第一話 異世界端役のありふれた日常
ギルドの買取カウンターを立ち去る二人組の軽やかな足音が響く。男はまだ少年らしさの残る顔立ちに肩まで伸ばした茶髪をポニーテールでまとめている。汚れも傷も無い小綺麗な装備がいかにも新米冒険者って感じだが、背中の豪勢な大剣が不似合いである。彼の腕にかじりついて称賛の笑顔を浮かべている犬獣人の娘は同様に幼い顔立ちだがスタイルがよく、赤い奴隷の首輪に合わせた装備のコーディネイトは主人の気配りを物語っているのだろう。あと三歩……よし。おっぱじめますかい、皆さん。
食堂兼待合のテーブルでクダを巻いていた俺たちは二人の前に立ち塞がった。口火を切って謂れのない因縁をつけるのはいつも同様、短髪に顔面縫跡、半目で全身傷跡だらけの大男、フランクだ。大斧を小手先でもてあそぶ。
「おい……新人さん、盗品を捌くのは……感心しないな」
錆びついた錠前が開くようないい声である。若い二人がカウンターで買い取らせたのは迷宮最深部でしか手に入らない高音質オペアンプ、5534。カウンターが大騒ぎになる分量を一気に持ち込んだのだ。Cランクの5人組パーティーでも1日に1個ドロップすれば運がいいほうだ。そんな希少品を新米のFランク2人が半日であれほどの量、手に入れられるわけがない。はずなんだ。
怯えて少年に体を摺り寄せる少女、無表情に俺たち3人を均等に眺める少年に、メリッサがねちっこい言い回しで追い打ちをかける。今日は暗いブラウンの長髪を雑に垂らし、きつい目に高い鼻梁を強調する濃い化粧、体の線を強調した神官服で決めている。その胸元が開いてスリットの深い神官服をいつ買った。幾らした。
「アンタ、一昨日登録したばかりの新人でしょ。奴隷商で叩き売りされてた出来損ないの犬っころ娘、昨日買ったばかりだよね。戦ってきましたって誰が信じるのよ」
少々色っぽいが心底コケにしたアルトが響く。こいつの十八番である。
さあて、俺も仕事しなきゃ。怯える小娘のほうをイカガワしい目で舐めるように観察する。頬が削げ顔色の悪い悪人面にだらしない口元、下卑た粘着質の表情は業界でも指折り……のはずだ。短剣を左手の腹にリズミカルに打ち付けながら娘の方へ歩みよる。もちろん各部の曲線を嘗め回すように見るためだ。
「……ガキの浅知恵はすぐバレんだぜ……盗品売買は重罪だってのを知らねえらしいな……その犬っころ、なかなかいい買い物じゃねえか……坊主、初心者ってのに免じてやるよ、オジさんが拾得物係に届けといてやっから金を預けな。その犬っころも盗んだ金で買ったんだろ、そっちはきちんと預かって世話してやるからよ、ケヘヘ……」
安物の革鎧に腰の短剣、短い髪に露骨な猫背、顎を前に出して喋れば、どこから見てもチンピラ盗賊です。口元を歪めて少女の胸に無造作に手を伸ばし……直前に腕が掴まれた。振り払おうとするがもちろん微動だにしない。あんだ?という顔で少年を睨む。
「触るな」
外見に反した渋い声とともに、上腕部から嫌な音が聞こえたと思う間もなく、俺は買い取りカウンターに背中から落下した。バリンガシャグサリ。カウンターが割れ木片が背中や腕に突き刺さる。痛―い。呻く。でも言わなければ。
