第35話 ~星の輝きなき夜の闇間~ 7
「『我、夜空へ飛ぶ!!』」
「『萌え先輩、今すぐ消えて!!』」
間一髪、北条の言葉は俺達がいた場所を歪める。後少し、反応が遅ければ多分消されていたんだろう。
「先輩! 絶対に落とさないので、耳を防いでいてください!」
言うやいなや、先輩はすぐに両手で耳を防ぐ。
「何で大人しく消えてくれないのよ?! アンタがいなければ、健君はあたしの物になっていたのに!」
こちらを見上げながら喚いてる隙に、俺は更に距離をとる。声が聞こえないくらい離れないと。
「『アンタなんか死んじゃえっ!!』」
遠ざかる最中、小さく聞こえたその言葉に『お前が死ね!』と、大声で返したかったが、そんな余裕はない。
今は急いで、アイツの声が届かない距離まで逃げる必要があった。この世界が言霊の力を持つというのなら、その声が聞こえないようにすればいいと思ったからだ。
狙いは先輩だけなので、さっきの声も俺に届いていても効果はなかった。
「〜〜〜〜っ!!!」
逃げに徹しただけあって、すぐに何を言っているのかが、分からなくなる。
このまま昨日の山まで逃げ切る。そうすれば流石に今夜はやり過ごせるはずだ。
今は考える時間がほしい。北条という問題を解決するための・・・・萌先輩を守り抜くための時間が・・・・
短いはずなのに、長い時の感覚の果てで目的地が見える。
「先輩、もうすぐ着地します」
気づけば耳から手を離していた先輩に声をかける。
「その着地ですが、私に任せてもらえませんか? 着地の瞬間はかなりの力を使うでしょう? 今の健にそこまではさせられません。いいですね?」
先輩が俺に抱きつき、主導権を寄越すようにと無言のアピールをする。
「・・・・分かりました」
こうなると絶対に折れない人なので、俺は大人しく先輩に従う。
「ありがとうございます。それでは私が力を使った後、健は力を抜いてください」
先輩の雰囲気が変わったのを感じて、言葉による解除を行う。
「『我、夜空を救済に委ねる』」
後は先輩に甘えて、ゆっくりと穏やかに降下していく。繊細な着地の仕方には、俺にはない柔らかさがあった。降りたのは固い地面だというのに、まるでふかふかのクッションに迎えられたようだ。
「あっ・・・・」
安全地帯に来られ、緊張の糸が切れた瞬間もうだめだった。全身から力が抜けきり、もう体を動かすことなどできなかった。先輩が抱き支えてくれなかったら、地面に倒れ込んだきりだろう。
「健・・・・ごめんなさい。貴方にまた無理をさせてしまって・・・・・・」
そんなことはないと言いたかったが、もう喋ることすらできなかった。それほどまでに消耗していた。
そっと、優しく仰向きに寝かせ、昼間のように膝枕をしてくれる。
「傷だって、また増えて・・・・」
北条に叩かれた頬を、優しく撫でてくれる。
「私にできることであれば、何でもしますのに・・・・」
新しくできた傷を癒そうと、先輩が必死に考えている。『救済』の使えない状態で、どうすれば治癒させられるか、何か方法はないのか、本当にもう打つ手はないのか、気休めでもなんでもいいから何かないのかと、できることを懸命に探し出す。そして
「〜〜〜〜っ!」
何かを閃いた表情をするも、何故か恥ずかしげに頬を赤く染める。
「健・・その、少々はしたない事をしますが、我慢してくださいね・・・・?」
膝枕を止め、俺を起こして近くの木に持たれかけさせ、手を離しても倒れないことを確認する。
そうしてから、先輩が俺の左側に体を寄せて顔を近づけてくる。その角度から、キスをすることで癒やすのかと思ったけれど、そうじゃなかった。
微かに感じた頬を撫でる感触は、唇の柔らかさではない別のものだった。
「っ?!」
予想もしていなかった感触に、体がびくりと驚く。
「ご、ごめんなさい。でも、怪我をした所を舐めるのは、動物もしていると聞きます。例え気休めであっても、それで良くなる可能性があるのなら、試したいのです。だから、暫く我慢してください」
どこか早口にそう言って、先輩が治癒を続ける。
「んっ・・・・」
ペロペロと、舌先に頬を撫でられる。
丹念なそれは、さしずめ親が子供にする毛づくろいのようだ。
思えば、自分も小さな子供の頃に転んで、よくツバを塗っていた。そう思えば、これも別におかしくはない。こうすればこうなるはずだと、心からそう思える行動をすれば、だいたいこの世界はそうなってくれた。だから、先輩は動物がしてるなら、自分たちがしても意味が有るだろうと思って行っている。俺達もヒトという動物である以上、そこに大きな差はないという前提で。
「はぁっ・・・・んっ・・・どうやら、少しは効果があるみたいですね。頬の痣が少しは薄くなりました。このまま綺麗にしますから、もう少しだけ我慢してくださいね?」
傷を癒せて嬉しいのか、先輩が微笑みながらまた舌を這わせてくれる。
微かに感じる温もりと柔らかさが心地よく、確かに心がほぐされるような安らぎを覚える。ただ・・・・
「んっ・・・・はぁ、んっ・・・・・・はあ・・っ」
先輩のこの声だけは、誰にも聞かれたくない。多分、変態的なことをしていると思われるんだろうが、実際はそんなもんじゃないんだよな。そう思うと、ホント想像力っていうのは偉大なだけに厄介だ。
とにかく今は、一刻も早く先輩のこの治癒が終わるようにじっとしながら、北条への対応を考えないといけなかった。




