2 "だからさっさと、その猫の治療をしろよ"
「こんにちは。今日はどうされました?」
自宅近くの動物病院。存在自体は知っていたが、入るのは初めてだ。
20代ほどの受付の女性からそう尋ねられ、言葉が詰まる。なんて言えばいいのだろう。
別にこいつを飼っているわけでもないし、病状とかも分からない…。
『あ、あの。そこで猫を拾って…具合が悪そうだったんで、診てもらえないかと…』
「あっその服で包んでる子?ちょっとお待ちください、今ゲージを持ってくるので」
『は、はい』
待合室にはもう一人だけおり、リュックのようなバッグからは網目の向こうに猫がいるのが分かる。
ああ、そうか。普通はああやって何かに入れて動物を持ってこなきゃいけないのか…。
知らないでそのまま持ってきたことに恥を感じながらも待っていると、先ほどの女性がカゴのようなものを持ってこちらに来た。
「とりあえず一旦この中にお願いします」
『はい』
「あと、受診は初めてですよね?問診票に記入をお願いします」
『はい』
猫を服に包んだままゲージに入れ、問診票を受け取る。
ペットの名前、性別、手術歴…?全部分からないからその他の欄に"さっき拾ったばかりの猫です"って書いておこう。
自分の名前や住所、電話番号のみ記載したものを受付の人に渡す。
待合室には俺以外、誰もいなくなっていた。
5分後、名前を呼ばれ診察室へと入った。
動物病院に来るのは初めてだったけれど、こんな風になっているのか。診察台にモニター、奥には器具などが置かれており、この場でそのまま治療が出来るようになっている。
「じゃあ猫見せて」
『は、はい』
獣医と思しき人は30代ほどだろうか?若い感じの男性だが、表情は少し険しい。ちょっと怖い感じがする。
まあ、それは人間の医者でも同じようなもんか。フレンドリーな医者の方が少ないだろう。
「さっき拾ったんだって?」
『そうです』
「………酷いね」
『え?』
険しい表情が、より険しくなっていった。
猫はただされるがままに、抵抗もせずお腹を開いたり横になったりしている。
「何かをぶつけられた痕がある。鋭いもので切られてカサブタになったところも。人間がやったんだろうね」
『あぁ…さっき、石を投げられてて』
「なるほどね」
ペタペタと猫の体を触ったり、目や口を見たりしたあと、獣医の先生は俺に向き直った。
顔はずっと険しい表情のまま、まるで俺のこともどこか非難するみたいに。
「可哀想だと思って連れてきたんだろうけど、捨てていった方がいい」
『捨て、え?』
「猫って飼ったことある?」
『ないですけど』
「普通の猫より病気を持ってる猫はずっと難しい。それに動物の治療費っていうのは、君が思ってる以上に金がかかるもんだ。いっときの"可哀想"って感情で簡単に飼おうと思わない方がいい。飼う覚悟がないなら、このまま出ていっていいよ」
先生は、吐き捨てるように俺へと言った。
捨てる?このまま出ていく?こいつを置いて?
猫は相変わらずその目に何の感情も乗せていない。期待も苦痛も何もかも、受け入れるだけの器のような、虚な目。
ああ、嫌だ。その目に俺は覚えがある。どうして8歳の時の俺と同じ目をしているんだ。どうしてあの時葬儀場から出ていく父親の背中を思い出すんだ。
ああ、イライラする。大人はどうしてこんなに俺をイラつかせるんだ。
『お金ならあります。……とりあえず、今できる最善の処置をしてください。払えないなんて、一言も言っていません』
財布からありったけの札を出して獣医に見せる。まだATMに預けていなかったから、14万円以上入っていた。
金ならある。その言葉に嘘偽りはない。口座にはゆうに100万円を超える貯金があるし、自宅は広くペットも飼える上にこの動物病院からも近い。
この猫は大人しいみたいだし、看病すればいいんだろう。それに俺は医者志望だ。猫の看病くらい俺にだって出来る。
だからさっさと、その猫の治療をしろよ。
「……わかった。君、名前は?」
『新井山、湊です』
「そう。湊くん。俺は岩崎。じゃあこの子の治療をするから、一旦待合室で待ってて」
『…はい』
待合室で待つこと15分。その後また診察室に呼ばれて入ると、猫の顔が綺麗になっており少し驚いた。
こんな顔をしていたのか。…でもやっぱり顔がすごくでかいな。それに目つきも悪くて…可愛い感じでは、ないな。
「とりあえずオスっていうのと、多分猫エイズ持ちだね。でも野生にいたにしてはだいぶ長生きしてる。10歳に行かないくらいかな」
『10歳って、長生きなんですか』
「家猫だと寿命は大体15年以上だけど、野生の猫は3年くらいで死ぬからね」
3年……。あまりに短いその数字に驚愕する。たまに外で見る野良猫は自由そうで、羨ましくさえ思っていたけれど、その寿命はあまりにも短い。
でもそんな中で10年も生きたということは、こいつ実は頭が良かったりするんだろうか?
