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たたかう給食室  作者: 杉背よい
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7. ある夏の後日

吉田未来は、唐突に目を覚ました。

ずいぶん長いこと眠り続けていた気がしたが、枕元のデジタル時計の日付けではたった一日しか経っていなかった。見慣れた天井が目の前にある。

未来はぼんやりした頭を無理に回転させようとした。

──確か、父さんが迎えに来て。

未来は詳細を思い出そうとしたが、記憶には靄がかかっていたようで、思い出せない。

「そう言えば母さんは!」

未来はベッドからがばりと跳ね起きる。しかし立ち上がると目眩がした。

「ダメだ、使い物にならない」

 そう呟いたとき、ふいにドアが開いた。未来は驚いて、思わず口を開けた。

 そこには父と母が立っていたのだ。

母は困ったような顔で曖昧に笑った。未来よりもよほど顔色がよく、ここ最近になく元気そうに見えた。

「未来、ごめんね。大丈夫?」

母に寄り添うにして、父もまた、微妙な微笑みを浮かべていた。

──何だこれ、どういう……?

未来はひどく混乱したが、気持ちを落ち着けるべく深呼吸をすると、尋ねた。

「母さん、入院してなくていいの?」

「ええ、点滴だけしてもらって、もうすっかり」

母の顔色がいいのは久しぶりで、未来は思わず見惚れてしまった。

それから休みの日に父が家にいるのも久しぶりだ。

「ねえ、未来」

母は言いかけて、父と顔を見合わせてにっこりする。

──新婚さんか?

 まあ、俺は二人の新婚の頃なんて、見たことがないけど。

 未来が見慣れない二人の様子に戸惑っていると、

「お母さん、給食食べちゃった」

そう言って、母は本当に嬉しそうに笑った。


 次に小峰が気がついた時には、複数の笑い声がさざめていた。

──あれ?

 ここはどこだろう、と一瞬わからなくなる。

「そうか、鮫島さんの家で……」

 考えかけて、頭痛がした。間違いなく二日酔いだった。

 昔は酒に強かった小峰だが、真由が生まれてから飲む機会が減り、いつの間にか弱くなってしまったようだ。

「あ、お母さん起きた!」

 真由が振り向くと、鮫島と野間アキもキッチンから振り返った。

「おはようございます!」

 鮫島と野間アキがどこか嬉しそうに挨拶をする。そこまではいいのだが、

「……すみません、お邪魔しています」

 そう言って、所在なさげに頭を下げたのは、包丁を持って給食室にやってきた吉田未来の母、そして父だった。

「ええっと!」

 小峰は慌てて起き上がり、手ぐしで乱れているであろう髪を撫でつけた。

「おはようございます……」

 消え入りそうな声で小峰が挨拶を返すと、鮫島と野間アキが笑いをこらえていた。

「昨日は本当に申し訳ありませんでした。そして、お休みの朝からごめんなさい」

吉田未来の父が深々と頭を下げた。態度も服装も上品で、未来の父母は調和が取れていた。

こんなきちんとした人たちを前に、二日酔いのすっぴんを、晒しているかと思うと小峰は余計に情けなくなった。

「いえいえ、偶然ですし、いいんですよお」

 鮫島が言うことには、早くに目が覚めてしまった鮫島と野間アキは、真由を連れて朝食でも買いに行こうという話になったのだそうだ。

「最初はパンでも買おうかと思ったんですけどね。真由ちゃんが、お母さんに何か作ってあげたいっていうから」

 鮫島が言いながら真由に視線を向けると、真由は真っ赤になってうつむいた。

 小峰もまた、予想もしていなかった事実を告げられて動揺する。

──真由が、私に。

小峰は思わずじーんとしてしまった。しかし、構わず鮫島は続ける。

「で、です。それでスーパーに行ったら、偶然にもお二人に会いまして」

「ちょうどいいから一緒に朝食を食べませんか、とお誘いしたわけです」

 鮫島の説明を野間アキが引き継ぐ。

「いやあ、この狭いマンションにも結構大人数が入れるもんですねえ」

 すっかり羞恥心のねじが緩んでしまったのか、鮫島はへらへらと笑っていた。

──だからって、この、酔っ払いばかりの散らかった部屋に連れてくるか?

