第36話 ~星の輝きなき夜の闇間~ 8
「・・・・よかった。時間はかかりましたが、どうにか頬の傷を癒せました」
ようやく治癒が終わり、先輩が涙を浮かべながら笑っていた。
「本当に・・・・よかったです。あのまま朝になっていたら、きっと健は・・・・」
それは否定しようがなかった。元々ギリギリの状態で、北条の怒りと憎しみをモロに受けた上、限界を越えて力を使ってしまった。その反動を考えれば、まず間違いなく何らかの障害くらいは残っただろう。
「・・・すみません。先輩にこういったことをさせてしまって・・・・」
まず、声を出せるくらいには回復しているようだ。
「いいんです。貴方が助かるのなら、私は私にできることは何でもします」
癒やした頬を、その手で確認するように撫でてくる。何度も何度も、心配そうに痕が消えているのかを確認する。
「先輩の治癒に、癒し漏れ的なものはないですよ」
「・・・・どうでしょう? 健としてはどれ位の状態だと思いますか?」
「そうですね・・・・」
手を握ると動き、肩も上がる。足首は柔軟に動き、脚も動かせる。
「ちょっと立ってみます」
「でしたら、私は支えますね」
先輩の支えもあって、問題なく立てる。
「この調子だと、叩かれる前よりも良いかと思います」
「本当ですか?」
「ええ、これなら大丈夫だと思います」
「それなら、今後は健の怪我を癒す際には今回のようにしましょう」
「・・・・冗談ですよね?」
「力を使わず健を癒せるのに、どうしてそれをしないと思うのですか?」
「確かにコスパはいいと思うのですが、流石に時間がかかり過ぎるかと・・・通常の救済より五、六倍程の時間を使っていると思います」
この理屈なら安全が確保されない限り、そう取れない手段となる。
どうにかして、先輩に舐める行為は止めてもらいたい。なんかアレ、見てはいけない先輩を見てるみたいなんだよな。
「・・・・なるほど、確かに時がかかりすぎるのは問題ですね。でも、ここに来た時ではどうでしょうか?」
・・・やっぱ、そう言われるよな。
「ここは現状、安全地帯ですよね? でしたら、ここならば問題もないと思うのですが?」
「それもいつまでか分からない以上、容易にするのもリスクがあるかと・・・・」
「・・・・やっぱり、イヤでしたか? 体を舐められるのは、不愉快でしたよね・・・・?」
やはり悪いことをしてしまったと、先輩が見るからに落ち込んでしまう。そんな姿を見て、反射的に言葉が出てしまう。
「そんなことはないです! むしろ、毛づくろいされて喜んでる動物の気持ちが分かったような気がしました。だから、不愉快とかそんなことはないですよ!」
「・・・本当ですか?」
「はい」
「それなら、しても構いませんか?」
当然、先輩のこんな姿を見せられた俺には、拒否することなどできなかった。
大人しく、首を縦に振る。
「よかった・・・・流石に健に嫌われてしまったのかと思いました」
「俺が先輩を嫌いになることは、絶対にないです。この世が終わったとしても、それだけはないです」
「それでは、私が見えてる範囲の傷も引き続き癒していきますね? 座ってください」
「北条の事についてはどうするんですか? 流石に何も考えない訳にはいかないでしょう」
とりあえず、先輩も座ったので俺も座る。
「それは先程の時間で、健が考えてくださっていたのでしょう? 何かを考えていたことくらい、分かっていますよ?」
言うだけいって、すぐにまた先輩が傷に舌を這わせる。今度は腕の傷を癒してくれる。
どうやら、まずは俺が考えたことを聞かせて欲しいらしい。だから、簡潔に伝える。
北条は先輩の癒しを拒否して牙を剥いてきた以上、俺が『討伐』するしかない。それが最善の手であると。
「ですが、それは健にとってとても負担なことですよね? どうにか説得して、私の治癒を受け入れてもらう事は、できないものでしょうか?」
言うだけ言うと、またすぐに傷を舐め始める。
「それは難しいかと。相手が聞く耳を持たない状態では、先輩の『救済』も意味がないわけですし・・・・」
今度は返事は帰ってこず、続きの言葉を待っているようだった。
「そもそも、アイツは<<夜の存在>>から襲われていないみたいなので、そうなると『討伐』の対象でもあります。だったら俺は・・・・」
「本当に健はできるのですか? 優しい貴方が・・・・彼女を滅ぼせるのですか?」
俺に北条は『討伐』できないと、疑いのない視線を向けられる。けれど、先輩は勘違いしている。何故なら————
「俺にとって大切なのは先輩だけなので、他のやつなんか知りません。俺は別に優しくないので、例えば・・・・先輩以外の奴らを全員滅ぼすことで先輩が守れるのなら、俺はそれをします。そうすることでしか守れないのなら、そうします。間違いなく、絶対にそれをします」
先輩という世界を守れるのなら、他の存在がどうなってもいい。先輩のいない世界なんか必要ない。俺には先輩だけがいればいいんだ。
「健・・・・」
俺からの返事に、悲しげな表情で先輩が見てくる。どう言葉を返せばいいのか、悩んでいるようだ。
「すみません、軽蔑しますよね? 俺なんて、そんな人間ですよ。元々俺のようなやつは————」
「健、無理しないでください・・・・」
続きを聞きたくないのか、頭を胸に抱き寄せることで言葉を塞がれる。
「そうやって強気な言葉を使って、無理に奮い立たせなくていいんです。言い聞かせなくていいんです。自分を下げてまで、したくないことはしなくていいんですよ?」
頭を落ち着けるように、労るように撫でてくる。
「先輩は・・・・俺の考えを否定しないんですか?」
今までこういう考えをして、否定されないことはなかった。
極端だと、自分勝手だと、散々言われ続けてきた。少なくとも、先輩の答えなど誰もしなかった。
「なぜ否定しないといけないんですか?」
胸の中から見上げる俺に、不思議そうな顔で先輩が見下ろしてくる。
「確かに、貴方が考え抜いた方法が正しいとは思えません」
「だったらなおさら———」
「だからといって、間違っているとも思いません」
「先輩・・・・?」
「健・・貴方は初めに『するしかない』と言いましたね。それは他に手がないのなら、もはやこれしかないという考え方です。最後に残された手段、それを否定するなんて私にはできません。否定が許されるのは、それよりも優れた方法が提示された時だけなんです」
だから間違ってもいないと、抱きしめて撫でてくる行為でも伝えてくる。
否定されることなく、暖かい感情に包まれる。
優しい眼差しで見つめられる。
「ごめんなさい。私が拒絶さえされなければ、健にそのような決意をさせずに済んだというのに・・・・私が健をそう追い込んでしまったんです」
謝ってくるような表情に、胸が痛い。先輩には何の非もないのに、どうしてそんな顔をしないといけないんだ?
