第十一話 棚ボタ話に端役達は笑った
冷酷無比の出納係、フランクから報告があるという。各々の稼ぎは3分の1を自分で取り、残りをフランクに預ける体制が続いて10か月めに入った。夕飯を終えて相も変わらず、メリッサがベッドに寝そべりフランク床に正座、雁首を並べる。俺はちょっと期待していたのだ。
「見てくれる? これが今の状況」
テーブル代わりの椅子に載せられた家計簿をのぞき込む。フランクの字は綺麗で達筆と評してよいレベルだ。迷宮でペン習字の通信教育を受けたらしい。おお、繰り越しがずいぶん貯まってるよ。俺一人の頃の3か月分以上の稼ぎじゃねえか!
「凄い……凄いわフランク! あんたの管理のおかげよ」
「宿代は安いし、食事代も切り詰めてきたからね」
迷宮冒険者の殆どはグルメかつ大食漢の浪費家だ。氾濫する異世界小説を眺めれば分かる。主人公のチート能力には概ね料理スキルがあり、異世界でステーキとバーベキュー、から揚げやカレーライスにハンバーグ、マヨネーズなど、珍しい料理を無限容量アイテムボックスから次々に取り出しては美少女ハーレム要員の胃袋を掴み、パフェやどら焼き、トドメにプリンを与えるころには嫁化してるのが定番である。
さて俺たちはと言えば粗食に毛の生えた暮らし。売れ残りのパンを屋台で買った野菜スープに浸してかじる、生野菜に塩を振ってバリボリ、肉や魚はなるべく調理済みのもの、外食も最小限……。3人とも酒に弱く、ごくたまに祝杯程度、牛乳やお茶の葉で終了。俺は珈琲があると嬉しいんだが。
料理というものは楽しいと思うが、炊事は大嫌いである。どれだけの道具と手間と時間がかかるか分かっているのか。自炊や炊事係を続ければすぐ分かる。仕事に疲れて帰ったあとに小一時間かけて飯の支度? 食い終わって洗い物? それを喜びや楽しみにできるのは、選ばれし恵まれた人間だと思うなー、俺。
「そうすると……いよいよ部屋の件、前向きに考えるか?」
「うん、可能だね。広い所に移るか、安い家を借りるとか」
うーむ、俺は今の状況だと家を借りるのは賛成できないなー。なぜならだ。家事を甘く見てんだろお前ら。
「どうして? 炊事くらいあたしがやるわよ」
「掃除や洗濯はボクもできるし、料理だって」
ほらほら二人とも、年長者の知恵も少しは聞きたまへ。
「あのな……まずメリッサ。定期的な炊事っていうのは仕事をもたない専業主婦でもかなりの重労働だぞ? 買い物に支度に洗い物……俺は女性が老ける最大の理由を家事だと考えてる。今みたいに出来合いの物で済ませば楽だがな」
加工食品より原材料の方が安い。だから自炊、お金も安上がりでバンザイ……とはいかないんだよ。鍋、釜、細々した調理道具、薪、調味料、毎日のように買い物と献立を考えて……何度でもいう。料理は娯楽、炊事は仕事だ。
「交代でやれば負担も減るよ? ボクも……」
「甘いぞフランク。今の暮らしが一軒家に代わっても、3人とも仕事は変わらず家事は必ず増える。しかも報われない作業だ。初めは楽しく思っていても飽きがくる。惰性になる。負担となる。仕事にも生活にも張りがなくなる。三度のメシの支度や買い物、掃除ってのはそれだけ大変なんだ。家財道具だって……」
「でも……一軒家で暮らせるって……憧れるわね」
「ボクも。自分の部屋持つって、どんな気分なんだろー」
うーん……そんな遠い目をするなよ。喧嘩腰で来るなら絶対撃退してやろうと思ったんだけど……フランクを味方につけるか。作戦を変えてみる。
「それにな、フランク。洗い場で大変な思いをしているメリッサの水仕事が今以上に増えるのは間違いない。メリッサは平気な顔してるけど、メリッサの手の荒れが進むのはちょっと気の毒だ。お前もだろ?」
