第二十五話 発達した数学とは魔法である
「ぎゃー! 先月の金額って……」
郵便物を開けて一瞥、目をむいたあと嘆声とともに食卓にダウンしたメリッサ。手からハラハラと舞い落ちたのは偶数月末に舞いこむ魔法料金の請求書である。
神力、各種魔物との契約、マナ、精霊等の加護で使えるようになる魔法には当然費用がかかる。大昔は『使用者の命』『眷属』『体の一部』『親しい者の命』等々、はなはだ物騒な代償を必要したそうだが、貨幣経済全盛のこの時代にそんなバカバカしい支払を求めるヤツはいない。死後の魂と引き換えになんて言ってみろ、営業担当の下級悪魔に冷静になだめられ、信販会社の契約書を押し付けられておしまいである。各属性魔法の総元締が地上界の各種お偉いさん方と交渉して決めた準公定価格で使用料が決定し、複雑怪奇な数式に基づく料金プランが山のように設定されている。
メリッサの場合は聖教会で資格取得した3級の聖魔法に加え、火水雷の3属性を用いるために支払いも4種の合算だ。聖魔法は2年の固定制一括先払い、火魔法と水魔法はコストの安い精霊協会のセットプランを使っているが、雷だけはそうもいかず、単体の契約となっているので少々高めである。
各人の使用量は厳密に測定され、請求書には過去2か月の細かい一覧が添付されている。メリッサが魔法を使うのは端役仕事と回復、あとは迷宮での戦闘時が主である。我が家の稼ぎ頭であるだけに元手もかかっているのだ。
「どれどれ……げ! こりゃヒデェ」
3枚の合計で4デイメリ近い(1デイメリ=メリッサが一日洗い場で汗水たらして稼ぐ金額だ)。これはシンドイ。
「わー、この日の使用量、凄いことになってるねー」
撮影日には全属性使いまくるので使用量がはねあがる。派手な演出を求められれば否応なく使うしかない。ニルやセルマみたいに事務所所属なら経費扱いで問題ないが、俺たちは明日をも知れぬ日雇い端役である。回復魔法だけは使用回数に応じてギャラに乗っかるんだが、これも溶岩スズメの涙程度。
「……どーしよー……」
迷宮でバイトしたら次回の請求が跳ね上がる。端役仕事で魔法はケチれない。大黒柱の窮地である。何とか魔法消費なしで金を稼ぐ必要がある。だが3人とも遊んでるわけではない。精一杯頑張っているのだ生きるため。
「……自宅でできる仕事とかないかしら……」
在宅ワークですか。まともなのは単価がクソ安いけど……俺たちも手伝えば少しは足しになるか。
「よし、お前は気を取り直してバイト行け。何か探してくるから」
ギルド掲示板で眺め、タリナにも聞けば高齢者向けの単発仕事の一つや二つあるだろう。げっそりしたメリッサを無理やり送り出す。
◇◇◇
一週間後の宵。宅呑みを拒否してばかりの俺たちを不審に思ったのだろう、安酒と少々の食い物が誰かから届いたようだ。そこにニルとセルマがくっついていたが見ないふりをする。
「遅くまで配達ご苦労様です、じゃあこれで」
ドアを閉じようとしたが風魔法の突風でこじあけられ、俺は吹き飛んだ。
「なによ、付き合い悪いわよ。先輩のお酒が呑めないっていうの?」
「フランクが虐待されている気配を感じます。あ、あそこです。突進!」
もう遠慮というものがない。芸能人というのはどこかオカシイ。
「何やってるの!? 何この臭い?」
俺の部屋一面に散らかる大量の瓶と漏斗、薬缶、薬物に水の瓶、分銅秤……俺たちが引き受けたのは聖水、各種属性魔法を打ち消すための反属性液の調合と瓶詰だったのだ。
神の祝福を受けた水で邪を祓いアンデッドを浄化する……なんてことが現実にあると思いますかい? ないですよねー。現代はテクノロジー万能の時代っすよ。特定の薬品が属性と親和性を持つことはかなり昔につきとめられていた。火なら硫黄、木なら窒素リン酸カリウムの3つ。精霊系と非精霊系で微妙な差があるようだが、属性に反する薬物を含んだ水を撒くことで一定時間魔法を無効化する、これが聖水の基本だ。
初心者に多い、魔法職を持たない冒険者パーティーは各種の聖水を一通り揃えて迷宮に潜る。魔法職がスタミナ切れでダウンしたときの予備として買う連中もおり、聖水には一定のニーズがある。
