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地縛  作者: 日本武尊
3/4

過去

 あの後、私が担当の彼を駅へと送って行き、それから『裏野ハイツ』へ戻ったのは、僅かに日が傾きかけようとする、昼過ぎの頃だった。ほんの少し前だったら、既に日は陰り茜色の光が空を覆い始めているところだろうが、梅雨入り間近の今時分の太陽はほんの少ししぶといようである。

 「おや?」ふと見ると、アパートの共同玄関の前に蹲っている小さな影を発見した。今まで見たことの無い3、4歳ぐらいの男の子だ。どうも地面に何かを書いて遊んでいるらしい。横を通り過ぎがてら除きこんでみると、小さな・・・子供だろうか?それを二つ地面に書いている。ちょうどその時、共同玄関の扉が開き、中から妙齢の女性が姿を表すーーこの間引っ越して来た家族の奥さんだ。

 「もお!ダメじゃないの!家から勝手に出ちゃ!帰りますよ」

 そう言って半ば強引に子供を立たせるところで、私に気付いたのか、少し恥ずかしそうな表情を見せた。

 「あ・・・今日は。すいません、みっともないところをお見せしちゃって」

 照れた表情でそう言われる。そういえば、3歳になる子供が居ると言っていたな。納得した私は軽く挨拶を返すと、そのまま中へと入る。「あの家族もすぐに引っ越して行ってしまうんだろうか・・・」そんなことを考えながら、共同玄関の扉をくぐると、ふと、背後から彼女と子供とのこんなやり取りが聞こえてくる。

 「一緒に帰るよ、勝手に出歩いちゃダメってあんだけーー」「だって・・・おにいちゃんが・・・」「バカ言ってるんじゃないの!お兄ちゃんはもう居ないのよ(・・・・・・・)!」


 ガチャリっーー聞きなれたドアの音に迎えられ、私は住み慣れた部屋へと足を踏み入れた。瞬間、ふっとオーデコロンの香りがわずかに鼻先を掠める。その時、私は唐突にある光景を思い出す。今まで意識しなかったーー否、敢えて押し殺していた記憶が、断続的に、それでいて一瞬だけ、その時の感情を含めて私の脳裏を支配する。頭をかぶってそれを振り払うと、いつもと寸分違わぬ部屋の光景が、そのままそこに横たわっていた。

 時計の針が10時を回る。既に数時間、パソコンのモニターと向かい合ってはいるものの、中々仕事に集中できない。いつにも増して喧騒の欠片も無い物静かな夜だ。代わりに窓の外からは、日没後から再び降り始めた雨が、シトシトと音を奏でている。私は大きく伸びをすると、気分転換の為にテレビのスイッチを入れた。画面からはニュース映像が流れていて、ちょうど今日、関東地方が梅雨入りしたことを知らせている。

 ・・・またこの季節が来てしまったのか。私は半ば反射的にテレビを消すと、雨音が聞こえるカーテンの向こうを恨めしく見つめていた・・・。


 ーー街灯の明かり一つない、真っ暗闇の空間・・・ただ、静かな雨音と共に、無数の雨粒だけが筋を引いて、白いストライプ模様を空中に描き出していた。何時間ここにこうして居たのだろう、酷く蒸し暑く、そのせいか喉がからからに渇いている。どうして自分がここに居るのか、私自身も分からない。いや、何となく、居ても立ってもいられず、家を飛び出した記憶は僅かに残っている。辺りを見渡すと・・・すぐ向こうに女性の後ろ姿が見える。見覚えのあるその後ろ姿・・・そう、彼女に会う為に私はここまでやってきたのだ。「ーーーー!」必死で彼女の名前を叫ぶーーすると、彼女はこちらに振り向き、にっこりと微笑み、その表情を浮かべたまま、遥か彼方へと小走りに去っていく。慌てて後を追うが、雨粒がつい今し方までのものとは打って変わり、突如勢いを増し、まるで滝のように降り注いで、目の前の視界を覆い尽くした。それと共に、地面に降り注いだ雨水が、何時の間にか私の膝の辺りにまで到達していて、一向に足が前へ進まない。名前を叫びながら、必死で手を伸ばすが、彼女の姿は更に強まる豪雨に隠され見えなくなる。そして、そのままあっという間に、私の視界は白一色に覆われてーー。


 「はっ!」私は叫びながら、勢いよく布団から飛び起きた・・・。夢か・・・。首筋をそっと撫でると、恐ろしいほどに汗ばんでいる・・・。未だ深夜にも関わらず、ねっとりと纏わり付くような熱気が辺りを覆っている。同時に、何年も感じたことのない、しかしよくよく憶えのある香水の香りが、私の鼻腔をくすぐっていた・・・。


