6(エルフたち)
よかった、まだ孵化していない。
巣の中にある卵を確認して、エセルはほっとした。
城を出て外庭を歩いていたときに、彼女は偶然、これをみつけたのだった。野鳥の卵とはあきらかにちがう、妖精たちの宝物。表面を包みこんでいる淡い光が、虹色にうつりかわりながら、ゆらゆらと動いている。孵化が直前まできているしるしだ。
「へえ……もうすぐだな」
かたわらに立ったラキスが、明るい声で呟いた。エセルは大きくうなずいた。
エルフはふしぎな生き物で、生態──と呼べるかどうかも不明だが──はほとんどわかっていないし、産卵の場面を見たという者もいない。 けれど卵は、エルフが好むといわれるニレの森などで、ごくたまに確認できることがあった。
大きさは、小振りな鶏の卵くらいだろうか。もちろん孵化の瞬間に立ち会うとなると、寝ずの番でもしないかぎり難しいのだが、まったく不可能というわけでもない。
エセルは一度だけ、やはり王城の庭の木陰で、幸運にも立ち会う機会にめぐまれた。まだ幼かった姉たちといっしょにそれを見た至福の時間は、忘れることのできない大切な思い出だ。
いま目の前にある卵は、こうして見ているあいだにも、虹色の輝きをどんどんましていきつつあった。ゆらめいていた光が、卵をとりまくせせらぎのように、ぐるぐると流れはじめる。
三つの卵が、それにあわせてこまかく揺れる。おたがいがふれあうように揺れるうちに、表面にこまかいひびが入る。
それが大きくなって全体にひろがり、ほとんど同時にふたつに割れて──。
光に濡れそぼりながらあらわれた、小さな小さな頭と、しっとりしめった長い髪。細い両腕が持ち上がる。生まれたての三人の妖精たちが、殻をおしのけて伸びをする。
くしゃくしゃに縮んで張りついていた羽が、背中からゆっくりとはがれ、上に向けてひらきはじめる。透明な羽のつけねから先端へと、生気が満ちる。細長く高くのびながら、みるみるうちにかたちをととのえていく。
魔法のように美しい光景に、エセルは息を呑んだ。となりにいるラキスの顔を思わず見ると、ちょうど彼もエセルのほうをみつめていて、しっかりと視線が合った。
あまり感情をあらわすことのない、はしばみ色の瞳が、いまはいきいきと輝いている。同じように感動し、喜んでくれていることが伝わってきて、エセルはあらたな感動で胸がいっぱいになった。
今後エルフの卵を目にする機会があったなら、そのときはきっと一番に、いまのこの瞬間を思い出すことになるだろう。
幼い日の思い出が大切なのはもちろんだったが、好きな男の人と分かち合っている時間には、やはり格別なものがある。
と──そのときふっと、声が聞こえた。
【……ケル】
ふたりは、はっとして妖精たちのほうに視線を戻した。エルフの声? よく聞きとれなかったけれど……。
三人のエルフたちも、ふたりのほうをみつめていた。小さな口がひらき、今度ははっきりと言葉が聞こえてきた。
【ヒラク】
【アフレル】
【ブツカル】
【交ワル】
微妙に高さのちがう、澄んだ三つの声が唱和する。
それから、エルフたちはさらに羽をのばし、身体をのばして立ち上がった。そして、できあがったばかりの羽を動かすと巣から浮かび上がった。
ずっと以前からそうしていたもののように、ふわりと木の洞から出て、あっというまに若葉の向こうに消えてしまった。
巣にあった卵の殻が、まるであぶくがはじけるように散ったのは、そのすぐあとのことだ。すべてのかけらが、光の粉だけを残して空気にとけていく。残された巣は、もうふつうの小鳥の巣となんの区別もつかない。
エセルとラキスはふたたび顔を見合わせ、しばらくの間ほうけたように黙っていた。やがてエセルが呟いた。
「いまの……エルフの予言? あれがそうなのかしら?」
ラキスがうなずく。
「そうらしいな。おれも聞いたのははじめてだ」
知識としては、一応知っていた。孵化したばかりのエルフが、言葉を発するときがあるということを。それが予言と呼ばれているのだが、本当の話かどうかは、いまのいままで半信半疑だった──。
「なんにしても、珍しいものを見せてもらった」
ラキスが頭を切り替えたように、さっぱりした口調で言った。
「このために、おれを呼びにきたの?」
「そうよ、どうしてもいっしょに見たくて。間に合って本当によかったわ」
「そうだな」
素直に同意したあと、彼はエセルの抱えている壺に目を向け、何が入っているのかと訊いてきた。
エセルは、すっかり忘れたまま抱きしめていた壺の存在を思い出した。細い壺には、しぼったばかりのレモンにはちみつをたっぷり混ぜたジュースが入っている。これを彼にあげようと思っていたのだ。