21(女王の私室)
春の光がふんだんに差し込む室内には、想像以上に明るく軽やかな雰囲気が満ちていた。謁見の間の荘重な造りとくらべれば、はるかに親しみやすく、くつろぎを感じさせる場所だ。
女王の私室はことさら豪華に装飾されているわけではなく、広さも姫君たちの部屋とそれほど変わるところがなかった。
正面に大きくとられた窓はアーチ型で、こまやかな曲線が組み合わされた狭間飾りが美しい。
直線の枠をへだてた下側はいまはすべて開け放され、晴れた空とたなびく雲が天然のタペストリーとなって、なめらかな漆喰の白壁と調和していた。窓辺に寄れば、きっと城をかこむ庭園から楼門まで見渡せることだろう。
その窓辺の長椅子に腰かけた部屋の主が、いま、レントリアの星ともたたえられる美しい瞳をラキスに向けたところだった。
「わたくしの部屋ははじめてですね。こちらにすわりますか?」
女王は自分のかたわらを差し示して、ほほえみかけた。
臣下の礼をとってひざまずいていたラキスは、大きくかぶりを振った。
「とんでもございません。わたしはここで」
「そう緊張するものではありませんよ」
アデライーダは苦笑すると立ち上がり、二段ほど高くなっていた窓辺の空間からおりて、今度は小ぶりの丸テーブルに近づいた。
女王が椅子にすわると、侍女がたちどころに茶の用意をととのえた。
カップはふたつ、つまりラキスはいまから、女王陛下と差し向かいでお茶を飲むという試練──と彼は思った──に立ち向かわなければならないのだった。
正直なところ、どんなにこの部屋が親しみやすい内装でも、ラキスには謁見の間のほうがましだった。謁見の間なら、立場は女王と勇者、あるいは女王とはぐれ剣士……いずれにしても契約する者とされる者であり、それ以上でも以下でもなかったからだ。
だが私室に招かれたとなると、そうはいかないにちがいない。予想通り、アデライーダはほほえみながら言葉をついで、彼をうながした。
「わたくし、今日は女王としてではなく、エセルの母としてそなたをここに呼んだのです。そなたもそのつもりで気を楽にして、まずは椅子にすわっておくれ。わたくしが話しづらいではありませんか」
そう言われれば従うしかないため、彼は立ち上がると、すすめられた場所に移動した。そこは女王の正面だった。気を楽にするためには、女王の真後ろの席のほうがよかったが。
カップを口元にはこんだ女王陛下は、まず香りを楽しみ、それからゆっくりと味わった。桜色の唇が、満足そうな笑みをかたちづくる。
「よい香りだこと。そなたも遠慮せず、冷めないうちにどうぞ」
ラキスは彼女を目前に見て、どのあたりに視線をおけばいいのだろうかと考えた。あまり顔をみつめては不敬だろうが、うつむいているのも礼儀正しいとはいいがたい。
魔物の討伐について会話したことなら、もちろん何度かあるのだが、これほど近い位置、しかも一対一で話すのははじめてだ。
会話するたびに感じていたのは、昔から見なれていたはずの姿絵は、しょせん姿絵にすぎなかったのだという感慨であり、感嘆だった。
絵の中の女王は時を止めているので、年齢を重ねたいまの姿に容色のかげりを見たとしても、べつにおかしい話ではない。
けれど実際にうける印象は、その逆だ。生身の人間の魅力というのは、画布には写しとれない部分に存在しているのだ。
表情を動かし、身体を動かし、声を発する──女王陛下が、本人の身にも負担であろう地方への行幸を何度もおこなってきた理由が、やっとわかった。実際に見てこそ湧き出す敬意というものが、たしかにある。
先代女王亡きあとも、さらに王配亡きあとも、変わらずいただきに立ち続けている人。守護聖獣に愛された、レントリアの星冠。
そんな高貴な人にたいして、自分は正体をかくし続けているのだ──。
ラキスがカップに手を添えたまま動かずにいると、女王がふたたび遠慮しないよう彼にすすめた。彼は口元までカップをもっていったが、そのまま皿に戻した。
「おや、カモミールは嫌い?」
アデライーダが小首をかしげた。
「では、ほかのお茶にしましょうか」
「いえ、好きです。お気づかいなく」
「はちみつがたりなければ、たしてもかまわないのですよ」
ラキスはもう一度カップを持ち上げたが、飲むふりは不可能だと判断したためカップをおろした。
「申し訳ありません。あの、熱くて……できればもう少し冷めてから」
「ま、猫舌?」
「はい」
「まあ、猫舌」
アデライーダは淡く透きとおった碧眼をみはって呟いた。
それから、セレスティーナ姫そっくりに、ころころと笑い声をたてた。
「魔法剣でみごとに城を救いわたくしたちを救ってくださった勇者様が、猫舌。まあ、なんて……かわいらしいこと」
「……はい」
「そなたは本当におかしな若者ですね」
アデライーダは目を細め、どこかまぶしいものを見るように、親しみをこめてラキスをみつめた。
「そうしていると、あの悪夢の夜の勇者様と同一人物とはとても思えませんよ。あのときも、魔物を成敗したそのあとも、そなたの態度は歴戦のつわもののように落ち着いていて……この若者はどんな修羅場をくぐり抜けてきたのだろうと、気圧されさえしたというのに」
あの晩、自分は衛兵たちが止めるのもきかずに部屋の扉を開けたのだと、アデライーダは続けた。娘たちが無事でいるのかどうかわからず、気も狂いそうになりながら外に出てたしかめようとしたのだと。
けれど、そのときすでに、通路では勇者が魔物と対峙していた。魔法の炎が実際に剣からほとばしる様子も、そのときはじめてこの目で確認した。
すばらしかった……被害にあった者たちのことを思えば、感動など不謹慎だとわかっているが、それでも感動という言葉以外にいまも思いつくものはない。
「本当に、よく助けに来てくれましたね。そなたの武勇と忠節にあらためて感謝しますよ」
「お言葉は光栄ですが……剣士なら誰でもそうせずにはいられない、あたりまえの行為をしたまでです。たいしたことではございません」
「そなた、よくそういう言い方をするようですが」
アデライーダが、息子をさとすようにやさしく言い聞かせた。
「謙虚さを美徳以外の目的で利用することも、そろそろ覚えていいころですよ。もちろん、その若さで功績をふりかざすようでは考えものです。けれど、そなたにその心配は無用でしょうね」
女王の声は歌うように心地よく、いつまでも聞いていたいと人に思わせる力をもっていた。だからこそ余計に、彼はその声を聞き続けていることをしだいにつらく感じはじめていた。
真実を告げないのは、だましているのと同じ。それがラキスの認識だった。
もしも事実を知ったなら、目の前の高貴な女性は、自分の存在を許すだろうか。
「そなたはきっと、親しくなればなるほど、最初とはちがう様々な魅力が見えてくる若者なのですね」
ラキスの心も知らず、女王はなめらかに続けた。
「けれど、エセルは最初からそれに気づいていたのでしょう。だからこそ、あれほどすぐに夢中になったのだと、いまならわかりますよ」
エセルの名が出たので、ラキスは、はっとして顔をあげた。
女王の瞳が、彼をじっと見据えていた。
「単刀直入にたずねましょう。ラキス・フォルト、エセルの許婚となる覚悟はありますか?」




