記す人
僕は作家・鱗谷瓦と共にS県H市を目指していた。H市は最初の事件が起きた場所で、全国有数の面積を誇る政令指定都市だ。事件がはじまったのは都市部ではなく、数年前の大合併で市に吸収された過疎地山村部である。我々は都内から中央道を通り、山間部を進んで取材に向かう行程を立てていた。
S県に隣り合うN県で高速を下りて、細い山道を上ったり下りたりしながら現地を目指す。山あいにあったドライブインで小休憩をとっていると、鱗谷先生がなにやら嬉しそうな顔で話を切り出した。
「いま売店のおばさんに聞いてきたんだがね、『ヨセルヒト』の噂は世代問わず広まっているそうだ」
「それはそうでしょうね。ひとつ山を越えたところで始まったことなんですから」
先生はハツラツとした調子で言葉を継ぐ。
「それだけじゃない。この近くの村でも、被害者が出たらしいんだ。仕事でH市に行った青年が、『寄せられて』帰ってきたらしい。口が鼻の横へ移動した福笑いのような顔立ちになっていたそうだが、喉が鼻とだけ繋がっているような状態で、口が利けなかったんだとか」
「それは異常ですね。やはり都市伝説じみた性質を感じます」
「口腔だけが移動したと考えればいいのかな。喋れないし息も吸えない口をぱくぱくさせて、しばらくは寝たきりになって伏せっていたらしい。しかしその青年、ある日いきなり起き上がって山へ消えて行ったんだと」
「酷な話です」
被害者が精神に異常をきたすと言う話は伝え聞いているが、こうした山村で、しかも鱗谷先生の口から聞くとなると、どうも怪しげな民間伝承というにおいが理解の邪魔をする。
「そのあとが大変だ。彼が入ったのは村で神聖視されている山で、しかもその山にあった大事な祠をぶっ壊したそうだ。この行動についてどう思う、佐藤くん」
「壊したって、火でも放ったんですか。やっぱり、気がおかしくなってしまったと言うほかないんじゃないですかね」
「いや、放火じゃない。爆破だ。彼自身もバラバラになって発見された」
「ええっ」
僕は思わず大きな声を出してしまった。食べ終わった山菜そばの器をひっくりかえしてしまい、あわてて雑巾を借りに走る。売店のおばさんは床が軋むような音をたてて不気味に笑った。
爆死などという派手な死因は、近現代の世界史で一度見たきりである。被害者が、しかもこんな山奥で、祠ごと吹き飛ばすような爆発物を入手できるものなのだろうか。その計画性と青年の精神状態は矛盾するし、ヨセルヒトの被害者である点も含めてひたすらに謎である。
「おかしいと思うだろう。こんな山奥で、自爆テロだよ。しかも現場には火薬を使用した形跡がみられず、バラバラに破壊された祠の残骸と青年の遺体だけが残っていたらしい。爆発音を聞いた人もいない。だから爆破の直後をみた人はいないし、事が発覚するまで半日は空いてしまったそうだ」
まさか、目的地へ向かう道中でこんなネタを拾えるとは。先生は目をきらきらさせて話している。閉鎖的な山村で根掘り葉堀り尋ねられるような貪欲さが、彼を作家たらしめる所以のひとつだ。
「佐藤くん。僕らはツイているよ。今日はちょうど亡くなった青年の葬式がある日らしい。H市に行くのは明日にして、ぜひ取材しようじゃないか」
僕らは葬式へお邪魔することにした。極めて無粋な行為だと自覚するが、これはヨセルヒトを追究する上で千載一遇のチャンスである。
売店のおばちゃんに話を通すと、商品を一万円分購入すれば一晩車を停めていても良いとのことだった。車中泊は屁でもないがふところは寒い。社に電話して取材延長と経費増額を依頼するも、後者は却下された。けっきょく
、鱗谷先生と折半して五千円ずつ商品を買った。僕は消臭効果のある小さな木材だの山菜の漬物だの最低限実用的なものを選んだが、先生は怪しげな木彫りの像を三体も購入していた。しかめっつらで腕組みをしたなんとも奇妙な風体の人形である。先生宅の書斎やリビングにはこんなものがわんさか並んでいるので、徹夜で原稿を待つときはトイレで寝させていただいている。
▼『連載第二回:寄せても、いいですか――連続通り魔事件と不可思議な都市伝説』
――「(ⅰ)ついに都内で事件発生」
