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たたかう給食室  作者: 杉背よい
6/8

6. 女神たちの宴

鮫島は小峰に電話をかけた。

──今はまさに、娘さんと夕食を食べている最中かもしれない。

そう思ったが、小峰が来てくれれば嬉しいと思った。一人も欠けずに今日の出来事を共有できれば──。

鮫島がさらに考えを巡らせる前に、小峰は電話に出た。

「はい」

落ち着いた声で小峰は応答した。小峰は真由との夕食を終え、各々風呂も済ませ、ぼんやりとテレビを眺めていた。真由がテレビのそばで、小峰はダイニングのほうで。

着信が鮫島からだと知って、小峰は驚く。

「あ、小峰さん夜分にすみません。鮫島です。あの、突然なんですけど今からうちにいらっしゃいませんか?」

鮫島は淀みなく小峰を誘った。

「みんなで急遽集まってうちで飲むことになりまして」

電話の向こうで鮫島は照れ笑いをした。こんなフランクな態度の鮫島は初めてで、小峰はますます驚いた。

「今からですか?」

「はい……突然でごめんなさい。それで、もしよかったら娘さんも一緒にいらしてください。うち、狭いですけど」

──行きたいな。

小峰は逡巡するよりも前に、直感的にそう感じた。

「……少々お待ちいただけますか」

小峰は電話を保留にすると、テレビに夢中になっている真由の背中を見つめた。視線を感じたのか、真由が振り返る。

小峰は真由に歩み寄り、きちんと正座をした。

「真由」

呼びかけると、真由は小峰を見た。まっすぐに目を逸らさずに見つめ返した。

「お母さんね、これからお仕事の人たちとお話ししに出かけたいの。真由も一緒にどうですか、って言われてるんだけど」

小峰が皆まで言わないうちに、真由は強い目で頷いた。

「うん、わかった。一緒に行く」

真由のすばやい判断に、小峰は驚いた。


野間アキは、ドーナツ屋に寄り道をしていた。真っ直ぐ帰りたい気分ではなかったのだ。

 通りに面したガラス張りのカウンター席に腰掛け、イヤホンを耳に差し込んで、繰り返

し音楽を再生させた。耳の中には、きんきんと可愛い声の音楽が絶えず流れてくる。

 頭のどこかが痺れているような感覚が続いており、音楽は耳に入ってこない。

 女の手にした包丁を見た瞬間に、野間アキは本能的な恐怖に体が凍りついた。

「野間、逃げろ!」

 麻痺した頭に切り込んできた田所の声で、野間アキははっとした。

 田所が野間アキを名前で呼んだのは、初めてだった。野間アキは、異常な事態に直面しながらも、名前を呼ばれたことが嬉しかった。

──明日は、お礼を言おう。

そう思いながら顔を上げた野間アキは、高すぎるスツールからひっくり返りそうになった。

目の前のガラスに田所善恵がいて、ガラスをばんばん叩いているのだった。

「は?田所さん?」

慌てて野間アキは両耳からイヤホンを外した。しかし田所は野間アキが聞こえないと思い込んでいるのか、ジェスチャーで「外に出るように」と示している。

自分が店に入ってくるという選択肢はないようだった。

野間アキは少しずつ笑ってしまった。そして「わかった」ことを表すように頷くと、慌てて身支度を整えて、田所の待つ外へ駆け出した。


「小峰さん来てくれるそうです。娘さんの真由ちゃんも一緒に」

鮫島は携帯をバッグにしまい、少し惚けた顔で言った。

かなりの高確率で断られると思っていたからだ。

「おやまあ、やったね!」

田所はパチンと指を鳴らすような仕草を見せる。

「あたしもお姫様を連れてきたからさ、ほら」

田所の後ろに隠れるようしていたが、野間アキが恥ずかしそうに現れた。

「……どうも」

野間アキが給食関連の言葉以外を口にすることは珍しく、鮫島と田所は新鮮な感動を覚える。

「その服、よく見るとずいぶん凝ってるね。着てみたくなるの、わかるよ」

田所が野間アキを見つめながら言う。

「って言っても若い頃のあたしでもぜーんぜん似合わないと思うけどね、見てる分にはいいもんだ」

野間アキは、まさか田所から高評価を得られるとは思わず驚いた。

「あ、ありがとうございます……」

「小峰さんだ!」

話し込んでいた三人の前に、小峰絢が現れた。ジーンズにTシャツというラフな出で立ちだが、元来小峰はスタイルがいいのでそれだけでも様になっていた。

