「顔色が悪くて気味が悪い」と婚約破棄されたので、殿下の【呪詛肩代わり】を終了します。健康美に戻った私に、氷の騎士団長様が赤面求婚してきました〜呪いが直撃した殿下、今さら土下座されても手遅れです〜
「エレナ・シルフィード! 貴様との婚約を、今この場をもって破棄する!」
シャンデリアの輝く王立学園の大広間。
卒業記念夜会の最中、オーケストラの演奏を遮って響き渡ったのは、我が国の第一王子にして王太子、エドワード殿下の甲高い声だった。
周囲の貴族生徒たちが一斉にざわめき、視線が私へと集中する。
殿下の隣には、ピンクブロンドの巻き毛を揺らし、勝ち誇った笑みを浮かべる男爵令嬢マリアがぴったりと寄り添っていた。
「殿下、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
私は静かに問いかけた。
感情を荒らげることなく、ただ淡々と。
だが、その声の低さすらも殿下の癇に障ったらしい。彼は露骨に眉をひそめ、汚い汚物でも見るような目で私を指差した。
「理由だと!? 己の胸に手を当ててみろ! 見ろ、その幽霊のように青白い顔を! 唇には血の気がなく、立ち姿も陰気で、祝いの場だというのに愛想笑いひとつ浮かべられない! そんな気味の悪い女が、我が王国の国母にふさわしいと思うか!?」
周囲から、くすくすと嘲笑が漏れる。
「確かにシルフィード伯爵令嬢はいつも青白いお顔をされているわね」
「化粧でも隠せないほどだもの」
「殿下の隣に立つなら、マリア様のように華やかで愛らしい方でなくては」
マリアがこれ見よがしに胸元に手を当て、しなだれかかった。
「まあ、殿下……エレナ様をあまり責めないで差し上げてくださいませ。エレナ様も、生まれつきそのような陰気なお顔立ちで、可哀想な方なのですから……ふふっ」
口元に手を当てて笑うマリアの瞳には、明らかな嘲笑と優越感が滲んでいた。
殿下は彼女の肩を抱き寄せ、鼻を鳴らす。
「聞いたか、エレナ。マリアのこの慈愛に満ちた言葉を! 俺の隣に立つべきは、太陽のように微笑み、俺を癒やしてくれるマリアだ。お前のような冷え切った死体まがいの女は、我が王宮に百害あって一利なしだ! 今すぐここから消え失せろ!」
私は、静かに息を吸い込んだ。
(……ああ、本当に、この方は何もご存じないのね)
私の肌が常に青白く、血の気がない理由。
微笑むことすらできず、唇を噛み締めて立っている理由。
我がシルフィード伯爵家は、建国以来、王家を影から守護する『身代わりの秘術師』の家系だ。
十年前、先代国王陛下と私の父が交わした絶対の盟約。
それは、王太子の婚約者となる代わりに、王太子エドワードに降りかかるすべての【毒殺の試み】【呪詛】【悪意の魔力】を、私が肌身離さず身につける術具を通じて、すべて私の体内に引き受け、浄化し続けるというものだった。
王族の血は常に狙われる。
政敵からの呪い。隣国からの暗殺の毒。貴族たちの嫉妬と怨嗟。
それらはすべて、彼が気づかないうちに、私の肉体を通過していたのだ。
骨を軋ませるような激痛。胃を焼くような猛毒の熱。
毎晩、自室のベッドで血を吐きながら、それでも「これが王太子妃となる私の務めなのだ」と耐え忍んできた。
笑顔を作ろうとすれば激痛で顔が引き攣ってしまうから、必死で無表情を保っていた。
それを――「気味が悪い」「死体まがい」ですって?
