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 ラキスは、王城の北側にある討伐隊用の厩舎まで足を運び、馬場に出ている馬たちを眺めていた。

 

 いま見えるのは鹿毛と栗毛の二頭だったが、さすがに王城だけあって、どちらもみごとな毛艶と体格だ。

 常歩なみあしをさせていた調教師が、ラキスの姿を目にとめると笑顔で挨拶を送ってきた。もう少ししたら交代してくれることになっている。普通の馬でいいから騎乗しておかないと勘が鈍りそうなので、さきほど頼んでおいたのだ。


 もっとも馬だけでなく闘いの勘のほうも、すでに鈍ってしまったかもしれない──こんなに長い時間、魔物狩りもせずにのんびり過ごしているなんて、本当に何年ぶりのことだろう。

 お姫様が教練場のほうをさがしていたら、まずいかな……。ラキスはふとそんなことを思い、ここ二日間、彼女の姿を見ていないことをぼんやり考えた。


 教練場は王城をはさんだ南側、果樹園や散策のための木立などと同じ側にもうけられている。

 北側にあるのは兵舎や厩舎、それにすすけた色合いを落とし切れない北の塔。荒々しい雰囲気のものが集まっているから、姫君たちはあまりこちらに足を向けることがない。


 といっても、討伐隊が帰還したときに迎えに出て、労をねぎらうこともあるので、まったく来ないというわけではないのだが──北から南までけっこうな距離があるから、人さがしのためだけにわざわざ来るのも大変だろう。


 そういえば領主会が開催されている期間は忙しいと言っていた。王族って接待されているだけかと思ったら、案外、接待しなきゃいけないことも多いんだな……。

 あたたかな気候にあわせて、いつになくゆるい思考にひたっていると、ゆるくない思考の持ち主が重々しく近づいてきた。


「いいご身分だな、遠征にも出ずひなたぼっことは」


 もしかして、うらやましいのだろうか。ひなたぼっこなんか好きではなさそうな人物に見受けられるのだが。

 ラキスは訊いてみようかと思ったが、カシム副長の沈痛な面持ちを見て、口に出すのをやめた。

 彼は打ちひしがれているようだった。


「おまえは意外と図々しい男だったのだな。エセルシータ様が行ってしまわれたというのに、のほほんと馬なんぞを見ていられるとは」

「行ってしまわれた?」

「おととい、マリスタークに旅立たれた。マリスタークの次期伯爵といえば、先日の晩餐会で奥方たちの評判をほしいままにしたようだが、まさかエセルシータ様のお心までつかんでしまうとは」

「つかむ?」

「ついていったということは、そういうことだろう……おや」


 カシム副長は、突然ラキスの顔を見なおすと、急にいきいきと目を輝かせた。

「ひょっとして、マリスターク行きを聞いていないのか」

「はい」

「それは気の毒に。そんな重要事項を知らされていないとは、やはりただのはぐれ剣士」

「はあ」

「まあ、まだ望みはある。向こうの城があかぬけなくてお気に召さないとか、伯爵たちがしつこすぎるとか、問題点もいろいろあるだろう。おまえもそんなに気を落とさなくていいぞ」


 彼はひとり鷹揚にうなずくと、用はすんだとばかりに去っていってしまった。

 ラキスはその後ろ姿を見送りながら、王城付き討伐隊って純粋な人間が多いよな、などという感想をいだいた。


 かなりうっとうしいカシム副長にしても、きっと心根が悪い人物というわけではないのだろう。聞くところによれば、レントリアの民のため、うるわしき女王陛下とやんごとなき姫君たちのため、結婚もせず仕事に身をささげる覚悟であるらしい。結婚したほうが雑念が消えて仕事に打ち込めるのではないかと、思わないでもないのだが。

 

 彼に限らず王城の討伐隊は、地方で領主たちが組織している荒くれ者の集まりにくらべれば、はるかに真面目で志が高く、真にこの国のことを思っている面々ばかりだった。

 その志高き面々が、ここ数年、地方に遠征するたび「穢れし魔物」という言葉を連呼するため、最近ではその言葉がうたい文句のように人心にひろまりつつあった。


 王家の御旗をかかげた討伐隊が、地方まで助けの手を伸ばしてくるだけでも、人々は感動する。そのうえ、子どもでもわかるようなうたい文句があることで、効果がさらに拡大しているようだ。

 けれど、冬のあいだ中それを聞いていたラキスの心境は複雑だった。そして、いいかげん別の文句にとりかえてほしいと思わずにはいられなかった。


 それはともかく──彼は、いまカシムが親切にもたらしてくれた情報を、頭の中で反芻してみた。

 マリスターク……そうか、結婚前の下見ってところなのかもしれない。あそこの城はあかぬけないどころかその正反対だから、たぶんお姫様の好みに合うだろう。


 ラキスが以前、リドに乗って届けた書簡の中味は、領主会の案内状だった。そのときに面会した家令の、誠実でよく働きそうな様子を思い出してみる。伯爵たちには会わなかったが、ああいう実直な家令が仕切っているのなら、城の運営もきちんとしているにちがいない。

 領地も問題ないところばかりだし、たしかに住みやすそうな場所だ──となりのドーミエとは大違いで。


 ドーミエの名を思い出したことで、彼はせっかくのあたたかな春の空気が、一挙に真冬に逆戻りしたかのような気分を味わった。

 その名は、自分には無関係なものとして、記憶から抹消すべきものだった。実際、無関係なのだから、忘れたっていいはずだ。


 空飛ぶ伝令の役目をこなしたとき、ドーミエで見た光景は、意志に反していまでもときどき記憶の底から上がってくる。だが自分は単なる通りすがりに過ぎず、事件はすでにきちんと裁かれているのだ。思い出す必要はどこにもない。


 魔物狩りという職業上、ラキスには、悲惨な被害状況に立ち会わざるをえなかった経験がいくつもあった。それにおそらく、人生で一番悲惨だった状況が、養父母を目の前で食い殺されたときであるのは、まずまちがいないところだった。

 八歳の心には耐え切れない場面であったらしく、これは本当に記憶から抹消されてしまい、思い出そうとしても、もう思い出すことができない。


 だが、たとえ覚えていたとしても──それでも、ドーミエの光景は、ある意味それを上回るものであったと断言することができる。

 加害する側が人間だったという点において。


 ──のんきな呼び声が聞こえて、ラキスは我に返った。

 鹿毛の馬からおりた調教師が、手綱をひきながら近づいてくる。

 あたりを見回せば、冬の面影は遠く過ぎ去り、いまは春のまっ盛りだ。馬場のまわりでも薄紅色のアーモンドの花が満開で、いつもは寒々しい気配ただよう北の塔でさえ、いまは薄紅にたなびく雲の間で癒されているように見える。


 そばに寄ってきた馬が、黒い鼻ずらを突き出してラキスに甘えてきた。

 ラキスはほっとしながら鼻ずらをなでてやると、こわばった肩をほぐして騎乗の準備をしようとした。

 だが、あいにく乗るところまでは行かなかった。別の声が後ろから彼をひきとめたからだ。


「ラキス様」


 調教師が、こんな場所には不釣り合いな侍女の姿をみつけて目を丸くした。姫君ではなく、女王陛下付きの侍女だった。

 侍女たちは勇者様に敬意を表し、いまでも彼の名前に様をつけて呼び続けている。ていねいに頭をさげると、侍女はおごそかに伝言をつたえた。


「女王陛下のお召しです。謁見の間ではなく、どうぞお部屋のほうにおいでくださいませ」


 

 

 


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