「目やにと鼻水は取ったけど、また出るから出るたびにお湯で濡らした布やティッシュで優しく拭き取ること。薬をあげるから朝晩1回ずつあげること。あと歯がボロボロみたいだから、老猫用の栄養食のウェットフードをあげた方がいい。これは会計の時に渡すから」
『は、はい』
慌ててスマホのメモを開いて打ち込む。
ええと、目やにと鼻水はお湯のティッシュで優しく取って、薬は朝晩1回で、ウェットフード…?ってなんだ?
「薬はとりあえず5日分出すから飲みきったらまた連れてくること。自力で動けないからオムツやった方がいいね。数日分は受付で渡すから、あとは市販の買っておいて。他に質問は?」
『ない、です』
「じゃあまたゲージに入れて待合室で待ってて。…元気になるといいな」
岩崎先生は最後にそう言うと、寝そべっている猫の頭をひと撫でした。
その時だけ、ほんの少しだけ表情が和らいで優しい顔をしていたような気がする。
先生は多分、動物が好きでこの職に就いた人だ。
「はい、お会計合計で12,840円です」
『い…っ?』
あまりの金額に目を疑った。
この前風邪を引いて病院を受診した時の会計は3,000円かそこらだった気がする。それの軽く、4倍…。
確かに岩崎先生は猫の治療費に金がかかるって言ってたし、まあ、そういうことか…。
借りたゲージを持って家に帰る。
とりあえず自室に持ってきたけど、これって父さんに話したほうがいいかな…、いや。バレなければ問題ない。このまま飼い続けよう。
バスタオルを3枚ほど重ねて猫のベッドを作った。何をしても猫はされるがままで、バスタオルの中で丸まっている。
とりあえず猫を撫でてみた。
『うーん、ちょっと毛がゴワゴワしてるな。野良猫だからか?』
猫を飼うなら目が青いラグドールが良いって思っていたんだけどな…、現実は牛のようなマダラな柄の顔がデカくて目つきの悪いなんとも言えない汚い猫だ。
何ならちょっと臭い。あ、そうだ。足も汚れてるし、風呂に入れた方がいいな。
風呂桶にぬるま湯を持ってきて、湯を染み込ませたタオルで全身を拭いたら臭いは少しマシになった。
スマホで調べたところ猫を風呂に入れるのはあまり良くないらしいのでタオルで拭くことにしたが、こいつは頭から水をかけても動じることもなさそうな感じがする…。
猫は綺麗になったものの、拭いたタオルはかなり汚れて臭くなったので袋で縛って捨てることにした。
だが、ここで問題発生。こいつ、飯を食わない。
『おーい。腹減ってないのか?ほら、食えよ』
病院で渡されたウェットフードを指で摘んで口元まで持っていくが、微動だにしない。
薬も食べさせないといけないのに、まず飯も食わないとは…。
ウェットフードはツナ缶のような匂いで、結構強い香りだ。…人間が食べても美味しいんだろうか。
まあ食べたくなったら食べ始めるのか…?
とりあえず猫の前にウェットフードと水を置いたまま寝ることにした。朝には減っているといいんだが…。
明日も更新します