「……承知いたしました」
私は深く、完璧なカーテシーをとった。
「なっ……なんだと?」
泣き叫んで縋り付いてくるとでも思っていたのか、殿下が拍子抜けしたように目を丸くする。
「婚約破棄、謹んでお受けいたします。また、私が殿下の婚約者であることを条件に結ばれていた『すべての付帯契約』についても、本日この瞬間をもって完全に終了とさせていただきます。よろしいですね?」
「ふん! 訳のわからん負け惜しみを! お前の実家との契約など、すべて破棄だ! 二度と俺の前に顔を見せるな!」
「ええ、二度とお目にかかりません。どうぞ末永くお幸せに」
私は背筋を伸ばし、一度も振り返ることなく大広間を後にした。
背広から歓声と、殿下の「さあ音楽を鳴らせ!」という能天気な声が聞こえてきたが、もはや私の知ったことではない。
静まり返った夜のバルコニー。
冷たい夜風が、私の熱を帯びた頬を撫でる。
「……ふぅ。十年間、長かったわね」
私は左手首につけていた、黒ずんだ銀の腕輪を見つめた。
王家秘伝の身代わり呪具『魂の枷』。
エドワード殿下の命を守るため、無数の怨嗟を吸い込み続けたそれは、今や禍々しい紫色の光を放っている。
私は躊躇うことなく、その留め金を外した。
カチリ、と硬質な音が夜の静寂に響く。
その瞬間、腕輪は黒い灰となってサラサラと夜風に散っていった。
――カァッ、と全身の血液が沸騰するような熱波が走る。
私の体内で圧縮され、必死に抑え込んでいた呪素の残滓が、浄化の光となって毛穴から解き放たれていく。
「っ……あ……!」
手足の先から、重苦しい鉛のような倦怠感が消えていく。
骨の髄まで染み付いていた激痛が、嘘のように引いていく。
肺いっぱいに吸い込んだ夜の空気が、驚くほど澄んでいて、甘い。
手すりの鏡面に映った自分の姿を見て、私は思わず目を見張った。
青白く土気色だった肌は、抜けるように透き通る白磁の輝きを取り戻していた。
カサついていた唇には瑞々しい桜色の血色が差し、くすんでいたプラチナブロンドの髪は、夜風に揺れるたび月光を反射して艶やかに煌めいている。
痛みから解放された私の瞳は、澄み渡る夜空のような深い紫陽花色に輝いていた。
「……これが、本来の私……?」
「――ああ。やはり、息を呑むほど美しい」
唐突に背後からかけられた低く艶やかな声に、私はハッと振り返った。
そこに立っていたのは、一人の長身の男性だった。
漆黒の礼装に身を包み、腰に佩いた白銀の長剣。
夜闇を溶かしたような黒髪に、射抜くようなアイスブルーの瞳。
王国最強の剣士にして、冷酷無比と恐れられる近衛騎士団長――レオンハルト・ヴァルハイト公爵令息だった。
「レオンハルト閣下……? なぜ、このような場所に」
「君を迎えに来たんだ、エレナ嬢」
普段は眉一つ動かさず、戦場の魔神とも『氷の守護神』とも呼ばれる男が、信じられないほど優しい眼差しで私を見つめていた。
彼はおもむろに歩み寄ると、私の目の前で片膝をついた。
「閣下……!?」
「ずっと、歯痒かった。愚かな王太子の陰で、君がどれほどの毒を、どれほどの呪いを引き受け、身を削っていたか……私はずっと知っていた」
レオンハルト様の大きな手が、私の冷え切っていた指先をそっと包み込む。
その手は驚くほど温かかった。
「近衛として王太子の身辺警護を調査するうち、君のシルフィード家の秘術に行き着いた。……なぜ君一人が、あのような男のために命を削らねばならないのか。代われるものなら、私が代わりたかった。だが、王家の盟約がある以上、私には手が出せなかった」
彼の涼やかな耳朶が、かすかに赤く染まっている。
「だが、あの馬鹿は自ら契約を破棄した。……エレナ嬢。十年間、本当によく耐えてくれた。もう誰のために苦しむ必要もない。君を縛るものは何一つないんだ」
「レオンハルト様……」
「これからは、私が君を守る。君を傷つけるすべてのものから、この命に代えても守り抜くと誓う。……どうか、私の妻になってくれないだろうか」
真っ直ぐに注がれる、情熱的な瞳。
社交界の令嬢たちがどれほど言い寄っても一瞥すらくれなかった男が、今、赤面しながら私一人に愛を乞うている。
十年間、誰からも感謝されず、ただ「気味が悪い」となじられ続けた私の心に、温かい涙が溢れ出た。
「私で……本当によろしいのですか? 愛想笑いも、うまくできないかもしれないのに……」
そう呟くと、レオンハルト様はふっと息を呑み、胸を押さえて呻いた。
「……くっ」
「えっ、閣下!? どこかお悪いのですか!?」
「……いや。今の君の困り顔が、あまりにも愛らしくて……心臓が止まるかと思っただけだ。破壊力が凄まじいな……」
顔を真っ赤にしてそっぽを向く騎士団長様に、私は思わず――クスリと、心の底から笑ってしまった。
「あ……笑えた」
「……エレナ。君の笑顔は、どんな宝石よりも眩しい。生涯、私だけに見せてほしい」
彼が私の手の甲に誓いの口づけを落とした、その時だった。
――ドォォォォォンッ!!!!
