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剣技、と呼んでもいいような練習風景に見入っていたバルは、ぎょっとして声のほうを振り向いた。背後にあるオークの太い幹の陰から、年長の男が怒りに満ちて歩み出てくる。
バルの属する長槍班の副長であるカシムだ。
カシムは大股で柵の前に近づくと、代理教官とその生徒をにらみつけた。
「ここはアデライーダ陛下のおわす王城だ。ラキス・フォルト、使い手養成所のつもりならよそへ行け!」
もしかして木の陰からずっと見ていたのか? バルは上官の登場をいぶかしんだ。
直立不動の姿勢になったトビーが、青ざめながら言いはじめる。
「ごめんなさい。ぼくらが無理やり先生に頼んで……」
「誰が先生だ。この男はただの代理にすぎない」
カシムはラキスのほうに目をやり、挑戦的な口調で言葉を投げた。
「勇者様とおだてられた次は先生か。さぞや気分がいいだろうな」
「そうですね。かなり」
うんざりしながら、ラキスは答えた。面倒なことになってしまった。鍛錬は中断だし、これでは待っているバルの相手をすることもできそうにない。
バルがさっきからそばにいるのは、自分と手合わせしたいためだろうということは察しがついていた。
最近、代理教官の教えぶりを見に来た兵士たちが、手合わせを願い出てくることがふえていたのだ。
最初のうちは皆、興味本位でのぞいているだけなのだが、見ているうちにどうしても打ち合いたくなるらしい。
断る理由もないので相手をしているうちに、自然に手ほどきしている形になり、しかもそれが好評だという話を先日聞いたばかりだった。
しかし、このカシムが手ほどきをのぞんでいるとは思えないから、やはりこれは出過ぎた真似をいさめにやってきたのだろう。彼に嫌われていることは、討伐隊を指揮しているときから十分感じていた。
というのも、以前魔物と戦っているさなか、彼が自慢の槍を投げた瞬間に魔法炎を放ってしまったことがあるのだ。
標的はあっというまに浄化され、彼の槍は炎をくぐってさびしく宙を飛んでいった。
炎を使うのは、本当に必要とされるときのみ。
それ以外はできるだけ一般の武器で戦果をあげさせるようにするというのが、どうやら大人数をひきいるときのこつであるらしい。そうでないと、使い手でない一般人たちの士気が下がってしまう。
これまでずっと単独で動いてきたラキスにとって、それは魔物狩りよりはるかに習得困難な技術に思えたし、習得したい技術でもなかった。
「下っ端の身分」のほうがはるかに気楽で、だからわざわざ、自分から下っ端として扱うように訴えたり頼みこんだりしたのである。
その頼みを一番にきいてくれたのがカシムであったことは、言うまでもない。
「使い手しか通えないコレギウムにあこがれるのはわかるが、身分をわきまえたほうがいい」
カシムは、かつての勇者様の要望を全面的に受け入れ、堂々と指図した。
「はあ」
「剣の腕を披露したいなら、子どもではなくおれがその場を作ってやろう」
「は?」
「相手してやる。好きなようにかかってこい」
柵を乗り越えて入ってきたカシムは、トビーの落とした木剣を拾い上げると、ラキスに向き合った。やる気満々の構えだ。
まさかの手合わせ?
見ているバルの口元がゆがんだ。笑ってはいけないから、一生懸命こらえている。
大人の機微がわからない少年たちは、討伐隊のえらい人がいきなり参戦してきたことに興奮して、目を輝かせながら見守っている。
ラキスもしかたなく剣をかまえた。どう相手をすれば、穏便にことが進むだろうか。
「やあっ」
気合い十分で、副長が剣先を突き込んできた。頭は若干単純だが、王城付き討伐隊の役職につくほどだから腕っぷしはすばらしい。
息をつめて剣を受けながら、ラキスの脳裏をぴったりの言葉がよぎる。
──馬鹿力……。
と、そのとき。
その馬鹿力を一瞬で溶かし切るようなひとつの声が、王城の方角から響いてきた。
「ラキス!」
そよ風にのって届く、ほがらかに澄んだ声。ふりそそぐ日差しの中、金髪をなびかせたエセルシータ姫が、小走りで新緑の芝生を横切ってくるところだった。
小脇には、飲みものを入れるための細長い壺をかかえている。
息をはずませながら近づくと、エセル姫は柵に手をかけてラキスを見上げた。
「ラキス、お稽古はすぐに終わる? わたし、いそいであなたに見せたいものが」
エセルはいつものように、ゆるく波打つ長い髪を結いもせずに背中に流していた。両耳の上の一房だけは、すくいとって頭のうしろであわせているが、それも簡単な髪留めを使っているだけだ。
ドレスは全体的にやさしいクリーム色で、振り袖も引き裾もなく動きやすそうだった。胸あての部分と帯はつやのある若草色、金糸とビーズでこまかい蔓草模様がぬいとられている。
アーモンドを思わせる茶色い瞳が、まっすぐラキスに向けられて、彼は思わずまばたきをした。
姫君のまわりで、光のしずくがはじけているように見える。自分の目がどうかしたのかと疑ったが、バルのほうをふと見やると、あちらの鼻の下は完璧なまでにのびきっていた。
まぶしく感じたのは自分だけではなかったらしい。
と、そのとき突然、ラキスは真の殺気が向かってくるのを感じた。
はっとして横を見ると、剣をかかげたカシム副長が突進してくるところだった。どうやら激怒しているようだ。
あやういところで飛びのいて、本能的に次の攻撃を封じるための行動に移った。相手のみぞおちに膝頭を叩きこむ。
しまったと思ったときには遅かった。あっけなく崩れ落ちたカシムの姿に、エセルが驚いて声をあげた。
「大変! 副長さん、急にどうしたのかしら。元気いっぱいに見えたのに」
姫君の目には、ラキスの動きが速すぎて、とらえられなかったらしい。
「手当てしてあげなきゃ。でも困ったわ、わたしいま、とてもいそいで……」
「おれがやっておきますよ、姫様」
あたふたしている姫のそばに、バルがいそいそと歩み寄った。
「なに、たたけば目をさましますよ。姫様はラキスを連れていかれてかまいませんから」
ラキスがバルのほうを見ると、その朴訥な顔には大きく馬鹿と書いてあった。すまん、恩に着る。ラキスもそんな台詞を顔だけで伝える。
エセル姫がバルに顔をふりむけ、こぼれるような笑顔を見せた。
「ありがとう! いい人ね、バルさん」
バルの申し出は、十二分に報われた。