 小峰は急に鮫島のタフな精神を尊敬した。

「小峰さん、大丈夫ですよ!田所さんなんてまだいびきかいて寝てますし」

 鮫島が床に転がっている田所を指さすと、

「起きてるよ」と田所は答えた。


 狭いキッチンで、給食室の四人と真由、それに吉田夫妻を加えて思いがけずにぎやかな朝食となった。椅子が足りず、奇妙な座り方で食べるものもいた。

「……本当にごめんなさい」

 野間アキに手伝ってもらって、真由が焼いた目玉焼き。それに簡単なサラダとトーストをみんなで食べた。

 吉田未来の母は、トーストを頬張りながら涙をこぼした。

「自分でもどうかしていたとしか、言いようがありません」

泣きながらパンを噛む妻の肩を、そっと夫が支える。

「いえ、私の責任です」

吉田未来の父は、食卓に着く一人一人と目を合わせた。

「私が仕事に忙しいと言う理由で、すべて妻と子どもたちに甘えていたんです」

おいしい、と無邪気につぶやく未来の母に、皆は安堵した。

「本当は二人で給食室の皆さんに謝りに行こうと話していたところでした。それが偶然……」

「お二人も朝食のお買い物だったんですか?」

鮫島が尋ねると、未来の母はふわりと笑った。

「娘が、二人で散歩に行ってきたらって言ってくれたんです」

それで数年ぶりに、二人で朝の散歩に出たんです。

恥ずかしそうに未来の父が補足した。

「未来くんと妹さんはお留守番なんですね」

小峰は自然と目を細めていた。真由が作ってくれた目玉焼きは美味しい。


それで?、と吉田未来は尋ねた。

「それで?、ってそれだけ。皆さんに謝って、美味しい朝ごはんをいただいて、帰ってきたの」

母はそう言って、相変わらず嬉しそうに笑っていた。

「はあ、そう……」

未来は拍子抜けしてしまった。自分の与り知らないところで、現実は少しずつ様変わりしていた。

「沙理は朝ごはん食べたわよ。未来も食べちゃいなさい」

父と母に押し出されるように自室を出て、未来はダイニングへ向かう。

「お兄ちゃんお寝坊!」

テレビを見ていた沙理が、生意気に未来を指差す。

「悪かったな」

食卓に着くと、目玉焼きと焼いたソーセージとサニーレタス。トーストが用意された。

一口食べた未来は、小さく声を上げた。

「あ」

ちゃんと食べ物の味がした。母の病状が悪くなってから、未来は味覚を感じなくなっていたのだ。

でも、今は美味しさと温かみを感じる。

いつから忘れていたんだろう。

「……美味しい」

未来がつぶやくと、母は照れくさそうに笑った。

「お父さんと話し合って、いくつかのことを決めたの」

母が話している間も、未来は夢中で食べ続けていた。

「お母さんと、沙理の病院を変えてみることにしたの。お父さんが知っている人に聞いてくれてね。でも、引越しはしないわ」

未来は、食べながらほっとした。引っ越してきてからそれほど経っていないけれど、いつの間にか未来はこの場所に愛着を感じていたようだ。

「本当はあともう一つあるんだけどね……秘密」

母は急に声のトーンを変えて、いたずらっぽく笑う。

「何それ」

未来は呆れた。

──でも、そうだった。

本当は母さんは、こんなふうにちょっとおどけた話し方をする人だった。

俺は、そんなときの母さんが好きだった。

未来は、食事を終えて落ち着くと窓の外を眺めた。

外は日差しが強く、陽炎が風景を揺らしていた。

「たった一日しか経ってないのか」

独り言のように、未来は口にした。


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