S県H市にはじまり、Y県S市、K県H町、T県M市、C県N市と徐々に北上してきた通り魔事件の発生現場は、ついに都内へと到達した。事件が拡大の一途を辿る中、当局の捜査は一向に進展しない。首都圏の住民は極力外出を控えるよう呼び掛けられているが、そうはいってもそれでは生活が成り立たないだろう。無力な当局に対する国民の怒りはかつてないほどに高まっている。すべてが前代未聞で、この先どういった進展を見せるのか誰にも予想がつかない。都市圏は人が多く、いままでの事例から考えても事件に巻き込まれる可能性は限りなく低いだろう。特に注意すべきは郊外、あるいは山間部の住民である。編集部としては、「ヨセルヒトの提案を飲むこと」を推奨する。その根拠はむろん都市伝説に過ぎないが、差し当たって他に有力な説は皆無である、というのが現段階における我々の結論だ。
現在編集部は事件発生地S県H市において取材を継続している。我々はその過程で立ち寄ったN県において有力な手掛かりを得た。その内容を含め、今回も鱗谷瓦氏に語っていただく。
――「(ⅱ)とある村の奇妙な伝承」(作家・鱗谷 瓦)
前回の記事の反響に驚いている。これが私の作家人生でもっとも脚光を浴びた瞬間だと考えるといささかむなしさも募るが、これを機に私の評価が「サブカル界隈の胡散臭い作家」から「民俗学の第一人者」へと変わることを切に希望する次第である。第一人者と呼ぶのはおかしいような気もするが。
さて、都市伝説「ヨセルヒト」である。私はこの原稿をS県H市から送信している。今号の原稿の為に取材をはじめたわけだが、想像以上に難航しているのである。その道中で、隣県において非常に興味深い伝承と出会った。今回はそれについて記述しようと思う。
栗栗眼鏡編集部の佐藤とS県を目指していた私は、途中立ち寄ったN県のある村で奇妙な噂を耳にした。S県に行った村の青年がヨセルヒトの被害を受けて帰村し、のちに発狂して村の大事な祠を破壊したというのである。その日村ではちょうど彼の葬式が行われているところであり、私と佐藤はそこへ潜りこんだ。過疎地の葬式というものは以前にも見たことがあったが、私たちがそこで感じた異様な空気は以前の比では無かった。排他的な村民から情報を訊き出すのは非常に骨の折れる作業だったが、懸命な聞き取りと幾つかの文献によって以下の情報が得られた。
山をひとつ隔てて隣接するN県の村(以下、A村)と通り魔事件最初の発生地であるS県の村(B村)には中世から交流があり、山村における独自の分業制度によって深く結びついていた。その分業制度は「次々男・次々女」と呼ばれるものだ。
両村は山あいに存在し、村の産業は共に林業・農業が中心だ。村にはほとんど平地がなく、斜面にへばりつくようにして住居が点在している。自給自足の時代、限られた耕地面積で食い繋ぐためいわゆる「口減らし」のような風習があったであろうことは容易に想像できる。
だが、この村における「口減らし」は少し異質なものであった。H市の民俗資料館で閲覧した資料によれば、明治期のB村の人口は二四五名とある。しかし実際には、「戸籍上存在しない」人間が数十、あるいは数百名存在していたというのである。
その「戸籍上存在しない」人間こそ、「次々男・次々女」と呼ばれていた者たちだ。両村では各家庭において戸主である夫、妻、そして長男、長女(あるいは二世代が同居する家庭もあったが)の他に人権が認められていなかった。次男、次女やその下に生まれた者は、生まれたときから死ぬまで将来の戸主である長男の奴隷として教育された。その役割は農耕と家事に限られ、一生を家の敷地内で過ごした。外部と接触する機会は皆無で、生まれたときからその状況であるために彼らはなんの疑問を呈すこともなく一生を奴隷同様に過ごしたのである。戦時の徴兵資料にすら彼らの存在は認められなかった。長子以外に婚姻はおろか外出すら認めない因習の中、両村は人口を調整し、山奥で静かに生き続けることに成功した。
そんな両村に転機が訪れたのは戦国時代から江戸前期にかけてのことだった。技術が進歩したことで耕地面積が増大し、それに伴って村にも富裕層が出現したのである。当然それに伴って労働量も増大するわけだが、次々男・次々女は一世代限り、個々の家庭における労働力は限定されていた。なおかつ、労働の大半を次々男・次々女に委ねていた村の住民は、より働いてより豊かになろうという意志を持たなかった。そこで行われるようになったのが近親相姦による次々男・次々女の交配である。……まさに最悪の手段だ。倫理のかけらも存在しないではないか。私が長らく食い下がったことでA村の老婆はようやく口を開いたが、これは忌むべき過去の習わしであり、村人どうしでも滅多に口にしない、いま村に生きるわずかな若者はこれを知らないということだった。
