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 エセルシータ姫は、領主と廷臣たちが語らう小さな輪のひとつひとつを、少しずつとまりながら歩いていた。


 領主会は何度かにわけて開催され、この時期、王城側の人々は面談と接待続きで相当な忙しさだ。

 面談などしないエセルにしても、晩餐会でほほえむことは公務のひとつだったので、単に浮かれて歩いているというわけではなかった。


 それでも、各地の様々な話題を直接聞くことのできる機会を、エセルは大切に思っていた。とくに今回は、湖水地方であるシュトールの領主夫妻が来ていたため、楽しみもひとしおだった。


 シュトールには聖魔法院の本山があり、フロリンダ女王の王配、つまりエセルの祖父がそこで聖職についていた。祖父からの手紙を受け取ったり、元気にしているという話を聞くことができるのは、大きな喜びだ。


 フロリンダ女王を失くしてからしばらくの間、祖父はエルランスとともに新女王を助けて、王城にとどまっていた。だがエセルが誕生して少したったころ、若い夫妻にあとをたくして、みずからはシュトールの大聖堂にこもる道を選んだ。

 国政を離れ、聖なる魔法に仕えながら粛々と生きる聖職者。最愛の妻の死を悼み続ける夫にとって、聖堂に入るという決断はどうしても必要なものだったのだろう。


 祖父は隠居後もときどき王城を訪れて孫との再会を楽しんだし、女王一家が湖水地方に出向いたこともある。

 今回も、彼からの手紙を受け取ったアデライーダは、封筒を胸に押し当ててうれしそうだった。


「──エセル様」

 領主との話がちょうど一段落したとき、王城付き伯爵のひとりであるダズリー伯がエセルを呼びに来た。

「どうぞ女王陛下のほうへ」


 エセルはうなずくと、領主に会釈してから、窓際近い場所で語らっている母のほうに近づいていった。

 気づいた母が、優雅にほほえみながら手招きをする。話し相手をしていた年配の男性が、振り返ると待ちかねたような声をあげた。

「これはエセルシータ様、ぜひお話ししたいと思っておりました」


 白髪の目立つ頭をきれいにくしけずったマリスターク伯爵だった。いかにも育ちがよく人もいいといった雰囲気の人物で、いままでにも何度か顔をあわせたことがある。

 いつも同伴している夫人の姿は今回は見当たらず、かわりにそばにひかえているのは、黒い瞳の跡取り息子だった。


 コンラート・オルマンドは、近づいたエセルに深々と礼をしてから笑いかけた。

 父親より頭ひとつ分も背が高く、姿勢のよさがきわだっている。年配の多い大広間にあって、次期伯爵の眉目秀麗な姿は明らかに目立つ存在だった。


「そなたたち、すでに知りあっているようですね」

 女王陛下がくつろいだ様子で言った。


「は……はい」

 エセルの返事が煮え切らなかったのは、もちろん知りあった経緯に問題があったからである。

 だがコンラートは如才なく、すでに問題のない範囲での説明を終えているようだった。


「コンラート殿はいくつにおなりでしたかしら?」

 アデライーダがにこやかに問いかけた。二十六になります、とコンラートが答えた。


「以前お会いしたのは、もう数年前になりますね。あのころもご立派だったけれど、さらにすてきになられたこと」

「もったいないお言葉でございます」

「お怪我のほうはよろしいの?」

「はい、もうすっかり」


「二年前はびっくりしましたが」

 と、マリスターク伯爵が機嫌よく口をはさんだ。


「むしろあれで、領主の自覚が目覚めたようでしてね。親のわたくしが言うのもなんですが、回復してからの熱心な活動ぶりには、目を見張るものがありますよ。もう、わたくしがいつ隠居しても、マリスタークはまったく困らぬ状況です。あとはすばらしい伴侶に恵まれさえすれば」


「父上」

 さすがに恥ずかしかったらしく、コンラートが眉を寄せて押しとどめた。放っておくと、息子の自慢話、兼売り込みに、どんどん移行してしまいそうだったからだろう。


「このように、親よりもせがれのほうが、よほどしっかりしております」

 伯爵がこりることなく続けた。

「難点は、ご婦人との気のきいた会話ができぬことですかな。コンラート、おまえも姫様に声をおかけしなさい。今宵の姫様の装いは、またいちだんと愛らしいと思わんかね?」


 エセルは母と同じように、ぴったりした細袖のチュニックの上から、振り袖を長くひいたドレスをかさねて装っていた。ふだんはつけることのない二連の首飾りも、今夜は首もとに添わせている。ドレスの春らしい萌黄色と、小粒な宝石のつらなりあった首飾りが、姫君の清楚で可憐な魅力をひきたてていた。


「思います」

 コンラートは言葉少なに答えたが、表情を見れば心から同意しているのがよく伝わってきた。それから彼は、ふと思いついたようにつけ加えた。

「ヤーコフの御使みつかい様に似ていらっしゃいますね」


「おお、そういえば、あの絵もちょうど緑の衣裳だったな」

「ヤーコフ?」

 エセルは思わず身を乗り出した。


「そんな絵がありました?」

「領主館の大広間に飾られています。複製ではなく本物ですよ。ヤーコフは、ほかにも数点」

「まあ」

 エセルは目をみはった。


 ヤーコフというのは画家の名で、すでに故人となって久しいのだが、聖画の分野ではいまも巨匠のひとりとして数えられている。だが北部にひきこもっていたうえ、絵の点数も少ないため、都で目にするものはほとんどが複製品だ。

 絵画を鑑賞するのが好きなエセルとしては、その希少な作品が一枚ならず何枚もあると聞いて、呟かずにはいられなかった。


「見てみたいわ……」

 うっとりしながら口にすると、伯爵は急にいきいきとなって声を高めた。


「では、ぜひとも我が領内にお越しくださいませ。我が領では、すぐれた美術品を集めて保存する取り組みにも力を入れているのです。貴重な作品が散逸してしまうのは、文化と歴史を損失するに等しいことですからな。いや、実はこう言ったのはせがれでして、その方面でも率先して仕事を」


「すばらしいお仕事ですね」

 言ってしまってから、エセルは後悔した。昼間も同じような言いかたで、次期伯爵を賞賛したことを思い出したのだ。


 もしかして自分はいま、マリスタークと親しくなる方向に、着々と進んでいるのではないだろうか。そんな予定はこれっぽっちもなかったのだが……。


 だが、姫君の予定は、あくまで予定に過ぎなかった。女王陛下が伯爵の申し出に興味をしめし、伯爵がいさんで具体的な行程を提案しはじめる。

 廷臣のダズリーが話に加わってくると、さらに行程は詰められて本格的にまとまりはじめた。


 こうしてエセルシータ姫のマリスターク訪問は、本人が口をはさむ余地もなく、またたくまに現実のものとなってしまったのだった。



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