表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

辿る人

 僕は桐野なきりの目撃情報を追って上京した。それは同時にヨセルヒトを追いかける事でもあった。週刊栗栗眼鏡によれば、チラスヒトと呼ばれる通り魔も出現したらしい。彼(彼女?)に出会えば解決するんじゃないかなどと馬鹿なことも考えたが、僕は僕の力で彼女を治すと決めている。もしヨセルヒトに会えなくても、彼女を見つけさえすれば、絶対になんとかしてみせる自信があった。


 ネット掲示板の書き込みがどれほどあてになるかはわからないが、僕はそこに書かれていた公園を訪れた。昼間なのにホームレスがたむろし、雰囲気はあまり良くない。都心が近いこともあって人通りは多かったが、皆、他人に対して無関心であるように思えた。


 彼女の顔は見た者を引きつける。寄せられた、ということもあるだろうが、そもそもの素顔が類稀に美しい。まあ僕の主観に過ぎないのだけど、一度見たら頭の片隅に残り続けるだろう。そう考えて僕は公園中の浮浪者に話をきいて回った。みな突然話しかけてくる僕を怪訝な顔で眺め、うっとうしく食い下がると逃げるように離れていく。


 公園を西へ東へ歩きまわり、半ば諦めていたところでようやく僕は彼女を見たという男に出会った。彼はぼろぼろになったパーカーをはおり穴の開いた丈長のジーンズを引きずっていた。空になったワンカップを手にぼうっとベンチに座っていて、僕が話しかけると品定めするようにこちらを眺めた。


「兄ちゃん。俺はその女知ってるよ。額に包帯を巻いていなかったか?」

「そうです。その人です。いつ、どこで見たのですか? 知ってるということは、もしかして居場所もわかるんですか?」

「まあ落ちつけよ。それより、酒買ってきてくれねえかな。鬼ころしでいいからよ」


 ようやく見つかった情報提供者である。胡散臭さは否めないが、僕は奮発して四合瓶の日本酒を用意した。公園横の酒屋でもついでに話をきいたが、どうも最近女のホームレスが住み着いたらしいとのことだった。いやまさか、そんな、彼女が。ビニール袋を手に提げて引き返すと、男はさっきと同じ姿勢で空き瓶を手に空を見上げていた。


「兄ちゃん、それなんだ」

「お酒です。買ってきました」

「それを、俺にくれるのか?」

「ええ」


 そう言って僕が酒を手渡すと男はたちまち上機嫌になった。持っていた空き瓶に清酒をトクトクと注ぎ、一息に飲み干して顔を上気させた。


「たまらねえ……うめぇ……」

「あの、話は」

「おう。ちゃんと話すからよ。ちょいと待ってくれ」


 男はたちまちに四合を飲み干すと、瓶を逆さにして最後の一滴まで舐めつくした。


「その女なら、この公園に住んでるよ」


 彼はこともなげにそう言い放った。あの彼女が、ここに、住んでいる。何故、故郷を離れてこんな場所に、わざわざ。


「住み始めたのは先週のことでな。こんなとこに女は珍しい。珍しいし、物騒だ。何か問題を起こされたらこっちが困る。たまに家出のガキが東屋で寝てるなんてことはあるが、その女は寝袋を持って住み込みにきやがった。俺たちは警戒して出て行かせようと考えたんだが、どうも顔がおかしいのよ。目が、三つあるんだ。どうやらこれはワケありらしいってことで、仕方ないから放っておくことにした。ツラ拝んじまってビビってる奴も多い。最初に来たときは包帯してたんだけど、住み始めてからは目玉ぎょろぎょろむき出しになってよ。だから兄ちゃんが聞いてまわってもイマイチ情報が集まらなかったんじゃねえかな」

「どこに居るんですか! 教えて下さい」


 僕は喰い気味に問いかけた。彼の口から出た話はあまりにも衝撃的だったが、その不可解さよりも、いま手の届くところに彼女がいる、そのことのほうが重大だった。


「いまはここに居ねえよ。だが、夜になれば戻ってくるだろう。あの女は朝から暮れまでどこかへ行ってるんだ。何も持たず、身一つで、ふらーっと出て行く。公園にいるときと違って、髪の毛でしっかり目玉を隠してな」