 昨夜から降り続けている雨は、夜が明けても依然として続いていた。昼から照明を付け、人工的な明るさの下に居つつも、その光は私の心の中までを照らし出すには至らない。無限に続くかのような雨音は、時を経るにつれ私の心を蝕んでいくように感じられた。そんな感じだから、昨日と同じく机に向かっても中々集中ができない。この季節には毎度のことだ・・・。

 いつの間にか私は、無理やりに心の底に押し込めていた、あることを思い出していた。

 昨日見た夢・・・その女性のことを・・・。

 

 彼女と知り合ったのは大学の時だ。進学のため、見ず知らずの土地で、友人も居ない土地に越してきた私は、そう言った出会いを求めて、文芸サークルに入ることにした。当時からぼんやりとだが、将来は何らかの文筆家業で食べていければいい・・・と思っていた私は、大学の学部も迷わず文学科を希望したし、文芸サークルも、それに少しでも役立つだろうと思っての選択だった。それに、元々文を読んだり書いたりするのが好きだった私にとって、同じような趣味を持つ人間が多いだろうと言ったこともある。

 彼女も同じ理由だった。最初は慣れない環境もあって、お互いよそよそしかったものの、ふとした拍子に、私が将来の希望を話したのをきっかけに打ち解けあうことができた。それは彼女も、私と同じ希望を持っていたからに他ならない。いや、彼女の方がよりしっかりとした夢を持っていた。私のように、ぼんやりとした物ではなく、はっきりと小説家を目指していた。今の私があるのも、ひとえに彼女と出会ったことが大きい。

 ともあれ、それから私と彼女の仲は急速に近くなり、付き合い始めるようになるのにも、そう時間は掛からなかった。彼女の存在は、曖昧であった私の夢を小説家と言う確たるものにしてくれたし、彼女にとっても、同じ様な目標を抱く私と言う近しい存在は刺激になったようで、出会う以前にも増して創作の勉強にも打ち込むようになっていった。

 そして・・・忘れもしない、私たちが卒業を控えた大学最後の歳の七月、ちょうど今と同じ梅雨の季節だったーー。

 そこまで思い出した時、突如として携帯の着信音が鳴り響き、私の思考が中断される。

 ーー助かった・・・ーー既に私の額からは嫌な汗が流れ出ている、それは暑さのせいだけではない。

 「はい・・・ああ、お疲れ様ですーー、ああ・・・いえ、プロットはもう練ってあるんですけど、具体的な執筆はまだ・・・え?出来るだけ早く?どうしたんですか?・・・・・・それは・・・本当ですか!?」

 電話をかけてきたのは、昨日合った担当編集者の彼だった。そして彼は、興奮した様子で、私の作品の映像化が内定したことを告げた。確か二年ほど前の作品で、出版当初はさしあたって特別売れ行きも多くなく、同時に刊行された新書の山に埋もれていったはずだが、最近になって、ネットでの口コミからちょっとした話題に成り、その結果、深夜ドラマ化が決まったのだと言う。と言っても、依然内定の段階で、それが決まったのも昨日だと言うから、一応来秋にオンエアーする予定ではあるものの、それ以外のキャストなど、細かい箇所はまったく未定だと言う。ついては、映像化の発表に合わせて新作を出版すれば、それだけで売り上げの増加が見込める為、出来るだけ早く新作を書き上げて欲しいとのことだった。

 「・・・ええ、分かりました、出来るだけ急いで・・・さっそく・・・よろしくお願いします!」

 私の先ほどの気持ちは嘘の様に消え去り、私は心躍る気分で電話を切る。その瞬間ーー

 「・・・おめでとう・・・」

 私の背後から、確かな声が聞こえたーー。


 翌日、一昨日の夜から再び降り始めた梅雨の雨は、丸一日を挟んでも上がる気配を見せず、依然シトシトと降り注いでいた。

 「そうですねぇ・・・確かにあすこは、人の入れ替わりが多いとこでした。まあ今と比べて、いくぶん景気が良かった時代ですから、潰れても潰れても、次々と新しく商売を始める人間が後を絶ちませんでしたよ」

 目の前に居る老齢の男性は、そう当時を振り返る。

 

 昨日私はあの後、編集と同じ様に古い住宅地図をいくつか当たった。

 ーーどう考えてもおかしい、何かがあるーー不審な住人たちーー短い間に変貌していった男ーーそして、すでに他人事としてではなく、自身に至ってまで、過去一度も起ったことの無い不可解な現象に遭遇したことによって、私の『裏野ハイツ』に対する不信感は、抜き差しならぬほど大きくなっていった。

