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いつのまにか、日差しもずいぶん西にかたむき、村人たちの足元からはそれぞれに大きく長い影がのびていた。
翼と同じように黒々とした異形の影が、石ころと土くれだらけの道を、いびつにおおっている。
王城のみごとな庭園を眺めていたのは、今日の昼間のことだった。
あの場所では、影さえも手入れされ、彩られているように見えたのに……思いもかけずマリスタークの庭園をへて、いまはドーミエの、こんなにひなびた田舎道まで来てしまっている。
民家の方角である前方には、まだ明るさが残っていたが、背後の森からは夕闇の気配がにじみ出していた。人々は自然に足をはやめながら歩いていたが、少しひらけた草地の手前で、これも自然に歩みをとめた。
そこは茂るにまかせた草地とちがい、藪がとり払われて、小さな花々だけがまばらに残されている場所だった。やわらかな雑草の間には、人の手を加えられない形状のままの大きな石が、間隔をあけて並べられている。
石板ではないが、それが何を意味しているかは察しがついた。墓碑だ。
狭い墓地の一番はし、もっとも新しく埋められたように見える細長い石の前には、村人と思われる男がいて、立ち膝の姿勢のままじっと下を向いていた。
男の背から突き出している黒い翼は、泥にまみれたように光沢がなく、うつろな瞳もまた泥のように暗かった。
彼は立ち止まった一団にはまったく目を向けることなく、小声で何かを呟き続けていた。
だらりとさげた両腕には力の気配もなかったが、しゃがみこんでしまわないのは翼が邪魔になっているからだろう。閉じた両翼の先端が、立ち膝でぎりぎり地面に届く位置まで来ているため、それ以上はしゃがめないのだ。
ラキスと言葉をかわした娘が、一団の中から進み出て、男のそばに歩み寄った。包丁を握りしめていたときとは別人のように、しっかりした理性を感じさせる動きだった。
彼女は、男の肩にそっと手をおきながら、のぞきこんで話しかけた。
「兄さん。暗くなってきたよ、もう帰ろう」
男はのろのろと視線をあげると、娘の顔を見て呟いた。
「カーヤ」
「あたしはマージだよ。やんなっちゃうね。妹の顔くらい思い出してよ、お兄ちゃん」
マージが即座に言い返す。きつい調子の言葉とは裏腹に、兄をみつめるまなざしには、いたわりがあふれていた。
ラキスの横にいたジンクが、やりきれないように呟いた。
「ドニーは廃人になっちまった。よく働く明るい奴だったのに……」
「……どうして?」
ラキスは問いかけたが、答えはある程度、予想がつく気がした。
「カーヤが……あいつの女房が殺られる現場を見ちまったらしい。仲のいい夫婦で、夏には赤ん坊が生まれるはずだった。ふたりとも、はじめての子をそりゃあ楽しみにしていて……」
ラキスは無言のまま、動かないドニーと、彼を立たせようとしている妹の姿をじっとみつめていた。それから視線をあげて、つと墓地の右手のほうを指し示した。
「あの花……少しもらってもいいかな」
墓地の脇には数本の林檎の木が生えていたが、いまはどの枝も満開の白い花を咲かせていた。
どんなに王城とかけ離れた土地でも、春の訪れは平等なのだ。きっと秋にはたくさんの実をつけて、村人たちの貴重な食料源となるのだろう。
ジンクがうなずいたので、ラキスは木に近づくと、細い一枝をひかえめに折り取った。それからカーヤの墓に歩み寄り、そのかたわらに膝をついてすわった。
白い花をいっぱいにつけた枝を、墓碑の前にそっと供える。そして、立ち膝のままでいるドニーの顔を見上げながら話しかけた。
「あんたが見たのと同じものを、おれも見た」
そばにいたマージの息を呑む気配が伝わってきた。
「……カーヤは今頃、天に還って幸せにしてるよ」
かけてあげられる言葉など、ほかにみつかるはずもなかった。
見ず知らずの自分でさえも、頭がおかしくなりそうな光景だったのだ。身内の精神が耐えきれなかったのは当然のことだろう。
「ドナ……」
鈍い視線をラキスに向けて、ドニーが口走った。
「ドナって?」
マージにたずねると、彼女はのどがつまったような声を出した。
「生まれるはずだった赤子の名前……」
「──女の子の名前だな」
ラキスが呟き、かすかに笑った。
つられてマージも苦い笑いをうかべる。
「絶対に女の子だって、いつも言ってたから。男の子だったらどうするつもりだったんだろうね」
「女の子だ」
答えたのはドニーだった。
彼はのろのろと自力で立ち上がったが、そこでふたたび動きをとめてうなだれた。マージが彼の腕をとって、ゆっくりと墓碑の前から引き離した。
ラキスはふたりの姿を、何ともいえない痛みとともにみつめていた。
感情も知性も抜け落ちてしまったドニーは、事情を知らない者が見れば、魔性そのものと思ってしまいそうなくらい、人間離れした姿に見える。
だがマージのほうは、どう見ても人間だった。
蝙蝠のような翼は兄と同じだったし、兄妹だけに顔かたちもよく似ている──それでも、気遣いに満ちた彼女の表情が、魔性のものであるはずがない。
心の在りようが、どれだけ外見を左右するのかという例を、見せつけられている気がした。
視線を返して村人たちの一団を見ると、彼らもまぎれもなく人間だった。
兄妹が一団に加わるのを待ってから、皆は以前よりゆっくりした足取りで、ふたたび歩きはじめた。




