1(教練場)
晴れわたる大空は、どこまでも青く高く澄んでいた。
なだらかな丘一面に広がる芝生は、待望の春を迎えていきいきと輝いている。ところどころでやわらかな木陰をつくっているオークの木々も、萌えはじめた若葉をいっぱいにいだき、光に包まれているようだ。
時おりヒバリが飛び立って、そよ風の中をさえずりながらわたっていく。新緑の梢の先から青空へ。そして青空の中、太陽をさんさんと浴びてそびえるレントリアの王城の、南の塔の屋根の上へ。
のどかなヒバリのさえずりをかき消すように響いているのは、子どもたちの元気な声だ。
まだ変声期前の少年たちが十名ほど、王城の外庭で、掛け声にあわせて熱心に木剣を振っていた。
王城付き討伐隊の一員であるバルは、少年たちが集まる場所をかこんでいる柵にもたれて、のんびりとその様子を眺めていた。ちょうど非番の時間帯だった。
広大な城の敷地内には、将来討伐隊に入ることを夢見る子どもたちのための教練場が、併設されている。本格的な教練場は都の別の場所にあるから、訓練の場というより、どちらかといえば女王陛下と子どもたちが親しむための施設といったほうがいいかもしれない。
入舎してくるのは都の住人たちの子弟がほとんどで、短期間だが宿舎に入り、武術や学問、礼儀作法などを学んでいた。
ここで教わっていたころにくらべれば、自分もずいぶん成長したものだ──バルは鍛えられた太い腕に目を落としながら考えた。彼は昨年討伐隊に入ったばかりの若手だったが、この教練場で過ごした短い日々のことを、ほとんど思い出せないほど大昔のように感じた。
ただし、人が好すぎるから兵士にはなれないなどと言われた記憶は、いまだにちゃんと残っている。あいにく教官の予想ははずれ、このとおり無事に入隊して、レントリアのために働けるようになったのは何よりだった。
ちなみに彼に低評価をくだした教官は、長年同じ仕事を続けていたが、年齢には勝てなくなって先ごろようやく引退した。したがって、いま目の前で稽古をつけているのは、新しい教官が決まるまでの仮の任務をつとめている若者だった。
「声ばかりに気をとられるな」
褐色の髪を春風にまかせながら、すらりとした細身の若者が、少年たちに指示をあたえている。
「下腹を支えて息を吸いながら剣を上げる。吐きながら振り下ろす。そのための声だ。歌の練習をしているわけじゃないぞ」
「はいっ」
少年たちの頭がいっせいに大きくうなずいた。若者は、はしばみ色の瞳を細めて苦笑した。
「声だけなら、すぐに入隊できそうだな」
わあ、ほんとですか? などと少年たちがうれしげに反応する。冬の間じゅう勇者様とたてまつられていた人物の言葉は、なんでもありがたく聞こえるらしい。
「ほめてないよ。さあ、次は一人ずつだ。順番に来い」
次々にかかってくる木剣を、若者が軽くさばいていく様子を、バルは興味をもってみつめていた。そしていつもながら、無駄なところがまったくない、美しい動き方をするものだと感心した。
体つきも、余分なものをすべてそぎ落としているように無駄がなかったが、単にやせているというのではなく、強いばねを秘めているのがわかる。芯にあるばねが軽やかに作動して、力まかせに振られてくる子どもたちの剣を、楽々と受け流す。
ふだんの彼は、十九歳という若さのわりにはひどく落ち着いていて、それこそ無駄口などまったくたたかない人物だ。
実際、討伐隊の面々があわてふためくような魔物に遭遇したときも、彼だけはけして取り乱さず、隙を見せることも感情的になることもなかった。
だからこそ、ひと冬の間、隊の先頭に立ち続けることができたのだろうし──相討ちになったあの瞬間さえも、彼にとっては冷静な判断の結果だったのだろうという気がする。
南の塔から入ってきて王城を救った勇者様が、インキュバスと死闘を繰り広げたのは、いまからひと月以上前の出来事だ。