「ぐっ!……こ、この野郎……!」
「……小僧、舐めた真似、しやがって」
フランクが巨体に似合わず機敏に少年に掴みかかろうとするところに犬娘が割って入った。全身のバネを生かした美しいフォームの右ストレートが左顎に入り、フォロースルーとともに巨体は宙に浮きテーブルの方へ。転生者が従者に与える加護とかブーストってのは反則である。ガラガラ、ダタンドスン。あ、受け身取れなかったか。卓の角が腎臓あたりに直撃した鈍い音が響いたぞ。そこは痛い、あとでお手洗いでオシッコの色、確認しろよ。
メリッサは俺が吹き飛ばされた時点で可能な限り凶悪な表情で距離を取り、焦りと怒りをないまぜにした表情で氷槍の呪文詠唱に入っていた。うっすらと大気が白む。
「何やってんだよお前ら……ガキ共、思い知りな! アイスアロー!」
小枝ほどの太さの氷槍が3本、少年の頭、胸、腹に向けて飛び……当たる寸前に宙に静止した。少年は眉を顰め、いかにもうんざりした顔になる。
「な! ……なんでよ!? ……干渉されてる?」
少年は犬娘が無事なのを横目で確認したあと、カウンターを振り返ってギルドの受付嬢に声をかけた。
「ギルド内の私闘や魔法使用は厳罰だったな?」
「は……はい、殺意を持った行動をとった場合は……当事者同士で……」
「では正当防衛の権利を行使させてもらおう……『リフレクト』」
光の上級魔法『リフレクト』はあらゆる攻撃を十全に反射する究極防御魔法だそうだ。初めて見たよ。槍のうち一本はフランク、一本はもちろん俺のほう。あれ? メリッサにも向いてるぞ、そうだっけ? 二本のはずじゃなかった?
「僕とレイアに敵対するものは許さない。愚かなる者、定命を終えよ!」
決め台詞とともに、3本の氷矢が飛んでいく……と思う間もなくズドンと刺さる。フランクの脳天、メリッサの胸、俺の腹にジャストミート。フランクは腰の痛みを我慢して起き上がって襲い掛かろうとしたところに喰らったため、勢いでギルドの壁に脳天を撃ちつけられ磔刑状態になった。氷槍1本でブランブラン、両手両足の痙攣が見事である。メリッサは氷槍を両手で持ったまま、胸元に広がる鮮血を信じられないという表情で一瞥、口をパクパクさせたあと血を吐き、まっすぐ後ろに倒れる。頭が床にぶつかるゴンという鈍い音、これも痛いだろうに、体張ってるなー……偉い。さて俺の見せ場、腹に刺さった氷槍を手で掴み(手の皮が張り付くのがつらい)、血をまき散らしながら2、3歩歩き、
「て……てめぇら……ばっ…化け物か……ぐふっ!」
メリッサに倣ってまっすぐ前に倒れる。ドッタン、額に激痛、背中に突き刺さった木片からの流血、腹からの出血で温かい血溜まりが広がっていく……はずである。
「レイア、無茶をしてはダメだ。怖くなかったか?」
「はい! チューニー様、大丈夫です!」
涼しい顔をしたチューニー君と、彼の腕に胸をいっそう密着させるレイアちゃんが仲睦まじくギルドの入口に向かう軽快な足音が遠ざかる。さあ、無敵の二人の活躍とハーレム拡充計画に幸あれ。パチパチパチ。うー……なんか寒い。視界が暗い。星が飛び回る。まだ? まだなの?