ギルドの掲示板で自宅ワークを探しているとき、タリナの紹介でギルドの在庫係から受けた依頼である。材料や瓶は全て向こう持ちであるが、分量が半端ではない。調合した液を小瓶に入れて密封、種別と使用期限を書いたラベルを張るだけの簡単なお仕事……だと思ったが甘かった。液の調合が俺、瓶詰と密封がフランク、メリッサは手書きラベルを貼る係。まずメリッサが悲鳴を上げた。3日めの夜から眠れないという。セルマに泣きつく。
「……夢の中でもラベル書いてて、右手が痙攣して目が覚めるのよ……」
「……うわー……地味にイヤだわソレ」
フランクは計量マニアになってしまい、石切場のバイトにも分銅秤を持っていき、切り出す岩の重さを揃えないと気が済まないという。
「……フランクの真面目なところが裏目にでましたねー」
「コモノの目つきがいつもよりも更に陰険なのはなんで?」
「薬を溶かすときに揮発成分で目が痛むんだよ」
さいきん朝起きるときに目が開かない。大量の目ヤニで固まっているのだ。
「これだけ過酷な内職に勤しむ貧乏人をこれ以上虐待するな。帰れ……って言ってるだろ! そんなトコで酒を注ぐな! 聖水に入るだろうが!」
でかいバケツに溶かしている聖水の真上にセルマがグラスを出してニルが注いでやがる。計量に真剣なフランクの表情をうっとり眺めるニルの手元が狂いバケツにドボドボと安酒がこぼれているのだ。
「大丈夫だいじょーぶ。酒は百薬の長よ」
「……メリッサ……水魔法で分離とかできねーか?」
「やめてよ! いま魔法使ったらまた支払い跳ね上がるわよ」
そうだった。チクショウ作り直しか。
「ニル、それを捨ててこい。庭に撒くとフランク自慢のお花畑が甚大な被害を受ける。裏の側溝にでも捨てて水で綺麗に洗ってもってきやがれ」
「お客様に何と不当な扱い……フランクー! また小物がわたしをいじめるのですよ、助けてー」
「あ、ボク持ってくよ」
お前が行くなよ、戦力が減るだろうが。するとセルマが酒のグラス片手に分銅秤をいじり始めた。
「なに何ナニ? 同じ重さにすればいいんでしょ、要は。簡単よ」
おおまかな分量を注いだ瓶が大量に並び、フランクはその重さを測定してスポイトで調整しているのだ。セルマはその瓶を一つずつ掌に載せて、
「……オッケイ……足りない……足りない……多い……」
ヤマカンで分別してやがる。まあフランクの作業だからいいか。戻ってきたフランクに、セルマは酒を呷りながら告げた。
「フランク、そっちは足りない。こっちは多い。その間のは大丈夫よ」
隣でバケツをかぶり「おお闇に閉ざされしわたくしを救いに来てくださる大男様はどこですかここですか?」とフランクの腕にかじりつく暗黒エルフは見ないことにする。
半信半疑のフランクが測ると……げ。ホントだ。
「なんで分かるんだ」
「そんなの簡単よ。聖水一瓶ってワンショットでしょ、お酒と同じ」
はははーん。酒の量なら手が覚えてるわけか。
「俺は初めてお前を尊敬した。酒乱も使いようだ」
計量をセルマに任せ、フランクは腱鞘炎で泣きそうなメリッサのラベル書きを手伝うことに変更。俺だけ作業量が変わらないのだが。
「バケツを返せ。ついでに手伝え」
ニルの頭からバケツを奪い調合を再開。えーと……。
「おお貧相な小男よ、よくぞ私を闇から救い出してくれました。お礼におつまみの一つや五つ作りたいという気がしてきたでしょう、今すぐお行きなさい厨房へ。しばらく前に食べてさしあげた生ハムはまだ残っていますか賞味期限切れですか?」
「ああ、忙しくて食ってるヒマ……っておかしいだろ! 助けられたならお前が恩を返せ。このレシピ通りに薬を入れて水を線まで入れてよくかき混ぜろ」
つまみを作らないと更なる悲劇が訪れる予感がする。やむを得ず厨房へ。堅くなったパンを一口大に切り刻み軽く焼き、チーズ、魚の燻製、生ハム、ジャム、豆のペーストを適当にぶちまけて終了。下手に粗末なものを作るとあとが怖い。
戻ってみると……ニルがバケツの中をハミングしながら覗いている。中を見る。
「……おい。俺は魚介のスープを作れと頼んだ覚えはねえぞ」
「ああ、この子たちですかー? 大丈夫ですよー」
バケツの中になぜ魚とエビがいるのか。だが魚はクルクル回って聖水を攪拌し、エビはハサミで溶け残りの結晶を砕いている。し、仕事してるぞ?