 原因は『裏野ハイツ』にあるのか私自信にあるのかーーよくよく考えればそれ自体も分からなかったが、あれ(・・)から何年も経つにも関わらず、その間一度も、あのような事態が私の身に起ったことはないし、それに加えて、アパートの他の住人たちに起った異変を考えれば、原因は前者の可能性が高い。

 だが、最初の案内時の説明では、事件や自殺と言った因縁は存在しなかったと言うし、最古参の老婆からも、その様なことが起きたとは聞いたこともなかった。

 ーーもしやそれ以前か?ーー考えられるとしたらそれしかない。『裏野ハイツ』以前、この土地で何らかの悲惨な出来事がありーーそれが原因となって、何らかの異変が起っているのではないか?そう考えての行動だった。

 ただ、目的は『裏野ハイツ』では無く、周辺の屋号を調べることだ。よく言われている様に、都市部に置いては住民の流動が激しい。一見、古くから続いていそうな家でも、実際は越してきて十年程度、と言う事もありえる。

 そう言った無駄を省くためには、現代から過去に続く住宅地図を比較して、出来るだけ昔から屋号の変わっていない家を探すのがてっとり早い。

 思ったとおり、周辺の屋号も、『裏野ハイツ』のかつての地ほどではないが、かなりの頻度で人が入れ替わっていた。だが、その中で一軒、戦前からまったく所有者の変わっていない家屋が『裏野ハイツ』と小道を挟んだすぐ隣に存在していた。私はさっそくこの家の家主に、『裏野ハイツ』以前の土地で起った出来事に付いての取材を申し込んだ。

 小説家としての肩書きを利用し、この地区をモデルにした郷土史小説を書くため、と言うと喜んで応じてくれた。自分の慣れ親しむ土地が舞台となると悪い気はしないのか、傍から見ても上機嫌で迎えてくれた家主を見ると、少なからず良心が痛むが、背に腹は変えられなかった。


 「何か題材のヒントになる様なことは起きなかったか?ですか。ううん・・・特に無いですが・・・強いて言えば・・・ボヤ騒ぎが一回あったぐらいかねえ?ほら、飲食屋さんが多かったですからーー確か後藤屋とか言う定食屋だったかな母さん?ウチも何回か出前を頼んだ?」

 「あらあら、違いますよ。後藤屋さんじゃ無いでしょ。ボヤを出したのはその後・・・確か・・・鳳来軒とか言う中華料理屋さんですよ。ほら、中華ナベの油が燃え移って・・・」

 家主と同じ年頃の女性が、盆に載せた麦茶を差し出しながらそう答える。

 「ああ、そういやそうだった!いやあ、母さんは昔から物覚えがいいな。おりゃぁ、店の名前まで覚えて無かったわ」

 そう言うと男性は、私の方に向かい直る。

 「そんだけです。被害?死人どころか怪我人も出てやしませんよ。ただ、厨房が真っ黒焦げになったってだけで・・・まあそれが原因で、その店も潰れちゃいましたけどね。その前からあんま流行ってなかったらしいですし、結局半年持たなかったかな?」

 結局、あの土地を商店が占めていた時期には何も特筆すべきことがないようだった。私は続いて、それ以前の時代に付いて探りを入れてみた。特にあの地図で唯一、長期間に渡って定住し続けたことが伺える『伊東』さんに付いて・・・。

 「ううん・・・その頃は俺もガキだったからなぁ・・・あんまし詳しくは憶えて・・・あっそうだ!おい、お前!母さん呼んで来い。母さんだったらあの頃に付いてよく知ってるだろうし」

 しばらくして、奥の部屋の襖が開き、足取りの覚束ない老婆が、家主の妻に肩を引かれて入ってきた。その女性は小さな卓椅子に腰掛けると、茶を一杯口に含んで、とつとつと話始めた。

 「あそこは・・・戦前、小さな神社がありましたよ。周りを小さな林に囲まれて、ポツンと寂れたお社様が建てられていた覚えがあります。・・・ただ、戦争で何もかも焼けてしまいましてねえ・・・。それからずっと空き地だったんですが、戦後しばらくしてやっと家が建てられたんです。・・・ただ、なぜかあまり人が居つかずに、みんなすぐに引っ越して行った覚えがあります。『伊東』さんですか?・・・ああ・・・あの人はねぇ・・・大変だったらしいですよ。戦争で満州の方へ行っていたらしいんですがね、ほら、ロシアの捕虜になって・・・ずっとシベリアに居たそうなんですよ。それで命からがらやっと帰って来れたと思ったら、空襲で奥さん子供みんな亡くなっていてねぇ・・・。その上お兄さんまで戦死していたらしいんですがね・・・ーーただ、そのお陰、って言ってしまったらアレですけれども、そのせいで実家の遺産を継げて、あすこの土地と家を買えたのは運が良いのか悪いのか・・・。結局、何年も暮らしていましたよ・・・ただねえ・・・」