 彼女は、この街を徘徊している。公園に住んでまで、何のために。


 答えはひとつしか思い当らない。彼女はヨセルヒトを捜しているのだ。しかしそれはおかしくもある。あれからすでに二週間以上が経った。彼女の記憶が残っているはずがないのだ。それとも、記憶が失われるという噂、あれが嘘だったのいうのか。だとしたら、栗栗眼鏡の取材結果と大きく矛盾している。


「兄ちゃん、知り合いなのか? だとしたら連れ帰ってやってくんねえか。おっかない顔してるとはいえ、若くて綺麗な女だ。いつ犯罪に巻き込まれるともわからねえ。捜すより、ここで待ってたほうが確実だろう」

「はい。そうします」


 ここで待ちながら、僕は彼女になんと話しかけるか入念に検討する必要がある。彼女が僕のことを覚えている保証さえ、ないのだから。


「ところで、まだ金はあるか。鬼ころしでいいから、買ってきてくんねえかな」


 僕はさっきと同じものを買いに酒屋へと走った。


 日が完全に沈み、すべての街灯に光がともったころ、彼女らしき影が公園に現れた。憔悴した様子もなく、しっかりとした足取りで、公園の奥へと向かっていく。


 飲みつぶれて眠りこんだ男を叩き起こし、僕は彼女の寝床を問い詰めた。


「やい、起こすんじゃねえ。寝床は噴水の向こう側だよ。あのあたりは他に住んでいる奴がいない。区役所から立ち退き指示がでる場所だからな」


 僕は彼に礼を言って、彼女の元を目指す。

 足もとが覚束ない。空想で出来た雲の上を歩いているような気分だ。まさかこんなにすぐに辿りつけるとは思っていなかった。まさかこんな場所に居るとは思っていなかった。


 握りしめた両手に汗がにじむ。結局、なんと話しかければよいか、はっきりとした答えは見つからなかった。ただ、一刻も早く彼女に会いたい。その思いだけが僕を駆り立て、はやる気持ちに収まりがつかなかった。


 公園の真ん中にある噴水を越えて、トイレの裏手に回り込む。そこには小さなテントがはられていて、中からはかすかに「あー。あー。」と間延びした声が聞こえる。僕は意を決し、植え込みを掻き分けて近づいていく。こちらの存在に気付いたのか、中の音は静かになった。


 いま、僕の足音を除いて、あたりはしんと静かである。風が木々を撫でて、数枚の落ち葉が目の前に舞った。口にたまった唾液を呑み込んで、そっとテントの幕を上げる。


 そこには、彼女がいた。

 最後に見たときと同じ姿で、凛として佇んでいた。

 三つの眼が僕を射すくめる。

 何も言えなかった僕に、彼女が言った。


「先生」


 僕はそれでも口を開けず、ただ唖然として立ち尽くすのみだ。


「お久しぶりですね」


 やはり彼女は、強い人だった。


 僕は病院での無礼を詫び、彼女とヨセルヒトを追ってここへやってきた旨を告げた。ヨセルヒトの話に触れると、彼女は怪訝な顔をして首をかしげた。やはり、関連する記憶が失われているようだった。


「ヨセルヒトって、いま話題の都市伝説ですよね。なんで先生が彼を追っているんです。御趣味ですか? 病院は、どうしたんです」

「病院は、辞めたよ」

「まさか、私が脱走した責任をとらされたとか」

「大丈夫。僕個人の判断だから」


 彼女は、僕とのやりとりをすべて記憶していた。ヨセルヒトの被害で入院したのではなく、大きな事故に巻き込まれ意識不明のあいだに目がこんなことになっていた、そんなふうに語って僕に確認を求めた。僕はそれを肯定し、上手く元通りに手術できなかったことを詫びた。彼女の「穴埋め」した記憶は、ヨセルヒトの被害を社会的に説明づけたような、そんな逃げ道から出来上がっていると感じた。


