」


「まあ心配ねえだろ。実家に顔は出させるし、お前らもちょくちょく顔を出すんだし、栄養管理は」


するとメリッサはここで食うのを中断し、俺に悪戯っぽい顔を向けた。


「そうそう、言っておかなきゃ。あんたは一人でセルマのとこにいっちゃダメ。それ以上言わなくても分かんだろうから、余計なお世話だろうけど」


……さて、黙ってるのも年上として悔しいな。何と言い返すべきか。


「安心しろ、そりゃねえ。第一条違反で叩き出されちまうしな」


「どうだか。まあ、信じない理由もないかしらね……ライアから手紙、来てる?」


「お前らの方が知ってるだろ。向こうに戻ってからは一通も」


そう……と考える素振りをしたあと、今度はやや真面目な顔で続けた。


「アレックスの食欲がまた落ちてるんですって」


そうか。こっちで食いまくったからな。まっすぐ騎士だからな。


「気を回させたな、こっちの問題じゃねえんだ。本人の拘りだ」


「セルマの件で色々動いてくれたでしょ? あれで迷惑かけたかって、ニルセルは気にしてる」


「そうじゃねえ。昨日今日に降って湧いた問題じゃない」


「必ず言いなさいよ。あんたが何といおうと、一番弟子と母親はあたしらの知り合いだから。嫌なら出ていけ」


「いや……おそらく最悪でも想定内で収まるはずだ。……それにお前の『隠れにくい』状況にもならねえと思うよ、勝手な勘だけどな」


先ほどから遠くでガツンガツンと響いていた音は止み、かすかにミシミシという音が。


「あんたさ……今日のセルマのサンドウィッチ、覚えておいてくれる?」


「は? さっきはあんなこと言って……」


「そうじゃない。これはそれと無関係。覚えておいてくれると……そうね、安心できるかもしんない」


……意味が分からん。意味が分からんことは今考えても無駄だ。つまり、大切なことなのかもしれねえってことだろう。


「さっぱり分からねえが、分かった。……おい、そろそろ支度しろ」


「支度? 何の?」


「しばらく前にミシミシと聞こえたのは一番太い木が倒れた音だ。ここは市民の森、この時期は巡回が定期的に来て不埒者を取り締まる。公共の樹木を切り倒した非常識な魔映画俳優たちの記事がまた『マエ旬』か『批評』に出た場合、せっかく掴んだローカルCMの契約打ち切りもあり得る。トンズラの準備だ」


世の中には深刻な問題ってのが砂粒くらい転がってる。ただ、それと同じだけ、どうでもいい些細な厄介事も晩秋の木の葉みたいに舞い降りてくる。俺の好きな作家に、書いても書かなくてもいいことのうち、書かない方がマシなことだけ書くことにしたヤツがいた。読んだのはガキの頃だったが、人生の真理を衝いてると感心したもんだ。人にも化物にも各々事情は山とある。だが今大切なのは、向こうから小走りにやってくる蜥蜴人の警備員さんを振り切るか、または詫びて事なきを得るかという二択問題だ。バカ3人は笑顔で板切れと竿を振り回しこちらにやってくる。既に共犯と見なされた。こういうとき、俺は必ず矢面に立たされ詰られる。もう諦めよう。


「……メリッサ。トンズラ支度は中断してくれ。もう無理だ。こんな五人組、この界隈で見たことねえだろ? 手配されたらよけい問題になる。警備員さんに渡す食い物と酒を、グデ子が持ってきた籠に入れて準備しろ」


メリッサが肩を落とし、指示通りに発泡酒とサンドウィッチを大儀そうに詰め始めた。蜥蜴人さんのシャーという威嚇音は耳のいい俺にしか聞こえんようだ。端役にはシリアス演技ができない。俺にとって、公都の護衛騎士の積年の苦悩と、公園の木を盗むバカ共の後始末はまさしく等価なのである。さて、どう言い繕おう?


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