バルコニーの奥、大広間の方から、地響きのような爆音と、耳をつんざく絶叫が響き渡った。
「ぎゃああああああああっ!! 痛い! 熱い! 身体が裂けるぅぅぅぅっ!!」
それは紛れもなく、エドワード殿下の悲鳴だった。
「な、何事だ!?」
レオンハルト様が瞬時に私を背後に庇い、大広間への扉を開ける。
そこに広がっていたのは、まさに地獄絵図だった。
「ひ、火だ! 殿下の身体から黒い炎が!」
「息ができない! 助けてくれぇぇっ!」
広間の中央で、エドワード殿下が床を転げ回っていた。
彼の全身からどす黒い瘴気が噴き出し、美しいはずの金髪はチリチリに焼け焦げ、顔面は紫と緑の斑点で覆われている。
激痛にのたうち回り、鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにして叫んでいた。
「殿下! 殿下に近づいてはなりません! これは猛毒と呪詛です!」
「神官を呼べ! いや、解呪師だ!」
周囲の貴族たちは我先にと逃げ惑い、先ほどまで彼に寄り添っていたマリア男爵令嬢にいたっては、
「いやぁぁっ! 化け物! 近寄らないで!」
と叫びながら、殿下の伸ばした手を踏みつけて逃げ出していた。
私は静かにその光景を見つめた。
(そう……私が今まで【肩代わり】していた分ね)
王太子エドワードがこれまでの人生で受けるはずだった、数え切れないほどの暗殺の毒、呪殺の儀式、悪霊の怨嗟。
それらはすべて、私の術具が『一時的に引き受け、私の肉体で十年間かけて少しずつ無力化』していたものだ。
契約が破棄され、術具が破壊された今。
まだ完全に浄化しきれていなかった直近数年分の呪詛が――本来の対象者であるエドワード殿下のもとへ、一瞬で【逆流】したのだ。
「え、エレナ……!? そこにいるのはエレナか!?」
のたうち回る殿下の視線が、バルコニーの入り口に立つ私を捉えた。
その瞬間、彼の濁った瞳が見開かれる。
「お前……本当にエレナなのか……? そんな、信じられない……まるで女神のような美しさ……」
青白さを失い、健康的な血色と神々しいまでの魔力を纏った私の姿に、広間に残っていた貴族たちも息を呑んで見とれていた。
「エレナ! エレナぁぁっ! 助けてくれ! 痛いんだ、身体中が焼けるように痛いんだ! お前の実家は呪いを祓う一族だろう!? 今すぐ俺の呪いを吸い取れ!」
殿下は這いつくばり、涙と泥にまみれた手で私のドレスの裾を掴もうとすがりついてくる。
「悪かった! 婚約破棄は取り消しだ! お前を正妃にしてやる! だから早く、この痛みを消してくれぇぇっ!」
見苦しく懇願する元婚約者。
しかし、その手が私に触れることはなかった。
――ザンッ!
冷徹な切先が、殿下の鼻先すれすれの床に突き刺さる。
抜刀したレオンハルト様が、氷のような冷たい瞳で殿下を見下ろしていた。
「我がヴァルハイト公爵家の未来の主母に、その汚らわしい手で触れるな」
「ひっ……レ、レオンハルト!? なぜ貴様がそいつを庇う! そいつは俺の婚約者だぞ!」
「貴殿が先ほど、衆人環視の中で婚約破棄を宣言したはずだ。言ったであろう、『お前との契約はすべて破棄だ』と」
レオンハルト様の低く威厳に満ちた声が広間に響き渡る。
「エレナ嬢は十年間、貴殿の命を狙うすべての凶刃と呪詛を、その身一つで肩代わりし続けてこられた。貴殿が無傷でいられたのは、彼女の尊い犠牲のおかげだったのだ。それを『気味が悪い』と罵倒し、あまつさえ恩を仇で返して捨て去った。……自業自得とは、まさにこのことだな」
「な……んだと……? 俺の身代わり……? そんな、聞いていないぞ!?」
「先代国王陛下とシルフィード伯爵が、貴殿に余計な恐怖を与えぬよう秘密裏に結んだ盟約だ。……もっとも、自らそれを破り捨てた貴殿には、もはや関係のない話だが」
「そ、そんな……嘘だろ……!? エレナ、頼む! 戻ってきてくれ! お前がいないと俺は死んでしまう! 頼む、エレナぁぁぁっ!」
床に額を擦り付け、必死で土下座を繰り返すエドワード殿下。
かつて私を「死体まがい」と嘲笑った男の、あまりにも無様な姿。
私は、彼の前に一歩進み出ると、冷ややかに告げた。
「殿下。私はもう、あなたの身代わり人形ではありません。……ご自身が撒いた種です。どうぞ、ご自分で刈り取ってくださいませ」
「エレナァァァァァッ!!」
絶叫する殿下を残し、駆けつけた近衛兵たちによって彼は医務室へと担ぎ込まれていった。
溜まりに溜まった呪詛の後遺症で、殿下の魔力は完全に枯渇し、王太子の廃嫡は免れないと後に聞いたが、私には何一つ関係のないことだ。
「――エレナ」
騒乱の収まった夜会を抜け出し、公爵家の馬車に揺られながら、レオンハルト様が私の手を握り直した。
夜風に冷えた手を、彼が両手で包み込み、温めてくれる。
「怖くはなかったか?」
「いいえ。……レオンハルト様が、守ってくださったから」
私が微笑むと、彼はまたしても「ぐっ」と胸を押さえ、耳まで真っ赤にして顔を覆った。
「……本当に、反則だな。そんな顔をされたら、一生手放せなくなる」
「ふふ、手放さないでくださいね? 私、もう二度と殿下のところには戻りませんから」
「当然だ。地の果てまで追いかけられても渡すものか。……明日、一番腕の良い仕立屋と宝石商を屋敷に呼ぶ。今まで君が我慢してきたぶん、世界で一番幸せな花嫁にしてみせる」
真剣な眼差しで、熱烈に告げてくれる最強の騎士様。
重い呪縛から解き放たれた私の胸は、これからの新しい日々と彼からの甘い愛への期待で、トクンと温かく高鳴っていた。