村々はそれぞれ次々男・次々女を増やし、労働力を増やしていった。しかしあくまでそれは個々の家庭内で行われたため、次第に血は濃くなり、障害を持つ者も増えていったという。そこでまず村内で血の入れ替えが行われるようになったが、それは長くは持たなかった。そして最後には、隣接する村どうしでの交配が行われるようになったのである。教育を受けず、文字も読めず、人生のすべてが自宅で完結する者たちが、山奥の小屋に閉じ込められて子を作った。A村、B村それぞれ全体の半分を相手の村に派遣し、それぞれの村にある小屋で背徳の極みが繰り広げられた。戸の分別がなくなって以降、彼らは完全に数で管理されるようになった。
家庭で生まれる次々男・次々女は長男・長女が死んだ場合、死んだ者の名前を引き継いで生きるという役目を負っていた。いわば順番待ち、悪く言えば「保険」としての存在でもあったが、次々男・次々女の子として生まれる者たちは最初からその可能性を持たなかった。もはや誰の子であるかも定かではなかったため、村共有の労働力として扱われていた。B村に関する文献には、やがて人口が増え過ぎ、労働力にならない次々女はその大半が村の外部へ売られていったという記述も残っている。
そんな両村に転機が訪れる。大規模自然災害の発生だ。巨大な台風によって山林は崩壊し、農地の大半は失われ、多くの村民は死亡した。両村共に甚大な被害を出したその日は、奇しくも「小屋」で交配が行われる日であった。土砂崩れによって崩れ落ちた両村の小屋からは、それぞれ一人ずつの次々女を残して全員が遺体で発見された。人口の大半と農地、労働力を失った両村は、因習を廃し、一般的な「口減らし」のみを行う典型的な山村のひとつに立ち戻った。
村民たちは自分たちが行ってきたことをひどく悔やんだ。そして、小屋があった場所に、それぞれ祠を建立して供養に努めた。今回破壊された大事な祠とは、まさにこのときの祠である。
私は、これら二つの村にまたがる因習と、今回の騒動が無関係であるとは思えない。何故なら、B村入りした後の調査によって、B村の祠もまた何者かに破壊されていたことが判明したからである。それがわかったのはA村の青年が起こした騒動よりも後のことだったそうだが、祠がいつ破壊されたか具体的な日時ははっきりしないと言う。祠は、建っていた場所に小さく折り重なるようにして崩れていたそうだ。B村でこのことを話してくれた老人は、人手不足が極まり、長年続けてきた供養祭を欠いてしまったことをひどく悔やんでいるようだった。
これから述べることは私の推理に過ぎない。しかしどうか読者諸君各人の論理で検証してみてほしい。ヨセルヒトは、B村の祠が破壊(あるいは祟りか何かの類で崩壊)したことで発生した呪いなのではないだろうか。呪いという言葉はどうも抽象的だが、現実に起きている殺人事件、それに寄り添うように展開される都心伝説。両村の怖ろしい歴史は、これら二つを繋ぐ決定的な鍵となり得るのではないだろうか。
どちらにしろまだまだ材料が足りない。私は納得が行くまで現地で取材を続けようと考えている。どうやらヨセルヒトが都内に到達したらしいが、B村はもはや単なる発生現場でない。A村を含んだ両村の歴史は、おそらく、この事象のすべてを孕んでいるだろう。
この事件の解決を求めるなら、こうした掘り下げ方が唯一の道だ。私はそう確信している。
――「(ⅲ)今後の展望」
前号は「週刊栗栗眼鏡」創刊以来の話題をさらった。扱われ方は変わっていないが、我々の発信した情報がかつてない範囲の読者へと届いたことは事実である。我々は喜びや達成感以上に、この事象を最後まで報じる強い義務感を感じている。本誌かつてない規模で、本誌かつてない予算を組んで、売れなかったら倒産する覚悟で以て次号の特集へ臨む所存だ。
読者諸君の身の安全を祈る。次号乞うご期待。
(週刊栗栗眼鏡編集部)