第十話 端役 各々金銭に執着す
フランクが石工の親方のところへ、メリッサは食堂の洗い場に向かい、珍しく俺一人残された。部屋を見回す。静か、と思わずに寂しいなんて単語が頭に浮かんだのは何かの間違いである。迷宮に一人で入る気にもならず、一階の共用スペースに座ると、親爺さんに睨まれた。
「結構なご身分だな……フランクもメリッサもよく働くってのに」
目でスンマセンねと軽く会釈をして、うーんと伸びをする。この歳になると、伸びというのは慎重さを要求される作業なのだ。筋がつる、関節が嫌な音を立てるといった痛くて貴重な経験を積み、誰もがそれなりの体との付き合い方を覚えていくのである。
「親爺さん、体は達者っすよね、声もでかいし」
俺より十は上じゃないだろうか。だが迷宮探索で年期を積んだと思われる体格の良さ、二の腕は俺の太腿ほどあろう。初めて世話になったときから禿頭である。微妙なシミの浮かびあがった皮膚が凄みを感じさせ、俺は五年以上、決して逆らうことなく暮らしている。
「世辞言ってる暇があんなら、小銭の一枚でも稼いでこい」
新聞から目を離さずに返された。もう一度どやされるまではグダグダしようと決め、凝り気味な右の首筋を揉んでみる。こういう気持ちの悪い感触はメリッサに頼んでも一向に回復しない。使えん奴だ。
「……んで、ボチボチ目途は立ちそうなのか?」
部屋の件であろう。一人部屋に3人宿泊させるってのは行政指導の入りかねない悪徳宿屋のやり口だが、それを親爺さんの好意で8か月以上黙認してもらっている。会計はフランクに任せっぱなしだが、ここのところ安定してきた三人の動きから勝手に胸算用し、近日中には部屋を移る話ができるんじゃないかと俺は予想している。
「……ええ。三階、どうでしたっけ?」
二階は俺の部屋とどっこいどっこいの小部屋があと五室。短期が多く、今は二部屋空いていたはずだ。三階は四部屋、小家族の逗留も可能な広さで、二部屋には間仕切りで仕切る仕掛けもある。片方は一昨年からB級パーティーの斧使いと女房、その息子が住み着いているが、もう一部屋はどうだったか?
「二階の二部屋に二人が移りゃ、解決だろ?」
「そうっすけどね、一応」
珍しく親爺さんは、からかう眼で俺を見た。
「……寂しくなったか?」
即座に打ち消そうとしなかったのは……まあ、そういう歳だってのもあるんだろう。
「……そう見えますか?」
「お前、幾つだっけ?」
「あと少しで四十三っす」
「そうか……じゃ、そろそろ介護要員を確保しとかねえとな」
「はは、違いないや」
この流れだと、少し無理して三階の大部屋を開けて待ってくれてるんだろう。少しは急ぐ必要もあるか……うー、かったるいな。
「んじゃ、小銭でも拾ってきますわ」
腰を上げる。既に親爺さんは新聞に戻り、掌だけ挙げて蠅でも追い払うような仕草をした。
◇◇◇
面倒だったが冒険者ギルドに足を運ぶ。やる気もないのに求人をざっと眺める。半端な時間だが顔見知りはたまに通りかかる。
「でかいのとネーチャンは?」
「働いてるよ」
無料の茶をもらいに行く。珍しく買い取りカウンターの小柄な娘、タリナがホールの雑用をやっている。
「フランクさんとメリッサさんは?」
「どいつもこいつもあいつらにご執心だな。今日は俺だけだよ」
「わー、そりゃ心配ですね、気をつけてくださいよ」
セット物の付け合わせだけが一人歩きしてるみたいな扱いである。ち。面白くない。一人で迷宮に入るか……だがそういう見栄は俺の歳にはふさわしくない。見栄で命を落とすヤツは幾らでもいるのだ。親爺さんに言われたことが脳裏をよぎった。
「大丈夫だ、介護要員なしじゃ入らねえよ」
アハハという甲高い笑い声が癪に障る。本当にそう思ってんじゃねえのか?