 「ただ・・・?」

 彼女は思わせぶりに口を濁して続ける。

 「最初は愛想も良くって普通だったんですよ。町内会の活動にも積極的に顔を出して・・・それがいつぐらいだったかしら?何だか様子がおかしくなっていってね、あんまり遠出をしなくなって、終始家に居ることが多くなったんですよ。町内会の活動にも、あんまり顔を出さなくなって・・・。それでね、もっと不思議なことがあって・・・。たまたまあの人が珍しく外出するところを通りがかったんですがね、あの人・・・、出かけに家の奥に向かって『いってくるよ』って声を掛けてたんです。どなたかいらっしゃるのかと思って、軽く除いてみたんですが、人の居る気配もまったく無くって・・・。気味が悪かったですよ、そりゃあ」

 そう言ってから彼女は再びお茶を飲んで一息付く。

 「最後の方は、もうまったく姿を見ることもありませんでしたねぇ・・・買い物にも出かけずに、食事は出前を頼んで済ませていたらしいですよ」

 「さ、最後・・・と言うと・・・?」

 「・・・・・・死にましたよ・・・それもね、普通の死に方じゃないの・・・・・・餓死してたのよ」

 「餓・・・・・・死・・・・・・ですか?」

 予想も付かなかったその言葉を聞くや、私の背筋にうっすらと冷たい物が滴るのを感じた。

 「全然姿が見えなくなってねぇ・・・毎日来てた出前屋さんも、いつの間にか見掛けなくなったのよ。さすがに様子を見に行った方がいいんじゃないか?って近所で話していた矢先に、変な匂いが漂ってきて・・・後で聞いた話ですけど、親から継いだ遺産をすっかり使い果たして、すっかりお金が無くなっていたらしいですよ。仕事もやらずに、毎度毎度の食事は出前だってんだから、考えてみれば当たり前だったかも知れないけどねぇ・・・」

 

 家主に丁重に礼を述べて私がその家を後にすると、いつの間にやら、雨はほとんど止んでいた。だが、肝心の私の胸中は、真っ黒な疑念に塗り潰されている。

 餓死したと言う男性・・・思うに、これ以上の因縁は考え辛いだろう。だがーー果たして彼が原因なのだろうか・・・?

 話に寄れば『伊東』さん以前にも、あの土地には人が居つかなかったらしい。つまり、根本的な原因は彼以前にあるのではないか?何より、餓死したと言う男性が、私のよく知る(・・・・・・)香水や声(・・・・)と繋がるとはどうしても思えなかったのだ・・・。

 そんなことを考えていると、いつの間にか私は自分の部屋の前に帰り着いていた。確かさっきまで、どこかに寄って行こうかと考えていたはずなのだが・・・。

 何となく嫌な予感が私の脳裏をかすめる。踵を返してどこかで暇を潰そう・・・それに・・・最悪、私も引っ越せばいいーーそう考えるのだが、なぜか私の身体はその思いに反して、自然と部屋のドアノブを回していた。

 恐る恐る部屋に入るとーー何も無いーーそこには玄関から見えるいつもの光景があるだけだった。当然、一昨日感じたような香りも一切ない、どことなくむさ苦しい感じがする、典型的な一人身の男の居室だった。

 それを確認すると、先ほどまで抱いていた嫌な感情は嘘の様に消え去り、逆に、本来そうであるべきほっとした気持ちが私を包み込んだ。

 「ただいま・・・っと・・・」

 「おかえり、取材大変だったでしょう?ゆっくり休んで」

 「いや、それほどじゃないよ。近所だったしな」

 そう言いながら洋室の椅子に座るーー私は今・・・誰と話していた・・・?ーーふと、今し方通り過ぎたばかりのリビングに人の気配を感じる。

 驚いて振り返ると、リビングと洋室を仕切る壁の向こう側に、一瞬だけ長い髪が流れ行くのが見えた。そしてそれは、私のよく知る女性の物だった・・・。


 ーー早くここを出た方がいいーー真剣にそう考えるが、昨日の今日で新たな引越し先が見つかる訳もない。それに、地元からはるか離れたこの土地には、引越し先が見つかるまで快く止めてくれる様な知り合いも居なかった。