「でも、なんでこんなとこに住んでいるの?」


 ヨセルヒトについては、もう少し落ち着いてから、ゆっくり納得していってもらえばいい。彼女が断固として否定するなら、いまの記憶が真実になってもかまわない。僕の目的は彼女を治すことだ。彼女の美しい強さに、誠意で報いることだ。


「たぶん説明してもわからないと思う」


 彼女は自信なさげに俯いた。そしてテントの奥に退いて、中へと僕を招き入れた。出入口ごしに会話していた僕は、靴を脱いでテントの中に上がった。そこはすこし湿り気があって、彼女の生活臭に満ちていた。


「私は事故のときの記憶がないの。だけど漠然とした印象だけは残っていて、その正体を探るためのヒントが……うまく説明できないけど、このあたりにあるような気がしているの」

「生活を投げ打ってまで、突きとめたいと思う何かなのかい」

「うん。もう失うものなんてないし。職場を失ったことは先生も知っているでしょ。家に居ても、家族の視線が辛いだろうことはわかりきっているから。だから病院を出た後、下ろせるだけのお金を持って移動をはじめたの。いざとなると人はなんでもできるんだね。いままでの私じゃ考えられない」


 彼女はヨセルヒトの被害を漠然と記憶しているようだった。それで彼女がこのあたりを徘徊していることに説明がついた。被害者は発狂してしまうことが多いと聞くが、これも彼女の強さがなせるわざなのだろうか。記憶が曖昧な謎の事故で、どういうわけか額に目玉が。僕だったらひとり悩むだけで、こんな場所までやってくる行動力は持てないだろう。


「それにしても、先生、どうして私を追いかけて来たんですか」


 彼女は探るようにこちらを見た。


「医者として、君が完治するまで見届ける事に決めたんだ」


 僕がそう言うと、彼女は不満そうに目を伏せた。額のほうの眼球は、こちらを向いたままだった。僕はまっすぐにその目を見返す。しかし、思うような言葉が紡げない。


「医者として、ですか」

「……ああ」

「もう医者じゃないくせに」


 逃げ腰の僕を追い詰めるように、彼女は言葉を継いでいく。


「こんな場所にきても事務的な口調だし」


 せき止めていた流れが、一気に決壊していく。


「理屈っぽく語るくせに、支離滅裂だし」


 あの日のことを僕は思いだした。受け止められなかった悔しさがにじみはじめた。


「先生以外に、私の眼をまっすぐ見てくれる人はいない」


 長い回り道はようやく目的地に辿りつきそうだ。


「君が治るまで、いや、治ったあとも、そばで力になる」

「……試したわけじゃ、ないから」


 彼女はそう言うと、異形の瞳で美しく泣いた。

 僕は彼女の肩を抱いて、すべてを最後まで見届けると堅く誓った。



▼『連載最終回:寄せても、いいですか――連続通り魔事件と不可思議な都市伝説』


――「(ⅰ)通り魔事件の終焉」


 二号に渡って連載休止したことを深くお詫びする。


 数か月にわたって世間を賑わせた通り魔事件が、ついに終息した。しばらく被害者が発見されていないというだけではあるが、ヨセルヒト、チラスヒト共にぱたりと行動が止んだ。我々は全力で取材を続けてきたが、ある日を境に新しい目撃談が得られなくなった。


 むろん、事件が再燃する可能性は大いにある。静かな時間が数週間続いただけだ。これからも取材は継続するし、何かわかれば即座に報じる姿勢は維持している。しかし我々は、我々なりの結論に辿りついた。それは以前紹介した民間伝承に依拠するもので、社会的には到底認められるものではない。だが我々は責任と自信を持ってこの事件の終息を宣言する。



――「(ⅱ)風化する運命にある『都市伝説』の悲哀」(作家・鱗谷 瓦)


 ヨセルヒトとチラスヒトが出会ったとき、何が起きるのか。それが私にとって最大の疑問であった。具体的に何が起きたか知るすべはないが、結果として事件は終息した。これは大いに歓迎されるべきことだが、同時に深い悲哀もはらんでいる。