◇◇◇
「カット! お疲れ様でしたー。次の撮りは1時間後、休憩にします!」
スタッフの疎らでお座なりな拍手。よっしゃ、終わった。寒気がひどい、だが顔に感じる鉄の味のヌルヌルを拭きとりたいので無理して体を仰向けにする。二人は……メリッサが「よっこらせ」と声に出して上半身を起こし、胸の槍を「ふんぬ!」と引っこ抜くと、後頭部をさすりながら這いずってフランクの方に向かった。あいつ最近、オバサン度数が上がっているのではないだろうか。臍を曲げると長引くから言わないが。
フランクを支えていた氷の槍はすでに溶けており、壁伝いにずり下がった全体像は壊れた玩具の人形に似ている。オーケーに安心したらしく深い溜息をついたあと、額をコワゴワさすり穴の大きさを確かめている。
「……メリッサー……ここから何か抜けてくみたいな気がするよー……これ以上バカになりたくないよー」
「……大丈夫よ、あなたがそれ以上バカになることは吸血王の名にかけて無い。まずそこ塞いじゃうから」
うん。そうだよな。フランクはかなりこじらせた複雑バカである。
我が班の救護担当メリッサの無詠唱回復魔法でフランクの脳天穴は塞がったようだ。魔法も使って貧血気味、真っ青なメリッサがヨタヨタしながらこちらに来る。ズリズリズリリ。「おつかれー」と言いたいところだが、痛くて寒くて声がでない。口だけ動かして応じる。
「お疲れ様―」
手早く腹の穴を塞いでくれた。腕も終わり、背中の治癒までやろうとするのを断り、相手の後頭部を指さす。
「痛かっただろ。スゲェ音したぞ。先にやれ」
「ちっと加減を間違えたわ……あー、瘤になってる……イタタ……」
「その神官服さー、メリッサの自前のヤツー? そんな短いのあるのー?」
「まさか。こんなの着て人前に出る神経があたしには分からない」
「お前、今日はチューニーさんの大剣で真っ二つじゃなかったのか?」
「そうそう、ボクとコモノが1本ずつ喰らってさ、怯えながら闇魔法詠唱して発動直前、チューニーさんの大剣で、腰の位置で真っ二つだったはずだよ?」
「あれね、教会からクレームが入ったんですって」
ふむ、それは仕方ない。俺たちがこの稼業を続けられるのもスポンサー様のおかげですし。聖教会提供『転生少年は獣耳少女の夢を見るか?』第6話、俺たちの出番は無事終了したようだ。
「お疲れ様―。メリッサあれでオーケー、機転利かせてくれて助かった」
助監督のカリムさんがやってきた。キビキビ動く細身のナイスミドルである。
「脚本、修正してたんですか? メリッサのシーン」
「ああ、あれね。『テンケモ』は視聴者層を拡大したいって話が出ていてね、あまりスプラッタなのはどうかって言われてさ、さっき急遽直したの」
「ボク、脳天撃ち抜かれてるんですけど、それは平気なんですかー?」
「異種族や人造生命への暴力描写は教会の放映コード、寛容なんだよね」
「あたしバンパイアだから問題ないはずですけど?」
「いや、単純に外見の問題なんだよ」
フランク、哀しそうな顔をするな。お前の魂は不滅だよ。魂のない人造人間だけどね。
「このシリーズ、この先どんな予定なんすか?」
俺としては次回の仕事がもらえるか気になる。端役はこなしてナンボである。
「ああ、何とか2クールはね。僕も2本撮らせてもらえることになってる」
え、助監のカリムさん、ついに監督デビューですか。
「やりましたね! おめでとうございます」
「脚本はまだだけど、その時はまたコモノ達を使わせてもらおうかな」
「ぜひ! 食堂のシフト、1日減らされてキツイんです。あたしだけでも」
「待てーい! 俺も、セリフが20字以上ある役だったら嬉しいっす」
俺、小人物の姑息な言い回しには根拠なき自信があるんだけどなー。
「ボク、立ってるだけでもいいです。お願いします」
フランクは謙虚である。壁の穴その3とかでも全力で演じるだろう。