「これも魔法か?」
「そうですよ。闇属性の生物の一部なら呼び出せます。それはブラックタイガーとブラックバスですねー」
「……いま作ってるのは光属性の聖水だが、問題はないのか?」
「大丈夫ですよー、ナマモノですから。火を通すと動かなくなりますけど」
……理解できない。突っ込む場所しかないのだが……疲れるからやめよう。
「フランク、メリッサ、手を洗ってこい。休憩だ。こいつら来てるんじゃ仕事にならねえ」
食堂に移動、カナッペをつまみながら休憩をとる。
「魔法の属性ってヤツがどうにも分かんねえ。だいたい金払って使えるんなら俺だってフランクだって使えても不思議じゃねえ筈だ」
「あー……素人はそう思いがちよねー。ちっちっちっ」
セルマよ、左手の小指の爪を楊枝代わりに使うのは女優……いや、女としてどうなんだ? ニルもそれは同感らしく、柳眉をわずかに顰めてから続けた。
「……お金で物事が何でも解決すると思っている不幸な愚か者がここにもいたのですね。情けない」
「いや、実際金払ってるじゃねえか」
はあー。ヒデェ、メリッサも一緒に揃って同時に溜息をつきやがった。賢明なフランクは会話から撤退し、カナッペに載ったニシンの酢漬けを裏返しにして苦手な目玉がないことを確認中。切り身に目玉がついてるわけないだろ、バカ。
「アレは魔演算処理の代行手数料に決まってんでしょ。演算式の構築は自分でやってんのよ。努力もせずにウインチェスター型散弾式濃度変数やAK47異球面近似接線方程式が解けるようになるわけないでしょ?」
「………………………………………………。済まない、メリッサ。俺の知っている言葉がほとんど無い。何と言ったんだ? おかしいな……おまえが数学の話をしているような気配を感じたんだが……」
もう一度3人揃ってハーッ。これ見よがしにやりやがった。ジト目のセルマが憐みの眼で俺を見る。
「アンタごときに分かる表現を使えるかわかんないけど……魔法ってのはね、数学なの。アンタのいう魔女ってのは、瞬間魔演算能力を苦労して身につけた女性の総称」
……長生きはするもんだ。俺、魔法って何なのか、43にして初めて知った。
◇◇◇
聞かなきゃよかった。ニルの長広舌は終わる気配を全く見せなかった。
「……そこで、対象にどんな作用を及ぼしたいのか、最低でも魔分子レベルで、できれば魔量子の拡散範囲を考慮にいれたシミュレーションを行うの。その際の基本モデルは闇魔法ではM16A分布、精霊魔法系ではニューナンブ粒子開平面、風魔法ではスミス&ウェッソンの双ショートノーズ位相曲線、土魔法のウェザビー=マグナム型汎複素数偽球体空間は最も難しく、水魔法の場合はシグ・ザウエル=レミントン恒等式の……」
「待ってくれ待ってくれ! お、お前ら……んな高等数学を常時使いこなして近似値出して収束位置を類推して、魔粒子通信で転送した漸化式の結果を呼び出して具象化してんのか!?」
腰が抜けた。俺が7の7乗転生しても到底理解できない専門用語が飛び交っている。
「……呪文を唱えると都合よく炎が出たり氷が出てくるとでも思ってたの?」
そりゃそうだよ。そうとしか見えないじゃないの。
「はー……おめでたいとは思ってたけどねー……魔法の修行ってのは数学のお勉強なのよ。一つの魔法の詠唱はね、単純にいうと、観測対象から偏差イレブンナイン以内で読み取った全パラメータを変数とする連立魔程式の立式とn秒後の魔粒子濃度の……」
単純でソレ? 俺は本気で恐ろしくなり、顔の前で両手をぶんぶん振った。
「やめてくれー! 頭痛が痛くなる。何より恐ろしいのは、お前らがそんなトンデモ演算力の持ち主だという信じられない事実を認めたくなっちまうことなんだ! 信じられねえよ……回復魔法ってのもそうなのか?」
メリッサが濃い茶髪をガシガシとかきむしりやがった。うー、出来の悪い冥界猿を相手にする飼育係みたいな顔しやがって。
