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それは、旅のあいだ中、ずっと封印していた思いだった。考えると、とめどがなくなるとわかっていたので、念入りにふたをしていたのだ。
だが、こうして無事に到着し、ひとりきりの時間をもつのと同時に、せっかくのふたが消え失せてしまったらしい。
伝言でも残していけばよかったかしら──エセルはいまさらのように思い、すぐにため息をついて否定した。
たしかにあわただしい出発だったが、伝言くらいしようと思えばできたのだ。それをしなかったのは、マリスタークという行き先を伝えることを、エセル自身がためらったからなのである。
それに、そもそもラキスが、彼女の不在に気づいているかどうかも疑わしい。もしかしたら、いまだに気づいていないかもしれない。その可能性のほうがはるかに高い……。
ラキスは最初、王城の一室を使って生活していたが、いまはそこを離れて教練場の宿舎のほうに移動していた。別に城内に居続けてもよかったのだが、本人としては宿舎のほうが気楽だったらしい。
偶然顔をあわせるという機会が減ったため、最近はエセルが教練場のほうに行かない限り、姿を見ることができなくなっていた。
そう、エセルが彼のほうに行く。彼から近づいてくることはない──。
こんな状態には覚えがある、と、姫君は悲しい気持ちで考えた。
いえ、覚えがあるどころか、もはやおなじみといってもいいくらいだわ。わたしが行って、彼が待つ。彼が自分からわたしに近づいてくることはない。けして。
結局、ふたりの関係は、あのころと何ひとつ変わっていないのだ。彼に冷たい態度をとられては、毎日のように悩んでいたころ。あれと同じ思いを、なんの進展もなくいまだに味わっているなんて……。
エセルは無意識のうちに右手をあげると、掌をそっと胸元に押し当てた。衣服の下に身につけている銀鎖の存在を、細い指先で感じとろうとする。
魔法剣のかけらをぶらさげていたときの銀鎖──かけらは粉々に散ってしまったが、鎖だけは傷ひとつなくエセルの胸に残された。それを彼女は、自分自身のお守りとして、ひそかに身につけ続けていたのだ。
銀の鎖は、インキュバスから解放されたあかしの品であり、いまも布地を通してちゃんと確認できた。けれど彼女は、いつものようにそれを胸元から引き出して眺めることをせず、かわりにこぶしをぎゅっと握りしめた。
かけらの中で燃え上がる魔法の炎を、たしかにふたりでみつめたのに。ふたりで空に投げ出されたときは、心も身体もあんなに近かったのに。あんなにも抱きあっていたのに。
もう離れないとあれほど思ったはずなのに、こんなふうになってしまうなんて、想像すらしていなかった……。
エセルは、彼が会いに来てくれないことを不満に思っているわけではなかった。どうして会いに来ないのか、どうして待っているだけなのかを、きちんと理解していたからだ。
けれど、どれほど理解していても、ただひとつの点において、どうしても納得することができなかった。
彼が、彼女の気持ちをまったくきこうとせずに、すべて自分だけで決めてしまうという点である。
すべてを自分ひとりでかかえこむ。口に出すこともなく心を決めて、ひとりで身をひこうとする。以前も、そしていまも。
たぶん、エセルに相談をするという選択肢が、彼の中にはまったくないのだろう。相談するだけ無駄だと思っているのかもしれない。
たしかに、そう考えても無理はない。大勢の人に守られ、愛されながら育ってきたお姫様には、彼の苦労も、彼の悩みも、本当にはわかってあげられないのかもしれない。
でも……それでも、わかりたいと願う気持ちは、まちがっているのだろうか。
つらい気持ちは、わかちあいたい。悩んでいるなら、いっしょに悩みたい。荷物が重ければ、ふたりで持ちたい。そんなふうに願ってしまうのは、ぜいたくなのだろうか──。
大きく息をつくと、エセルは身体をおこした。考えているうちに眠気が吹き飛んでしまったし、こんなふうに悶々としている自分自身にうんざりだった。
わたしは私人として来たわけではなく、公務でここを訪問しているのだ。大事な公務の最中に、何を情けなく考え続けているんだろう。少し外でも歩いて、すっきりしたほうがいい。
ベッドをおりると、彼女は勢いよく部屋をよこぎって扉に向かった。侍女たちには声をかけず、真鍮の取っ手をひいて通路に出る。
左右を見回していると、曲がり角に立っていた革鎧の衛兵ふたりがこちらを向いた。
衛兵はまだ若そうな男女で、どちらもすらりと背が高く、たいへん均整のとれた体つきをしていた。ひきしまった気配が、鍛え抜かれた筋肉と頭のよさとを、同時に感じさせている。
男のほうは、さらさらした淡茶の髪を、結ばずに胸あたりまでのばしていた。女のほうは、ゆるく波打つ黒髪を肩の少し上でばっさりと切りそろえている。
女性の衛兵というのはあまりみかけないが、断髪はさらにめずらしい。ふたりとも、衛兵にしてはずいぶん端正な顔立ちだ。
さすがはマリスターク伯爵、護衛の兵まできれいな人たちを選んでいるのね……エセルが妙なところで感心していると、彼らは持ち場を離れて、エセルのそばに歩み寄ってきた。
男のほうが、挨拶のために口をひらいた。
「護衛を担当させていただくディーと申します。どうぞお見知りおきを」
意外なほど洗練された物腰だった。
続いて女のほうが頭をさげた。
「レマです。マリスタークは治安のいいところですので、安心しておくつろぎくださいませ」
「ありがとう。よろしくお願いしますね」




