23
ラキスは、不意打ちで頬を叩かれたような気がした。
調べられている──エセルにさえ話していなかったはずなのに。
「コルカムに……誰かをつかわされましたか?」
なんとか問いかけの声を出すと、アデライーダは彼の動揺を感じたのか、思いやりに満ちた口調で答えた。
「いいえ、まだ。しかし使いを出す準備はしていますよ。以前そなたが帰郷すると申し出たとき、必要なら医師でも差し向けようかと思って、途中まで調べたのです。そのあとの騒動で、それどころではなくなってしまいましたがね。けれど正式に婚約するとなれば、もちろん王家じきじきの報告を」
ラキスは血の気がひいていく感覚を味わった。
養父母であるカイルとリュシラが命を落としたあと、コレギウムに入るまでの四年間、彼はコルカムの家を点々としながら生活していた。そのほとんどが、カイルかリュシラの仕事仲間の家だった。
ふたりがどんなに子どもをかわいがっていたか、仲間たちは知っていたし、どうしてもっと子どもを世間に出さないのかと、ふしぎがってもいたらしい。その理由を、我が家に引き取ってみてはじめて、彼らは知ることになったのだ。
半魔の子を叩き出す者がひとりもいなかったことから見ても、カイルたちの人望がいかに厚かったかがよくわかる。皆、心からふたりの死を悼んでいたし、必死になって義理立てしようとしてくれた。
魔性に対する反感が根強い村で、ほかの住民に知られないよう、村長や領主にまで伝わらないよう、苦労を重ねながら。
だが──王室直々の使いと向きあってまで、そんな努力をし続けるのは、無理というものだろう。
女王の使者から過去を問いただされて、隠し通すことができる村人などいはしない。真実は必ず使者の耳に入る。
ラキスは、長いため息をついた。
これまでだ。
「使いの準備は必要ありません」
彼がふいに目をあげたので、アデライーダがふしぎそうに首をかしげた。
「なぜ?」
「両親に会うことなどできないからです。ふたりとも亡くなっていますので──十年以上前に」
「しかし、そなたは以前……」
「契約を終わらせるために、適当な方便を申し上げました」
女王はあきれ返ったように目の前の若者をみつめた。
「ずいぶん悪びれずにそれを言うのですね……」
「もうひとつの秘密にくらべれば、ささいな問題ですから」
「もうひとつの秘密?」
「わたしは生粋の人間ではありません。半魔です──巷でいうところの」
沈黙がおりた。
女王は声もたてず、身じろぎもせずに彼をみつめ続けていた。
表情は変わらない。ただ青い双眸だけが、しだいに銀の光を帯びはじめた。
「申し訳ございません。隠していたわけでは……いえ」
すべてをつらぬきとおすような視線をうけて、冷静な口調を保てたのはここまでだった。ラキスは席を立つと、いきなり床に膝をつき両手をついた。
「隠していました。申し訳ございません。王城でお世話になっていながら身分詐称……いかようにも罰は受けます」
アデライーダ・ルノーク・レントリンディアが、ゆらりと立ち上がった。
何の返答も返さず、しばらくのあいだ無言で彼を見下ろした。
厳寒の星の光が、頭上から落ちてくるようだった。やがて、星の光が氷の声を運んできた。
「エセルを──たばかったのか」
ラキスの返事は一拍遅れた。
「……はい。ずっと隠しておりました」
即答できなかったことを、彼は悔やんだ。
だましたことを肯定しなければ、エセルシータ姫のほうが女王をだましていたことになってしまう。真実を知っていながら伝えずにいるのは、つまり女王陛下を裏切っているということだ。
あの姫君は、いままで自分を守るために、母親である女王を裏切り続けてくれていたのだ。
ふたたび氷の声音が落ちてきた。
「リデルとセレナは」
「何もご存じありません」
いまの答えかたはどうだろう。即答しすぎて不自然だっただろうか。
「ステラ・フィデリスに登録されていなかった理由は、それか」
「はい」
いまのは……もしかすると否定したほうがよかったかもしれない。
あの団体は自分の正体を知っているし、出身地も把握している。女王に村の名を伝えたのは彼らかもしれない。
だが、一番肝心な部分については黙っていてくれたわけだ。
ラキスは頭が混乱してきた。しかし混乱を収束する前に、次なる命令が下された。
「立ちなさい」
彼が立ち上がると、女王は彼と向き合った。
「見せてごらん」
「え?」
「証拠があるなら、それをお見せ。いきなり半魔などと言われて、信じられるはずないでしょう」
「そ……そのようなことをしては陛下のお目が穢れます。ご容赦を」
「かまわぬ。お見せ」
「ご容赦を──」
「お見せ!」
星の光が雷光に変わったかのようだった。
彼は着ていたチュニックの左裾を持ち上げると、女王の前に銀鱗の素肌をさらした。
女王はそれをみつめた。まばたきもせずにみつめ続けた。
ラキスは、彼女の視線に肌を焼きつくされるのではないかと思い、実際に痛みを覚えたほどだった。
──息をつめて痛覚をやり過ごすと、彼はこぶしに込めた力を抜き、持っていた裾をおろした。
やはり呼吸を忘れていたらしい女王が、わずかに身体を動かして瞳を伏せる。そのまま動かず、じっと床に視線を落とした。
それから深く長い吐息をもらすと、かたわらにあるテーブルのはしに片手をついた。
「……そなたが城を救ってくれた勇者であることに、何ひとつ変わりはない」
疲れ切ったような声だった。
「どうして罰などあたえられよう。ただ、エセルは……あの子だけは」
「出て行きます」
と、ラキスは答えた。
「いまから城を出ます。二度と戻ることはありません」
アデライーダは若者をみつめると、かすかにうなずいた。さらにもう一度、深くうなずいた。降り積もる年齢の重みを、ラキスははじめて彼女の顔に見たような気がした。
「好きなだけ褒美をとらせましょう」
重い口調で女王が続けた。
「金貨でも宝石でも……宝石のほうが持ち運びしやすいでしょうね。宝物室に行って、好きなように選んでお行き」
「お気遣いはけっこうです。報償でしたら、いままでに過分なくらいいただいていますから」
「遠慮せずともよい」
「この半年間、身に余るような暮らしをさせていただきました。もう十分です」
「美徳以外の目的も覚えるように言いましたよ」
ラキスは少し考えてから、口をひらいた。
「では……剣を」
「剣?」
彼はうなずいた。
「教練場のトビーという子に、剣を贈ってあげるつもりでいたのです。家の事情で手に入らなかったと、がっかりしていたようなので。わたしはもう贈れそうにありませんから、もしよろしければ代わりに」
「……欲がないこと」
アデライーダはため息をついた。
「いくらでも望めるものを……。まあよい、引き受けました。剣は目利きの者に選ばせましょう」
ラキスは礼を述べてから、それに続けて、城を去るにあたっての儀礼的な別れの言葉を口にした。
女王も儀礼的なねぎらいの言葉を返し、ふたりの懇談は終了となった。
そして彼は、もう二度と足を踏み入れることもない女王陛下の私室をあとにした。




