39(エセルの私室)
長旅のあとであっても、いつものエセル姫なら、ひとりで馬車から降り立てるくらいの元気を十分に残している。
だが今回ばかりは、助けの手にすがるようにしながら席を降り、なんとか地面を踏みしめた。
頭の中は、一刻も早く女王陛下にお会いしなければという思いでいっぱいだった。
女王のもとには、マリスタークからの報告の使者が、とっくに到着しているだろう。けれど、その報告はまちがっているのだ。
どこがどうまちがっているのかを説明できる自信はなかったが──エセルにもわけがわからないのだから──とにかく自分の意見だけは、はっきり伝えなければならない。
出迎えてくれた家臣たちにうわの空で挨拶を返しながら、王城のほうを見やると、こちらに向かってくる姉姫たちの姿が目に入った。
「お姉様……」
「エセル!」
リデルとセレナは、二条の光のように走り寄ってくると、妹に手を差しのべた。
エセルもふたりのほうに駆け寄り、三姉妹は思わず手をとりあって、おたがいの暖かさを確認しあった。
青い瞳を心配そうにくもらせながら、姉たちが口々に話しかけてくる。
「話は聞いたわ。大変なことになってしまったわね」
「こわかったでしょう、かわいそうに」
エセルは返事もそこそこに、早口になってたずねた。
「わたしは大丈夫よ。それより、お母様は? すぐにお話ししたいのだけど……」
「いま、都の貴族たちと会談中でいらっしゃるの」
あせっている妹を落ち着かせるように、リデルライナがゆっくりと言った。
「あなたには、自分のお部屋で待つようにと、ことづかってきているわ。疲れているでしょうから、少し休んでいなさいとのお言葉よ」
それから姉姫たちは、不安げにたたずんでいる妹姫をうながして、王城の中に戻っていった。
そして、言いつけどおりに妹の部屋までつき添っていくと、侍女たちをさがらせ、三姉妹だけで会談がおわるのを待つことにした。
侍女が用意していってくれたカップに、セレスティーナが三人分のお茶をそそぐ。リデルが、妹をすわり心地のいい長椅子のまんなかにすわらせ、カップを差し出してすすめた。
「とにかく、ひとくちお飲みなさいな。あなた、ひどい顔色よ」
エセルはいまだに緊張した表情をくずさずにいたが、あたたかなお茶を口にはこぶと、ようやくほっと力をゆるめた。カモミールのやさしい香りが高ぶった気持ちをしずめ、やわらかなクッションが、馬車に揺られ続けた身体をうけとめてくれる。
淡い若草色を基調にととのえられた、お気に入りの部屋。大きな窓からは、夕暮れ前の澄んだ空がよく見える。
ほんの短い旅だったのに、なんだか長期間にわたる旅行をへて自分の部屋にたどりついたような気分だ。
「ありがとう、リデルお姉様、セレナお姉様」
エセルは心から感謝したが、安心するにはまだ早いことはわかっていた。
姉たちがどんな話を聞いたのか──それは女王陛下に伝わっている話と同じはずだから、母に会う前に確認しておいたほうがいい。
もしかしたら、少しは有意義な情報がつけ加わっているかもしれないし……。
エセルは、はかない期待を抱いたが、姉たちが語ってくれた話は、マリスタークで次期伯爵が呟いた台詞とほとんど変わるところがなかった。
「人ってわからないものね……」
話のおわりにセレナ姫がため息をつき、言葉を選びながら感想を述べた。
「わたくし、殿方を見る目にはちょっと自信があったのだけど、今回のことでかなり揺らいでしまったわ。まさか、あのラキスがそこまで……情熱的だったなんて」
リデル姫も、大きくうなずく。
「同感だわ。口ではどう言っていても、実際にエセルとコンラート殿が並んでいるところを見たら、やはり耐えがたかったということなのかしらね……」
「そうじゃないわ」
エセルはカップのお茶をこぼしそうになり、あわてて受け皿に戻しながら否定した。
「ちがうのよ、嫉妬なんかじゃないの」
「そうでなければ何だというの?」
セレスティーナが首をかしげる。
「それは、あの……わからないのだけれど……」
「エセル、無理しなくてもいいわ。とても残念なことだけど、事実は認めなければ」
「本当にちがうの。あの人は嫉妬なんかしていない。だってやきもちを焼くほど……焼くほど……あの人、わたしのことが好きだったわけじゃ……」
リデルとセレナが、思わず顔を見合わせた。
妹の言葉が思ってもいなかった部分に向いたため、驚いたのだ。
「わたしをおいていくつもりだったのよ」
エセルはふいに涙ぐむと、一息に声を押し出した。馬車の中で考えていたことがあふれ出てきて、止めることができなかった。
「ひとりで城を出て、どこかに行ってしまうつもりだったのよ。わたしを追いかけて、マリスタークに来てくれたわけじゃない。わたし……わたし自分で思い込んでいたほど、彼に必要とされていなかったんだわ」
「そんなことないわよ、エセル」
セレナがあわてたように口をはさんだ。
「彼はあなたを、とても大切に思っていたはずよ。でももちろん……わたくしの見る目がくもっていたと言われれば、それまでではあるけれど……」
なぐさめの口調があいまいだったのは、どういう言い方をすれば妹の気持ちを軽くしてあげられるのか、わからなかったからだ。
恋心について肯定すると、嫉妬についても肯定してしまうことになる。それは妹の望んでいる方向性ではないだろう。
「彼が出て行ったことは、わたくしたちも知っているわ」
と、考え深そうに瞳を伏せて、リデルライナが呟いた。
「急に姿が見えなくなったので、教練場のほうでは、ちょっとした騒ぎになったみたいなの。宿舎の部屋が片付いていたから、生徒たちも動揺して……トビーという子なんて、お城の中までさがしに入ってきたくらいよ」
「子どもたちにも、何も言わなかったのね……」
「そうらしいわ。ただ子どもたちの話では、夕方になったら軽い打ち合いをして遊ぶ約束を、朝のうちにかわしていたらしいのよ。そんな約束を破ってまで出て行ってしまうなんて、いったいどうしたんだろうと、わたくしたちも本当にびっくりして……」
姉の言葉に、エセルは茶色い瞳を見開いた。
子どもたちとの約束を……破った? そんなことをラキスがするはずはない。
たとえ、わたしに黙って行ってしまうつもりだったとしても、トビーたちとの約束があるのなら──。
「エセル、あなたマリスタークで、彼と何も話せなかったの?」
妹をのぞきこみながら、リデルライナが熱心にたずねた。
「何か手掛かりのようなものは感じなかったかしら。わたくしもやっぱり、どうしても釈然としないわ」
「それが何も……あっというまの出来事だったし……」
エセルは必死に記憶をたぐった。あまりにも急な事件だったため、思い出そうとしても、とびとびの断片しか浮かんでこない。
「最初にわたしをみつけたときは、いつものラキスだったと思うわ……。でもコンラート殿のほうを見たとたん、いきなり顔色が変わって……」
ふいにエセルは、はっとした。
自分の思いつきを、勢いこんで口にする。
「そうだわ、きっと人違いをしたのよ。コンラート殿のことを誰かと勘違いしたんだわ。大変な勘違いだけれど、きっとそれで頭に血がのぼって」
「問答無用で、相手に斬りかかったというわけですか?」
銀色の芯の通った声が響いた。
はじかれたようにエセルが振り向くと、開いた扉の前に、アデライーダ女王が立っていた。