よし、フランクが悩む顔になった。卑怯ではあるが幾分本音である。怠惰な俺はすぐに理由をつけて炊事をサボるだろう。地味なお人よしメリッサは当然な顔をしてその仕事を引き受ける。こんな未来予想図は簡単に描けるのだ。
心を入れ替え家事においても勤勉になれ、と説教する方もあろう。でもねー。それは無理というものです。不自然です。不自然な行動には必ず綻びができて気づいた時には修復不能になる。だから無理はいかんのだ。俺の信念である。
「じゃあコモノは、部屋を追加するほうがいいと思う?」
「ああ。親爺さんに頼んで3階の部屋を借りてもいいし、大き目の部屋のある別の宿を紹介してもらってもいい。何せ、それが目標だったしな」
「ねえ……朝晩二食付きの定宿ってのもあるわよね?」
「ああ、それも候補だな、金額次第だが」
メリッサが何かを思いついた表情になり、唇を薄くあけて考えている。
「あー……確か……」
「ん? どした?」
「………うーん……あのね、この話、しばらく待ってくれる? ちょっとした当てがあるかも」
「当て? 宿屋さんをやってるお友達、できたの?」
「いや、そうじゃなくて……はい、とにかく今夜はおしまいにして」
強引に話を打ち切った。
数日後の夕方、例の件だといわれてメリッサの勤め先に同行した。公国の最新情報も見られる大型魔晶の投影型スクリーンがあり、安いメニューも豊富な庶民派の居酒屋兼飯屋『優しき巨人』亭。厨房では高速包丁変拍子ユニゾン、異なる鍋を瞬時に持ち替える等の超絶技巧が見られるらしい。
通用口から入ったメリッサがしばらくして、犬耳の女性を伴って出てきた。
「あ、ホントだ! 『ハガテン』でやられてた人たち!」
メリッサの同僚らしい。あまりお喋りしない新人メリッサに歳が近いので親身に話しかけてくれているうち、メリッサがハガレンに出てきた悪僧侶に似ているという話になったという。隠すのも妙な気がして、
「あの……。実は……」
「えーっ! 芸能人じゃない!」
「違う違うちがう! 全然そんなんじゃなくって」
こんな顛末で仲良くなった犬耳さん、モニカさんという。メリッサの事情を話すうちに彼女も暮らし向きなどを話してくれるようになった。さて本題。今彼女は両親と同居しているが近々所帯を持つことになった。彼氏さんは公都に勤めるエリートなので仕事を辞めてそちらに越す。ちなみに目立たないが妊娠4か月。ご両親も娘、さらにこれから生まれる孫の近くに住みたいと言い出した。
旦那の実家が住まいを手配してくれるらしいが、長年住んでいたカリャーマの家は古いけど思い出がたくさん、手放しても大した値段にはならない。でも放置したら、人の住まない家はあっという間に廃屋化する。誰か代わりに住んでくれる人がいたらいいのにねー、とご家族で話していたそうだ。維持してくれれば賃料は気持ちだけで十分とおっしゃる。
「待て待て! メリッサ、どえらくありがたい話なのは分かるんだが、昨夜の件が解決してないぞ。早まるな」
問題は家事、特に炊事だ。飯の支度と片付け、負担が大きいぞ。
「そこなのよー。へっへっへー」
何だ愉快そうな顔しやがって、地味顔のくせして。フランクと顔を見合わせる。
「モニカさんのお宅は……そこでーす!」
振り返る。戦後復興で一気に建てられた時代の、こじんまりした庭付き二階建て。今俺たちが話している通用口から通りを渡り徒歩30秒だ。あらら、こんなに近いの。メリッサの奴、出勤が楽になるのを狙って猛プッシュしてんだな。
「父がこちらの料理人をしていたんで、退職後も朝晩の食事は『優しき巨人』でお世話になってるんです。3人とも」
ははー……朝晩外食? そうすると定宿と変わらない条件か。高いだろ?