 ヨセルヒトの被害にあった記憶は消滅する。チラスヒトもおそらく同様で、両者ともに如何なる痕跡も現場に残さない。そもそも、事件が発生したことすら厳密には不確定なのである。故に、この事件を真の意味で語り得る者はこの世に存在しない。「次々男・次々女」の風習についても同様である。ほぼ風化しかけていたところを私が掘り出し、誌面にて報じた。それも、真の意味で語ったには値しない。


 被害者の記憶は風化するが、我々の記憶もまた風化する。

 私の予想では、数多の都市伝説と同様、得体の知れない不気味な物語として、アンダーグラウンドの世界に沈んでいく運命だろう。


 通り魔の事件がぱたりと途絶えた頃、B村の人物より「祠が完成した」という旨の連絡が届いた。当初の予定を大幅に上回る速度である。両村すべての人間が協力し、手厚く供養したいという一心で完成させたそうだ。


 ことごとくあやふやな根拠と展開であると承知の上で、私は「終わった」と結論したい。祠が破壊されたことでヨセルヒトが生まれ、追うようにチラスヒトも歩き始めた。彼らは目的地で出会い、帰る場所を知ってその刃を納めたのである。


 余談だが、私が木彫りの像を納めに遊女投げ込み寺を訪れたところ、住職に「蔵にも同様の像がある」ときかされた。その由来は伝わっておらず彼は訝しげに問い詰めてきたが、私は多くを語らなかった。


 都市伝説は宙にたゆたう物語だ。語る者がいなくなったとき、その存在は無へと回帰する。かつて全国にあった数多の因習も、同様だろう。その背後にある物語や歴史、人々の思いは、やがて風化して塵になっていく。


 この悲しい循環を、我々はこれからも繰り返していくだろう。

 それが人であり、それがこの世界であると、私は考えている。



――「(ⅲ)連載終了にあたって」


 編集部には事件の徹底追及を求める声が多数届いた。連載休止期間においては、取材の進捗を尋ねる電話が絶え間なく鳴り響いていた。それだけの反響に対し、このような形で筆を置くことに不満を感じる読者もいることだろう。


 しかし我々は、これ以上の言葉を持たない。

 理路整然とした結論や落とし所は、どうか他のメディアに委ねさせて欲しい。

 我々はこれからも変わらず、人の噂の裏側へと踏み込んでいく。

 辿りついたのが空虚な現実でも、この姿勢は変わらない。

 人がいる限り、噂は生まれる。物語はそこここに積っていく。

 すべてが照らされこの世界から影がなくなるそのときまで、我々の歩みは止まらないだろう。

(週刊栗栗眼鏡編集部)



【ヨセルヒト】連続通り魔事件 169【ヨセルヒト】


999:名無しさん@寄せてもいいですか。:20XX/09/04(金) 04:17:51.84 ID: aSTBKyn7

 少し話題を変えるけど、俺の話をしていいだろうか。もうスレ終わりそうだし書き込み間に合わなかったらそれでいい、少し、胸のうちにしまっておきたい話でもあるし。栗栗眼鏡で鱗谷が遊女投げ込み寺に行くって言ってたから、近くにあるし俺もいってみたんだ。そしたら、境内への階段のいちばん上のほうに、怪しげな男女が倒れてた。

 あわててお寺の人を呼んで救急車にも通報したんだが、ふと目を離した隙に跡かたもなく消え去ってたんだよ。

 いや、ほんとなんだよ。お寺の人もびっくりしてたし。信じてもらえるとは思わないけど、いまでも光景が目に焼き付いてる。

 もしかして祠が完成したタイミングだったとか?

 だったらすごく締まりのいい物語になるよな。

 顔を確認しとけばよかった。見たらどうなってたかわからないけど。


1000:名無しさん@寄せてもいいですか。:20XX/09/04(金) 04:23:23.40 ID: 3m4z7ye0

 >>999 にオチを付けられちゃった感じだな。通り魔が止まって、スレの勢いもグっと落ち込んだし。単なる未解決の通り魔事件として、風化していくんだろうな。

 なんだか、妙に切ない気分になってる。こんな場所からだけど、犠牲者の方々、そして村で不当に扱われてきた次々男・次々女の方々に対して祈らせてもらうよ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