すっかり馴染んでしまった撮影所への道を歩く最中、出がけに小銭くらい拾ってこいと言われたのを思いだし、地見屋の真似事をしてしばらく歩いたが収穫はない。古着屋の角でシングルペアレンツ支援の募金運動をやっている。いつもの癖で素通りしようとして……あ、俺いちおう末端とはいえ芸能界にいるんだ、ヤバイかなと考え直す。数歩戻って小銭を投げ込む。俺の汚い上着にリボンを付けようとするのを断って足早に立ち去る。これも有名税ってヤツなのかね、親爺さん。銭拾うんじゃなくて落としちゃったよ。
顔見知りの大道具さんに挨拶して通用口からセット裏に入る。
「おはようっす」
撮影サブチーフのブロニカさんがいた。おう、という顔になるので寄っていく。
「撮り、今日だっけ?」
「いえ、近く通っただけです。……時間あるんで、何かありゃ」
「え、暇か? じゃあよ、そっちのパネル、直しといてくれないか」
一昨日の撮影でどこかの転生さんが加減を間違えて一刀両断にしたパネルが山積みになって放置されている。切り口は鮮やかだから手間はかからない。端材や工具の置き場所も知っている。じゃ、取り掛かりますか。
ブロニカさんは雑用数々をこなす職人気質の人で、撮影・照明という専門職以外でも頼りにされている。自分で手を動かすのも好きな人で、付き合いやすいスタッフの一人である。
「今日は二人に振られたか?」
いったい何回目だ……もう抵抗するのはよそう。
「そんなとこです。宿の親爺にどやされて追い出されましたよ」
ハハハと笑い、雑談に。先日の『足なが転生さん』の感想を話す。
「ああいうの作る側は楽しんでっけどね、それで売れるかっていうと微妙なんだわ。自己満足で終わんなきゃいいんだけどな」
辛辣だがこれはこれでプロの目線だろう。オマンマ食い上げは勘弁願いたいというのは皆共通の思いである。
「若いのなら、ドロドロだと思うんだよなー」
「不倫とか略奪系とかっすか?」
「そうよ。イケメン転生さん2人出すとか」
「そりゃ……本気になられちゃパネル真っ二つどころじゃ済まないっすよ」
「でもよ、ボチボチ女性層狙ってかねえとヤバイと思わねえ?」
「ああ……そりゃ分かるけど、俺、仕事なくなっちまいますね」
「安心しろ、パネルやセットが毎回壊れるから、修繕で食えるぜ」
「ははは、そりゃ助かるっすね」
軽口を叩きながらも手は休めない。どんなタイトルがいいかって話に。
「悲恋物なら……『愛は転生 転生は死』とかどうです?」
「長いよ。『戦場の転生者』、センテイってどうよ?」
「……ピンと来ないなー。女優さんに聞いたらどうっすか?」
「あいつらはハーレムメンバー以外、割と文芸志向なんだ」
セルマさんもそんなこと言ってたな。実際、上手かったし。
「あっちから業界に来る連中、実はみんなそこそこの家の出身みたいだしな。……おお、そっち押さえてくれ」
俺達みたいな食い詰め者が流れついた、ってわけじゃないんだな。非人類の地位向上とか、俺の苦手な話も裏にはあるのか。ニルヴァーナさんの怖い顔を思い出す。
「あっちでも人気、高いんすよね」
「人口が多いしな。売上の六割強は向こう側だってよ」
「……ってことは、あっちに受ける話、企画するほうがいいんですかね?」
「転生無双系が落ち着く前に、そういうのも出てくんだろうな。実録戦記物とかよ」
……ありそうだなー。歴史上の英雄ってのは佃煮にしたいくらい存在する。
「そうなりゃ殺られ役のニーズは安定するぜ。大歓迎だろ?」
「そうっすねー……あ、すんませんハンマー貸してください」
出るだけで3分後に死ぬと分かる顔は役得、って言われたしな。
「そのうち向こうでも作るようになって、それ見て俺たちが手に汗握るって時代も来るんでしょうね」
「先々、そんな日もくるだろうな……まあアドバンテージもあるし、俺やコモノが死んじまうまでは安泰じゃねえのかな」
「そっか……フランクとメリッサにゃ、早めに向こうのオーディション受けるよう、けしかけときましょう」
「待て待て、あいつら貴重な人材だぞ、それは真面目に勘弁」
「ははは。伝えときますよ。少しは喜ぶかな」
現場作業はその日の帰りに支払いがある。俺もきっかり半日分をせしめた。親爺さんにも顔が立つというものだ。まっすぐ宿へ。
◇◇◇
「小銭稼いできました」
会釈してカウンターの前を通ろうとすると、新聞が飛んできた。
「まだ帰ってねえぞ。もう少し働いてこい」
「ちゃんと汗水垂らしてきましたよ。ほら」
汚れた掌をかざし、共有スペースに座って投げられた新聞を読む。でかい活字は読み飛ばし、小さな囲み記事だけ丹念に。
「……はー……講和二十五周年のイベント竜車、こっちにも来るんですね」
公国と大陸の合同イベント、屋台も並ぶらしい。カウンターの奥から唸り声が聞こえた。
「俺は興味ねえ。お前もだろ。新聞返せよ」
よくもまあ一日中、飽きもせず同じもんを読み続ける根気には感心する。丁寧に畳んで返してやった。……なんか言い争う声が近づいてくる。
「今日も一日お疲れさんでした、くれえ言ってやれよ」
「冗談でしょ。親爺さんが言ってやってくださいよ。飛び上がりますよ」
くっ、という鼻息だけが返ってきた。同時に二人の声が。
「……おかしいでしょ? 共益費から出さないのは」
「だから。それはメリッサのお仕事の付き合いでしょ?」
「モニカが何かと気を使ってくれてんの、何度も話してるじゃないよ。だからあたしが仕事を続けられて収入が安定してるわけよ。恩人よ。だから婚約祝いは……」
「友人の結婚祝いは各自の交際費の範囲だと思うなー」
「もー! この石頭!」
「石は毎日いじってるけど、ボクの頭は石じゃないよ」
「んなこと言ってないわよ! たとえってヤツでしょ!」
もう口論の内容は把握した。冷酷無比の出納係に無益な戦いを挑む人情吸血女に勝ち目はなかろう。
「お疲れー……メリッサ、臨時収入があった。それを回してやるから少し静かにしろ。親爺さんに怒鳴られる前に」
すると冷酷巨人が聞きとがめた。
「コモノ、臨時収入も3分の2、共益費に入れる決まりだよ」
うわ、今度はこっちに飛び火した。ここで抗えば親爺さんの拳骨が年期の入ったカウンターをぶん殴る音を聞くことになる。それは避けたいものだ。
「とりあえず着替えろよ。その件は飯食いながら」
階段をさっさと上がり、立て付けの悪いドアを開ける。少々冷えた暗がりが目に入る。まだ小声で言い争う声が近づいてくる。まもなく部屋は隣室を気にしながらも熱気に満ちた論争で満たされるのだ。それを思うとウンザリである。親爺さん、やっぱ三階の話、遠慮しようかと思うんですけど、怒ります?