 ・・・いっそ、実家に帰ろう。とりあえず当座の荷物だけ持ってーー短絡的にそう考えて、荷造りに取り掛かろうとした私の脳裏に、昨日の編集からの言葉がよみがえる。・・・映像化・・・出来るだけ早く・・・。そうだ・・・せっかく掴んだこのチャンスを逃すわけにはいかない・・・!そう思った私は、荷造りの手を止め、ぐったりと椅子に座り込んだ。

 だが・・・具体的にどうすればいい?お祓いにでも行くか・・・いや、恐らくこれはこの場所に関係していることなのだろう。神主なり坊さんなりを、この部屋に呼ぶのか?出張費はどれぐらいになるのだろう。いや、それ以前にそんなことは、建築前の地鎮祭の時にもやっていたはずだ。そんな簡単なことで解決するほど、根の浅い問題だとは思えない。だが・・・。すでに八方塞がりと思われた私の脳裏に、ふとした考えが浮かぶ。

 そう言えば・・・102号室の男は、年末にどこへ行っているんだ?

 彼に付いて分かった限りの情報を思い出す・・・。確か山梨の・・・お寺?だが、そのお寺がどこなのかも分からない。だが・・・一応試しては見よう。私は急いで部屋を後にした。


 「お久しぶりです!こないだの僕のお話は何かお役に立てましたか?・・・え?もう少し聞きたいことがある?僕の知ってる限りのことでよければ喜んで!」

 かつて102号室の主と同僚だった男は、先日出会った時とまったく変わらぬ様子でそう言った。

 「ええっと、数日前にお話を伺った、元同僚の方の件なんですがね。いえ、あくまで、もし憶えていたら、でいいんですけど・・・」

 期待はできないだろうな、と言う諦め半分の気持ちを持ちながらも、私は続ける。

 「お話を伺った元同僚の方なんですが・・・、確か山梨の、どこかのお寺の出身と言ってらっしゃったんですよね?恐縮なんですけど、そのお寺に付いてもう少し、何か詳しく憶えてはいらっしゃいませんか?山梨のどの辺りか・・・とか?」

 ほとんどダメ元でそう聞いてみる。常識的に考えれば、三年以上前に少し仲の良かった同僚の実家に付いて憶えているとは考え辛いし、そもそも、その元同僚がそこまで詳しく教えていない可能性も高かった。だが、私がすがることが出来るのは、もはやこれぐらいしかない。

 「・・・えっ?彼のお寺ですか?何て言ったかな・・・?・・・ああ、でも個人情報とかいいんですかね?まあいいや、こんな機会は滅多に無いですし・・・確か『明院寺』とか言う名前だったと思いますよ」

 意外だった。おおまかな情報だったらいざ知らず、まさか正確な名称まで憶えているとは・・・。

 「『明院寺』ですね!?それは・・・間違いないんですか!?ありがとうございます!助かりました」

 私が心からの感謝の念で頭を下げると、彼も嬉しそうに言った。

 「いえいえ、こんなことで何かお役に立てた、って言うのならこちらこそ嬉しいですよ。あっ、でも一応、何かあっても僕から聞いたとは言わないでくださいね?そこんところだけお願いします。」

 真っ暗な道の中に、かぼそいながら一筋の光明が見えた気がした。私は再度彼に礼を言う。ふと、別れ際彼に対してどうしても気になった疑問を尋ねてみた。

 「しかしまさか、三年以上前に聞いたお寺の名前を憶えていてくださるとは思いませんでした。そう言ったことにお詳しいのですか?」

 そう聞くと、彼はさもあっけらかんとした表情でこう答えたのだった。

 「ええ、実はこう見えても僕、学生時代から神社仏閣巡りが趣味なんですよ。ですから、お寺が実家だって聞いて、つい興味が沸いて色々と聞いてみたんです・・・。いやあ、それがまさかこんな形で役に立つことになるとは、さすがに思いませんでしたけどね」


 家に帰った私は、早速ネットを使って先ほど聞いた寺の名前を検索するーーと、どうやらホームページを持っていたらしく、拍子抜けするほどあっけなく、必要な情報を得ることができた。

 どうやら県内では、そこそこ由緒のあるお寺らしい。どうも、都市部から離れた山間部に位置しているらしいが、丁寧にアクセスの仕方も載っていたため、それは問題にならないだろう。明日の始発で山梨へ向かおう。

 「何か分かるといいね」

 「本当にそう思うよ」

 私はそう答えた。

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