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さらにもうひとつ……と、バルは考え続けた。
ラキスが恐ろしく印象的だったのは、魔法剣にくわえて天馬をあやつっていたからだ。純白の聖獣にまたがって空を飛びまわる様子は、王族でもないのに神々しささえ感じさせるほどだった。
その天馬が、つねに彼のそばにいるわけではないと皆が知ったのも、ここひと月以内のことである。
現にいまも姿が見えない。あらわれる気配さえない。
ラキスによれば、天馬は気が向いたときだけやってきて、気が向かなくなるとさっさとどこかへ消えてしまうとのことだった。
どこを散歩しているのかは知らないし、呼び出すこともできない。冬の間ずっと王城にいたのは、城や姫君たちを気に入っていたからだろう──そんな説明をしていた。
愛馬にはちがいないのだろうが、飼いならしているわけではなく、主従関係でもなかったとは……。
こうして考えてみると、たしかに以前、彼が言っていたことにもうなずける。バルと彼はこんな会話をかわしたのだ。
──呼び捨てでいいんだよ。もうほかのみんなもそうしてるだろ。
──でも、いままで敬語だったのにいきなり呼び捨てなんて……。急に下っ端扱いされたりして、嫌じゃないのか?
──全然。勇者様だのなんだのってたてまつられるほうが、よっぽど嫌だった。いまの身分で十分だ。
──変わったやつだなあ……。
いまの身分。
つまり魔法剣も持たず、炎の使い手でもなく、契約は期限が切れ、天馬も行方不明で馬さえ持っていない若者……ひとことで言えば「王城に居候している、エセル姫のお気に入り」。
その居候は、暇にまかせて少年たちの指導をひきうけ、いまは訓練をやめて追いかけっこなんぞをはじめている。屈託なく笑っている様子に、魔物と死闘を繰り広げていた影はない。どこにでもいる十九歳の若者だ。
こんなふうに笑うことができる人物だったとは、勇者様と勝手にあがめていたときは、思いつきもしなかった。
考えてみれば、ラキスはラキスで、勇者様の評判をそこねないようにと身構えていたのだろう。討伐隊の猛者たちの中に、いきなり入っていったのだから、緊張していたとしてもおかしくはない。
しかしそうした緊張感も、子どもたちを相手にしていると、すっかり忘れ去ってしまうようだ。楽しそうだから、いっそここの教官として正式に就任してしまえばいいのではないだろうか。
だが──そんなことを思いながら見守っていたバルは、しばらくすると思わず唸った。
彼らが興じているのは、ラキスの持つ手ぬぐいを子どもたちが奪いとるというゲームだった。ある意味追いかけっこだが、身体をつかまえるのではなく、手ぬぐいをとることを目標にしているようだ。
それが、とれない。十人対一人、はさみうちにしたり四方から来たりと少年たちも作戦をねってくるのだが、いくらやってもとれそうにない。
ラキスは手ぬぐいを高く上げ続けたりしないし、むしろわざと相手の鼻先で振ったり、とりやすいように立ち止まったりしている。それなのに、誰の手もかすりもしない。
バルが今度こそ成功だと確信した瞬間ですら、生き物のように手ぬぐいが遠のいてしまう。
魔物を討伐するときと同じだ。
彼があまりにも簡単そうに剣を振るので、魔法剣さえあればおれにだってあれくらい、と思った時期もあった。はっきりそう口にする兵士さえいた。
だが、しばらくすると誰もが納得せざるをえなかった。簡単に見えることこそが、並はずれた力量の証明だということを。
最小の力で最大の効果を上げる。最良のタイミングをはかり、最短の距離をみきわめ、最速のスピードで移動する。
ラキスが正規の使い手ではないと知ったとき、はぐれ剣士が王城に入りこんだのかと驚いたが、本当に驚いた部分はそこではなかった。これほどの腕を持つ者が登録もされていないという事実が、すぐには信じられなかった。
それにしても、とバルは思った。
彼が、教官だけをしているにはもったいない人物だということはわかった。このゲームが遊びに見えて実は鍛錬だということもわかった。
しかしいい加減、終わりにしてもらいたいものだ。せっかく手合わせしてもらいたくて出てきたのに、これではいつまでたっても時間があきそうにないではないか……。
そう考えたとき、かつての勇者様が、いきなりころんだ。追いかけていた子どもたちがつんのめり、次々に折り重なってその上に倒れこむ。
この動きはいかなる鍛錬の目的で? バルは思わず身を乗り出した。
だが若者は、少年たちに押しつぶされてジタバタともがいている。どうやら、単にころんだだけらしい。
つくづく変わったやつだなあ……。
バルはあきれながら、大きなため息をついた。