「月決めの前払いだけど、お家賃と合わせても……いけそうなのよ」
ふーむ。お三方が越した後に俺達が入り、同じ条件で朝晩の飯が解決。先払い程度は捻出できるのか。炊事問題がほぼクリアでき、もちろん侘しい貧乏飯とオサラバできるのは魅力が高い。洗濯はやむを得ないし、掃除程度は仕方ない。人に気兼ねなく暮らせるという最大の長所も。
「……フランク?」
フランクの目は庭に釘づけだった。もうコイツは乗り気だ。
「あー……! お庭だよ、草花! こんな家に住みたかったんだよボク」
メリッサが演技以外で見せたことのない上目遣いで寄ってきた。
「ねえ、コモノ……どうかな?」
「父も母もハガテン見てるんですよ。スターが住んでくれるんなら大歓迎」
だから違いますってモニカさん。木っ端みたいな端役なんですよ俺たち。
だが外堀は九割埋められた。残り一割、神経質で小心な俺の心配性も陥落は間近。敗軍の将、兵を語らず。モニカさんに引きずられるように俺たちはご両親に紹介され、リハーサルを始めたばかりのテンケモ最新話の殺陣を披露して熱烈な拍手を受ける羽目になったのだ。
◇◇◇
帰宅してご提案いただいた条件でシミュレーションを実施した。
「……破格の家賃のおかげで、現状の収入でいけるんだな」
「四分の三ずつ渡すことにしようか?」
「ボク、それでいいよ。五分の四でも」
それは俺が勘弁してもらいたい。3人の中でいちばん無駄遣いが多いのは俺なんだ。お小遣いは確保させてくれよ。
夜半過ぎ、プヒュル、スピーと熟睡するメリッサを起こさぬようまたぎ、フランクを踏まぬように部屋を出る。一階に下りると、新聞をかぶってうたた寝している親爺さんの姿、だが寝ていなかったようだ。
「……何だ?」
唸り声が聞こえる。俺はカウンターにもたれ、ここまでの経緯を話すことにした。親爺さんは時々生あくびをしながら、一言も口を挟まず聞いていた。
「決めました。そっちの方のご厚意に甘えて移ろうと思います」
身じろぎもしない。今、礼や詫びを言うのも妙な気がする。無言で頭だけ下げて踵をかえそうとしたとき、
「……寂しくなったか?」
この間と同じ台詞が聞こえた。
「まさか。あいつらが俺の人柄にぞっこんなもんでして」
新聞を投げつけられる前に急ぎ足で階段を上がったが、飛んでこなかった。
◇◇◇
あれよあれよと日付は進み、引越当日。親爺さんと三階の奥さんに淡泊な挨拶をし、フランクの伝手で借りた荷車に荷物を載せ移動を開始した。2人の荷物はたかが知れているので、俺の機材が殆ど。魔導アンプ20台でフランク二人分の重さはあるだろう。もちろん二人は手伝わず、俺独りで引いている。
先週越していったモニカさんのご両親から、置いていく食器や家具は自由に処分してほしいとのお言葉を頂いており、図々しくそのまま利用させていただくことにした。玄関を入ると入口ホールと廊下、すぐ右が台所と食堂、左が居間だ。ホールの突き当たりが化粧室とバスルームに洗濯場。2階も2部屋で、右がマイラさんの使っていた部屋、左はご両親の部屋だったそうだ。
越す前に相談し、2階にメリッサとフランクが入り、俺は居間を使うことに。何と一人一部屋だ。食堂を居間兼客間にしようと決めてある。
2人の荷物は数分で片付いた。俺も小一時間かけて壁際に機材を並べ、20台のアンプが並ぶ壮観を楽しむ。フランクがベッドをかついで下ろしてきた。ご両親の部屋にあった二つのうちの一つだ。
「コモノ……魔楽機を鳴らすときは知らせてね。ボクは迷宮に逃げこむから」
「安心しろ、大音響では鳴らさない。あれで懲りたよ」
メリッサはすでに勤め先に交渉して先払いを済ませ、朝晩の食事は来週から向こうで世話になることになっている。居間に使う台所には大き目の卓、六人は座れそうな代物だ。調理用具もそれなりに揃っていて、皿と食器も十二分、湯を沸かし午後のお茶を飲む。うーん。広いねー。開け放した窓から入る空気が爽やかだ。旅にでも来たような浮遊感。
「庭だよ……窓からお庭が見えるんだよ。凄いよ」
迷宮生活の長かったフランクは自然が大好きだ。庭担当重役に立候補。
「……ねえ、ちょっと外に出てすぐ入るから……『おかえり!』って言ってくれる? 練習してよ」
メリッサは照れながら言うと一旦玄関を出た。ドアを閉めて……咳払いが聞こえる。呼び鈴がカランと鳴った。思わず笑いながら突っ込む。
「メリッサー! 自分の家だぞ! ノックもベルもいらないぞー」
「あ、そーだね! じゃあ、やり直しね……エヘン」
フランクも笑顔である。ノブを捻る音。俺たちは立ち上がり玄関の見える位置へ。見慣れた地味な顔が少し上気し、悪戯を自慢するような顔である。
「……ただいま!」
「「おかえり!」」
笑うしかない。何だろうね。笑うしかないと思うんだ、俺。二人も笑いが止まらない。何だろう。言葉にしたら消えてしまう何か。だから俺たちは長い間笑い続けるだけだ。こんな日もあるんだな、親爺さん。