「すみません、うちお風呂早くて、もうすっぴんなんですけど」

大真面目に小峰が言うので、三人は笑ってしまった。

「ほら、真由。ご挨拶して」

言われて三人ははっとした。急に小峰は母親の顔になり、側にいた女の子にお辞儀を促す。

「はじめまして、小峰真由です。母がいつもお世話になっております」

予想を超える立派な挨拶に、三人はたじろいだ。

──小峰さんにそっくりだ。

野間アキは、思わずまじまじと真由を見た。

「しっかりしてるわねえ!」

「ほんと、小峰さんにそっくり。お顔立ちも似てますね」

田所と鮫島は素直な印象を口にする。

「じゃあ行きましょうか。最初に言っときますけど、ほんと狭いですからね」

──こんな人だっただろうか。

何かが吹っ切れたのか、鮫島はさばさばと何でも口にした。

野間アキはしかし、今の鮫島にならいろいろ話せそうな気がした。

「いいって!うちなんて狭い上に汚部屋だから」

妙なところで田所は威張った。

「あ、あの家にあるもの取り敢えず持ってきたんで、足りないかもしれないですけど」

小峰は持参したエコバッグを開く。中には果物やペットボトルの飲み物、スナック菓子が入っていた」

「私ごめんなさい……手ぶらで」

野間アキは、ドーナツ屋から直行したので何も持っていなかった。

「いいって!急に呼び出したんだからさ」

そう言って田所はばしんと野間アキの背中を叩く。野間アキはよろけたが、何だかそれすらも楽しかった。

全員が、こんなふうに集まって遊ぶ機会に欠いていたのだった。


辿り着いたマンションは確かにこじんまりとしていたが、きれいに片付いていた。

「すみません、あんまりお客さんが来ることもないんで。クッションとか、ソファとか適当に使ってください」

鮫島は皆に席を勧め、すばやい動作でグラスを取りに行く。

「真由ちゃんはジュースでいいかな?」

尋ねた鮫島に「ありがとうございます」と真由はお礼を言った。

──こんなところで暮らしていたんだな。

可愛い小物が飾られているわけでもなく、どちらかと言えば殺風景な部屋だった。

しかし、そこに小峰は親近感を覚えた。

「小峰さん、皆さん、今日は本当にありがとうございました」

口火を切ったのが野間アキだったことに、三人は驚いた。あの、人見知りな野間アキがしっかりした声でお礼を言ったのだ。

「私は何もできませんでした。怖くて、体が竦んでしまって」

 野間アキはそこで声を震わせ、うつむいた。

「そりゃあそうだよ。あたしだって……どっかで死を覚悟しちゃったよ」

 田所は冗談めかして言ったが、そのときを思い出したのか、一瞬顔が青くなる。

「……何かあったんですか?」

 真由が大人に混じって、自然に会話に入ってくる。

「うーん」と全員がうなった。どこからどこまでを話していいものか迷った。

「真由ちゃんのお母さんね、今日は大活躍したんだよ。あなたのお母さんは強いんだよ」

 田所が、そう真由に伝えた。

 真由は詳しく質問したいような顔をしたが、何かを察したのか口をつぐんで頷いた。

「そんなことはありません……」

 小峰は照れ笑いをした。小峰の笑った顔を見ることも珍しい。全員が小峰の顔に見とれていると、真由が小峰に飛びついた。

「お母さんが笑ってる」

 言われた小峰ははっとし、さらに照れたように笑った。


 そこから先は、酒が入ったせいで場が混沌とした。

 いつの間にか眠ってしまった真由を鮫島のベッドに寝かせ、四人で変わりばんこに頭を撫でた。

すみません、と小峰は盛んに謝ったが、鮫島は笑って取り合わなかった。

「いいんです、こんなに可愛いんですから!」

酔っているのか鮫島は声のボリュームがおかしかった。

「かわいいね」

ぽつんと田所がつぶやくと、皆が頷いた。

──真由を連れてきてよかったな。

皆が優しくしてくれたからか、大人に混ざるのが楽しかったのか、真由はずっと笑っていた。こんなに明るい顔を見せるのかと小峰は逆に脱力した。

真由が眠ってしまい、話題にタブーがなくなると、いよいよ深酒になっていった。

「そりゃあその亭主、捨てたほうがいいわ」

 田所が遠慮のない発言をすると、小峰も座った目で「ですよねー」と応じた。