粉雪が舞う崖のふち。勇者は魔物をまっぷたつに両断した直後、レントール川に落下して流れの中に消えていった。
誰もが彼の死を確信したのは、当然のことだっただろう。傷を負った身で凍てつく川に落ちたうえ、その後岸辺を捜索しても、まったくみつけられなかったのだから。
ところが奇跡は起きた。先に川に落下していた聖獣が、水中で彼を救い、加護をあたえたらしいのだ。
おかげで彼は一命を取りとめ、五体満足で王城に帰還をはたした。しかも連れ帰ってきたのが、王室の第三王女であるエセルシータ姫だったことが、さらに人々を驚かせた。
姫君はその数日前に城から姿を消していたのだが、それは傷心を癒す旅に出ているためだと、バルたち兵士は信じていた。しかしあとから聞いた話によると、姫は勇者が生きているという情報をつかみ、みずから探しに出たのだという。
そして、みごとにみつけだしたのだ。
といっても、姫ひとりではさすがに連れ帰ることはできなかったらしい。馬車で勇者を運びこんだのは、カザルス侯爵嫡子にして、第一王女リデルライナ姫の婚約者、アルヴァン卿だった。
運びこんだという言い方はまさにそのとおりで、城にかつぎこまれてきた勇者は、そのとき完全に熟睡していた。起きて歩けるようになったのは翌日になってからのことで、その晩に催された祝福の宴は、彼の体調を考慮してごく控えめなものとなった。
もちろん、城の人々の歓喜が控えめだったわけではない。誰もが心から彼の生還を歓迎したし、戦闘を見ていることしかできなかった討伐隊の面々も、気持ちは同じだった。
さらにはエセルシータ姫のためにも、生還はこの上もない喜びだった。小鳥がさえずるようにいつも明るかった姫君が、見る影もなく青ざめている様子は、誰の目にも耐えられるものではなかったからだ。
しかし、問題はそのあとである。彼──ラキス・フォルトという名の勇者様を、今後どう処遇すればいいのかという奇妙な問題が、城の人々のひそかな関心事となっていた。
というのも、まず第一に、帰還した彼は魔法剣を持っていなかった。相討ちのときに砕け散ってしまったのだから当然だ。
これが普通の剣であったなら、新しいものに買いかえればすむ話だろう。ところが魔法剣というものは、金銭でやりとりできる存在ではない。
召喚と呼ばれる火入れの儀式をへることで、魔法の炎が中におさまり、そこではじめて完成する品なのである。
この召喚儀式をとり行っているのが、ステラ・フィデリスとかいう、何やらきどった名前の団体だった。
これは魔法剣を持つ剣士たちのギルドで、審査のあと儀式にのぞみ、無事に通過した者だけが構成員として登録される。登録された者は「炎の使い手」という名称の使用を許可される。
爵位や領地は、基本的に名称とは無関係だったが、ギルド高位の者は、レントリアにおいて爵位に匹敵するほどの社会的地位を得ていた。
実は、儀式を通さず勝手に炎を召喚してしまう者たちもいるのだが、彼らの登録をステラ・フィデリスは認めていない。「使い手」を名乗ることは許さず、「はぐれ剣士」などというずいぶん格下な呼び名でかたづけている。
そして、ラキスという若者は、なんとこのはぐれ剣士だったのだ。
バルたちがそれを知ったのは、ごく最近のことなのだが、これは本当に驚きだった。討伐隊の先頭に立っている人物が、本来城に立ち入ることなどできるはずのないはぐれ者だったとは、考えもしないことだった。
彼と契約したアデライーダ女王は、契約前にギルドに確認しているはずだから、当然この事実を知っていただろう。だが、彼なしには城が立ちゆかないような状態だったので、特別契約を交わしたにちがいない。それを皆に伏せていたのは、上下関係に混乱が生じないようにとの女王の配慮だったのだ。
だが、その契約期間もとっくに切れている。もともとがインキュバス討伐までという期限付きの契約内容であり、いまのところ再契約はなされていない。