「それこそ、先輩の責任でもないでしょう? 悪いのは差し出された手を取らなかった、北条の方です」
「それも私が彼女に恨まれることさえなければ、起こらなかったと思います」
「だとしても、アイツが先輩の『救済』を受け入れなかったのは事実です。先輩に何もさせないのなら、俺がアイツを消し去ります」
いくら先輩が優しいことを言ってくれても、それで何も解決しないのならば俺はやる。人道を踏み外してでも先輩だけは守る。絶対に、何が何でも。
「・・・・まだ私にできるのであれば、私に任せてもらえますか?」
「それは内容によります」
こういう時の手段に碌なのはない。よくあるのが身代わりといった犠牲や、デメリットを生涯背負うと言ったことだ。
「別に犠牲にはならないですよ? ただ、負担は確かに普通よりもかかりますが、健が思う程ではありません。その日の全ての力を北条さんに使うだけです」
流石に俺の考えは丸分かりのようで、先輩の言葉に反論の余地はなかった。
「つまり・・・効率が落ちるので、その分だけ力を使って癒すということですか?」
「そうなりますね」
「だったら、何故先輩はそんなに乗り気じゃないんですか?」
これなら、ゲームでいう回復なしの縛りプレイだ。別に何の欠点もないと言うのに、どうして先輩は嫌そうなんだろ?
「・・・貴方を癒せないのが嫌なんです」
ぎゅっと、さっきよりも強く胸の中に抱きしめられる。
「これをすると健を癒せません。それがとても嫌なんです」
その状態でまた頭を撫でてくる。
「私は酷い女です。傷ついた命がありながら、健を優先したかったんです。貴方を・・・・優先したいんですよ、私は」
嬉しいだけに返事に困る。けど、それだけで先輩が迷うとは思えない。何か他の理由もあるはずだ。
「・・ひょっとして、無理やり癒すから北条にも負担がかかるって事ですか? いや、待て。癒すには互いに静止した状態だから、北条を止めておく必要がある・・・・? つまり、俺が北条の足をある程度止める必要があるわけですね?」
そうなると、俺はある程度の傷を覚悟で事に当たらないといけない。それを先輩は嫌っている?
「・・・・本当に健は頭の良い子ですね。どちらも正解です」
ご褒美なのか、頭を撫でる手がさらに優しくなった気がする。
「先輩が嫌がる程の負担なんですか?」
「それは分かりません。ですが、健も経験はありませんか? 無理やり親切を押し付けられる煩わしさを。有難いけれども、どこか不快で嬉しくないという感覚」
「でも、それって日常的にあるものですよね?」
「そうですね。ただ、それがこちらの世界で、どのような影響を与えるのかが分かりません。傷を治しました。だから良かったですねと、彼女が納得してくれるでしょうか? 最悪、ますます拗れてしまう可能性もあります。そうなってしまうと・・・・」
抱きしめる身体が小さく震える。頭を撫でていた手も背中に回され、俺という存在が確かにあるんだと、確認するように強く強く抱きしめてくる。
「その時、健は・・・」
怖がっている・・・・? これまで恐怖を見せてこなかった、先輩が・・・・・・?
「・・・・・・」
最悪の可能性を思い浮かべ、先輩が言葉を途切れさせる。困惑に揺れる瞳が、涙を堪えているように見えてしまう。
「・・・・イヤ・・・どちらも・・選びたくない・・・・」
俺の肩に顔を埋めた時、小さな声でそう聞こえた。ぽつりと漏れた、先輩の本心が。
「・・・・・」
先輩はきっと失敗すると確信している。けれど、何もできず俺に北条を討たせるのが嫌だから、限りなく0の可能性に賭けたいと思っている。それは、少しでも明るい未来を示そうと、俺に希望を持たせようとした考えだった。この間の藤塚先生が、先輩に言い聞かせていたかのように。
そうだというのに、俺は楽な道に逃げた。多分成功しないという、それだけで可能性から逃げた。先輩は懸命にあがこうとしたのに、初めから諦めていた。好きな人は諦めていなかったというのに・・・・
「先輩・・・・」
だから、覚悟を決める。自分たちの運命を他人に委ねる覚悟を。非常に希望的な物語を話す。
「俺の可能性を聞いてもらえますか?」




