第49話 〜寄り添う者達〜 12
「あっ・・・もう一杯飲まれますか?」
ハッとしたように俺からカップを回収して、聞いてくる。
「喉を潤すことができたので、もう大丈夫です。有難うございました」
「・・・そうですか」
何故か先輩は受け取ったカップを戻さずに、ジッと眺めながら俺が口にしたところを指でなぞる。それは何かを確認しているかのようで、まさかと思った。
「あの、先輩・・・もしかして・・・・?」
俺の問いかけに頷かれる。
「・・・・今度は、されちゃいましたね」
「えっ?! だって俺は反対にして・・・」
「・・だからですよ? 私が飲んだ向きのままで、貴方にお渡ししたんです。それを反対にすれば、当然・・・・」
そこまで言って、指先がまた唇に触れる。
「されるのは・・・恥ずかしい・・ですね・・・・。していただくまで、分かりませんでした・・・・」
もし、これが夜の世界だったら、先輩は乙女の顔で赤くなっていただろう。
こっちだと、顔を赤らめずに戸惑っていることしか分からないが。
「・・・本当にすみませんっ!」
もう謝るしかなかった。これは、れっきとした変態行為だと思った。わざわざ向きを変えてまでしたわけだから、言い逃れはできない。
「健は悪くありませんよ」
カップを水筒へと戻す間に、先輩の戸惑いも落ち着く。
ちゃんと言わなかった自分が悪いという意味だろう。一体、この人はどこまで優しいんだ?
「でも、一言確認すれば良かったわけですし・・・・そうしたら、先輩が嫌な思いもせずに済んだんですよ?」
「健、勘違いしないでください。私は嫌な思いはしていません」
「でも恥ずかしいのは・・・・」
「『嬉し恥ずかし』という事です。恥ずかしいですが、それ以上に嬉しいです。貴方に受け入れられたようで・・・・」
胸中に渦巻くモノを逃さないためか、重ねた手を胸元に置く。
下げた顔の両目は閉ざされ、今在る感情を味わっているようだ。そして、何かを理解したのか、うっすらと瞼を開けて俺を見てくる。
「・・・・きっと、健が味わっていた感情も・・こんな感じなのでしょう・・・・?」
柔らかく細められた眼差し、嬉し気な声音に反論なんかできなかった。絶対にどこか違っているはずだが、そんな事で先輩の心を否定したくはなかった。だから、黙って頷くことで肯定する。俺が言葉にすると、どこか嘘に聞こえる気がしたので、声には出せなかった。
「ふふっ・・・・貴方と、同じ想いを分かち合えるなんて・・・・幸せですね」
「幸せ・・・・?」
どうしてこんなことで、そこまでたどり着けるんだろう。
「そうでしょう? 別々の存在なのに、一緒の心を持てたんです。同じことをして、同じ感情を持つ。それが間接キスの恥じらいであったとしても・・・・尊いじゃありませんか」
それは先輩だからこそ言える言葉だ。普通はそんな事は思わないし、最初の感情以上は何も感じずに流す。俺もそういう風に生きているから、先輩に説明して貰わないと分からなかった。
「・・・そうですね。そう考えることも・・・・できるんですね」
「ええっ、そうなんです」
両手を合わせ、指を絡ませながら喜んでいる先輩の方が、俺は尊いと思う。その姿をいつまでも見ていたかったが、問題に取り掛かる必要があった。
「先輩、そろそろ北条さんのことで———」
「・・・・今はダメです」
何時までも昼食の余韻を引きずるわけにもいかず、残りは北条さんの事を話題にしようとしたら、急に先輩に抱きしめられる。
「えっ? 駄目とかじゃ・・・・って、何で抱きしめるんですか?」
昨夜のように胸の中に顔を抱きしめられる。そのせいで体は傾き、先輩にもたれ掛かるようになる。つまり、先輩の柔らかさをこれでもかと味わう。
「そういう気分です」
先輩を見上げながら、また頭を撫でられる。撫でる手は止められずに、会話は続く。
「いや、そういう問題じゃ———」
「そもそも、北条さんの事は放課後でなければ結論は出せません。健は今の情報だけで結論を出せますか? それは確定ですか?」
「まだそこまでは無理ですよ」
「でしたら、時間を消費して不安を増してしまうだけです。そのような時間を過ごすのなら、こうして貴方を愛でて過ごす方が、どれだけ心に有益でしょうか?」
そんなことを言いながら、手の動かし方が変化する。俺を寝かしつけようとする撫でかたが、暖かくて柔らかい感触が、先輩の腕の中での眠気を起こす。
「あ・・・・」
ついあくびが出そうになり、下を向いて噛み殺す。今はそんな場合じゃないのに、寝ている場合じゃ・・・・何でもいいから考えないと。
「そのまま寝てください。まだ、頭を使う時ではありません」
そのままでいるようにと、ギュッと強めに頭を抱きしめられる。空いてるもう一つの手が背中に回されると、ゆったりとしたリズムで、背中を優しくぽんぽんとされる。
「考えるのは、この後からでいいんです・・・・」
元々、俺を寝かせる為に抱きしめて来たんだと、今になって気づく。言っても素直に聞かない俺だから、気分とか言って行動で寝かしに来たんだと。
「〜〜〜〜♪」
耳に入る子守り歌のような鼻歌に、背中に触れられる手の心地よさに、先輩の穏やかな心音に、自然と瞼が落ちてくる。
「ぁ・・・・っ」
これ以上ない優しさに包まれて、眠りに落ちる。その瞬間、とてもいい匂いがした。




