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「お母様……」
エセルが息をひいて呟いた。
アデライーダは三姉妹の末姫をみつめながら、落ち着いて言葉を続けた。
「頭に血がのぼっているという点では、そなたも彼と同じようですね」
扉を開けた侍女が、一礼して部屋を出て行く。エセルもあわてて立ち上がって礼をとり、母のために広い席をあけようとした。
だが、アデライーダは姉姫たちのいるテーブル席ではなく、窓辺の長椅子まで歩を進めていった。
分厚い城壁をくりぬいて造られたアーチ型の窓の前には、小ぶりの長椅子が二脚、向かい合わせでおかれている。
女王はその片方に腰をおろすと、立ちつくしている末姫を手招きしてそばに呼んだ。
エセルは緊張しながら、その正面に腰かけた。
女王陛下が娘たちの私室に入ってくるときは、女王でなく母として、くつろいだ服装をしていることが多い。
けれど、今日の彼女の衣装にはゆるんだ部分がなかった。直前の会談が正式なものだったのだろう。
深い瑠璃色のドレスには、銀灰色で織られた幅広い帯がきっちりとしめられ、袖口もひらいたかたちではなく、手首で細く詰まっている。
母の視線を正面から受けながら、エセルは下腹に力を入れて、自分の意志を奮い立たせようとした。
ラキスのことをかばってあげられるのは、自分だけなのだ。ひるまず落ち着いて話をしなければならない。
「わ……わたしは冷静ですわ、お母様。彼はきっとひどい人違いをしているんです。けしてコンラート殿を傷つけようとしたわけでは……」
「マリスタークからの文書には、嫉妬にかられた暴漢、とありましたが」
「それはちがいます。そうとられても仕方ありませんけど、でも本当にちがうんです。何か大きな誤解があるんだわ。なんの誤解かは……まだわかりませんけれど……」
自分でもまったく説得力がないのを感じて、エセルはあせりはじめた。
「あの……彼と話ができさえすれば誤解もとけて、すべてがわかるはずなんです。マリスターク側が、彼の話を聞いてくれさえすれば」
「でも、逃げたのでしょう?」
「逃げたんじゃありません。きっと自分から出てきて……くれると……」
女王は金色の眉をぐっと寄せて、しばらくの間、娘の顔をみつめていた。
それから、ため息とともに呟いた。
「こんなにやつれて……どうせ食事もあまりとっていないのでしょう。今夜は滋養のつく食べ物を選ばなければ」
「いえ、わたしのことよりも、あの」
「正直なところ、そなたをここまで悩ませているという罪で、国内に触れ書きをまわしたいくらいですよ。まったく、何を考えてあんな真似をしたものやら」
エセルは思わず母の顔を見直した。そして、遅まきながらようやく気づいた。
母は怒っているのだ。騒動の元凶となり愛娘を苦しめた若者に対して、腹をたてているのである。
「お母様、わたし」
「よく考えてごらん、エセル。もしもそなたの言うとおり、嫉妬ではなかったとしても、ことはそなたが思うほどよくなりませんよ」
「………」
「どんな理由であれば、人を殺めても許されると言うのです? 人違いだとしたら、行為が正当化されるとでも? むしろ嫉妬という事情のほうが、はるかに理解しやすい。もちろん正当なわけはありませんが、同情する裁判官も中にはいるかもしれません」
「お母様」
冷静でいようと思った先ほどの決意は、動揺のあまり吹き飛んだ。エセルは母の膝にとりすがらんばかりになって訴えた。
「信じていただけないかもしれませんけど、これには何かよほどの理由があるんです。でなければ、あの人があんなことをするはずがない。人を殺めようとするなんて、そんなこと絶対に……」
言いながら思い出がよみがえってきて、声がつまった。
「絶対に、するわけなんかない。以前、わたしが侍女のことで彼に無理なお願いをしたときも、きっと楽ではなかったはずなのに引き受けてくれて……終わったあとにこう言いました。たいしたことはしていないって」
「………」
「相討ちになったことさえ、そんなふうに思っているみたいでした。自分自身の安全よりも、相手を優先してあげることが、あたりまえのようにできる人なんです。そんな人が悪いことをするはずない、これは絶対に何かの間違い……」
「エセル」
女王はもう一度ため息をつくと、娘の言い分をさえぎった。
「彼の人柄については、わたくしだって知っていますよ。でも、いま問題なのはそんなことではありません。それに……そなたの様子を見ていて、わたくしはますます心を決めました」
「え?」
「エセルシータ。そなた、ラキスのことは忘れて、別の殿方と早く結婚なさい」
エセルは言葉が出なかった。頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなってしまったからだ。
「そなたのような娘は、早く結婚して安定した生活を送ったほうがいいのです。しかも相手は同じ年代ではなく、型破りな若い姫を包み込んでくれるような、年上の男性のほうがふさわしい。幸い、ぴったりなかたがいらっしゃいますよ。コンラート・オルマンド卿が」
それから女王は、コンラート卿は嫌な人物であったか、マリスタークは気に入らない場所であったかと娘にたずねた。 エセルは首を振り、双方ともにすばらしかったと、蚊の鳴くような声で答えた。あえて相手を悪く伝えるような思考回路は、彼女にそなわっていなかったからだ。
アデライーダ女王はうなずいた。
「そなたはコンラート殿から、小さな贈り物をいただいたそうですね。先ほど、リタから少し話を聞きました。好きになれない相手の贈り物をうけとるような、そなたではない。よほど印象がよかったのだろうと思いましたよ」
女王は続けて、あの青年とは過去にも何度か会ったことがあるのだと告げた。
いつ会っても紳士的で感じのいい人物だったという。ただ、領地をおさめるための熱意が多少欠けていたようで、それだけが難点といえば難点だった。
しかし──リタからも聞いたように──いまのコンラートはその点も克服し、たいへん前向きな姿勢であるらしい。興味のなかった領内も熱心にまわり、外泊もいとわず遠方まで足をのばしているという。
伴の者たちにやらせていたような手配などの雑務も、積極的に自分でおこなっているようだ。
そして何より、姫君にたいへん心を惹かれ、気づかってくれていたとのこと。彼のような男性とともに暮らせば、若い姫君も、すぐに新しい未来をみつけることができるだろう。したがって──。
「婚儀は二十日後に」
エセルは愕然として顔を上げた。
見返した母の顔には、一片の迷いも見当たらなかった。
「忙しくなりますよ。リタと打ち合わせして用意をなさい」