「じゃ、脚本あがってまとまったら連絡しとくよ。メリッサ、ギャラ少しだけ載せておいたから明日受け取って。次の『ハガテン』の台本も預けとく」
う、直前の変更でメリッサ儲けやがったな。
「どうも! じゃあまたお願いしまーす! お疲れさまでしたー」
「お疲れさまでーす」「お先失礼しまーす」
脱兎の勢い……とはいかず、貧血でフラフラ歩くメリッサを慌てて2人で確保する。いくらくらい増えるんだろう。奢らせる。
『テンケモ』主演のチューニーさん。大陸で無双していたところをスカウトされ、特番1本の評判がよかったため今回は主演としての初シリーズである。犬耳レイアさんはこの幼い顔立ちでメリッサより一つ上、各部がターイヘン立派な方で、実際にもチューニーさんハーレムメンバーの第一号。雁首揃えて挨拶にいく。
「ああ、君らか、ご苦労だった。盗賊のきみ、腹は問題なかろう? 氷槍が内臓を傷つけぬように原子干渉能力で体内重要部を避けるように重水に変化させ屈曲させたからな。ふっ、我ながら……」
重水……体に悪そうだな。丁重にお礼を言うことにする。
「フランクさん、ちょっと張り切り過ぎ。普通だと首、逝っちゃうわよ」
レイアさんに襲い掛かったときの意外な機敏さがマズかったようだ。
「……スミマセン……」
「バンパイア君、一山の灰になって終わると思ったのだが普通なのだな」
「あ……アレやると三日は動けないんで……明日バイトなんで」
「そういうものなのか。レイアよ、我がシモベに復活能力者は3人だったか?」
「先週チューニー城を襲撃してきたので捕まえた暗殺娘、忘れてますよ」
「ああ、人狼族の。しっぽに味わいのある娘がいたな」
「……夜伽のローテ組むの、大変なんですよ。そろそろ打ち止めにしていただけません?」
「僕は去る者には執着せんが来る獣人娘は拒まんぞ。それが転生の定め」
「もー……」
ずいぶん爛れた会話に聞こえるかもしれないが、これが当たり前なのだ。業界に足を突っ込んでから随分転生勇者さんを眺めてきたが例外はない。女性と食と夢想、いや無双へのこだわりが強い正義漢ばかりである。他の世界ってのはこういう方々で溢れてるのか。一度覗いてみたいものである。
「俺らは出番終わりましたんで、失礼します」
「ふふふ。運命の巨大なカラクリがまたお前たちを僕の前に立たせるその日まで。しばしの別れだ。心しておくがよい」
「お疲れさまー」
ギルドを出ると夕暮れである。早く帰れるのは嬉しい。端役だしな。日雇いの掲示板をフランクと共に覗く。
「メリッサー。娼婦宿の昼番カウンター、時給がけっこういいぞ」
「だからやらないって言ってるだろ。何度も言わせないでよ」
「あ、採石場のネコ車2人募集だって。コモノ、明後日の朝イチで」
「えー! 俺の歳になると肉体疲労は翌々日にくるんだよ。お前ひとりで行け」
「りょーかーい」
家路を辿る。せめて大の字になって寝られるスペースを確保したいんだが、相も変わらず安宿の一室で無理やりルームシェア、数か月が経過している。
「……人狼族か。人狼ってのも不死属性なのか?」
「そうだよ。実はさ、銀の武器ってぜんぜん効かないの。迷宮で何度か見たよ」
「へー」
「あれ、銀相場が高かった時代に集めて資産運用やってた世代の名残なんですって」
「世知辛い話があるもんだな……」
各人バイトに備え早寝の準備、夜干しの洗濯物が侘しさを醸し出す。
「そうそう、ペンタクス主任がさ、人狼族を入れてコモノを放りだせって」
「ハハハ、あたしも言われた。吸血鬼と怪物と組むのは狼男だろって」
生身の人間で悪うござんした。
「ボク書くから、ギルドに頼んで張り紙出そっか?」
「いいわねー。チューニーさんパーティーの、人狼娘さんの伝手で紹介してもらっても」
何の因果で生身の中年男が不死の怪物2人にコケにされているのか。それには大した理由がない。ちょっとした金ヅルかと思って確保したコイツらのおかげでワリを食ってるのは俺なのだ。