「だって、赤ちゃんの頃泣いてる真由がうるさいって言って、私一人で公園を彷徨いましたもん」

「うちの亭主も最低だったけどさ!まず給料入れないし」

「えー、サイテー」

 鮫島も遠慮なく相槌を打つ。

「あんたたち二人はこれからだから。あ、小峰ちゃんだってこれからだよ?あんた美人だし、真由ちゃんも可愛いしさ」

 田所は野間アキと鮫島をびしっと指さし、その後で小峰にもフォローを入れる。

──何だか楽しい。

 野間アキは甘いお酒をちびちびと飲みながら、饒舌になる皆を眺めていた。

やがて話題は鮫島の「煮え切らない彼氏」に及んだ。鮫島は愚痴を言いながらも、楽しそうだった。

「あの……」

野間アキは思い切って口を開いた。

「小峰さんも鮫島さんも、もっと相手を罵ってもいいんじゃありませんか?遠慮せずに」

おずおずと切り出した割には過激な内容で、三人はぎょっとする。小峰は一瞬、酔いが覚めた。

「私は……自慢じゃないですけど、嫌われたり恥をかいたりすることには慣れてるので、そこは主張を通します。どうせ嫌われるなら、悔いを残したくありませんから」

野間アキは睫毛の長い可愛らしい顔つきで、なおも言った。

「アキちゃん、強〜い。ハート強〜い」

鮫島は酔った勢いで、いつの間にかアキちゃん呼ばわりしている。

「でも、野間さんの言う通りかも」

小峰はしみじみと言った。

「私は夫とも真由ともぶつかることを避けて、何も言わなかったことを今は後悔しているんです」

「野間ちゃんの言い分も一理あるけどね。あたしは言いたいことを言ってぶっ壊してしまったから、黙っていたら今頃どうなってたんだろう?とか思うよ」

田所が焼酎をあおり、その言葉の重みに全員が黙ってしまった。

「何だろうね。それは自分の美学?の問題だからね」

田所はそう言って、ベッドで寝ている真由の寝顔を見ると目を細めた。

「自分がその時々で選択したことの積み重ねで、成功か失敗かは一概には言えない」

ただ一つ言えることは、と田所は人差し指を立てた。

「助けてくれる人は必ずいる。それを忘れなければ大丈夫だ」

一番年齢を重ねているだけあって、田所の言い分には説得力があった。

「あのお母さんも、それがわかっていればね……」

田所が言いかけると、鮫島が身を乗り出した。

「いえ、彼女はあの行動で私たちに助けを求めたんじゃないでしょうか」

「じゃあ私たち、もっと何とかしなくちゃいけませんね」

 小峰が言った。が、クールな雰囲気には似ず、呂律が怪しかった。

「何とかしましょう!」

 ばん、と野間アキがテーブルを叩いた。ちびちびと舐めるように飲んでいただけなのに、いつのまにかしたたかに酔っている。

「まずは未来くんに連絡を取りましょう」

 鮫島が息巻くと、野間アキが「未来くんて言うのかー」ととぼけた調子で頷いている。

 小峰と田所は、二人を見ていると次第に酔いが覚めてきた。

「ねえ皆さん」

 野間アキが急に手を挙げた。

「やっぱり皆さん、一番好きな給食はカレーでしょ?」

「また言ってる」

 小峰は思わず野間に突っ込んでしまう。

 鮫島と田所は腕を組み、うーんと唸った。

「あたしは鶏の竜田揚げかな」

「私はクリームシチューですね」

 田所と鮫島は、迷った末にそれぞれの贔屓のメニューを挙げる。

「えええ、嘘でしょ!?給食の代名詞って言ったらカレーじゃないですか!」

 野間アキは、憤懣やるかたないと言った口調で吠えていたが、皆が「まあまあ」となだめようと様子を見ると、テーブルに突っ伏していつの間にか眠っていた。

「……嘘でしょ」

「寝てる」

 鮫島と小峰は呆然と野間アキを見下ろし、顔を見合わせて笑った。

「今日は皆さんうちに泊まって行ってください。雑魚寝ですけど」

 そう言うと、鮫島もごろんと横になった。

「目が覚めたら、考えましょう」

──目が覚めたら。

 すっかり酔いの覚めた小峰は、田所と鮫島と、野間アキの寝顔を一人ずつ眺めて満ち足りた気持ちになった。

 天井を眺めながら小峰は考えていた。

──明日になったら、もう一歩前に進もう。

 小峰は幸せな気持ちで目を閉じた。


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