「当たり前。あんたの腹に穴が開いたとする。それを塞ぐっていっても板を釘で打ち付けるのとはワケが違うの。血中のイオンや有機物濃度、現在損傷を受けている臓器と血管の座標や質量、あんたが朝食べたトーストのかけら、そうしたもの全てが基礎観測対象になるの。それを読み取って、損壊部を再構築するか細胞分裂の再促進をするか決めて……」
もはや最先端医療、またも俺には理解不能なテクニカルタームしか出てこない。
「……みたいな感じ。当然聖教会だから聖則函数とゼウス完全数しか使えない」
イメージだけは必死の思いで掴んだ……気がする。各属性魔法というのは各々独立した数学体系である。魔法使いは状況を最低でも粒子レベルで把握し、一瞬で膨大な方程式を組み上げ、その演算処理を属性魔法の本拠地にある超絶高速演算装置に魔量子化して転送する。演算結果が一瞬で帰ってきて魔法が発動するが、強力な魔法は演算量が桁違いに増えるので料金が高くなる。
「……恐れいった……俺は2ケタの引き算で挫折しかけた低能だ。とてもじゃねえが魔法なんぞ覚えられねえ自信がある。参った……悔しいが」
一杯空けるたびにニコニコ度数の増す暗黒エルフ、椅子の上で胡坐をかいてふんぞり返る半エルフ、あーもう!と愚痴りながらラベル書きにいそしむダメ吸血女のそれぞれが数学の天才だとは……知りたくなかった……。
「そんな超高等数学の難問を瞬時に導き出す費用だと思ったら……魔法使用量ってのは破格に安い、って気もしてきた。俺は熱があるのかもしれん。お前らが尊敬に値する存在だという妄想が脳内に芽生えてきた」
魚とエビをバケツから闇に返した(いったいどれだけの演算が行われたんだ?)ニルは、唇の前に人差し指を持ってきて、出来の悪いガキを叱るようにチッチッチと動かした。
「甘いですー。最適料金プランの設計に比べたら、こんなのはヒトケタの掛け算レベルですよ」
あ、メリッサがそんなこと言ってたな。
「今は事務所任せだから楽できてるけど、アレ自分で選ぶのは二度と嫌。メリッサ、同情するわー」
「もう参っちゃうのよ……複数属性の契約ってさ、相関分布の極大点が虚無数空間の第七象限で振動しちゃって、実数解出すのに……」
「あ、あれ自分でやってるんですかー? 面倒ですよねー、せめて複素数分解した平面上の反ベクトルで……」
俺は心の耳を閉じ、次のバケツにかかることにした。俺もエセ数学やタワケ科学はそれなりに好きだし、入門書の類を読み飛ばして賢くなったフリをしたいタイプだ。無学(無を数学の演算対象とする学問)なんかはちょっと面白いと思う。だがこいつら、まさか高等数学を日常的に使いこなしてるとは思わんかった。
◇◇◇
ところで俺がこの先、魔女どもに敬意の欠片でも表するようになったかといえば、もちろんそんなわけはない。食い物の個数と小銭の勘定に関するこいつらの演算能力が皆無、いやマイナスだからだ。一例を挙げよう。
俺はカナッペを5種5人分、25個作ったと思うのだ。25割る5は俺の知っている限り5。もちろん驚きでカナッペの存在を忘れ、あんぐりと開けっ放しの俺の口には一つも入っていない。つまり皿の上には5個以上のカナッペが残っていて然るべきだと思うわけだ。
それがだ。何ゆえに残りがわずか2個で、棄権したフランクを除く3人が転生ジャンケンで奪い合うことになっているのだろう。ちなみに転生ジャンケンは業界スタンダード、手をこめかみにあてて俯き「フッ……」と笑う転生者ポーズ、ペンを握り「必ず夕方に!」と叫ぶ作者ポーズ、原稿を放り投げ「書き直し」と宣告する担当編集ポーズの3すくみになっている。
「よーし! じゃ頂き。生ハムは残しておいてやろう」
勝ち抜けのメリッサは魚の燻製の載ったヤツを口に放り込んだ。生ハムを取られると思って少々落胆していたバカエルフ2人の顔が明るく輝く。
「偉い吸血ジミ子! さあニル覚悟、これは渡さないわよ」
「返り討ちです。あなたは生ハムの前に藻屑と消えるがよいのです」
……最後の一つを俺が奪ったら魔力料金事務所持ちの二人がどれほど過激な魔法を使うか想像がつく。俺は諦め、セルマが来訪時に投げつけてきた領収書を眺める。差し入れだと思ってたのに。




