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村人たちが抱えている問題を明らかにしたのは、チャイカだった。
この女の子は、村の木こり夫婦の子どもだったが、母親のほうは早くに病で亡くなっていた。それで、父親が働きながら子育てをしていたのだが、その父もしばらく前に、伐採した木の下敷きになって命を落とした。
残された彼女をひきとって面倒を見続けているのが、木こりの友人だった炭焼きの頭領ジンクなのだという。
そういう経緯を聞いた以上、ラキスとしては、チャイカに目をかけてあげないわけにはいかなかった。両親を早く亡くしてしまったことも、他人にひきとられたことも、小さいころの自分と重ねずにはいられないものがあったからだ。
チャイカは五歳児程度の外見だったが、年齢を訊いてみると、もう七歳になっているということだった。よく食べるのだが、栄養が翼にばかりいってしまい、肝心の身体や頭のほうには、ちっともまわっていかないらしい。
ねずみを食べているせいじゃないのかと、ラキスはひそかに思ったが、口には出さないでおいた。どんな子にしても、気の毒な境遇に変わりはないのだ。
人見知りもせず屋根裏部屋にあがってくるので、彼はあまっていた柳や草の蔓を使って、簡単な馬のおもちゃを作ってあげた。かつて養父のカイルがよく作ってくれたもので、籠を編むのと同様、いまでもやり方をちゃんと覚えている。
子どもはたいへん喜んでそれを受けとり、その結果……ちょっと辟易するほど、彼になついた。
このチャイカが、薪割りをしていたラキスと、取り巻いている女たちのところに顔を見せたのが、問題提起のはじまりだった。
「ラキスさま、みてみてー」
いきなりの呼び声に、女性陣がびっくりして振り返る。
それから、目を丸くしながら、口々に勝手な感想を述べはじめた。
「まあ、驚いた。チャイカも女の子だったんだねえ」
「この子に、きれいと汚ないを見分ける目があったなんてね」
「いい呼び方じゃないの。あたしらも真似させてもらおうか」
女の子は、差し出した両方の掌に泥だんごをひとつずつのせ、手足も服も泥だらけにして立っている。
一同を代表したマージが、にこやかに笑いながら話しかけた。
「うまくできたね、チャイカ。でも、もうちょっとひとりで遊んでおいで。王子様は、いま大人たちとお話し中なんだよ」
チャイカは、うすぼんやりした目つきでマージを眺めると、おとなしく前庭のほうに消えていった。
と思ったら、すぐにふたたび、同じく両手を突き出しながら登場した。
「みてみてー」
先ほどと同じ笑顔と言葉で、マージが辛抱強く彼女を送り返した。子どもは素直に退場し、すぐまた入場した。
マージは同じ笑顔のまま、ちがう声音で言った。
「もうちょっと、ひとりで、遊んでおいで」
ラキスは思わず包丁を連想したが、チャイカはまったく動じる様子もなく、淡々と離れていく。
そして、四度目の声がした。
「みてみてー」
集まっていた女たちは、冷たい横目で子どもを見やった。ついで全員が、勢いよく振り向いた。
子どもがしつこすぎることに怒ったわけではない。変化を察知したのだ。
少し離れた正面にいたラキスにも、それがわかった。魔物狩りをしてきた者ならではの勘が、反応したのかもしれない。
チャイカを取り巻いている空気の層に、ぐっとたわむような力が加わっている。
空気が歪む。突っ立ったままの子どもの身体が、蒸気に包まれでもしたかのように、こまかく揺れる。
直後、歪みは誰の目にも明らかなほど大きくなり、その中で背中の翼だけが黒々と膨張した。
そして。
ボン、と音がするような勢いで、彼女は消えた。
それと入れ替わって出現したのは、黒い鱗におおわれた魔性の生き物、ヴィーヴルだった。
ヴィーヴルは竜体の魔物で、竜の顔、太い胴、大きな皮膜の両翼に長い尻尾をもっている。鋭い鉤爪がついた後脚は短く、前脚はさらに短い。
いま目の前に現れたものは、ふつうのヴィーヴルよりは多少小型の気もしたが、ひろげた翼はたくましく、その背中は大人が楽に乗れそうなほど広かった。
「こら、チャイカ!」
と、激怒しながらルイサが怒鳴った。
「もとに戻りな!」
すると、無邪気でのんびりした子どもの声が、見ている人々の頭の中に、直接響いてきた。
【チャイカ、へんしん、じょうず】
「戻りなったら。早くしないと、今日の晩ごはんは抜きだよ!」
【あーい】
返事とともに、ふたたび空間が揺れた。
ボン、と、たちまち魔物が消え、入れ替わりにのんきな顔つきの女の子が現れた。
あまりの出来事に、ラキスはあやうく腰を抜かすところだった。握ったままだった斧を杖がわりにして、尻もちをつくのをなんとかこらえる。
こらえながら、思わず呟いた。
「反転するのか……」
反転というのは、魔力におかされた人間や動物などが、魔物に変化してしまう現象を言いあらわすときの言葉だった。
一般にはほとんど広まっていないのだが、炎の使い手や聖魔法院の司祭などは、基本的にこういう言い方をする。
変身とか変化とかいう言葉よりも、より本質的な部分をついているからだろう。
人や動物と、魔物との違いが何なのかという話になるのだが、使い手や司祭たちは、それを「相の違い」「次元の違い」としてとらえていた。
命の出どころ、命の根差している「相」というものが、根本的にちがう。
たとえば凶暴な猛獣は、魔物と大差ないこともあるが、それでも猛獣は魔物と同じ「相」の生き物ではない。
その証拠に、魔法剣から噴き出してくる魔法の炎は、唯一、魔物にしか反応しない。たとえ猛獣を斬ったとしても、魔法炎が浄化することはありえない。
人間や動物たちの相が魔物の相に転じる、ひっくり返る、というのが、反転という言葉の意味するところだ。
インキュバスなどは、触手からあふれる魔力で獲物を反転させて、僕をつくり出している。
天馬のような聖獣たちは、おそらく人とも魔物とも別の相に根ざした存在で、彼らが通る<星の道>は、そちらに属した場所であるにちがいない。
では、半魔という存在がどこに属すのか、という疑問もうかんでくるが……それは当然、人間と同じ場所に決まっている。
──と、少なくとも半魔自身は、そう考えている。
半分、などという言い方が失礼千万な俗語なのであって、実際は何十分の一、何百分の一、何千分の一の魔性が混じっているだけのはずだからだ。
だが──ラキスは、自分の目が信じられないような気分で考えた──みずからの意志で反転できるような半魔がいたなんて……。
「ラキスさま」
人の姿に戻った女の子が、ゆるんだ笑みをうかべながらラキスを見上げた。
「チャイカ、とぶのもじょうず」
ラキスは我に返って、彼女に応じた。
「もしかして、ドニーを村まで連れ帰ることができたのは、チャイカが背中にのっけてきたからか?」
「あい」
「そうか……お手柄だったな」
ぼんやりとしたチャイカの瞳に、彼女としては精一杯の星が散った。
うっとりしている女の子とは裏腹に、大人たちはみな、どことなくひきつっていた。
「あ、あたしらはこんなことしないからね。ほんとだよ」
「……しようとすれば、できるとか?」
「いや!」
「しないから!」
「無理無理!」
それをきっかけに、女性陣はそそくさと解散してしまった。
薪を割る力が抜けてしまったため、ラキスもチャイカにくっつかれながら、家の中に戻っていった。




